

大久保正雄『地中海紀行』第45回クレオパトラの死1
クレオパトラの死 プトレマイオス王朝最後の華
海と湖に囲まれた都、アレクサンドリア、
地中海のほとり、海鳴りのする宮殿。
運命を呼びよせる、アントニウスとクレオパトラの愛。
ローマの將軍と滅びゆく王朝の女王が、繰りひろげる宴、
比類なく美しい人生を追求する、地中海のほとり。
愛に溺れ、愛に死せる者。地中海の輝きは残り、
美と夢と壮麗は、ナイルの流れに消え失せ、
死せる英雄の魂は、皇帝たちの血のなかに蘇る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■アレクサンドリア
アレクサンドリアは、海と湖に囲まれた都市である。ナイル河の三角州にあり、地中海に面し、南はマレオティス湖に囲まれている。
地中海に、パロス島が浮かび、ロキアス岬には王宮、イシス神殿、王室専用の港がある。アンティロドス島に島離宮があった。クレオパトラは、ロキアス岬のイシス神殿に自身の霊廟を作った。
パロス島は、ヘプタスタディオンと名づけられた防波堤によって陸とつながり、有名な燈台があった。東に太陽門、西に月宮の門があり、東西にロゼッタ通り、南北にソーマ通りが走っている。都には、ブルケイオン地区、ラゴティス地区、ネアポリス地区、エレウシス地区がある。ブルケイオン地区に有名なアレクサンドリア図書館(ムーセイオン)、王宮、劇場があった。王宮のソーマ(肉体)と呼ばれる場所には、アレクサンドロス大王の墓がある。図書館は二つありもう一つはセラピス神殿にあった。
この地を紀元前332年アレクサンドロス大王が占領し、アレクサンドロスのポリスを建設し始めた。紀元前323年アレクサンドロスは死に、將軍プトレマイオスがこの地の太守になり、王として君臨した。プトレマイオス1世ソーテールは、王朝を創始し、王宮、図書館を建て、美しい都を建設した。アテナイからアリストテレスの弟子ファレロンのデメトリオスを招きムーセイオンを作るように命じた。ムーセイオンは五十万巻の書物、120巻の図書目録を誇った。プトレマイオス2世フィラデルフォス、プトレマイオス3世エウエルゲテスの時、最盛期を迎えた。プトレマイオス王朝は、紀元前30年、エジプト最後の女王、プトレマイオス12世アウレテスの娘、クレオパトラ7世が死ぬまで、三百年間榮えた。
美しい都市アレクサンドリアは、幻となり消え去った。クレオパトラの針と呼ばれた2本のオベリスクは此処にはない。美しいヘレニズム都市アレクサンドリアは、4世紀、地震で海底に沈んだ。823年ヴェネツィア商人はサン・マルコの遺体をアレクサンドリアから盗み運び去り、今サン・マルコ寺院にある。パロス島の燈台跡には、今、カイトベイの要塞がある。セラピス神殿には、ポンペイウスの柱が残るのみである。だが、紺碧の地中海の輝きは変わらず、葦が生茂るナイル河のほとりには、古代から伝わる帆船が航跡を曳いて走っている。
■アントニウスとクレオパトラの愛と死
アントニウスは、紀元前55年ペルーシオン攻略によりエジプト王を復位させ、武勲を立てた。カエサルの副官となり、カエサルが独裁官の時、執政官に就任した。紀元前42年フィリッピの戰いで、カッシウス、ブルートゥスを破り、ローマの権力の頂点に立った。アントニウスはギリシア、エジプトを愛し、アテナイに4度訪問した。弁論術を学びに行き、フィリッピの戰いの後訪れ、オクタウィアを連れて行き宴に明け暮れ、海戰の前にクレオパトラと共に行った。
アントニウスは、宿敵オクタウィアヌスと対立し、14年間対峙した。唇薄く青白い打算的で冷酷なオクタウィアヌスは、他人の力を利用して、権力を手に入れた(cf.プルタルコス『アントニウス伝』)。名將アグリッパの戦術により権力基盤を固めた。東方文化を愛し、宴に明け暮れるアントニウスは、オクタウィアヌスと対照的な性格であった。アントニウスは、勝負を決すべき敵であり、宿敵オクタウィアヌスを、打倒すべき運命の星にあった。
だが、アントニウスは、タルソスで、クレオパトラと出会い、運命を変える危険な恋に陥った。クレオパトラとの恋に溺れ、死に至った。死に至る愛が、運命を狂わせた。
アントニウスはエジプトの富を必要とし、クレオパトラはローマの軍事力を必要とした。ローマの軍事力とエジプトの富が、最高の権力を作り出す予定であった。アントニウスは、ギリシア、エジプトを愛し、イタリアに帰還することなくエジプトで果てた。
アントニウスとクレオパトラは、アレクサンドレイアで宴に現を忘れ、「眞似のできない生活の会」を作り、毎日、贅を尽した饗宴を催した。クレオパトラは、眞珠を酢に溶かして飲んだ(cf.プリニウス『博物誌』)。運命の出遭いから、10年の歳月が流れた。アントニウスとクレオパトラは、アクティウムの海戰で敗北すると、「眞似のできない暮らしをする人々の会」を解散し、「死をともにする人々の会」を結成し、饗宴に耽溺し、贅沢な日々に死を忘れた。
■クレオパトラの死
アクティウムの海戰に破れた後、クレオパトラは、イシス神殿の傍らに、美と壮麗を極めた霊廟と記念碑を作らせ、王家の寶物、金、銀、エメラルド、眞珠、黒檀、象牙、肉桂を集め、その上に多量の炬火と麻屑を載せた。
紀元前30年8月1日、夜が明けると、アントニウスの艦隊が出撃したが、オクタウィアヌス軍の前に、オールを上に向け、裏切り、舳先を向けてアレクサンドリアの町に攻寄せた。クレオパトラは、墓に逃げ込み、アントニウスに使いを遣って死んだと告げさせた。アントニウスは、「運命は我が命を惜しむための、唯一の理由を奪った」と言い、自分の部屋に入った。鎧を脱ぎながら「クレオパトラよ、汝を失ったことを悲しみはしない。すぐに貴女の下に行くのだから。」アントニウスの召使いにエロースという名の奴隷がいた。アントニウスは、彼に予め以前から時がきたら自分を殺すように命じていたが、その約束を果たすように言った。エロースは、剣を抜いてアントニウスを斬るように振上げたが、顔を背け剣で胸を突き自殺した。エロースは足元に倒れた。
アントニウスは、「エロース。汝は約束を果たさなかったが、為すべきことを私に教えてくれた」と言い、腹を剣で突き、寝台に倒れた。だが傷は致命傷ではなかった。身を横たえ、血があふれ出すのが止まってから、我に帰り、扈従たちに自分を殺すよう言いつけた。叫びながら身悶えているアントニウスを置いたまま、人々は部屋から立ち去った。クレオパトラの秘書ディオメデスが来て、アントニウスを墓所の中にいるクレオパトラの所に連れてくるように命令を伝えた。(cf.76) クレオパトラが生きていると知って、召使いたちに「私を起こせ。クレオパトラの下に運べ」と命じ、墓所の入口に運ばれた。クレオパトラは、閂を開けず、窓から顔を見せ、綱を下ろした。アントニウスを縛ると、クレオパトラと二人の女は上から吊り上げた。アントニウスは全身血に塗れ、宙に吊り上げられた。目撃者によるとこの上なく悲惨な光景であった。クレオパトラは着衣を脱がせ、顔の血を拭い寝かせながら、「我が主人よ、夫よ、インペラートルよ」と言ってアントニウスの不幸を嘆いた。アントニウス「クレオパトラよ、嘆くな。葡萄酒が飲みたい」といって、葡萄酒の盃を飲みほすと「屈辱ではないのだ。これまでの榮光を思い出すのだ。予は、最も有名な最高のローマ人になり、ローマ人に征服されたのだ。クレオパトラ。悲しまずに、生きるのだ」といい、クレオパトラの腕の中で、息絶えた。 衛兵の一人がアントニウスの血のついた短剣を、オクタウィアヌスの下に持って行き、アントニウスの死を伝えた。オクタウィアヌスは、プロクレイウスを使いに出し、「クレオパトラを生きたまま、捕えて来るように」と命じた。オクタウゥアヌスは、王家の財宝を燃やされることを心配し、凱旋式に女王を引き回すと己の名譽になると考えたからである。
アントニウスの死の数日後、オクタウィアヌス自身が、クレオパトラに会いに来て、慰めた。クレオパトラは、衣裝を一枚、肌にまとったままで、精神も容貌も乱れ、聲は震え、目は泣き腫らし、胸中の悩みが激しく面に現れ、身体も心も傷ついていたが、魅惑と美貌は消え失せず、内奥から輝き出ていた。財宝目録をオクタウィアヌスに提出すると、執事セレウコスが「隠しているものがある」と言うと、クレオパトラは髪の毛を捉えて、殴った。クレオパトラはオクタウィアヌスに「オクタウィアとリウィアに、宝飾を差し上げて、許しを受けるように取って置いたのだ」と弁解して、生命に執着があるように裝った。オクタウィアヌスは、「クレオパトラの希望どおりに取り計らう」といい、相手を欺いた気であったが、逆に欺かれた。
クレオパトラは、オクタウィアヌスに、「アントニウスの墓に灌典の儀式を行いたい」と許可を求めた。クレオパトラは、アントニウスの墓に行き、酒を灌ぐ儀式を行なった。 「懐かしいアントニウス。あなたを葬った時は自由の身でしたが、今は囚われの身です。奴隷の身で、ローマの凱旋式に引かれていく運命です。これが、クレオパトラがあなたに捧げる最後の儀式です。あなたは、あなたの妻を生かしたままにして置かず、あなたと一緒に埋めて下さい。あなたと離れて、生きたこの短い時間ほど、不幸な時はありません」
こう言って嘆き、王冠を戴き、灰の壺を抱き、沐浴の準備を命じた。
沐浴して、食卓に向かい、身を横たえ、華麗な食事を取った。
地方から、無花果の籠を持った男が着いた。衛兵が「何を持ってきたのだ」と聞くと、男は、籠を開いて、覆っている木の葉を取り、無花果を見せた。「何と大きな見事な無花果の実だ」というと、男は微笑み「一つ取れ」と勧めたが、衛兵は中に入れた。
クレオパトラは、予め書いて、封をした書板を、オクタウィアヌスに送り、二人の女以外は立ち去らせ、扉を閉めた。
■クレオパトラは、毒蛇に胸を噛ませて、三十九歳で死す。
クレオパトラは、無花果の籠から、蛇をとり出し、「体に巻きつくようにしておくように」と命じた。クレオパトラは、毒蛇に胸を噛ませて、死んだ。
オクタウィアヌス・カエサルが、書板の封を切ると「私を、アントニウスと一緒に葬って欲しい」と書かれていた。
クレオパトラは、女王の衣裝を身に纏い、黄金の寝台に横たわって、死んでいた。二人の女奴隷たち、エイラスは女王の足許で死に、カルミオンは女王の王冠を整え、寝台の傍らに倒れた。
毒蛇の這った跡が、宮殿の窓に面した海岸の砂浜で発見された。クレオパトラは、その遺言に従って、遺骸をアントニウスと一緒に、王族に相応しく裝いを凝らして、葬られた。
紀元前30年8月29日、クレオパトラは三十九歳で死んだ。22年間、王位にあり、アントニウスと一緒に11年間暮らした。アントニウスは53歳であった。 (cf.プルタルコス『アントニウス伝』74-86)
★Cleopatra, Dendera, Com ombo
★Karnak Temple, Luxor, カルナック神殿、大列柱室
★フォロ・ロマーノ ウェスパシアヌス神殿、サトゥルヌス神殿
★【参考文献】次ページ参照。
大久保正雄Copyright2003.03.26
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