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2016年6月26日 (日)

テミストクレスとペルシア帝国の戦争 ギリシアの偉大と退廃

Ookubomasao97_2Ookubomasao99大久保正雄『地中海紀行』第32回ギリシアの偉大と退廃1
テミストクレスとペルシア帝国の戦争 ギリシアの偉大と退廃
イオニアの華、ミレトス イオニアの反乱

紺碧のエーゲ海が、輝く時、
オデュッセウスのように、
知恵と戦略に優れた、卓越した指揮官、テミストクレス。
ギリシアの自由を賭けて、帝国ペルシアに対決、
アテナイ人は国土を犠牲にして、サラミスの海に決戰する。
スパルタの裏切りを越えて。
汝、命を賭けて守るべきものはあるか。

大地と光があるかぎり、
生と死の岐路に立ち、己の意志によって、選択する、
人間の偉大と悲惨。
いのちの価値を超えて、光芒を放つ。
悠久の時のながれを超えて。
破壊されたアクロポリス、
死の灰の中から蘇る、不屈の精神。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■ギリシアの偉大と退廃
テミストクレスは、潮時を予見し、卓越した戰略を構築した。奇策縦横、世にも類い稀なる天才的戰略家である。ペルシアの襲來を予見、200隻の艦隊を建造、宿敵スパルタと同盟を組む。全市民を退去、国土放棄、シキンノスの計略、多彩な戰術を駆使して、テミストクレスは、サラミスの海戰を指揮、ギリシアの不滅の榮光を築いた。
美しい藝術、不朽の建築パルテノンを生みだした彫刻家フェイディアス。魂の内なる聲を聞き、善と美を探求した、ソクラテス。燦めく星のように、優れた魂、美しい魂を生みだしたアテナイ。
だが、テミストクレスは、追放され、遠い異郷の地で、自害し、波瀾にみちた生涯を終える。フェイディアスは、追放され、或いは獄中で、非業の死を遂げる。ソクラテスは、ソクラテス裁判に敗れ、居合わせた弟子たちに、魂の不死不滅を説きながら、毒人参の盃を仰いで死んだ。
偉大な魂を生みだしたアテナイは、またこれらの魂を追放し、死に至らしめた。民衆の自由のなかから衆に優れた、偉大な魂が生まれた。そして、民衆の嫉妬心から、優れた人、心美しい人が命を失った。
ペリクレスのような高貴な精神が生まれたが、また美しい容貌と邪惡な精神をもつアルキビアデスが生まれた。黄金時代のアテナイは、偉大と退廃の都である。
美しい魂が、美しきがゆえに、非業の死を遂げる時、これを悲劇と呼ぶ。黄金時代のギリシアは、悲劇的な時代である。

■海洋都市
ギリシアのポリスは海洋都市である。地中海都市の美しさの根拠は、海洋都市の自由な空間にあり、地に束縛されない者、旅する自由をもつ者、心に翼をもつ者の空間である。海はギリシア人の自由の源であった。海は民主政の母である。
独裁僭主は、農民を地に縛りつけ、己の支配体制を固めた。テミストクレスは、二百隻の三段橈船(トリエレス)を擁するアテナイ艦隊を築き、下層階層の自由人の地位を向上させた。マラトンの戰いを勝利に導いたのは槍と盾で武装する重装歩兵(ホプリテス)であったが、サラミスの海戰で櫂を漕いだ兵士は、第四の階層であった。専制国家ペルシアとの戰いを通して、ギリシア人は自己を見いだす。ペルシア戰爭は、自由のための戰いであった。
テミストクレスは、アテナイの町の再建と城壁の構築とペイライエウス港建設を行い、アテナイを海に結びつけた。貴族に対する民衆の力を増大させた。「海上支配は民主政の母胎であるが、これに対し農民は寡頭政支配に服従する。」(cf.プルタルコス「テミストクレス伝」)  さすらう者のごとく、旅と自由を愛する人よ。美しきものを求めて、旅に出よう。海は異境へと開かれている。美と智慧を探す旅に出よう。旅と自由は、人間的に生きるために不可欠のものである。丘を越えて、海のほとりをさすらい、都市から都市へ、海から海へ、藝術作品のように美しい地中海都市、空間に刻まれた智慧を求めて、流離の旅に出よう。

■イオニアの華、ミレトス
イオニア地方には、イオニア系ギリシア人が住み、ミレトス、エフェソス、エーゲ海の島々、サモス島、レスボス島、他、ギリシア都市が繁榮した。紀元前6世紀、イオニア地方は、ギリシア本土に先駆けて文化の華が咲き誇った。
ミレトスは、イオニアの華と呼ばれ、三人の哲人、タレス、アナクシメネス、アナクシマンドロスが生まれ、建築家ヒッポダモスが生まれた。ヒッポダモスは、滅ぼされたミレトスに人工的都市を設計した。幾何学的な都市が構築された。
イオニアの地は、紺碧の海が輝き、海を見下ろす丘の上に、白亞の神殿の列柱が輝いている。イオニアの地は、時がゆるやかに流れ、薊の棘がするどく、紅い花が咲き、列柱に蔦が絡まり、緑の野に花が咲き亂れている。イオニアの大地と光の中で、學問の花が開いた。

■イオニアの反乱
エーゲ海の沿岸、イオニア地方のギリシア都市は、ペルシア帝国の支配下に下り、僭主独裁政を強制される。紀元前499年、ペルシア帝国に対して、ミレトスを中心に反亂する。
ミレトスの僭主アリスタゴラスは、ナクソス島包囲に失敗して困窮している時、スサに勾留されているヒスティアイオスから頭に刺青をした奴隷が派遣されて来た。頭髪を剃ると、大王に対する謀叛を指令する言葉が出てきた。アリスタゴラスは、ダレイオス王に対抗する策略を回らし、ペルシア帝国に対して、叛旗を翻した。ミレトスの独裁制を廃し、民主制を敷き、イオニア諸都市の独裁者を捕え追放し独裁制を廃止、民衆の蜂起を促し、將軍を任命した。
 アリスタゴラスは、スパルタに赴きクレオメネス王に会い、「イオニアの同胞が自由を奪われ、隷従の状態にあることは、われわれイオニア人にとって、この上ない恥辱であり苦痛であるのみならず、ギリシア人にとっても同様である。同胞たるイオニア人を隷属の桎梏から救って欲しい」と言ったが、スパルタの協力を得られず、スパルタを追われた。アリスタゴラスは、アテナイに行き、民会に出席して「ミレトスはアテナイの植民都市である。強大なアテナイがミレトスを保護するのは当然である」と説き、アテナイ人を説得することに成功した。アリスタゴラスがスパルタ王クレオメネス一人を騙すことができなかったのに、三万人のアテナイ人を相手に成功したことを思うと、一人を欺くよりも多数の人間を騙すほうが容易である。と、ヘロドトスは書いている。
 反亂は紀元前494年、ペルシア帝国によって制圧される。この時、アテナイとエレトリアが反亂を支援したことが、ダレイオス1世の逆鱗に触れる。これが、ペルシア戰爭を引き起こす原因となる。(cf.ヘロドトス『歴史』第5巻、第6巻)

【戦いの絵巻】
■ペルシア戦争 アテナイの光輝
イオニア地方のギリシア都市は、紀元前6世紀半ば、ペルシア帝国の支配下に下り、貿易活動を抑止され、民主制を禁じられ、僭主独裁政を強制される。紀元前499年、ペルシア帝国に對して、ミレトスを中心に反亂、アテナイ艦隊とエレトリアの艦船がエペソスに上陸、サルディスの町を攻略した。しかし紀元前494年、反亂は制圧される。この時、アテナイとエレトリアが反亂を支援したことが、ダレイオス1世の逆鱗に触れた。ダレイオス1世は、ギリシア遠征軍をはるかペルシアから派遣する。
紀元前492年、ペルシアの第1次ギリシア侵攻が起きる。ダレイオスの婿マルドニオス指揮するペルシア軍がトラキア海岸を制圧するが、ペルシア海軍がアトス岬で暴風に遭い帰国する。
紀元前490年、第1次ペルシア戰爭が起きる。ダレイオス王は、アテナイとエレトリア討伐の名目で遠征軍を派遣する。ナクソス島、デロス島を征服、エウボイア島に上陸エレトリアを破壊。ペルシア軍は、マラトンに上陸するが、マラトンの戰いでミルティアデス率いるアテナイの重層歩兵長槍密集隊により撃退される。海上からアテナイを攻撃することを企てるが、ミルティアデスが迎撃するため守備していたので断念する。ダレイオス王は、ギリシア遠征を期して、戰いを前に王位後継者を指名しクセルクセスに決定した。しかし遠征準備中に果たせず死ぬ。ギリシア攻撃は、クセルクセスに継承される。
ペルシアは、ギリシアに水と土を献じて恭順の意を表すように使節を派遣するが、アテナイとスパルタは使節を殺害する。
紀元前481年夏、ペルシア王クセルクセスがスーサを発ちサルディスに向かったという知らせがギリシアに届く。初秋、ギリシア国家相互間の戰爭の即時停止、対ペルシア連合の結成が成し遂げられた。
アテナイを率いたテミストクレスは、婦女子をトロイゼン、サラミスに退避させ、市民を艦隊に乗せ、全市民をアテナイから撤退させた。
紀元前480年夏、ペルシア帝国軍がギリシアに侵攻、第2次ペルシア戰爭始まる。テルモピュライの戦いで、スパルタのレオニダス王率いるギリシア軍は、ペルシア軍により挟撃され、矢を雨のように浴び、玉砕。全員討ち死にした。ギリシア軍は、陸の防衛線が破られたため、アルテミシオンの海の防衛線を撤収、サラミスに戻る。紀元前480年秋、クセルクセス王が指揮するペルシア軍は、アテナイを襲撃、蹂躙した。アレスの丘に布陣、城攻めを行った。アクロポリスを包囲、陥落。守りについていた財務官、神官、巫女は抵抗したが、アクロポリスの神殿は炎上、破壊された。
テミストクレスがギリシア軍の作戰を立案、狭い海域にペルシア艦隊を追いつめ、サラミスの海戰でギリシア連合軍を勝利に導いた。ギリシア艦隊は380隻、そのうち200隻がアテナイ艦隊であった。丘の上から戦況を見ていたクセルクセス王は撤退を決意する。マルドニオス指揮するペルシアの不死隊(アタナトイ)はテッサリアで越冬する。
紀元前479年、ペルシアの第4次侵攻が起きる。マルドニオス指揮するペルシア陸軍がアッティカに侵攻、再度アテナイを占領するがアテナイ人の姿はなかった。ボイオティアに侵入するが、プラタイアの戰いで、ペルシア軍は敗北、退却する。この頃、時を同じくしてペルシア軍はイオニアのミュカレ岬の戰いで滅ぼされ、イオニア諸都市は独立を回復する。かくしてペルシア戰爭は一たび、終結する。他方、西方シケリアで展開しているギリシア軍は、僭主ゲロンの下で、カルタゴ軍を撃破する。
戰いの後、アテナイは、反対するスパルタを欺き、テミストクレスの城壁を、構築する。テミストクレスは、ペイライエウス湾建設工事を始める。
だが、テミストクレスは、陶片追放される。紀元前449年、アテナイ艦隊は、キプロス島のサラミスでペルシア軍を撃破。カリアスの和約が成り、ペルシアは、イオニア諸都市の独立を承認する。ペルシア戰爭は、最終的に終結する。以後、ペルシアの脅威は止む。
(cf.ヘロドトス『歴史』第7巻、第8巻、第9巻、プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」)

■デルポイの神託 サラミスの海戰
ペルシア軍侵攻の前、アテナイの託宣使たちは、デルポイ(デルフォイ)に行き神託を求めたが、「聳え立つ頂きも捨てて、地の果てに逃れよ。アテナイは滅亡する。心ゆくまで悲嘆にくれよ。」という神託を受けた。衝撃を受けた託宣使たちは、再度、嘆願者のオリーヴの小枝を持って、巫女に尋ねると「木の砦は滅びざるべし」という神託を受けた。この神託をめぐって、二つに分かれ、議論が沸騰した。木の砦は、アクロポリスを意味すると考える人々と、船を意味すると考える人々があった。
テミストクレスは、木の砦は船を意味するとして、民会を制して、決議案を提出して、「国土はアテナイを守護するアテナ女神に委ね、壮年の者は全員三段橈船に乗り組み、各人は妻子と奴隷の安全を計るべきである」とした。この決議案が承認され、アテナイ市民は婦女子をトロイゼンに疎開させた。トロイゼンの人々は疎開民を国費によって扶養することを決議した。
スパルタの指揮官エウリュビアデスは、サラミスで決戦することを避け、イストモスに退避しようとした。この時、テミストクレスは、反対を唱えた。ある者が、「国土のない者が祖国のある者たちにそれを見捨てて立ち去れというのは筋が通らない」と言ったので、テミストクレスは、「われわれは家屋や城壁を置き去りにしてきた。だがそれは、そのような魂のないもののために奴隷となるのを潔しとしなかったからだ。われわれにはギリシア中で最も偉大なポリスがある。2百隻の三段橈船である。君たちの援軍たらんとして待機している。だがわれわれを再度裏切って立ち去るならば、アテナイは放棄したものに劣らない自由な町と国土を獲得することになるだろう。」エウリュビアデスは、アテナイ人は自分たちを置き去りにして去ってしまうのではないかと、不安を覚えた。(cf.プルタルコス)
サラミスの海戰において、輝かしい海原の偉業が達成され、その名が天下に轟き渡る勝利を獲得し得たのは、「テミストクレスの判断と絶妙の手腕によるのだ。」(cf.プルタルコス)(cf.ヘロドトス『歴史』第7巻、プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」)
★アルテミシオンのゼウスBC460 雷霆を投げるゼウス ポセイドン(アテネ考古学博物館)
★デルフォイ アポロンの聖域
★アクロポリスの丘 ムーセイオンの丘から
★【参考文献表】次ページ参照
大久保正雄Copyright2002.05.22
Ookubomasao98

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