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2016年6月27日 (月)

至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵

Ookubomasao110Ookubomasao101大久保正雄『地中海紀行』第33回
ギリシアの偉大と退廃2 策謀の極致
至高の戦略家、テミストクレス ギリシア人の知恵

苦悩する魂のみが、眞の叡智に到達する。
最後まで希望をすてぬ者が、眞の勇者であり智者である。
テミストクレス、アテナイ人をトロイゼンに疎開を決議。海に浮かべるアクロポリス。
テミストクレス決議碑文に刻まれた、ギリシア人の知恵の結晶。
風が吹くとき、地中海のほとりに、旅立とう。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
★ヴォロマンドラのクーロス

至高の戦略家、テミストクレス
『地中海人列伝』14
テミストクレス(BC524-459?)は、リュコメデス家の出身である。テミストクレスは、紀元前493/2年、筆頭アルコンにつく。この年、テミストクレスの政策により、アテナイはペイライエウス港建設工事を始める。ペイライエウスは477年に完成し、エーゲ海貿易の中心として榮える。アテナイの黄金時代の経済的基盤を築く。
紀元前487年、民主的な改革が実現され、陶片追放が実行され、アルコンの任命が籤引になる。紀元前487年の改革は、テミストクレス時代になされた。
紀元前483/2年、ラウレイオン銀山で新鉱脈が発見される。市民1人当り10ドラクマずつ分配する案があった。テミストクレスは民会において軍船を建造することを提案し決定。二百隻の三段橈船(トリエレス)を建造させることに成功した。アイギナ海軍と戰うという名目で民会を説得した。
アテナイ海軍はアイギナ軍と海戰していた(紀元前506-481)。アイギナはギリシア随一の艦隊を誇っていた。後にペリクレスは「アイギナ島はペイライエウス(アテナイの港)の目脂だから、拭き取ってしまえ。」と言った。
「ラウレイオン銀山から上がる収益は、アテナイの市民たちの間で分配する習慣であったが、民会に出かけて行き、孤立無援ながら大胆不敵にも、分配は差し控えてそれを資金にアイギナ人に対する戰爭に備えて三段橈船を建造すべきであるという動議を出した。アイギナ島の人たちは船の多数を頼んで海上を制していた。アイギナ人に対するアテナイ市民の怒りと敵愾心を利用したのだ。百隻の三段橈船が建造されたのであるが、クセルクセスに海戰を挑んだのはこの艦船によったのだ。」(cf.プルタルコス「テミストクレス伝」)ペルシア戰爭におけるギリシア人の救済が海戰から起り、灰燼に帰したアテナイ人の町を再興させたのは三段橈船であった。
アテナイ海軍の軍船は七十隻から二百隻に増える。三段橈船(トリエレス)一隻に必要な乗員は2百名であり、4万人の要員を必要とした。
テミストクレスは、スパルタとの同盟を締結、トロイゼンへの疎開、全市民のアテナイ都市撤退を立案し、指揮する。テッサリアのテンペ、アルテミシオンで、アテナイ部隊を率いる。
紀元前480年、第2次ペルシア戰爭が起きる。テルモピュライの戦いでレオニダス王率いるギリシア軍が敗北し殲滅された。
テミストクレスが作戰を立案し、海軍と陸軍を投入する戰略を提案する。アルテミシオンの戰い、サラミスの海戰の戰略を構築。ギリシア軍は、サラミスの海戰において、ペルシア軍を敗る。この時、テミストクレスの提案*により、婦女子をトロイゼンに疎開*させ、アテナイを敵の攻撃にさらした。アクロポリスは、ペルシア軍により破壊され炎上した。
*cf.「テミストクレス決議碑文」
1959年トロイゼンで発見された大理石板に刻まれた碑文、現在アテネの碑文博物館所蔵。前480年サラミスの海戦の前にテミストクレスの発議で評議会と民会で決議された、対ペルシア軍作戦計画を内容とする。
*「すべてのアテナイ人、アテナイに住まい. する[外国]人は[女子供]らを国土開祖の[・・・20・・・]. トロイゼン[に]疎開させるべし。[老人と]資産はサラミスに. 疎開[させるべきこと]。[財務官と]神官はアクロポリス[に留. まり]神々の[(資産を)守るべきこと]。」
150年後、紀元前331年、アレクサンドロス軍がペルシア王宮を陥落した時、武将プトレマイオスの愛妾タイスは、ペルシス(ペルセポリス)において、アテナイ焼討ちの仇を討ちクセルクセスの王宮を焼き討ちすることを唆し、実行された。
紀元前479年、プラタイアの戰いでギリシア軍が勝利する。ペルシア戰爭が終結。  プラタイアイの戰いの後、テミストクレスは、アテナイの町の再建と城壁の構築に着手した。テミストクレスが、城壁再建に反対するスパルタに赴き言辞を弄し眩惑、時間稼ぎをしてスパルタを欺き、その間にアテナイは城壁を再構築する。これが「テミストクレスの城壁」と呼ばれる。またペイライエウス防壁構築を強く主張、長城を建設した。天然の良港であることに着目し、アテナイをペイライエウスに結びつけた。
だが紀元前470年、テミストクレスは、陶片追放される。ペルシアとの講和条約を画策した疑いである。アテナイは、その後、テミストクレスに、売国の罪で死刑宣告。テミストクレスは、ギリシアを放浪した後、エーゲ海を彷徨う。紀元前467年、將軍キモン麾下、ナクソス島を包囲したアテナイ軍に逮捕される寸前、間一髪で難を逃れる。
紀元前465年、敵国ペルシアに赴く。アルタクセルクセス1世(マクロケイル腕長王)に謁見し、ペルシア帝国の治下、マグネシア長官(サトラペス)に任じられる。紀元前462年、エジプトがアテナイ軍の支援を得てペルシア帝国に離反、ギリシアの三段橈船がキュプロスの海域に達し、キモンが海上を制する事態になり、ペルシア帝国はギリシアに反撃することになり、テミストクレスにもギリシアに攻撃するよう命令が下された。
テミストクレスは「自分の生涯にそれにふさわしい最後をもたらすことこそ最上である」と考えた。神々に犠牲を捧げ、友人たちを集めて握手を交わしてから、毒を仰いだ。テミストクレスは、マグネシアの地で波瀾に満ちた生涯を終える。
(cf.プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」、ヘロドトス『歴史』第7巻、第8巻、トゥキュディデス『戦史』第1巻)

■アテナイ帝国 デロス同盟
アテナイは、紀元前477年、デロス同盟を結成、アテナイの帝国主義時代がはじまる。デロス島に、アポロン神殿が起工され、デロス同盟の金庫がアポロン神殿に置かれる。対ペルシア、海上攻守のための軍事同盟である。加盟国は、艦船を派遣するか、資金提供の義務があった。清廉無比のアリステイデスがヘラス財務官として監督に赴く。紀元前454年、デロス同盟の金庫がアテナイに移される。アテナイは財源を掌握する。
紀元前468/7年、ナクソス島が、同盟から離叛したため、アテナイは攻撃し、隷属国とした。同盟から離叛した国に対する最初の攻撃である。アテナイ帝国の暴虐はこのとき始まる。アテナイは、国々に民主制を強制し属国とした。自ら政治形態を選択し、通貨発行、度量衡制定する権利を奪った。反亂するポリスを降伏させ制圧する。タソス島、アイギナ島、エウボイア、レスボス島、メロス島。メロス島の虐殺は悲惨を極めた。
最盛期、加盟国はエーゲ海のほとり200カ国に達する。紀元前449年ペルシアとカリアスの和約を結ぶが、その後もアテナイは年賦金を要求、反亂する国に艦隊を派遣して武力で制圧。アテナイは、殘虐な帝国と化し、反亂する同盟国を隷属させ、エーゲ海の制海権を維持する。だがアテナイの帝国主義を恐れたスパルタが宣戰。紀元前404年ペロポネソス戰爭の敗北により、デロス同盟は解体する。 (cf.トゥキュディデス『戦史』第1巻、第3巻、第5巻)

■アテナイの黄金時代
アテナイをして、ギリシアの榮光と退廃の中心たらしめたのは二つの戦爭、ペルシア戦爭とペロポネソス戦爭である。
二つの戦争の狭間、紀元前480年から431年まで、50年間がアテナイの黄金時代である。ヘロドトスはペルシア戦爭を『歴史』に記録し、トゥキュディデスはペロポネソス戰爭を『戰史』に記録した。だがこの二つの戰爭の狭間を記録した書物は存在せず、黄金の50年間は謎が多い。
この50年間に、三大悲劇詩人が活躍し、パルテノン神殿が建設され、彫刻家フェイディアスが作品を作り、ペリクレスが勝利の標柱を9度立てた。
アイスキュロスはペルシア戰爭の七年後『ペルシア人』を書き、ペロポネソス戰爭開始二年後、疫病の死屍累々たるアテナイにおいて、ソフォクレス『オイディプス王』が上演された。エウリピデスはペロポネソス戰爭開戰の春『メデイア』を上演、ペロポネソス戰爭終了の二年前『バッカイ』を書いてマケドニアで死んだ。悲劇詩人の時代はこの二つの戰爭の間であった。
★【参考文献】
馬場恵二『サラミスの海戦』人物往来社1968
馬場恵二『ギリシア・ローマの榮光』講談社1985
桜井万里子・本村凌二『ギリシアとローマ』中央公論社1997
ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』原書房1994
トゥキュディデス久保正彰訳『戦史』岩波文庫1966-67
ヘロドトス松平千秋訳『歴史』岩波文庫1971-72
アリストテレス村川堅太郎訳『アテナイ人の国制』「アリストテレス全集」第15巻、岩波書店1973
プルタルコス河野與一訳『プルタルコス英雄伝』全12巻、岩波文庫1952-1956
馬場恵二訳プルタルコス「テミストクレス伝」
村川堅太郎編『プルタルコス』世界古典文学全集23筑摩書房1966
プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」「ペリクレス伝」「アルキビアデス伝」「デモステネス伝」
★ヴォロマンドラのクーロスKouros of Volomandra
★エギナ島
★デルフォイ アテナ・プロナイアの聖域 トロス
大久保正雄Copyright2002.05.22
Ookubomasao108

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