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2016年7月 3日 (日)

地中海都市の美と壮麗 ペルシア帝国、フィリッポス2世の夢

IranpersepolisIran_gold_rhython大久保正雄『地中海紀行』第39回地中海のほとり 美と知恵を求めて2
地中海都市の美と壮麗 ペルシア帝国、フィリッポス2世の夢

地中海都市は、美と壮麗を極め、人間の偉大と退廃を時空の彼方に刻む。
ペルシア帝国とギリシアの復讐のドラマ、
有翼日輪の翼に立つ雄姿。ディオニュソスの秘儀。
壮麗な都は、砂漠に佇む。

キュロス2世、メディアを滅ぼしアケメネス朝ペルシア建国。BC550
カンビュセス2世、エジプトを征服。BC525
ダレイオス1世即位。BC522ダレイオスの子クセルクセス王、ギリシア遠征。BC492
フィリッポス2世、即位。BC359王妃オリュンピアス、王子アレクサンドロス。
フィリッポス2世、王妃オリュンピアス、ディオニュソスの秘儀を受け、結婚。
マケドニア王アレクサンドロス、ペルシア方遠征開始。BC334
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■地中海都市の美と壮麗
最高司令官ペリクレス
最高司令官ペリクレスは、アクロポリスの丘の上に、アテナイの黄金時代、彫刻家フェイディアスを総監督として、パルテノン神殿を建設した。彫刻があふれる都、藝術の香る海洋都市を築いた。アゴラで問答が行われ、アクロポリスの麓、ディオニュソス劇場で壮麗な悲劇が演じられる祝祭の都であった。
ローマ皇帝アウグストゥス
初代ローマ皇帝アウグストゥスは、フォルム・ロマヌムを再建し、アウグストゥス広場を作り、壮麗な都を築いた。「煉瓦の都を受け継ぎ、大理石の都を残した」アウグストゥス。アウグストゥス様式と呼ばれる建築は、優美なヘレニズム様式に基づいている。広場とカピトリヌスの丘と円形競技場(キルクス・マクシムス)がローマの都市の舞台装置であった。飢えたる民衆の反乱を防ぐため、安全網として「パンとサーカス」が用意された。
ペルシア帝国、ダレイオス王
ペルシア帝国の最盛期を築いたダレイオス王は、ペルシア発祥の地パサルガダイを離れ、ペルセポリスを創建した。ペルシア王カンビュセス2世は、紀元前525年エジプトを制圧し第26王朝を滅ぼしペルシア系の第27王朝を樹立したが、ダレイオス王は、エジプト遠征の時、テーベのカルナック神殿を見て、アメン神殿、大列柱室から学び、ペルセポリスを構想し、大階段、ペルシア門、謁見宮殿(アバダナ)、百柱の宮殿、中央宮殿を築いた。
エジプト新王国ラメセス2世
ナイル河は、ヴィクトリア湖から降り多くの河口に分かれて、地中海に流れる。百門の都と謳われたテーベのアメン神殿は、エジプト新王国第18王朝、第19王朝が築いたが、大列柱室は第19王朝ラメセス1世の時、起工され、セティ1世を経て、ラメセス2世の時、完成された。大列柱室の林立する柱は、ナイル河のほとりに生い茂るパピュルス、池に咲くロータスの花の形象である。
クセルクセス王
ペルシア帝国のダレイオスの子クセルクセス王は、アテナイを襲撃、破壊したが、147年後、アレクサンドロスは、ペルシア帝国に対する報復を目的として、遠征軍を率いペルセポリスを破壊、ギリシアからインドに至る広大な帝国を築き、美しい地中海都市アレクサンドリアを構築した。地中海都市は、美と壮麗を極め、人間の偉大と退廃を時空の彼方に刻んだ。

■マケドニアの復讐 ディオニュソスの秘儀
マケドニア王フィリッポス2世と王妃オリュンピアス
地中海は多様な文明が対決し、テミストクレス、クセルクセス、ハンニバル、カエサル、多くの優れた英雄たちが現れたが、地中海世界最大の英雄はアレクサンドロスである。
マケドニア王フィリッポス2世とオリュンピアスは、エーゲ海に浮かぶサモス島でディオニュソス神の秘儀を受けたとき、出会い恋に落ち結婚した。ある夜、王妃オリュンピアスが寝室で大きな蛇とともに寝ているのを扉の陰から見たフィリッポス2世は、扉に目をぶつけ隻眼になった。以後フィリッポスは、オリュンピアスと交わることを避けた。王妃オリュンピアスはディオニュソスの秘儀に深く傾倒していた。オリュンピアスから生まれた王子がアレクサンドロスである。
王子アレクサンドロス
アレクサンドロスは、ミエザの深い森の蔭で、友人たちと、哲學者アリストテレスを家庭教師として、薫陶を受けた。アリストテレスは、プラトンの死後、エーゲ海の海辺アッソス、レスボス島で哲學を教えていたがフィリッポスに呼ばれてマケドニアにやって来たのである。アレクサンドロスは、アリストテレスの教えは生物学、医学の知識以外は受け入れなかったが、アリストテレスから贈られたホメロス『イリアス』を黄金の櫃にいれ、常に枕もとに置き、『イリアス』の主人公アキレウスを崇敬していた。そしてエウリピデスの悲劇を愛読し吟唱していた。BC338年フィリッポス2世はカイロネイアの戰いでギリシア軍を破りギリシアを制覇する。2年後フィリッポス2世が暗殺され、アレクサンドロスは即位する。BC334年アレクサンドロスは対ペルシア報復戰爭を目的としてペルシア遠征を開始した。マケドニア騎馬隊と長槍密集隊を以ってペルシア帝国軍と戦い、グラニコス河畔の戦いで勝利する。翌年アレクサンドロスは、イッソスの戦いで、ダレイオス3世のペルシア帝国軍を破る。シリア・フェニキア・エジプト攻略し、エジプトにアレクサンドリアを建設する。331年アルベラ、ガウガメラの戰いで勝利し、ペルセポリスを焼きアケメネス朝を滅ぼした。さらにインドに向かい、10年間ギリシア・マケドニア連合軍を率いた。323年アレクサンドロス大王は、志を抱いたまま没する。享年32歳である。ギリシア、マケドニアからエジプト、インドに及ぶアレクサンドロスの帝国は、マケドニアの將軍たちに殘された。
★参考文献 次ページ参照。
★『ペルシャ文明展 図録』2006
★Persepolis Iran
★Gold rhython of winged lion, 5th century BC. Achaemenid Empire
大久保正雄2002.10.30

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