  大久保正雄『地中海紀行』第28回 アクロポリスの光と影 パルテノン神殿 アクロポリスの丘の彼方に、 輝く海が見える。光る海に島影が浮かぶ。 大理石の列柱に、眞昼の日差しが烈しく降り注ぎ、 時が織り成す光と影、時が止まる。優美な瞬間。 眩暈するほど美しい、眞昼の丘の上。 光と影の烈しい対比、 光は影ゆえに美しく、影は光ゆえに深い。 苦悩する精神のみが、眞の叡知に到達する。 破壊され傷つき、時の試練に耐えて佇む、崇高な姿、 飛翔するような、優雅な美を湛える、パルテノン。 大理石に結晶したイデア。 石に刻まれた不滅の言葉、不屈の精神。 美徳のうちに死ぬ者は、不滅の精神のなかに生きる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より *大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■黄昏の海 黄昏時、ロドス島を飛び立ち、アテネに向かう。雲海の下に、曖靆たる雲の間から、黄金色に輝くエーゲ海、無数の島影が見える。落日の光をあびながら、夕暮のエーゲ海を眺めていると、死の誘惑に駆られる。 何が人に旅すること命ずるのであろうか。旅の本質とは一体、何か。 黄金色に輝く海、エーゲ海を、皇帝ハドリアヌス、哲人皇帝マルクス・アウレリウスが旅した。プラトンが地中海を航海し、ピュタゴラスがイタリアに航海した。 旅を生みだす情熱は、餓えであり、哀しみである。皇帝ハドリアヌス、プラトン、ピュタゴラス、アレクサンドロス。懊悩に至るほど烈しい、智慧の餓え、癒しがたい深い哀しみが、英雄と哲人を、旅に駆り立てたのだ。人を、旅に駆り立てる情熱は、魂の餓えであり、智慧の渇き、哀しみである。 飛行機はアテネに着陸する。紫の黄昏が忍び寄り、沙漠のように荒れ果てたギリシアの大地に、闇が覆い始める。偉大と退廃の都、アテネ。
■空間の旅と時間の旅 何故、人は旅するのか。人が、海の彼方の国に憧れ、遠く異国を旅し、異国の町を彷徨い、その地に愛するものを探すということは、いかなることなのか。偉大な都には、時の腐蝕のなかで結晶した時間が重なり、その地に生きた者の生きかたが刻まれている。空間は流れ去った時間の思い出を刻んでいる。若くして亡くなった、乙女の美しい姿を愛惜する生者の悲しみが、刻まれた大理石に凝結している。破壊された神殿の廃墟に佇む時、ただ礎石のみが殘されているのだが、失われた時の流れを超えて、死者の魂を悼むように、見えざる建築が幻のように、魂の眼をもつ者にのみ現れる。 不可視のものを見るものにとって、空間を旅することは時間を旅することである。心の眼を開くとき、空間の旅は時間の旅である。旅人よ、聞こえざる聲を聞き、見えざる形象をみよ。魂の眼を開け、その時、美は見えざる空間から姿を現す。美は、陶酔であり、魅せられたる魂である。美は、目を瞑っていても見える形象、耳を塞いでいても聞こえる聲である。愛は、瀕死の魂を救うことである。瀕死の魂に手をさし伸べずにはいられない心である。眞に美しい魂を愛するものに、見えざる空間は美しい心を見せる。 エーゲ海の光輝く海岸の町を歩く時、迷路のような町に佇み、隠された扉を開けると、古代の神殿がある。丘の上に列柱が立ち、イオニア様式の列柱には、花が咲いている。幻を見るものは、時の迷路に迷い込む。神殿の礎石の上に、詩人は蘇り、古代の詩歌が聲となる。空間の旅は、時の迷路をさまよう、時間の旅である。
■アクロポリス アクロポリスの丘に上ると、オリーヴの木立が疎らに立つ。南麓にヘロドス・アッティコスの音樂堂、ディオニュソス劇場がある。松林を抜け、ローマ人が作ったブーレーの門に辿りつき、ローマ人が築いた石段を上ると、アクロポリスの聖域唯一の入口、プロピュライア(前門)がある。プロピュライアは、ドーリア様式の壮大な楼門建築であり、南側のテラスにアテナ・ニケ神殿がある。プロピュライアの階段を昇ると、パルテノン神殿が見える。アクロポリスの丘の中央に、アテナ古神殿跡があり、北側にエレクテイオン神殿がある。アテナ古神殿は、アルカイク・スマイルを湛えた純粋な人間の美しさに満ちた神殿であった。アテナ古神殿は紀元前6世紀に建てられたが、紀元前480年クセルクセス王麾下のペルシア帝国軍によって破壊された。 アテナイ(アテネ)の守護神は、女神アテナである。アテナはメティス(知恵)を母としゼウスの頭から、完全武装した姿で生まれた。知性の女神であり、戰いの女神である。
■エレクテイオン神殿 エレクテイオン神殿は、イオニア式柱頭を戴き、優美な佇まいである。エレクテイオン神殿には南面柱廊に、6体の女人柱(カリアティデス)が屋根を支える、乙女のテラスがある。柱廊のカリアティデス、柱となった6人の女人が限りなく優美である。エレクテイオンの一角に聖なるオリーヴの木の跡がある。 大理石の白亞の列柱に、眞昼の日差しが烈しく降り注ぎ、光と影が烈しい対比を織り成し、眞昼の丘は、溜め息が出るほど美しい。
■二つの戦争の間に アテナイ(アテネ)をして、ギリシアの榮光と退廃の中心たらしめたのは二つの戰爭、ペルシア戰爭とペロポネソス戰爭である。 紀元前480年ペルシア帝国軍が侵攻、第2次ペルシア戰爭が始まる。テミストクレスは、婦女子をトロイゼンに退避させ、市民を艦隊に乗せ、全市民をアテナイから撤退させ、海で決戰する奇策を指揮した。秋、ペルシア軍はアテナイを蹂躙し、アクロポリスを包囲、神殿に火を放った。町を破壊し尽くした。テミストクレスは、ギリシア連合軍の作戰を立案、サラミスの海戰でギリシア連合軍を勝利に導いた。アテナイはギリシア全土を救った。(cf.ヘロドトス『歴史』第8巻) 紀元前479年冬、アテナイ人たちが町に戻った時、アテナイは瓦礫の山、廃墟と化していた。アテナイは、国土を犠牲にして、サラミスの海戰で勝ったのである。破壊されたアクロポリスに神殿を建築したのがペリクレスである。
■パルテノン神殿 アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿は、アテナ・パルテノス(處女神アテナ)を祀る神殿である。ペリクレスは、紀元前448年、政權を掌握すると、ペルシア帝国軍によって破壊されたアクロポリスの再建を企てる。 パルテノン神殿は、総監督フェイディアス、建築家イクティノスが設計し、建築家カリクラテスが施工した。紀元前448年に起工、437年にアテナ・パルテノス像が完成、パンアテナイア祭に落慶式が行なわれた。破風彫刻は432年に完成され、パルテノン神殿が完成した。 パルテノン神殿は、二重列柱の周柱(ペリステュロス)が回廊(ペリスタシス)を囲み、内部は、プロナオス(前室)、ナオス(内室)、パルテノン(處女の間)、オピストドモス(後室)、四室からなる。パルテノンの間は、ヘカトンペドン(百足)の間と呼ばれた。パルテノン神殿は、床から屋根まですべて、ペンテリコン山から切り出された大理石で作られた。パルテノン以前の神殿は、木造あるいは石灰岩で作られ、すべて大理石で作られた神殿はギリシアで最初であった。 2世紀、五賢帝時代、プルタルコスは、パルテノン神殿を、「美しさにおいては、完成した時からすでに古風、鮮やかさにおいては今に到るまで生気に溢れ出來たてのようであり、新しさが輝き、常に放つ香気があり、時間の手に汚されない、作品が永遠に若い生命の息吹きがあり、不老の魂を持つかのようである。」(cf.プルタルコス『対比列伝』「ペリクレス伝」) と形容した。 ローマ帝国時代、パルテノンは無傷に殘ったが、ビザンティン時代(426-1458)ハギア・ソフィア寺院となり、オスマン帝国時代(1458-1833)イスラーム寺院に改変された。オスマン時代1687年ヴェネツィアの砲撃を受け破壊され致命的な傷を受けた。最後に1821から1833年オスマンとギリシアの間で独立戰爭が戰われ、戰火の中で被弾した。 パルテノン神殿の傷だらけの崇高な美しさ。痛みの中でギリシアの理想を失わない悲壮な美。二千年を超える時の試練の流れのなかで、たび重なる改変と破壊に耐え、傷つきながら血を流し、崇高にして優雅、壮麗にして繊細、雄渾にして洗練を極めた美しさは、比類なく美しい。ムーセイオンの丘から眺める時、ヴェネツィアの砲撃を受け傷ついたその姿は、美を愛する者に感動を与えずにはおかない。 ★【参考文献】 プルタルコス『対比列伝』「ソロン伝」「テミストクレス伝」「アリステイデス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「ディオン伝」「デモステネス伝」「アレクサンドロス伝」 プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻岩波文庫1952-1956 トゥキュディデス久保正彰訳『戦史』岩波文庫1966-67 ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-1972 桜井万里子、本村凌二『ギリシアとローマ』世界の歴史5 中央公論社 1997 ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994 マキシム・コリニョン冨永惣一訳『パルテノン』岩波書店1978 中尾是正『図説 パルテノン』グラフ社1980 リース・カーペンター松島道也訳『パルテノンの建築家たち』鹿島出版会1977 澤柳大五郎『アクロポリス』里文出版1996澤柳大五郎『ギリシアの美術』岩波新書1964 磯崎新、篠山紀信『透明な秩序―アクロポリス』六耀社1984 ナイジェル・スパイヴィ福部信敏訳『ギリシア美術』岩波書店2000 村田潔編『ギリシア美術 体系世界の美術5』学研1980 村田數之亮『ギリシア美術』新潮社1974 大久保正雄COPYRIGHT 2002.03.27 ★アクロポリスの丘 エレクテイオン神殿 ★アクロポリスの丘 パルテノン神殿 |
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