デルフィ、光り輝く(ポイボス)アポロン アポロンの悲恋
大久保正雄『地中海紀行』第51回デルフィ、アポロンの聖域1
デルフィ、光り輝く(ポイボス)アポロン アポロンの悲恋
カスタリアの泉を飲む者は、ギリシアに帰ってくる。光り輝くアポロンの神域。
いのちの海の波間に漂う、生と死。
知恵の泉に辿りつき、不死の泉に到る。
高貴な精神のなすところは、すべて麗しい。
斷崖の下に、海が見える。糸杉に囲まれた、パルナッソス山の麓、
死すべき人間の運命を予言する、大地の源。デルフィ
瀧は崖をくだり、不死の泉が流れる。
光り輝くアポロン、癒しのアポロン、苦悩する人を救う神。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■デルフィ アポロンの聖域
デルポイは、パルナッソス山の麓、糸杉に覆われた、森嚴な幽邃の地、アポロンの神域である。デルフィは、古名デルポイ(デルフォイ)である。デルポイは、子宮を意味する。
パルナッソス山の南斜面に、デルポイ、アポロンの神域がある。深い谷が見える。斷崖の下にコリントス湾が見える。
糸杉に囲まれたデルポイの東南の斜面を上ると、シフノス人の宝庫跡、スパルタ人の宝庫跡、アテナイ人の宝庫がある。アテナイ人の宝庫はマラトンの戰いの後、勝利を記念して建てられた。パルテノン神殿を思い起こさせるドーリア式の柱が美しい。聖なる道を上って行くと、その上に、大祭壇があり、アポロン神殿がある。アルカイック期の建築であり、礎石の上に6本の柱のみが殘っている。アポロン神殿遺跡の上に円形劇場があり、さらにその上にローマ時代の競技場(スタディオン)がある。糸杉に囲まれ森閑とした聖域である。
デルポイの地に立つと、古代の神秘、聖なる息吹を感じる。デルポイは、紀元5世紀、テオドシウス2世の命令で、ローマ帝国によって破壊され、19世紀にフランス隊によって発掘されるまで土の中に埋もれ、千四百年の眠りから目覚めた聖域である。
■デルポイ、世界の中心 オンパロス(臍)
デルポイはギリシア人が世界の中心と考えた土地である。ギリシアのみならず、地中海のほとり各地から、オリエントからもアポロンの神託を求めて、地中海を航海し、古代の港キラに辿り着き、この地に旅して来た。コリントス湾の入江をはるかに見下ろす、デルポイは異国人たちが集まる場であり、地中海世界の情報が流れ着く地であった。有名な大地の臍(オンパロス)が、アポロンの神域にあった。アイスキュロス『エウメニデス』に「大地の中心をしめすオンパロス(臍)」と記されている。
ディオニュソスの秘儀の中心地
デルポイとは、デルポス(子宮)の複数形である。デルポイの古名はピュートーと呼ばれ、アポロンが退治した蛇の名であり、蛇の聖域であった。アリストテレス『哲学について』は、デルポイをピュートーと呼んでいる。また、ピユティアとも呼ばれる。またこの地は、トラキア・マケドニアから伝来したディオニュソスの秘儀の中心地の一つであった。
■神聖戦争
デルポイの富と聖域の支配権をめぐり、聖域が占拠され、神聖戦争が行われ、争奪の的となった。デルポイのアポロン神殿と聖域を守る隣保同盟(アンピクテュオネス)が、アポロン神殿領域を侵す者と戦った戦争が、神聖戰爭である。紀元前6世紀、紀元前5世紀、紀元前4世紀、3次に及んで、神聖戰爭が起きた。
紀元前586年、デルポイで、第1回ピュティア祭競技会がはじまった。全ギリシアから人々が集まり、アポロンの祭礼、競技会、音樂競技が行われた。紀元2世紀、『英雄伝』の著者プルタルコスは、デルポイの神官を勤めた。4世紀テオドシウス1世は、異教禁止令を布告、異教の供犠と祭式を彈圧、テオドシウス2世は、異教神殿破壊令を公布する。デルポイの神託は4世紀以後行なわれなくなり、千年以上に亙って行われたアポロンの神託は滅びた。
■デルフィ考古学博物館
デルフィ考古学博物館には、古代ギリシア美術の傑作がある。アルカイック期の作品には、「クレオビスとビトンの像」、「ナクソス人のスピンクス」、2体の女人柱(カリアティデス)が正面を支える優雅なイオニア式の「シフノス人の宝庫」がある。厳格様式時代の作品には、「デルポイの御者」がある。「デルポイの御者」は、シケリア島ゲラのポリュザイロスがデルポイに奉献したもの、静から動に移る瞬間の静寂を刻む。厳格様式の傑作である。ローマ時代の作品には、「プルタルコス像」がある。デルフィ考古学博物館にある「オンパロス」は、紀元前3世紀の複製であり、アポロンの神域にあるオンパロスは、ローマ時代の複製である。
■アポロン神殿
アポロン神殿遺跡は第5神殿であり、現在6本の柱のみが残る。紀元前548年、アポロン神殿が炎上した。紀元前530年、アテナイの貴族クレイステネスはデルフォイにアポロン神殿を奉献した。アポロン神殿は、東前面はパロス産大理石を用いて作られたが、他の部分は石灰岩を用いて作られた。神室内に託宣所(アデュトン)が組み込まれた。地下に大地の子宮のような地下神殿があった。アテナイ人の宝庫(テサウロス)は、マラトンの戦いの勝利を記念して建てられた。ドーリア式の柱が美しい。
■「汝自身を知れ」ソロンの言葉
アポロン神殿には「汝自身を知れ」という言葉が刻まれていた。ソクラテスは問答によくこの言葉を用いた。自己自身を探求する哲学の使命を表わす古代からの箴言である。 (cf.アリストテレス『アテナイ人の国制』19、ヘロドトス『歴史』第2巻180、第5巻62)
■アポロンの神託
デルポイは、オイディプスの父ライオス王に神託を下し、オイディプスに神託を下し、アトレウス家のオレステスに復讐を遂げることを命じて庇護し、ペルシア戰爭の時アテナイ人がこの地で神託を受けサラミスの海戰の暗示を受けて勝利、ソクラテスの友カイレポンに「ソクラテスより知恵ある者はいない」と神託を下した地である。
ピュティア(巫女)は、香り高い没藥の煙立つ神殿で、鼎の台座に坐り、アポロンの託宣を、自らの口を通して伝える。アポロンの神託を伺う者は、神殿の前で供物を捧げ、祭壇に近付き、生贄の羊を捧げ、生贄の羊の喉を切り裂き、祭壇に血を濯ぎ、内陣に入る。デルポイのアポロン神殿に仕えるピュティア(巫女)は、カスタリアの泉で身を清めて、神託伝授の役を勤めた。カスタリアの泉は、古代より清めの力が信じられている。(cf.ソフォクレス『アンティゴネ』,エウリピデス『ポイニッサイ』,エウリピデス『イオーン』)
人間は、人知を尽くして、理智的な判断を組み立て、行動する。だが人が考えた通りにすべてが運ぶとは限らない。人は、成功しない時、自分の判断、思考が誤っていたと考える。だがギリシア人は知っていた。「成功、不成功を決めるのは、必ずしも能力と努力ではなく、運が決める」。成否を決めるのは、偶然なのだということを知った時、人は運命を占うことしかできない。ソクラテスは言った。「右に行くべきか左に行くべきか、考えれば判断できる時に、神託に尋ねる必要はない。だがあらゆる事を考慮してなお結論を導くことができない時、あらゆる努力を尽くした時、運命に委ねるしかない。」*クセノフォン『ソクラテスの思い出』
★アポロンの神話
■遠矢射るアポロン、ポイボス(光り輝く) アポロン、パイアーン(癒しの神) アポロン
アポロンは、予言と音樂、學藝の神である。遠矢射るアポロンと呼ばれ、弓と竪琴を持っている。ゼウスとレトの子である。アポロンは、ポイボス(光り輝く)、パイアーン(癒しの神)と呼ばれる。アポロンの聖地は、デロス島とデルポイである。アポロンは、「ポイボスは、デロス島から、アテナ女神の支配する入り江に着き、パルナッソスの山間に来た。」(アイスキュロス『エウメニデス』)
ゼウスと交わったレトは、ヘラの嫉妬を受け迫害された。ゼウスと交わったレトはヘラによって大地のあらゆる場所に追われ、デロス島でアルテミスを生み、アポロンを生んだ。アルテミスは狩猟を司り、処女として身を守り、アポロンはパンから予言の術を学び、デルポイに来た。テミスの神託を守護していた蛇のピュトンが大地の裂け目に近づくのを遮り、退治し、神託を司った。
■アポロンの悲恋 ダプネ、カッサンドラ
アポロンの恋は常に悲劇的である。アポロンは、ダプネに恋したが、ダプネはアポロンの愛を拒んだ。アポロンがダプネを追うと、ダプネは、月桂樹に変身し、拒否した。
アポロンは、またトロイのカッサンドラに恋し、予言の術を教えたが、カッサンドラはアポロンの愛を拒んだ。アポロンは、このため、カッサンドラの予言が誰にも信じないようにさせた。トロイ人たちは木馬を城内に入れてはならないとするカッサンドラの予言を聞かず、トロイの城はギリシア人に攻撃され、カッサンドラは不幸になった。
■ベルニーニ『アポロンとダプネ』
ローマのボルゲーゼ美術館に、ベルニーニ『アポロンとダプネ』がある。この彫刻の美しさは、言葉では語りえぬほどであり、ベルニーニの技量は神業である。『アポロンとダプネ』は、美の極致であり、我々の魂を、この世の暗闇から、瞬時、美の世界へ奪うのである。アポロンとアポロンの愛を逃れようとして樹木に変身するダプネの宿命と、渦まく情念のほとばしりが、上昇するうねりの中に形象化され比類なく美しい。
ギリシア人がトロイア人に木馬を送った時、カッサンドラと予言者ラオコーンは、木馬の中に武装した兵が隠れていると、言ったが、トロイア人たちは神への供物として、生贄の儀式を準備し、宴を張ろうとした。アポロンは、アポロン神殿で愛に耽ったラオコーンに復讐するため、蛇を送った。二匹の蛇が海を渡り、ラオコーンの2人の息子を喰い、ラオコーンを殺した。
■ヘレニズム彫刻の傑作『ラオコーン』
ロドス島の3人の彫刻家によって作られたヘレニズム彫刻の傑作『ラオコーン』がある。紀元前3-2世紀リンドスの三人の彫刻家ハゲサンドロス、ポリュドロス、アタノドロスによってリンドスの工房で作られた。この彫刻は、1506年1月14日、エスクィリヌスの丘、ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)跡から発見された。
ラオコーン群像は、現在、ヴァティカン宮殿ベルヴェデーレの中庭に置かれている。プリニウス『博物誌』によれば、ティトゥス帝(AD79-81)の宮殿に置かれていた。ペルガモン王国のために作られ、ローマ人によってローマに運ばれた、ヘレニズム彫刻の傑作である。一匹の蛇が我が子を殺し、一匹の蛇がラオコーンの脇腹を噛み、ラオコーンの身体中に激痛が走る瞬間を、凍れる大理石の中に刻み、激情は時の流れを超えて止められた。ミケランジェロはこの作品を見て霊感を受けた。激情を湛えるラオコーン群像は、古代のバロックである。ヘレニズムのバロックが千八百年の時の流れを超えて蘇り、16世紀ルネサンス、バロックの藝術家とまみえることになったのは、運命という他はない。
*「ベルヴェデーレのアポロン」レオカレス原作 バチカン博物館
*「蠍を殺すアポロン」
★Delfi Charioteer デルポイの御者 デルフィ考古学博物館
★デルフィ アテナ・プロナイア神域
★アポロン神殿
★パルナッソス山 ファイドリアデスの岩壁
★デルフィ 円形劇場
★参考文献、次ページ参照。
大久保正雄Copyright 2002.10.02
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