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2016年6月23日 (木)

パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー

Ookubomasao91Ookubomasa93大久保正雄『地中海紀行』第29回
パルテノン神殿 彫刻家フェイディアス アクロポリスのコレー

アクロポリスのコレー 二千年の時を超えて蘇る少女

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

パルテノン 調和的比例と曲線美
ギリシア建築の美しさは、柱の美しさである。ギリシア建築は、柱の建築である。列柱の回廊は、限りなく美しい。列柱の回廊(ペリスタシス)の間を歩く時、大樹の樹林を歩く感覺を感じる。エンタシスの膨らみは、樹木の幹の膨らみである。神殿が木で作られた時代の記憶である。宮殿や神殿は糸杉や松で作られていた。例えば、クノッソス宮殿は糸杉(キパリッソス)で作られていた。
ギリシア人は、美を数的比例(シュンメトリア)に還元して考える。パルテノンは、柱の基部直径と柱間の比が4対9であり、この比例が建築の各部にくり返されている。
パルテノンには、眞の水平線、垂直線はない、曲線によって構成された建築である。床面(ステュロバテス)は水平面ではなく中央で隆起している。周囲の柱(ペリステュロス)は対角線の内側に傾いている。美的な目的のため規則性が破られ、また視覚補正のため曲線が用いられた。いきいきとした美しさを実現するという意図から生まれた。パルテノン神殿は、「歌う建築」と呼ばれ、曲線美によって構成された建築のリズムと生命、個性は、高度な技術と優れた叡智が生みだした。パルテノンは、調和的比例と規則性を超えた曲線美に溢れている。

■アクロポリスのコレー 二千年の時を超えて蘇る少女
アクロポリスのコレー(少女)は、彩色された衣で肉体を包む少女である。純粋な微笑みと豊麗な美しさは譬えようもない。

アクロポリスのコレー、ドーリア式とイオニア式 
アクロポリスのコレーは、ぺプロフォロス、ペプロスのコレーと呼ばれ、ぺプロス、ドーリア式上衣を纏った少女である。ぺプロスの下にはドーリア式キトンを身に纏っている。口もとにはアルカイク・スマイルを湛え、永遠に輝いている。(cf.アクロポリスのコレーNo.679)
イオニア式コレーは、イオニア式ヒュマティオン(ショール)にイオニア式キトンを身に纏っている。イオニア地方で作られた彫刻であると思われる。誇り高く成熟した美しさを身につけている。
アクロポリスのコレーは、アテナ古神殿に奉納されていた。紀元前480年ペルシア軍によってアクロポリスが攻撃され破壊された時、土中に埋もれ、二千四百年の歳月が流れ、1886年、発掘され再び蘇った。二千四百年の時の流れを超えて、蘇ったアクロポリスのコレー。蘇った古代の微笑み。アテナ古神殿は、アルカイク・スマイルを湛えた神殿であった。これに対し、パルテノン神殿は、洗練を極め、古典的な美を湛えた、完璧の美學であった。
アルカイク・スマイル
飛鳥白鳳彫刻、ガンダーラ彫刻、クメール彫刻、レオナルドの洗礼者ヨハネの微笑み。これらの像はアルカイク・スマイルを湛えている。アルカイク・スマイルは、文明が爛熟する前夜に現れる純粋な輝きである。アルカイク・スマイルは、死の微笑である。苦悩する人間を生と死の彼方に誘う。

■彫刻家フェイディアス
フェイディアス(BC490-432.432年没)は、第85オリュンピアード(448-5)に最盛期であった。アテナイのカルミデスの子。画家から出発して彫刻家になった。ペリクレスが紀元前448年にアクロポリス再建に着手すると、親友であるフェイディアスは、総監督(パントン・エピスコポス)に任命される。パルテノン神殿は、437年にフェイディアス作の黄金象牙(クリュセレファンティノス)のアテナ・パルテノス像が完成して、パンアテナイア祭に落慶式が行なわれた。フェイディアスとその弟子の手により432年パルテノン浮彫が完成され、パルテノンが完成するが、この時フェイディアスは獄中か他国にいて、完成を目にすることはなかった。
黄金象牙のアテナ・パルテノスは、フェイディアスの代表作で、自ら製作、高さ11mであった。ドーリア式ペプロスにアイギス(胸当て)、装飾された冑、右手を差し出して勝利の女神ニケを載せたコリントス様式円柱を持ち、左手で楯と槍を支えて立つ、武装したアテナ像である。楯の表面にはアマゾン族との戰いの浮彫が彫られ、楯の傍らに蛇が首を擡げとぐろを巻いていた。紀元後429年キリスト教徒によりコンスタンティノープルに持ち去られこの世から姿を消した。ハドリアヌス時代の模刻ヴァルヴァキオンのアテナが殘っている。
フェイディアスは、430年代に始められたペリクレスとその一派に対する攻撃の最初の標的となった。楯に彫られたアマゾン族との戰いの浮彫の二人のギリシア人がペリクレスとフェイディアスであるとされ、アテナ・パルテノス像に使用される黄金を横領したと告発された。しかしペリクレスの勧めによって、黄金を予め重さを量っておき記録していたので、裁判に勝つことができた。この後、アテナイから追放、或いは逃亡してオリュンピアに行き、その地で工房を作り、黄金象牙のゼウス坐像を制作した。紀元前432年、横領罪或いは他の罪状により、無実の罪で、アテナイ或いはオリュンピアの牢獄で処刑され、或いは毒藥を盛られ、非業の死を遂げる。(cf.プルタルコス『対比列伝』「ペリクレス伝」)
フェイディアスは、アテナイに有名な二人の弟子、アゴラクリトスとアルカメネスを殘した。アゴラクリトスとアルカメネスは好敵手となった。古代ギリシアで最も有名な彫刻家であるが、彫像作品は一つも殘っていない。だが幻のパルテノンは滅びない。
美しく善き人は死に、藝術家は死ぬ。だが、藝術家の魂は滅びない。

■アゴラ 幻影のポリス
アクロポリスの丘の麓に、古代アゴラがある。古代の人々が、集まり、物を買い、議論し、ポリスを動かした場所である。ここからアクロポリスの丘、パルテノン神殿が見える。アテナ・パルテノスに見守られながら、古代人は国家意志を決定し、民族の運命を決定する行動を選択し、正邪を裁いた。
アッタロス2世のストア(柱廊)があり、ヘファイステイオン神殿がある。かつて、ここに、ブーレウテリオン(評議会場)、トロス(円堂)、アグリッパのオデイオン(音樂堂)、ヘリアイアの裁判所、アレイオスパゴスの丘の裁判所があった。古代人がポリスを動かしたアゴラは、今は幻である。幻影のアゴラは、ポリスを動かす心臓であり、国家は見える形であった。この広場で人々が、言葉を交わし合い、樂しみ、議論し、会議場で最高意思を決定した。
アッタロスのストアは、紀元前2世紀ペルガモン王によって作られた柱廊であるが、20世紀に復元された。かつて、アゴラにはストア・ポイキレー(彩色柱廊)があった。列柱の回廊には、ポリュグノトスの彩色された壁画があり、紀元前3世紀、哲人ゼノンがここで往きつ戻りつしながら議論していた。ゼノンとその弟子はストア派と呼ばれた。(cf.ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』)

■劇場国家アテナイ 雄弁家が誘導し、煽動家が民衆の心を操る
紀元前508年クレイステネスの改革から、前322年クランノンの戰いでマケドニア軍に敗北しアテナイの民主政が終焉するまで、アテナイの民主主義は史上稀にみる進化を遂げ、186年間榮えた。
雄弁家が民会を誘導し、煽動家(デーマゴーゴス)が民衆の心を右往左往させる。煽動家が眞実を見ることができない民衆の心を操る。民衆は、嫉妬心を掻き立てられ、優れた人物も、陶片追放によって、国外へ追放された。アテナイもまた、不条理の国である。
第二次ペルシア戰爭の作戰を指揮した、勲功あるテミストクレスは、紀元前470年、不当に陶片追放され、ギリシアを放浪した後、敵国ペルシアに辿りつく。アルタクセルクセス王に謁見し、ペルシア帝国の治下、マグネシア長官(サトラペス)に任じられ、マグネシアの地で波瀾に満ちた生涯を終える。
民衆は、雄弁家、煽動家の弁舌に翻弄され、また頻発する民衆法廷への告訴によって、多くの優れた人々が、命を落とし、追放された。
国家は劇場と化し、観衆の目にさらされ、演戯する者の舞台となる。劇場において、名譽心ある者の言論と、打算的な煽動と、民衆の心にひそむ嫉妬心に火がつけられ、国家意思は右往左往する。黄金時代のアテナイにおいて、国家意思は、正義と嫉妬と虚偽と眞実の間をさまよう。紀元前399年に処刑されたソクラテスも、不当な判決を受けた者の一人である。

■ペリクレス時代
ペリクレス時代は、美術史上パルテノン時代であり、アテナイの黄金時代である。
紀元前450年、貴族派の指導者キモンが、キュプロス島で急死。民主派を率いるペリクレスが、アテナイの指導者となる。カリアスの和約が成り、ペルシアは、イオニア諸都市の独立を承認する。紀元前447年ペリクレスは、民会の議決を得て、パルテノン神殿起工を指揮する。
紀元前443年、將軍トゥキュディデスが陶片追放され、ペリクレスが將軍となる。ペリクレス時代が始まる。438年、パルテノン神殿、黄金象牙のアテナ像が完成。432年、パルテノン神殿浮彫が完成、パルテノン神殿は完成する。432年フェイディアスは獄中で死ぬ。
紀元前431年スパルタが陸軍を派遣し、アッティカに侵入。ペロポネソス戰爭が始まる。430年からアテナイで疫病が蔓延。紀元前429年ペリクレスは、戰爭のさなか疫病で、志なかばで死ぬ。
パルテノン神殿の完成と時を同じくして、フェイディアスは死に、翌年ペロポネソス戰爭が起き、その2年後ペリクレスは死ぬ。ペロポネソス戰爭はアテナイが没落する原因となる。藝術家は死に、国家は滅亡する。しかし、ギリシアの美は不滅である。
★【参考文献】
プルタルコス『対比列伝』「ソロン伝」「テミストクレス伝」「アリステイデス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「ディオン伝」「デモステネス伝」「アレクサンドロス伝」
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻岩波文庫1952-1956
トゥキュディデス久保正彰訳『戦史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-1972
桜井万里子、本村凌二『ギリシアとローマ』世界の歴史5 中央公論社 1997
ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994
マキシム・コリニョン冨永惣一訳『パルテノン』岩波書店1978
中尾是正『図説 パルテノン』グラフ社1980
リース・カーペンター松島道也訳『パルテノンの建築家たち』鹿島出版会1977
澤柳大五郎『アクロポリス』里文出版1996
磯崎新、篠山紀信『透明な秩序―アクロポリス』六耀社1984
ナイジェル・スパイヴィ福部信敏訳『ギリシア美術』岩波書店2000
村田潔編『ギリシア美術 体系世界の美術5』学研1980
澤柳大五郎『ギリシアの美術』岩波新書1964
村田數之亮『ギリシア美術』新潮社1974
★エレクテイオン神殿 乙女のテラス
★アクロポリスのコレー679 アクロポリス博物館
★イオニア式コレー アクロポリス博物館
大久保正雄COPYRIGHT 2002.03.27
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