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2016年7月 2日 (土)

地中海の知恵 剣をとる者は剣にて滅ぶ 美と知恵を求めて 

Jerusalem_dome_of_the_rock大久保正雄『地中海紀行』第38回地中海のほとり 美と知恵を求めて1
美と知恵を求めて 地中海の知恵 剣をとる者は剣にて滅ぶ

月の輝く夜、黄昏の光が満ち、エーゲ海は紅く染まる。
私は美と知恵を求めて旅する。愛する人よ。絶望することなく、神々の試練に耐えよ。

「富める者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい。」(『マルコ伝』『マタイ伝』『ルカ伝』)   *1
「たとえ全世界を手に入れても、己の魂を失うならば、何の利益があろうか。」(『マルコ伝』『マタイ伝』) *2
「剣によって立つ者は、剣によって滅びる。」(『マタイ』26:47~54)  *3
「幸いなるかな、汝ら貧しき人々、神の国は汝らのものである。幸いなるかな、汝ら飢えたる人々、満ち足りるようになるからである。幸いなるかな、汝ら泣ける人々、笑むようになるからである。」(『ルカ伝』)  *4
「死後、責め苦を負う金持ちの比喩」『ルカ伝』第12章16節~21節 *5
「蔵を建て替えた愚かな金持ちの比喩」『ルカ伝』第16章19節~21節 *6
『新約聖書』より。虐げられた者、貧しき者、侮蔑された者への愛がある。
地中海のほとり、美と知恵を求めて旅する。思想家と皇帝と藝術家たち。
愛に生き、美に耽溺する、地中海人。酔うように生き、夢のように死ぬ人生。
烈しい太陽の光が降り注ぎ、地中海は智慧をもたらす。人は、光を求める旅人である。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■美と知恵を求めて 地中海のほとり
輝く風が吹き渡り、枝を広げる葡萄の木の下で、古代から受け継がれた舞踊を踊り、食卓の下で動物たちが食べ物を待っている。地中海の午後、彫刻は古代の微笑みを湛え、列柱は光と影を生み、丘の上にアクロポリスがある。降り注ぐ光は、人間に智慧をもたらす。
夕暮には、薔薇とブーゲンビリアとジャスミンの香りがたち籠め、紺青の闇、満天の星の下、潮風が吹き、人は葡萄酒を飲みほす。生きることは饗宴のごとく、酔生夢死の人生がある。
光あふれる地中海は、死すべき人間に光の思想を教え、生きる知恵を教える。人は、みずからの光を求めて旅する、旅人である。地中海には、輝く智慧があり、人間愛の精神、意志を尊重する心、人間の弱さを受け入れる心の広さがある。
ギリシア人、フェニキア人、エトルリア人、ローマ人、ゲルマン人、アラブ人。ヨーロッパ文化は、多様な文化が出会い対決し融け合った、重層的な文化空間である。ヨーロッパの重層的文化空間の根源には地中海の文化がある。地中海文化を理解することがヨーロッパ文化を知る鍵である。
『地中海紀行』は、地中海都市の魅力を求めて、地中海のほとりを旅する、美と智慧の探求である。藝術作品のように美しい都市。光り輝く紺碧のエーゲ海。ルネサンス都市の美しい迷宮。人生の美を極めるイタリア。優美にして荒寥たるギリシアの大地。スペインの哀愁にみちた中庭。神秘の国エジプト。人類の叡智は、地中海のほとりで生まれた。不朽の芸術、不滅の思想。地中海人の美しい人生の記憶。地中海のほとりを彷徨い、美と知恵の秘密を探究する旅である。
地中海を旅することは、地中海の古典の世界を旅することである。ホメロス、プラトン、アリストテレス、エウリピデス、プルタルコス『英雄伝』、スエトニウス『ローマ皇帝伝』、タキトゥス『年代記』、ヴァザーリ『イタリアの至高なる藝術家列伝』。古典の世界を旅して、地中海人の人生のかたち、地中海的生活様式の美を探求することは、魂の扉を開くことである。そして、眞に豊かな人生とは何か、あるべき人間の生きかたとは何かを、問うことがこの書のテーマである。
地中海は、美を生みだす豊饒の海である。ギリシア人は、美の様式を生みだした。アルカイック様式、古典様式、厳格様式、崇高な様式、艶麗な様式、ヘレニズム様式の激情。比類なく美しい丘の上の列柱。ローマ人は、エトルリア人から円形アーチを受け継ぎ、ヘレニズム様式を展開して、都市空間の美の様式を生みだした。広場(フォルム)、劇場、円形競技場、図書館。ルネサンス人は、古代に完成された理想美を再生させ、古代のドラマの主題の中に、人間の葛藤のドラマを構築した。バロック藝術は、ヘレニズム様式の時空を隔てた蘇りである。
地中海には智慧の書が満ち溢れている。地中海の古典は、人類のあらゆる智慧が蓄積された不朽の泉である。叙事詩、抒情詩、ギリシア悲劇、哲學者の書物から、『新約聖書』、『哲學者列伝』、『皇帝伝』に至るまで、あらゆる生きかたが刻まれ、あらゆる思想が書かれ、あらゆる邪惡な人間が記録され、あらゆる美しい言葉が記憶された。血によって書かれた言葉のみが不滅であり、血によって学ばれた知恵のみがいのちを持つ。
■黄昏の旅人
黄昏の海を眺めていると、憧れ、恨み、愛、悩み、歓びが一つに融け合い、黄昏のハーモニーが聞こえる。地中海に沈む夕日を眺めながら、葡萄酒の盃を傾けると、生きる瞬間が黄金のように光る。肉体は精神の死を生き、精神は肉体の死を生きる。肉眼が眠る時、魂が目覚める。
黄昏刻になると、癒されることのない苦痛、孤独、楽しみ、怒り、憎しみ、絶望、歓び、すべての情念が一つに融け合って、魂の音樂になって、心の底から湧きあがり、すべて流れ去った時間を許すことができる。黄昏に殘照を浴びながら、海に沈む夕日を眺め、地中海の町を歩くと、潮騒のとどろきのかなたに、心の中の樂の音が聴こえる。天のハルモニアと地のハルモニアが照応する、宇宙の調和の音樂が、沈黙に木霊する。ピュタゴラス派の伝えによれば、宇宙の奏でる音樂を聞く者は、智慧に到達する。

■ギリシア悲劇 極限の智慧
ギリシア悲劇は限界状況に置かれた人間のあらゆる苦しみをえがき尽くす。悲劇詩人たちは、極限における人間の苦痛を直視する。アイスキュロス『オレステイア三部作』は文学史上、最も悲惨を極める悲劇であるといわれる。エウリピデス『オレステス』は、ギリシア悲劇の極限であり、復讐と運命の果てに、自己の運命に抗して謀を企てる人間の尊厳に到達した陰謀劇である。エウリピデス『オレステス』は、ギリシア悲劇の到達点である。  老いて異郷を彷徨うオイディプスの苦悩。敵国で憎む者の下で耐えながら生きるアンドロマケ。蛇に噛まれ、孤島に殘され不治の病に苦しむ英雄。(cf.ソポクレス『コロノスのオイディプス』『ピロクテーテース』エウリピデス『アンドロマケ』)
生きることの苦しみ、老いることの苦しみ、病めることの苦しみ、死ぬ苦しみ。愛する者を失う苦しみ、憎む者と出会う苦しみ、求めても得られぬ苦しみ、知覚する生きものである人間の苦しみ。ギリシア悲劇はあらゆる苦しみをえがき尽くす。生老病死、癒し難い苦しみから、人間の魂を救済するのは、何か。神々の恩寵か、英雄の行動か、智慧か。天から降ってくる霊感か。

■沙漠の星 虐げられた者、貧しき者、侮蔑された者の救い
星の輝きに導かれた人々
星が降る時、地中海の東の涯、ベツレヘムで生まれたイエス。ベツレヘムの星を探して東方の博士は沙漠を歩いた。イエスは、最下層の打ちひしがれた人々、軛につながれた人々に、自由と解放の思想を伝えた。地中海の智慧は、貧しき人、飢えたる人、泣ける人、弱き人を救う思想を持つ。
「たとえ全世界を手に入れても、己の魂を失うならば、何の利益があろうか。」(『マルコ伝』『マタイ伝』)
「富める者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい。」(『マルコ伝』『マタイ伝』『ルカ伝』)
「剣によって立つ者は、剣によって滅びる。」『マタイ伝』
「幸いなるかな、汝ら貧しき人々、神の国は汝らのものである。幸いなるかな、汝ら飢えたる人々、満ち足りるようになるからである。幸いなるかな、汝ら泣ける人々、笑むようになるからである。」(『ルカ伝』)
人は戰いに敗れ傷ついた時、競爭の舞台から去って行かなければならない。だが人生の舞台は、その時に終わるのではない。敗北した後も果てしなく長い時間が続く。地中海には、傷つく魂を受け容れる智慧がある。挫折した者、傷ついた者、弱き者に対する愛と優しさがある。ナザレのイエスは、地上の榮光よりも天上の幸福が価値あることを説き、富や名譽より尊いものがあることを示した。そして學者や権力者の権威に抗し、地上の幸福よりも尊いものがあることを示した。世間から虐げられた者、貧しき者、富める者から侮蔑された者の方が、神の恩恵に価する者であることを訴えた。
競爭の勝者は、競爭によって滅びる。競爭に破れた者、人生に挫折した人に、優しい手を差し伸べることに、人間の尊厳がある。人の苦しみに共感し、救いの手を差し伸べることができない者の魂は、腐敗している。イエスの思想は、虐げられた者、最貧層、沙漠に生きる者の星であった。
★Jerusalem, Dome of Rock
★聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre
参考文献 次ページ参照。
大久保正雄2002.10.30

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