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2016年6月28日 (火)

ペリクレス 蜜のように甘く、毒のように劇しく

Acropolis_cariatides_0大久保正雄『地中海紀行』第34回蜜のように甘く、毒のように劇しく1
ペリクレス、輝ける精神 蜜のように甘く、毒のように劇しく

破壊されたアクロポリス、
死の灰の中から蘇る、美しいポリス。
自由のために戰い、いのちを生贄にしたアテナイ人。
彫刻に溢れた都。
黄金時代、血と涙と苦悩の中から、
生まれる、不朽の藝術。
輝ける精神の結晶、パルテノン。

燦めく星のごとく、輝く魂が生まれた、
輝ける都、アテナイ。
蜜のように甘美に、毒のように劇しく、
偉大な都は、頽廃を極める。
血と苦悩の中から、眞の智慧が生まれ、
智慧の梟は、黄昏に飛び立つ。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■蜜のように甘く、毒のように劇しく
アテナイは、人類史上類まれな優れた人々を生み出したが、また邪惡なる人々を生みだした。ペリクレス、ソクラテス、プラトンを生み出したのは、アテナイであるが、またシケリアのシュラクサイの独裁制と闘ったディオンを裏切り殺害したのはアテナイ人であった。「アテナイの土地が最も甘い蜜とともに最も劇しい毒人參を生ずるように、アテナイの町は最も徳性の優れた人々とともに最も邪惡の甚だしい人を生ずる」(プルタルコス)
 美しい容貌に邪惡な魂がすむ。そして容貌は美しからず貧しい者が純粋で美しい魂をもつということがある。ソクラテスを生みだしたアテナイは、またアルキビアデスを生みだした。人間の内には、善と惡が絡み合い、善惡いずれとも判断しがたい。だが、能力は優秀であるが、意志が邪惡である時、それは惡というべきである。能力の優秀さは、時として、根源的な惡と結びつくことがある。惡と戰う時、眞実が現われる。
イタリアは、ルネサンス、バロック時代、優れた藝術家を生みだした。レオナルド、ミケランジェロ、ベルニーニ。藝術家たちは、神技の如き、作品を生み出したが、彼らが優れているのは、優秀な技術をもち、人にまさる作品を生み出したからではない。藝術家たちが偉大であるのは、苦悩の果てに、美を生み出したからである。藝術は、たとえ束の間の美であっても、苦悩する人の心を癒す。
紀元前5世紀、アテナイは、ルネサンス時代のフィレンツェのように、バロック時代のローマのように、彫刻に溢れた都であった。藝術に溢れ、美に溢れた都であった。トゥキュディデスは、アテナイは彫刻に溢れた都であると書いた。美に溢れた都は、また邪惡な人間の魂によって動かされた国家であった。藝術が尊く価値をもつのは、苦悩する人の心にやすらぎを齎すからである。眞理は、偽りと戰い、苦痛に喘ぐものを救う時にのみ、価値がある。苦しみ惱む者に、救いの手を差し伸べることが、人間の根拠である。地中海のほとりには、人間の尊厳を追求し、美を愛する、精神の空間がある。

■アクロポリスの黄昏
昏刻、パルテノン神殿は、夕日を浴びる。殘照に照らされた丘は、最も深い陰翳 を湛える。アテナイの偉大と悲惨を思い出し、瞑想するように、佇むパルテノン。パ ルテノン神殿、西正面は、夕暮時に燃え上がる。
偉大な建築は、世界の何処にあろうとも、薔薇色の曙から黄金の日没にいたるまで、太陽の光の変化が最大の影響を生みだすように、建築家によって計算されている。
ペルシア帝国により破壊されたアクロポリス。死の灰の中から蘇るように、パルテノン神殿は建築された。パルテノン神殿の純粋な美しさと高貴は、ギリシア精神の結晶である。

■ペリクレス 輝ける精神 
『地中海人列伝』15
ペリクレス(紀元前495-429)は、アテナイの貴族の生まれである。父は民主派の政治家クサンティッポス、母はクレイステネスの姪アガリステである。母はアルクマイオニダイ家の血を引いている。民主派である。
音樂をダモーン、論駁術をエレアのゼノン、自然学をクラゾメナイのアナクサゴラスから學んだ。ペリクレスの性格の品位を高めたのは、アナクサゴラスの哲学である。
ペリクレスは、広い額、大きな瞳、口もとに、深い知性を湛えた美しい容貌をもつことが、紀元前五世紀のクレシラスの彫刻によって、伝えられている。頭が長すぎて玉葱(スキノス)頭と喜劇詩人によって呼ばれた頭は、かぶとによって隠されている。(cf.ペリクレス像 ヴァティカン博物館)
ペリクレスの雄弁術は完璧であった。高貴な態度、流れる瀧のように淀みない流麗な話しかた、崇高なことばの配置、毅然たる姿勢、一糸乱れぬ衣服の着こなし、すべてに亙って聴くものを魅了せずにはおかなかった。演説は、アナクサゴラスの思想に根拠づけられていた。
紀元前462年、エフィアルテスと協力して、アレイオスパゴスの審議会から決議権を奪った。キモーンを民衆の敵として紀元前461年陶片追放したが、紀元前457年スパルタがタナグラ地方に侵入し、紀元前456年アテナイ人がアッティカ国境で敗北し、キモーンに対する愛慕の念が民衆に起きたので民衆の意を迎えて呼び戻した。
紀元前461年、民主派の領袖エフィアルテスが暗殺される。ペリクレスは、民主派の指導者になる。ペリクレスは、紀元前429年、病死するまで、三十二年の長い期間に亙ってアテナイの政治に第一人者として君臨することになる。紀元前457年、全騎士級(ヒッペウス)がアルコン職、他役職に就任できるようになる。紀元前450年、貴族派の指導者キモンが、キュプロス島で急死。民主派を率いるペリクレスは、アテナイの指導者の地歩を固めた。紀元前449年、アテナイ艦隊は、キプロス島のサラミスでペルシア軍を破る。カリアスの和約が結ばれ、ペルシアは、イオニア諸都市の独立を承認する。ペルシア戰爭、最終的に終結する。紀元前447年ペリクレスは、民会の議決を経て、パルテノン神殿起工を指揮する。
紀元前443年、ペリクレス一派は、將軍トゥキュディデスを陶片追放する。ペリクレスが將軍となる。以後、死まで毎年、將軍となる。ペリクレス時代が始まる。紀元前440 年サモス島遠征の時、ペリクレスはソフォクレスとともに將軍として赴いた。438年、パルテノン神殿の黄金象牙のアテナ像が完成。432年、パルテノン神殿浮彫が完成、パルテノン神殿は完成する。432年フェイディアスは獄中で死ぬ。紀元前437年アンフィポリスをトラキアに建設。アテナイは、海上支配権を確立する。
ペリクレスは、將軍として、アテナイ軍を率い優れた指揮官であった。ペロポンネソス周航(紀元前453)、デルフォイの聖域をめぐるフォキオンとスパルタの神聖戰爭(紀元前448)、ケルソネソス遠征(紀元前447)、サモス島遠征(紀元前440)、ポントス(_海)遠征(紀元前436)。数々の戰いで戰い、アテナイ軍を勝利に導いた。
紀元前431年スパルタが陸軍を派遣し、アッティカに侵入。ペロポネソス戰爭(BC431-404年)が始まる。ペロポネソスとボイオティアの重裝歩兵6万人が、第1回侵攻を行ったが、これに対して戰うことを止めさせた。「樹木は伐り倒されてもすぐに生えて來るが、人間は殺されると再び得ることは容易でない」と言った。ペリクレスはアテナイの町を固く閉ざしあらゆる所に番兵を置いた。人命を尊重し、陸上での戰闘を回避したのである。ペリクレスは、百隻のアテナイ艦隊を派遣しペロポンネソスを周航した。
紀元前430年6月、疫病が蔓延する。憤激したアテナイの人々は、スパルタとの陸上での衝突を避けたペリクレスを非難した。ペリクレスに反対する票を投じ、絶対多数を獲得、軍隊の指揮権を剥奪し罰金を課した。疫病が蔓延するなか、紀元前429年春ソフォクレス『オイディプス王』が上演される。
だが、紀元前429年、アテナイ人たちはペリクレスに匹敵する統帥官がいないことがわかったので、民衆はペリクレスに対する忘恩を謝し、再び將軍に選んだ。だがペリクレス自身、疫病に罹り、死に臨んだ。
紀元前429年冬ペリクレスは、戰爭のさなか疫病で、志なかばで死ぬ。パルテノン神殿の完成と時を同じくして、フェイディアスは死に、翌年ペロポネソス戰爭が起き、その2年後ペリクレスは死ぬ。ペリクレスが將軍として敵を破り、アテナイのために建てた勝利の標柱は9つあった。
歴史家トゥキュディデスは、「ペリクレスは、優れた見識を備え、金銭の潔白さは疑いなかった。民衆を自由に制御し、民衆に引き擦られるよりも、彼らを導いた。」(トゥキュディデス『戰史』第2巻65)という。戰いにおいて人命を尊重した決断、優れた思想と高潔な人柄は、ギリシア史に燦然と輝いている。
 (cf.プルタルコス『対比列伝』「ペリクレス伝」)

■ペリクレス演説
ペリクレスは、431/430年冬、ペロポネソス戰爭の最初の戰没者に対する国葬が行われ、有名な追悼演説を行った。
「われわれの政体は他国の政体を追随するものではない。他の人の理想を追うのではなく、ひとをしてわれわれの模範を習わしめるのである。少数者の独占を排除し、多数者の公平を守ることを旨として、その名は民主政(デーモクラティア)と呼ばれる。わがポリスにおいては、個人の間に紛爭が生じれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。」「われわれはまた、いかなる苦しみをも癒す安らぎの場に心を浸すことができる。一年の四季を通じて我々は競技や祭典を催し、市民の家々の美しい佇まいは、日々歓びを新たにし、苦しみを解きほぐすのだ。」(cf.トゥキュディデス『戰史』第2巻35-46)
 ペリクレスは、アテナイの民主政が歴史上、比類ないものであることを自覚していた。
★Acropolis,Cariatides
★乙女のテラス エレクテイオン神殿
★Pericles ,British museum
★ペリクレス
★参考文献 次ページ参照。
大久保正雄Copyrigh2002.07.03
Periclesmuseobritnico

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