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2016年7月17日 (日)

アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅

Alexander_the_great_mosaic_0大久保正雄『地中海紀行』第53回アレクサンドロ大王1
アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅

砂塵きらめく果て、世界の果てを旅する。マケドニアの若き獅子、アレクサンドロス。
海峡をわたり、荒野を疾駆し、沙漠を歩み、ペルシア帝国の五つの都を占領する。
残された最後の計画。最後の航海。アラビア周航、西の涯、黄昏の国を目ざして、
アレクサンドロスは、夢のなかで、永遠に旅を続ける。
彗星のごとくあらわれ、疾風のごとく、大地を駆けぬけた、アレクサンドロスの光芒。
波光きらめく果て、地中海の岸辺、海鳴りがなる王宮の塔の中で、
プトレマイオスは、思い出す。輝ける日々。

アレクサンドロスは、皮膚からよい匂いが出ていて、その芳香が全身を包んでいた。
アレクサンドロスの宮廷彫刻家リュシッポスは、この最高の青銅彫刻家で生けるがごとき肖像彫刻に秀でた。アレクサンドロスの宮廷画家アペレスは、『アプロディーテ・アナディオメネ』『誹謗』で有名である。
アレクサンドロス大王の軍が遠征した時は、彫刻家リュシッポス、画家アペレス、歴史家、遊女、音樂家、料理人、將軍の友人たち、家族も同行し、国が移動するようであった。(プルタルコス『アントニウス伝』)

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■アレクサンドロス大王の旅 世界の果てへの旅
20歳で王位につき、32歳で死す。
紀元前334年春、アレクサンドロス3世は、三万五千人の兵を率いて、東方遠征に旅立った。それから11年後、エジプト、ペルシア、インドに至る広大な領域を征服し、再びマケドニアに還ることなく、バビロンで死んだ。
ヘレスポントス海峡をわたり、グラニコス河の戦い、イッソスの戦いに勝利して、諸々の都市は無血で開城した。エジプトにアレクサンドリアを築き、ガウガメラの戰いで、勝利する。ペルシア帝国の五つの都、バビロン、スサ、ペルセポリス、パサルガダイ、エクバタナ、を征服した。ダレイオス大王を誅殺した側近ベッソスを追撃して、白銀のヒンドゥークシュ山脈を越え、バクトリアの灼熱の砂漠を進撃し、ベッソスを処刑した。ヤクサルテス河で進軍を止め、最果てのアレクサンドリアを築く。インダス河を下り、パサルガダイ、ペルセポリスに帰還する。
アレクサンドロスは、マケドニア艦隊艦長ネアルコスとともに、最後の計画を構想する。アラビア半島探検航海、西地中海の航海、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)、ヘスペリス(黄昏の国)への航海を計画して出帆を待っている間に、倒れ、死んだ。バビロンの宮殿の、黄金の天蓋に包まれた、死の床で、世界の果てへの旅を夢想し、生死の境をさまよい、32歳で他界した。英雄の見果てぬ夢は、バビロンの王宮で眠ったまま残された。
【登場人物】
フィリッポス2世:マケドニア王 傑出した戰略家 アレクサンドロスの父
オリュンピアス:フィリッポス2世の妃 アレクサンドロスの母
エペイロス王アレクサンドロス:オリュンピアスの弟 クレオパトラと結婚
クレオパトラ:エペイロス王の妻 オリュンピアスの娘、アレクサンドロスの妹
クレオパトラ:フィリッポス2世の7番目の妻 將軍アッタロスの姪
プトレマイオス:アレクサンドロスの幼少時代からの友、側近護衛官、プトレマイオス朝エジプト王国を創始
アンティパトロス:東方遠征後マケドニアを代理統治、皇太后オリュンピアスと敵対
カッサンドロス:アンティパトロスの子、アレクサンドロスと対立

■プトレマイオスの回想
プトレマイオスは、きらめく地中海を眺めながら、塔に閉じ籠もり、アレクサンドロスの思い出を書く。地中海のほとり、列柱回廊と緑の庭園の都、海鳴りが聞こえる王宮の部屋で、波瀾の人生を思い出す。紺碧の海、列柱の影が長い午後、時間は止まる。
マケドニアからペルシア、ヒンドゥークシュ山脈を越え、バビロンに帰還した長い旅。若き日々、アレクサンドロスの美しい容姿。
プトレマイオスは、ミエザの森蔭で、エウリピデスを愛読しホメロスを暗誦した日々を思い出す。あの若葉のように萌え出る季節、薔薇が咲き乱れ、緑陰緑想に耽った美しい日々。
アレクサンドロスは、フィリッポスとクレオパトラとの結婚の宴で、アッタロスが酒に酔ってマケドニア人たちに「この王国の正統な後嗣が生れるように神々に祈れ」と言ったのを聞き、激怒して「貴様は余が庶出だと言うのか」と言い、アッタロスに盃を投げつけ、フィリッポスは剣を抜いた。アレクサンドロスとオリュンピアスは国外に退去した。この時、フィリッポスとアレクサンドロスの関係は致命的になったのだ。この後、我々は、フィリッポスに追放され、アレクサンドロスとともに、イリュリアの地に赴いたのだ。
アテナイには、一度しか行ったことがない。あの時も、アレクサンドロスと一緒だった。カイロネイアの戰いの後、アレクサンドロスが、アンティパトロスとともに、使節としてアテナイに降伏条件を伝えに行った時である。エウリピデスを読んで憧れたあの都。「知恵と光輝、調和と學藝、馨しき風の息吹。甘く香る薔薇、愛が導く知恵と徳の都」アテナイ。エウリピデス『メデイア』に書かれた美しい都。わが青春のすべての記憶は、アレクサンドロスと一緒だった。
アレクサンドロスは、夢告げによって、詩を聞き、美しい入り江を選び、この地にアレクサンドリアを建設した。
「波が絶えずとどろく海原のなかに、一つの島がナイル河の河口の前にあり、人々はパロスと呼ぶ」(『オデュッセイア』第4巻)

■ペルシアに対する報復
コリントス地峡にギリシア人が集まり、会議でペルシアに対する報復のためギリシア・マケドニア同盟軍が派遣されることが決定され、アレクサンドロスが全軍の最高指揮官(ストラテゴス・アウトラクトル)になった。東方遠征は、150年前、第2次ペルシア戦争で、アテナイのアクロポリスが破壊されたことに対する報復が目的である。遠征軍の目的であるペルシア報復が、ペルセポリス征服、ダレイオス王暗殺によって達成されると、マケドニア軍に、大王暗殺の陰謀が起きた。ペルシア帝国征服後、東方融合政策をめぐり、アレクサンドロスとマケドニア人との間で対立が起り、將軍たちとマケドニア人の処刑が行われた。フィロタス、パルメニオン、クレイトス、カッリステネスらが、陰謀を使嗾した容疑で、宮廷儀礼に異議を差し挟み、跪拝礼を拒否したために、アレクサンドロスの命で処刑された。
■ペルセポリス炎上
ペルセポリスは、ダレイオス1世によって築かれたペルシア帝国最大の都であり、壮麗な美しい都であった。百五十年前から壮大な宮殿が築かれていた。正面大階段、ペルシア門(万国の門)、謁見宮殿(アパダナ)、会議の間、百柱の間、ダレイオスの宮殿、クセルクセスの宮殿、中央宮殿、クセルクセスの後宮、宝蔵庫九十九柱の間、宝蔵庫小百柱の間、宝蔵庫、玉座の間、未完の大門、三十二柱の間、兵舎、があった。
アレクサンドロスの軍は、冬、紀元前330年1月、ペルセポリスを無抵抗で征服、略奪し、占領した。黄金12万タラントン(3000トン)を、驢馬2万頭、駱駝5千頭で、スサに運んだ。アレクサンドロスは、昴の星が日没と同時に地平線に沈む頃、千人の騎兵と軽裝部隊を率いて、パサルガダイに侵攻した。遠征隊が帰還したのは30日後であった。
晩春五月、花の宵、ペルセポリスの都でアレクサンドロスの友人たちの酒宴と遊樂があり、恋人たちも来ていた。プトレマイオスの愛妾、舞姫タイスは、アテナイの生れであったが、宴が酣になった時、アテナイ風の弁舌を以って、言った。「アテナイを焼き払ったクセルクセスの王宮を、宴の後に焼き、大王の前で、私が火を放ち、ペルシア人に復讐を果たしたと、後世に語り伝えられるならば、一層、嬉しい。」これと同時に拍手と喝采が起り、炬火を手にして、歌い騒ぎ、王宮を取り巻き、マケドニア人たちも駆け集まった。かくて王宮に火が放たれた。アレクサンドロスはすぐに後悔し「消せ」と命じた。

■バビロンのアレクサンドロス
アレクサンドロスは、バビロンの予言者ピュタゴラスに犠牲の結果を聞くと「犠牲の肝臓に胚葉がなく、凶兆が現れている」といった。アレクサンドロスは、友人たちに疑念を懐き、とくにアンティパトロスとその息子たちを恐れた。その一人イオラスは酌童長であり、カッサンドロスはアンティパトロスに対する誹謗を弁解するために、マケドニアからやって来た。
宮廷日誌によると、マケドニア暦ダイシオス月18日、アレクサンドロスは、発熱した。病に倒れ、熱が高く、まどろみ、十一日間、生死の境を彷徨った。
アレクサンドロスの死の床に、友人である、多くの側近、武将たちが集まり、アレクサンドロスに尋ねた。
 「大王の後継者は、誰か。」
 アレクサンドロスは答えた。「最も優れた者に。私を讃美する葬儀の儀式は、友人たちの血によって塗れるであろう。」と予言し、その通りになった。
叙事詩『キュプリア』に書かれた、神々の饗宴のなかで、爭いの女神エリスによって「最も美しい人に」と書かれた黄金の林檎が、投げ込まれ、女神たちによって果てしない爭いが繰り広げられたように、アレクサンドロスは、後継者の指名を行なわなかったため、大王の友人である將軍たちによって、後継者(ディアドコイ)戦争が起った。
 マケドニア暦ダイシオス月28日(紀元前323年ユリウス暦6月10日)、夕刻、アレクサンドロス大王はバビロンで死ぬ。
■アレクサンドロスの死
アレクサンドロス大王毒殺の疑いは、死後すぐには誰も懐かなかったが、6年後(紀元前317年)、密告があって発覚した。だが、我々側近護衛官は、アレクサンドロスの死の直後、犯人を知っていた。七人の側近の一人が、報復するため海を渡った。かくて、アリストテレスに毒が盛られた。
アンティパトロスは、10年に及ぶ、アレクサンドロスの母オリュンピアスとマケドニア統治をめぐる対立のため、解任されるべく、バビロンに召喚を命じられた。これを不服として、アンティパトロスの子カッサンドロスがマケドニアからやって来て、アレクサンドロスに、「父に対する誹謗中傷を行なう者は、証拠から遠く離れた所まで来るということが偽りの誹謗の兆候だ。」というと、アレクサンドロスは「それはアリストテレスの徒が使う両刀論法の詭弁だ。」といって、カッサンドロスの髪の毛を掴み、頭を壁に打ちつけた。カッサンドロスは恐怖に震え、以後アレクサンドロスに極度に恐れを抱くようになった。
將軍アンティパトロスの依頼を受けて、哲學者アリストテレスが毒藥を取り計らったのである。アンティパトロスは「ディオニュソスの魔女、オリュンピアスの言動は、我らがマケドニアにとって禍である。」といい、これに対し、
アリストテレスは、「私はアレクサンドロスに書簡をおくり、ギリシア人には友人として振舞い、異国人には敵として振舞い、家畜や獣のように扱うよう教えたのだが、それに従わなかった。アレクサンドロスは、ペルシアの宮廷儀礼に染まり、独裁者となり果てた。強大な帝国は、人の心を腐敗させる。跪拝礼(プロスキュネシス)を強要し、我が甥カッリステネスを殺害した。もはや、ギリシア人ではない。殺害しなければならぬ。」と言って、毒藥を、リュケイオンで調合させた。アンティパトロスの使者は、アリストテレスが用意した毒藥を携えて、アテナイから航海し、バビロンに向かった。アンティパトロス解任が実行される前にアレクサンドロスは死んだ。マケドニア担当將軍を解任され、バビロンに召喚され、処刑されることを恐れ、大王に先制攻撃をかけたのである。
アンティパトロスの子イオラスは、宴会担当官で、大王の宮廷で、機会を窺い、一年の間、好機を狙った。大王の側近護衛官七人の目を眩まし、宴の席で、葡萄酒に混ぜ、大王の觴(さかずき)に毒を盛った。近衛隊指揮官ヘファイステイオン殺害の時に行なったように。
 我々、七人の側近は警戒していたのだが、警戒の目をくぐり、毒が盛られたのだ。  かくして、この世の常としてあることだが、「偉大な魂は、偉大でない魂によって、殺された」のである。
■帝国の分割
アレクサンドロス大王の死後、バビロンの王宮、大王の黄金の棺の前で、部将たちが集まり、帝国の支配権(ヘゲモニア)をめぐって、会議が開かれた。
アレクサンドロスの死の時、バビロンにいた將軍たちは、第2代千人隊長(キリアルコス)ペルディッカス、側近プトレマイオス、レオンナトス、リュシマコス、精鋭近衛隊指揮官セレウコス、カッサンドロス、アンティゴノス・モノプタルモスであった。
ペルディッカスが、アレクサンドロスの死の床で、印璽の黄金の指輪を受け、後継者として、將軍たちの会議を主宰した。
王位継承者、推戴をめぐって、マケドニア軍が分裂した。騎兵部隊と側近指揮官は王妃ロクサネが妊娠してまだ生れざる子を推戴し、歩兵部隊は大王の異母弟アッリダイオスを王位に就けることを要求して対立した。ペルディッカスは「王妃ロクサネが産む子が男子ならば、王位を継ぐべきである」と提案する。王妃ロクサネは、妊娠8か月であった。歩兵部隊の反乱を恐れて、ロクサネの子アレクサンドロス4世と亡き王の異母弟アッリダイオス(フィリッポス3世)が王位に並立されることになり、ペルディッカスが摂政になった。
武將たちは、帝国を分割、統治することを決定する。アンティパトロスはマケドニア、プトレマイオスはエジプト、セレウコスはシリア、リュシマコスはトラキアを、管轄することに決した。かくて、アレクサンドロス帝国の武將たちによって、後継者(ディアドコイ)戦争が起きる。
■アレクサンドロスの遺体
バビロンの王宮で、將軍たちが、王国の継承をめぐって、議論している間、アレクサンドロス大王の遺体は放置されていた。あらゆる死者への義務である埋葬の礼すら行なわれなかった。アレクサンドロスの葬儀について誰も考えぬまま、30日間が過ぎた。予言者アリスタンドロスが、「生ける時も死せる後も、王のなかで最も幸福であったのはアレクサンドロスである。その魂の宿っていた肉体を、受け入れる土地は幸福であり、決して敵に滅ぼされることはない」と予言した。
プトレマイオスは、アレクサンドロス大王の遺体を、祖国マケドニアに埋葬しようとするペルディッカスと爭った。プトレマイオスは、「リビア砂漠のオアシスにあるシウァの神殿に埋葬すべきである」と主張したのである。アレクサンドロスの遺体は、ペルディッカスによって、古都アイガイに運ぶべく送られたが、途中、プトレマイオスが奪還し、秘密の道を通って、エジプトのアレクサンドリアに運ばれ、葬られた。プトレマイオスは、アレクサンドリアに、アレクサンドロスの遺体を埋める霊廟を作った。霊廟はソーマ(肉体)と名づけられた。
■アレクサンドロス3世
アレクサンドロスは、マケドニア暦ローオス月、アッティカ暦ヘカトンバイオン月6日、マケドニアの首都ペラの王宮で生れた。ポテイダイアを占領していたフィリッポスのもとに、同日、三つの報告が到着した。イリュリア軍が將軍パルメニオンにより激戦の末、敗れたこと。オリュンピア祭典の競馬で優勝したこと。アレクサンドロスの誕生である。アレクサンドロスが生れた時、フィリッポスは、予言者に「生れた子は不敗の將軍になる」と言われた。
アレクサンドロスは、小さい時から、節制の徳が現れ、肉体的な快楽には容易に動かされず、名譽心のために彼の精神は年齢に比べて重厚で気位が高かった。快樂も富みも欲せず、勇気と名譽を求めていた。アレクサンドロスは、皮膚からよい匂いが出ていて、その芳香が口ばかりでなく全身を包んでいたために、香りが着衣に染みていた、とアリストクセノスの『回想録』に書かれた。アレクサンドロスの姿を最もよく表わした彫像は彫刻家リュシッポスの作品であり、アレクサンドロスはリュシッポスにだけ彫刻を作らせるのがよいと考えた。頸を軽く左に傾ける癖と目に潤いがあるという特徴があり、藝術家リュシッポスがこれを正確に捉えていた。首が左傾していたのは帝王切開により生れたのが原因である。アレクサンドロスの宮廷彫刻家リュシッポスは、この時代最高の青銅彫刻家であり、生けるがごとき写実的作風により有名で肖像彫刻に秀でた。アレクサンドロスの宮廷画家アペレスは、『アプロディーテ・アナディオメネ』『誹謗』で有名である。1800年の歳月を経て、ルネサンス時代、ボッティチェリは『海から上がるヴィーナス』を描く。
フィリッポスは、アレクサンドロスの天性が動かされ難く、強制には反抗し、理には服して、爲すべきことに向かうのを見て、命令よりは説得することを試みた。哲学者アリストテレスを招き、立派な報酬を払った。学問所として、緑深いミエザのニュンフの聖域を指定した。アレクサンドロスは、倫理学、政治学のみならず、哲学者たちが口伝(アクロアティカ)、秘伝(エポプティカ)と呼ぶ秘密の深奥の教えも受けた。アレクサンドロスはアリストテレスから医学、自然学を最も多く学んだ。天性、學問、読書を好んでいた。ナルテコス(茴香) の小筺の『イリアス』と呼ばれるアリストテレスの校訂本を携えて、つねに短剣と一緒に枕の下に置いていた。
アレクサンドロスは、遠征中、ペルシア帝国では手に入らない、エウリピデス、ソフォクレス、アイスキュロスの悲劇、哲学書、ディオニュソス讃歌の詩を、マケドニアから贈らせた。アリストテレスをはじめは讃嘆していたが、後に疑いを抱き、敵意を感じるに至った。アリストテレスの哲学は、自然界を、四つの原因、形相、質料、始動、目的によって分析したが、人間の行為を自然界の現象と同じように分析するアリストテレスの學問からは、事実の解明しか生れず、事実には何の価値もないと、考えるに至った。アレクサンドロスの知恵の渇望を、アリストテレスの学問は、満たすことはできなかった。
この世の果ての知恵の泉、生命の泉
この世の果てに眠る、知恵の泉、生命の泉。その泉を飲む者は、真の愛を見いだすことができる。そして、不滅の魂が目覚め、真の智慧に到達する、という書かれざる秘儀の教えがある。生命と智慧と愛がこの世の至上の価値である。アレクサンドロスは、知恵の泉、生命の泉を求めて、果てしない旅に出た。
★Alexander Mosaique
★アレクサンドロス(テッサロニキ考古学博物館) Alexander The Great,Thessalonike
★アレクサンドロス (テッサロニキ考古学博物館)
★参考文献、次ページ参照。
大久保正雄Copyright 2002.12.25

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