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2016年6月 5日 (日)

スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀

Las_meninas_by_diego_velzquez1656Las_meninas_by_diego_velzquezMargarita_teresa_de_espaa_01_2スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
大久保正雄『地中海紀行』第13回

天と地の間に、絶對の沈黙がある。
風が吹き静寂が支配する丘。荒涼たるスペインの大地。
輝く蒼空が果てしなくつづく、乾いた大地(La Mancha)に
対峙する、カスティーリアの荒野。
碧空にトレドの雲が咆哮する。愛と復讐の大地、カスティーリア。
荒野を旅する者は、方向を見失わず、生きる意志を持ちつづける精神力が必要である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

【スペイン・ハプスブルグ家】
フィリップ美公フェリペ1世(カスティーリャ王、フアナと共同統治:1504年 - 1506年)
カルロス1世(=カール5世)(1516年 - 1556年)神聖ローマ皇帝(1519年 - 1556年)
フェリペ2世(1556年 - 1598年)ポルトガル王(1580年 - 1598年)
フェリペ3世(1598年 - 1621年)ポルトガル王
フェリペ4世(1621年 - 1665年)ポルトガル王(1621年 - 1640年)
カルロス2世(1665年 - 1700年)
*ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』P22

太陽の沈まぬ帝国
マクシミリアン1世が1508年にローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始める。その後、婚姻関係からハプスブルク家は、ブルゴーニュ領ネーデルラント、ブルゴーニュ自由伯領(フランシュ=コンテ)、スペイン王国、ナポリ王国、シチリア王国などを継承、皇帝カール5世(=カルロス1世)の下でヨーロッパの一大帝国を現出させた。1547年、カール5世の領土は「日の沈まぬ」大帝国となる。

狂女フアナ
フアナ(1479-1555)は、カトリック両王の三女である。1496年ブルゴーニュのフィリップ美公と結婚するためアントワープに赴く。フアナは、人生を謳歌し生きている瞬間を樂しむ享樂的なフランドルで、遊びに明け暮れ贅沢三昧の日々を送る、フィリップ美公の虜となったが、フィリップは妃が煩わしくなる。獨占欲が強いフアナは、夫の浮気に嫉妬し理性を失い狂気に陥り始めた。フアナは、長女エレオノーレ、ついで1500年に長男カルロスを生む。さらに次男フェルナンドをはじめ、6人の子を次々と出産する。
1504年カスティーリア女王イサベルが53歳で死去、三女の王女フアナにカスティーリアの王権が移る。王位継承者の一族が次々と死に、フアナだけが生き殘ったためである。フィリップはフアナを伴いスペインに渡るが、1506年9月ブルゴーニュ公は28歳でブルゴスにおいて不慮の死を遂げる。宮廷はフィリップの遺體を埋葬しようとするが、フアナは柩を渡すことを拒んだ。夜になると棺桶の蓋を開け、冷たい遺骸に話しかける。彼女はフィリップの遺體が入った棺を馬車に積み、スペインの町から町へ、山を越え谿を越え、カスティーリアの野をあてどなく彷徨い歩いた。
 フアナは26歳にして狂気に囚われ、父アラゴン王フェルナンド2世によって1509年以後トルデシーリャス城に幽閉され、城の中で死ぬ。だが1555年に75歳で息絶えるまで、城に閉じ籠められたまま46年間、カスティーリア・アラゴン女王として君臨し続けた。

カルロス1世(=カール5世) 太陽の沈まぬ帝國
 カルロス(1500-1558)は、ハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップと王女フアナの子としてフランドルの古都ガンで生まれ、ブルゴーニュの優雅な宮廷文化の中で育まれた。父が夭折し、母が発狂したため、カルロスは1516年16歳の時ブリュッセルでカスティーリア・アラゴン王に即位。1517年カルロス1世としてスペインに旅立つ。
 1519年、祖父の皇帝マクシミリアン1世の死後行なわれた皇帝選擧で、カルロスはフッガー家の資金援助の下、對立候補のフランス王フランソワ1世を破って皇帝に選ばれ、神聖ローマ皇帝カール5世となる。この時代、ドイツではルターの宗教改革運動が展開、カトリックの皇帝理念から激しい異端彈圧を圖る。パヴィアの戰い、イタリア戰爭、シュマルカンデン戰爭、ザクセンの反亂、戰いに明け戰いに暮れ、經済的破綻を遺す。戰爭と外交交渉のために、広大な支配領域を「旅する皇帝」であった。
 カルロス1世の時代、ハプスブルクは最大の領土を支配、ハプスブルク・スペイン帝國を築き上げる。カルロスは自らの國を「太陽の没することなき帝國」と呼んだ。
下顎前突症(Prognathism)
両親の血を引いて生まれつきアゴの筋力が弱く、下顎前突症*であり、また幼少期の病気により鼻腔が閉塞気味であった。多くの肖像画でも見られる通り、一見して非常に下あごが突出してる。
*ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』P18

フェリペ2世 黄金の世紀 Felipe II de España
フェリペ2世(1527-98)は、神聖ローマ帝國皇帝をかねた父王カルロス1世から、スペイン、インディアス、ナポリ、シチリア、サルデーニァ、ミラノ、フランドルを継承。1581年母がポルトガル王家であることからポルトガルを継承、未曾有の領土を領有するに到る。
 スペインを中心とするハプスブルク帝國に反發するフランス、西地中海を脅かすオスマン・トルコ帝國、宗教改革による西欧の分裂。カルロス1世が遺した紛爭はフェリーペの時代に深刻の度を深め、また異端彈圧は暴虐を極める。カスティーリア王國の犠牲とインディアスから齎される銀を支えにフェリーペは帝國主義的な外交政策を展開する。スペイン絶對主義に對するネーデルランドの反亂に始まる80年戰爭(1568-1648)を戰い、レパントの海戰(Batalla naval de Lepanto)で不敗のオスマン・トルコ艦隊を破り、1588年無敵艦隊(Armada Invencible)によるイギリス侵攻を決意するがドーバー海峡の戰いで予期せぬ敗北を味わう。多彩な對外政策は多重債務を生む。
アメリカ大陸から齎された莫大な黄金と銀は、カディスの港で陸揚げされず、他の船に載せかえられて、そのままヨーロッパ各地に転送された。負債返済のためである。
フェリーペ2世はスペイン帝國の黄金世紀の頂点に立つ。だがその經済的基盤は初期からすでに破綻していた。即位の翌年から3度にわたり破産宣言を行ない、債務支払いを停止。1557年第1回破産宣言、1575年第2回破産宣言、1596年第3回破産宣言。父王から引き継いだ借財の5倍の負債を息子フェリーペ3世に殘す。  カルロス1世、フェリーペ2世の帝國政策とその負債は、カスティーリアの經済基盤を破壊し貧困を招き、殘忍な異端彈圧の果て、民衆の怨嗟の聲は国中に溢れた。
★参考文献
ゲオルク・シュタットミュラー『ハプスブルク帝国史』刀水書房1989
江村洋『ハプスブルク家』講談社現代新書1990
江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書1993
ユネスコ世界遺産センター編『ユネスコ世界遺産10 南ヨーロッパ』講談社1996
地中海学会編『地中海歴史散歩1スペイン』河出書房新社1997
川成洋『図説スペインの歴史』河出書房新社1993
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
★Diego Velazquez「Las Meninas」1656
★Diego Velazquez「Margalita Teresa」1656Wien
★「彷徨う狂女フアナ」1877、フランシスコ・プラディーリャ作、プラド美術館
★「フェリペ2世」ティツィアーノ
COPYRIGHT大久保正雄 2001.06.27
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