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2016年6月25日 (土)

ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い

Ookubomasao94Ookubomasao96大久保正雄『地中海紀行』第31回アクロポリスをめぐる戦い2
ペイシストラトス家とアルクマイオニダイ家の戦い アクロポリスの戦い
アクロポリスをめぐる攻防 アテネ史
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物

怒りを歌え、女神よ。
美しく高貴なる魂。傲慢なる強者に追われたる者、
旅路の果ての地に、たどり着き、
復讐を遂げる。彷徨える高貴なる魂。
大地と闇の娘たちよ。
怒りもて、彷徨える魂に、復讐を為さしめよ。
アクロポリスの丘を包囲して、傲慢なる独裁者を滅ぼすべし。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■アクロポリスをめぐる攻防 アテネ史
紀元前632年、アテナイで、キュロンの反亂が起こる。キュロンが僭主になろうとしてアクロポリスを占拠、アテナイ人たちはアクロポリスを包囲、反亂を鎮圧した。記録されているアテナイ最古の歴史的事件である。
紀元前561年、ペイシストラトスは、アクロポリスを占領して、アテナイの僭主となる。二度追放されたが、死ぬまで独裁僭主であった。
紀元前510年、アテナイは、ペイシストラトス家に対して、アルクマイオン家を中心とする反対勢力が、スパルタのクレオメネス1世の援助を得て、アクロポリスを包囲、僭主政を打倒する。僭主ヒッピアスは、ペルシア帝国ダレイオス1世のもとに逃亡した。マラトンの戰いの時、ヒッピアスは、ペルシア帝国軍を先導した。
僭主政治が倒れて、その後、寡頭派のイサゴラスとクレイステネスが対立、クレイステネスは亡命した。紀元前508年、スパルタ王クレオメネスとイサゴラスの仲間が、アクロポリスに逃げ込み、民衆はこれに対峙して二日間包囲を続けた。三日目に条約を結び、クレオメネスの仲間を撤退させ、クレイステネスを呼び戻した。
紀元前527年ペイシストラトスは病死し、死後、子のヒッピアスとヒッパルコスが父の後を継いだ。ヒッピアスは、紀元前514年ヒッパルコスが暗殺された後、猜疑心が強くなり、圧制的暴君となった。
(cf.アリストテレス『アテナイ人の国制』、ヘロドトス『歴史』第5巻、プルタルコス『対比列伝』「ソロン伝」「ペリクレス伝」)
■クレイステネス 民主的改革 紀元前508/7年
クレイステネス(BC565-500)は、アルクマイオニダイ家の頭首である。父はメガクレス、母はシキュオンの僭主クレイステネスの娘アガリステ。ペイシストラトス家の僭主時代、亡命していたアルクマイオン家は、長い間、僭主政打倒に努力していた。
クレイステネスは、何度も僭主政打倒に失敗した後、デルフォイのピュティア(巫女)を買収して、スパルタにアテナイを解放するよう神託を下し、僭主支配を打倒する。
紀元前510年、アテナイは、ペイシストラトス家に対して、アルクマイオン家を中心とする反対勢力が、スパルタのクレオメネス1世の援助を得て、アクロポリスを包囲、僭主政打倒に成功する。僭主ヒッピアスは、ペルシア帝国ダレイオス1世のもとに逃亡した。マラトンの戰いの時、ヒッピアスは、ペルシア帝国軍を先導した。
その後、寡頭派のイサゴラスとクレイステネスが政権を爭い対立、アルクマイオニダイ家の血の穢れを理由に、クレイステネスは追放される。
紀元前508/7年、民衆がイサゴラスに反対して立ち、スパルタ王クレオメネスとイサゴラスの仲間がアクロポリスに逃げ込み、民衆はこれに対峙して二日間包囲を続けた。三日目に条約を結び、クレオメネスの仲間を撤退させ、クレイステネスを呼び戻した。
紀元前508/7年、クレイステネスが政権を握る。クレイステネスは、民主的改革を行ない、アテナイの民主政が成立する。クレイステネスの改革によって、10部族制と五百人評議会が設置され、陶片追放が制定された。(cf.アリストテレス『アテナイ人の国制』、ヘロドトス『歴史』第5巻)

■アテナイオン神殿、ヘカトンペドン(アテナ古神殿)
ペイシストラトスは、武力によって僭主(独裁者)の地位を獲得したが、藝術の保護に努め、神殿を建てた。アテナイは祝祭都市となり、悲劇が誕生した。
紀元前6世紀、ペイシストラトスの時代、アテナイオン神殿ヘカトンペドン(アテナ古神殿)が、アクロポリスの丘、アテナの聖域に、創建された。
アテナイオン神殿は、アルカイックの微笑みを湛えた彫刻、仔牛を荷う人(モスコフォロス)、アクロポリスのコレー(少女)が神殿に奉納され、アテナ女神像が破風彫刻に置かれた。アルカイック様式の微笑みに満ちた神殿であった。
ペイシストラトスの時代には、紀元前566年に創始されたパンアテナイア祭が国の祭儀として体育や音樂の競技会が行なわれるようになった。また、紀元前534年大ディオニュシア祭が国の祭儀として導入され、ディオニュソス劇場がアゴラに木で作られ、悲劇が誕生した。

■アルクマイオニダイ家
アルクマイオニダイ(アルクマイオン)家は、アテナイの有力な貴族である。紀元前632年、キュロンの反亂が起り、キュロンが僭主になろうとしてアクロポリスを占拠、アテナイ人たちはアクロポリスを包囲、反亂を鎮圧。メガクレスたちは、女神の祭壇に逃れた僭主一味を殺害。アテナイ人たちは、神に対する冒_の罪を犯したとしてメガクレスたちを追放した。以後、アルクマイオニダイ家には血の穢れがあるといわれた。
紀元前6世紀、アルクマイオンは、第1次神聖戰爭(BC590)でアテナイ軍を指揮、リュディア王から与えられた黄金で財源を築いた。アルクマイオンの子メガクレスは、海岸派(パラリオイ)を指揮、ペイシストラトスを追放したが、ペイシストラトス家の僭主支配時代に亡命した。
紀元前530年、アルクマイオニダイ一族は、デルフォイに紀元前548年に焼失したアポロン神殿(BC530-20)を再建し奉献する。アポロン神殿は、石灰岩で建造されたが、東前面にパロス産大理石を用いて作られ、神室内に託宣所(アデュトン)が組み込まれた。
メガクレスの子クレイステネスは、デルフォイのピュティア(巫女)の協力で、スパルタを引き入れ、僭主支配を打倒する。アルクマイオニダイ家は、改革者クレイステネスを生みだした。ペリクレスの母は、クレイステネスの姪である。
アルクマイオニダイ家の使命、至上命題は、独裁支配の打倒であり、紀元前632年以降、百年以上にわたって、僭主独裁と戰いながら、亡命の痛みに耐えた。(cf.アリストテレス『アテナイ人の国制』、ヘロドトス『歴史』第1巻.第5巻.第6巻)

■陶片追放、独裁制阻止
陶片追放(オストラキスモス)は、紀元前508/7年以降、クレイステネスの時代に成立した。陶片追放は、秘密投票による追放制度であり、独裁僭主が出現することを防止するために創設された。クレイステネスは、僭主ペイシストラトス家によって、数十年にわたって亡命を余儀なくされたため、独裁者の専制を阻止したのである。
市民は、アゴラで国家を害する恐れがあり追放の必要があると判断された人の名を、陶片(オストラコン)に刻み投票、アルコンは書記官立会いの下に集計し、6千票を超えた者は国外に追放された。10年間国外追放、市民権は剥奪されず、財産の没収は行なわれず、10年後帰国することが出来た。ポリスが必要とする時、追放された有為の人材が呼び戻された。例えば、アリステイデスはサラミスの海戦の時、テミストクレスによって召還された。
紀元前487年、アテナイで初めて陶片追放が実行され、ヒッパルコスが追放された。また、この年、アルコン(執政官)の選出が抽籤となる。
アテナイ最盛期には、民衆の嫉妬をあびた者は、陶片追放されることが多かった。このため優れた人々が追放された。テミストクレス、アリステイデス、キモン、クサンティッポス(ペリクレスの父)も、追放された。(cf.アリストテレス『アテナイ人の国制』22)政治的抗争の道具に用いられることが多くなり、廃止される。

■死者に献げる供物 クーロスと墓碑
ヴォロマンドラのクーロス 死者に献げる供物
アルカイク期の彫刻は微笑みを湛えている。ヴォロマンドラのクーロス(BC560-550)は、パロス島産の大理石で作られた、裸体の青年像である。アッティカ地方、ヴォロマンドラの墓地で発見された。理想的な形に形作られ肉体と容貌をもち、アルカイクの微笑みを湛え輝いている。
アルカイク期の彫刻、若き青年のクーロスは、若くして死せるわが子を悼み墓地に建てた、墓標であり、副葬品である。愛する者を失い、再び会うことができない、愛惜の念。夭折した死者に對する悲しみが愛する者の彫刻を作らせた。死者に献げる供物として、愛する者の像を刻ませたのだ。
古典期アッティカの墓碑浮彫り
古典期アッティカの墓碑浮彫りには、「死せる者と別れを惜しみ生ける者が握手する場面」「死者を見つめる生者」が、刻まれている。
愛する者は死に、その死を悲しむ者も死に、悲しみを癒すために作られた彫刻のみが、二千年の時を超えて残った。愛する者は死に、死を悲しむ生者も死に、悲しみのみが残った。

■自由のための戦い
独裁者を倒すことから、アテナイの榮光の歴史が始まった。アテナイの歴史は、強者に対する弱者の戰いの歴史である。権力者の傲慢、富める者の傲慢と戰うアテナイ人。
「かくてアテナイは強大となったが、自由平等(イセゴリア)が、一つの点のみならずあらゆる点において、いかに重要なものであるかということを実証した。アテナイが独裁下にあったときは、近隣のどの国も戰力で凌ぐことができなかったが、独裁者から解放されるや、断然他を圧して最強国となった。」(ヘロドトス『歴史』第5巻)
独裁政を倒してから、アテナイのエーゲ海の覇者たる歴史が始まる。強者の横暴と戰い、復讐を遂げたとき、アテナイの榮光が始まる。優れた人が、善を目ざして、一部の者の利益のためでなく全ての人の利益のために、支配を行うとき、眞に優れた統治が成立する。あらゆる技術、研究、あらゆる実践、選択は、善を目ざさねばならない。人を支配する技術、政治學は、善を究極目的としなければならない。善を目的としない支配は滅亡する。
独裁者と戰い、自由のために戰ったアテナイは、イオニアの反乱を支援し、ペルシア戰爭に向かい、エーゲ海の王者となる。
★ヴォロマンドラのクーロスBC560 アテネ考古学博物館
ヴォロマンドラのクーロス,Kouros of Volomandra
★仔牛を荷う人(モスコフォロス)BC560 アクロポリス博物館
Moskophoros
★アクロポリスの丘 ムーセイオンの丘から
★【参考文献】
馬場恵二『サラミスの海戦』人物往来社1968
馬場恵二『ギリシア・ローマの榮光』講談社1985
桜井万里子・本村凌二『ギリシアとローマ』中央公論社1997
ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994
トゥキュディデス 久保正彰訳『戰史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
クセノポン佐々木理訳『ソクラテスの思い出』1-18岩波文庫1953
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
村田數之亮『ギリシア美術』新潮社1974
*澤柳大五郎『アッティカの墓碑』グラフ社1989年
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
プルタルコス『対比列伝』「ソロン伝」「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「ディオン伝」「アレクサンドロス伝」
大久保正雄COPYRIGHT 2002.04.24
Ookubomasao103_2

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