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2016年6月29日 (水)

ペロポネソス戦争 落日の帝国 アクロポリスの建築家たち

Partenon_0120130420大久保正雄『地中海紀行』第35回
蜜のように甘く、毒のように劇しく2
ペロポネソス戰爭 落日の帝国アテナイ アクロポリスの建築家たち

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

ペロポネソス戰爭 落日のアテナイ
■ペロポネソス戰爭 落日の帝国アテナイ
アテナイは、デロス同盟結成により、エーゲ海の島々、イオニア都市を配下に置き、エーゲ海に君臨する帝国となった。帝国主義政策の下、急激に覇権を誇るアテナイとペロポネソス同盟の強国スパルタとの間の軋轢がたかまる。商業都市コリントスはアテナイに圧迫され、アテナイに敵意をいだき、スパルタに開戰を決議させる。紀元前431年3月、テーバイ軍がアテナイの同盟国プラタイアを攻撃。ペロポネソス戦争(BC431-404年)が始まる。紀元前431年5月、スパルタが陸軍を派遣し、ペロポネソス同盟軍がアッティカに侵入、アテナイの農地を蹂躙する。(トゥキュディデス『戰史』第2巻47)
これに対しアテナイは、ペリクレスの指揮の下、周辺の村々から住民を集め、城壁の内に立て籠もり、海上で敵を攻撃するという作戰を取る。紀元前431/430年冬、ペリクレスは葬礼演説を行う。紀元前430年6月、アテナイで疫病が流行。ペリクレスの籠城作戦が裏目に出る。人口が密集した城壁の内に伝染病が蔓延する。城壁内は死屍累々、死體は腐臭を放ち、悲惨を極める状況が現出した。死者は死者を招き、累積する死體がさらなる犠牲者を招いた。全人口の3分の1、約10万人が死亡した。紀元前429年、ペリクレスも疫病で死ぬ。だがペリクレスの作戰は成功し、紀元前425年スパルタは講和条約を提案するが、クレオンは強硬策を主張し拒否する。
紀元前423年、歴史家トゥキュディデスが陶片追放される。スパルタの名將ブラシダスがアンフィポリスを攻略し、和平への機運が高まりクレオンとブラシダスの死後、紀元前421年ニキアスの和約が成立する。だがアルキビアデスがスパルタに対抗する活動を展開、アルキビアデスの提案によりシチリア遠征(紀元前415-413年)を遂行する。シチリア遠征は失敗し、アテナイ海軍は全滅する。紀元前413年以降、スパルタがアッティカの交通の要衝にあるデケレイアを占領、食糧を外国に依存するアテナイは、食糧の輸入が困難になり困窮する。デロス同盟の同盟都市は離反する。ペルシアはスパルタに海軍の軍資金を提供しアテナイを圧迫する。これに対してアテナイは海軍を再建、エーゲ海東海域で戰い、將軍アルキビアデスが活躍し、勝利を重ねる。スパルタのリュサンドロスは、ペルシアから得た軍資金により海軍を装備するが、紀元前406年アテナイはアルギヌウサイの海戰で勝利する。スパルタは講和条約を提案するが、アテナイは再び拒否。だが、紀元前405年アテナイ艦隊はアイゴスポタモイの海戰で撃破される。海上封鎖され食糧補給路を絶たれ、飢餓に陥り、翌年、アテナイは降伏。デロス同盟は解散。12隻を殘して、艦隊はすべてスパルタに没収され、ペイライエウスの城壁は破壊される。この戰爭以後、アテナイは衰亡する。だが、アテナイのみならず、全ギリシアは衰退の一途を辿る。

■アクロポリスの建築家たち
アクロポリスの丘の建築は、紀元前448年パルテノン神殿の起工から、ペロポネソス戰爭の最中も継続され、407年エレクテイオン神殿の完成まで、40年に亙って行われた。  パルテノン神殿は、彫刻家フェイディアスの総監督のもとに紀元前448年に起工、建築家イクティノスが設計し、建築家カリクラテスが施工した。破風彫刻が432年に完成され、パルテノン神殿が完成した。
プロピュライア(前門)は、ムネシクレスが設計し、紀元前438年起工、431年に未完ながら竣工された。アテナ・ニケ神殿は、紀元前448年建築家カリクラテスが設計、完成したのは421年である。カリクラテスは、ニケ神殿とよく似たイオニア式神殿をイリソスのほとりに建てた。
■カリアティデス(6体の女人柱) BC407 
エレクテイオン神殿は、紀元前421年に起工し、407年完成した。
建築家イクティノスは、バッサイのアポロン・エピクリオス神殿(紀元前440-420年)を設計、エレウシスの聖域にテレステリオン(秘儀堂)を設計した。アテナイと外港ペイライエウスを結ぶ長壁は、ペリクレスによって提案され、カリクラテスによって建設された。さらにペリクレスは、オデイオン(音樂堂)の建設を推進した。
フェイディアスは、ペリクレスとの友情により、パルテノン神殿の監督を行い、黄金の女神像を作ったが、これが人々の嫉妬と惡意を招いた。このため、フェイディアスは、牢獄に投じられ病気のため死んだ。或いはペリクレスに非難を浴びせるために敵の一派が毒藥を盛った。(cf.プルタルコス「ペリクレス伝」31)
五賢帝時代、プルタルコスは、パルテノン神殿は「美しさに於いては古風、鮮やかさに於いては今に到るまで生々しく出來たて、新しさが輝き、時間の手に汚されない、作品が、常に放つ香氣と、老いぬ魂を持つ」(cf.プルタルコス「ペリクレス伝」13) と書いた。
世にも類い稀な美しい建築を生みだした藝術家フェイディアスは、人間の嫉妬心によって命を絶たれた。黄金時代のアテナイを動かしていたのは、蜜のように甘く、毒のように劇しい、死すべき人間の有限なる精神であった。

★Parthenon アクロポリスの丘 パルテノン神殿 
★Cariatides Erecteion, カリアティデス(6体の女人柱) BC470
★【参考文献】
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
トゥキュディデス久保正彰訳『戰史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻1973
プルタルコス『対比列伝』「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「ディオン伝」
大久保正雄Copyrigh2002.07.03

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