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2016年6月13日 (月)

地中海はスレイマンの海 スレイマン1世、皇妃ヒュッレム

Ookubomasao61_2Ookubomasao58大久保正雄『地中海紀行』第20回2
地中海はスレイマンの海 スレイマン1世、皇妃ヒュッレム

詩を作り美術を愛したスレイマン、繊細な王
晩年、猜疑心の虜となり、皇妃ヒュッレムに翻弄され、2人の皇子を失う。
地中海の覇権を賭けて対決する、
オスマン帝國とハプスブルク帝國。海を舞台に繰り広げられる戰い。
スレイマンとフランソワ1世は共闘
スレイマン1世とカール5世は、東の果てと西の果てに對峙、
抗爭、地中海はスレイマンの海となる。
詩を作り、藝術を愛し、花を愛でる、光輝ある王スレイマン。
爛熟は頽廃に至り、榮光はその頂点において腐敗する。
絢爛たる美女たち、
黒髪の乙女、金髪の乙女、亜麻色の髪の乙女。
研を競い、ハーレムに花咲く皇妃たち。
宮廷に渦巻く、美しい妃の陰謀。
美しさは皮膚の深さにすぎず、心は醜いのか。
愛は愛を生み、憎悪は憎悪を生み、死は死を招き
帝國は滅亡への道を歩み始める。
魚は頭から腐り、権力は頂点から腐る。
だが、文明は爛熟し腐敗する時が最も美味である。
腐りかけた美しい果實のように。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

スレイマン1世 地中海はスレイマンの海
【地中海人列伝-11】
スレイマン1世(1494-1566在位1520-1566)は、セリム1世の皇子。征服王メフメト2世の曾孫。第10代スルタン。セリム1世死後、イスタンブールに到着、群臣の臣従の誓いを受けて、26歳にしてスルタンとなる。1521年シリアの反亂を鎮圧した後、自ら第1回遠征軍を起し、ベオグラードに侵攻する。1523年聖ヨハネ騎士団が占拠するロードス島を攻略。イスラーム法に基づき「抗戰するか退却するか」選択を提示、聖ヨハネ騎士団を退去させる。ロードス島は、黒海、イスタンブール、地中海を結ぶ海上交易路、また地中海戰略上の拠点である。1529年第1次ウィーン包囲、攻撃を遂行する。
スレイマンは、神聖ローマ皇帝カール5世と對決。16世紀ヨーロッパは、オスマン帝國とハプスブルク帝國の對決の時代である。スレイマンは、フランス國王フランソワ1世と手を組み、カール5世に對峙し、ヨーロッパの政局を操る。
最高司令官バルバロスが指揮する不敗のオスマン艦隊は、1534年チュニス占領。1538年プレヴェザでキリスト教連合艦隊を撃破。1543年神聖ローマ皇帝に与するニースを攻略。1546年バルバロス・ハイレッティンは没した。1565年ヨハネ騎士団攻撃のためマルタ島に遠征したが、攻略に失敗した。スレイマン大帝は、地中海の制海権を掌握。地中海は「スレイマンの海」となる。46年間の治世の間、西欧とアジアに、自身で遠征する。1566年ハンガリー遠征の途上、72歳の時、陣中で死去する。スレイマン大帝は、オスマン帝國史の頂点を築き上げた。
詩を作り美術を愛したスレイマンは、繊細な人柄であったが、晩年、猜疑心の虜となり、寵愛する皇妃ヒュッレムに翻弄され、2人の皇子を失う。スレイマン大帝は、立法者、壮麗王と呼ばれ、オスマン帝國史630年の頂点を築く。(cf.鈴木薫『オスマン帝国』)

■寵妃ヒュッレム 2人の寵妃 暗闘する後宮
セリム1世以後、異教徒、異民族出身の女奴隷のみが後宮に採用された。スレイマン1世の母ハフサ・ハフンはその例である。
スレイマン1世には、2人の寵妃がいた。一人はマヒデヴラン(ギュルバハル)、スレイマンの長男ムスタファの母である。しかしヒュッレム(ロクセラーナ=ロシア女)が後宮に入ると、二人はスレイマンの寵愛を激しく爭った。1534年マヒデヴランは後宮を追われた。寵妃ヒュッレムは、自らの子をスルタンの後継者にしようと陰謀が渦巻く。
スレイマンに寵愛された皇妃ヒュッレムは、マヒデヴランの子・王子ムスタファを陥れて処刑させ、我が子バヤズィットを後継者にすべく苦闘するが、1558年に没する。二人の子バヤズィットとセリムの間に對立が生じ、優秀なバヤズィットが敗れ処刑され、母さえ皇位継承を望まなかったセリムが生き殘った。

■アフメト3世 チューリップ時代
アフメト3世(在位1703-1730)は、耽美的な人で、花鳥、歌舞、美酒、美女を愛した。アフメト3世の治世は、チューリップを愛したのでチューリップ時代と呼ばれる。フランス趣味に傾倒、チューリップの庭園で園遊会が開かれた。オスマン・トルコ帝國屈指の詩人アフメト・ネディムはこの時代の人である。
上層階級の爛熟と贅澤三昧は、下層階級の苦しみにより成り立っていた。1730年9月28日イエニチェリ副將軍パトロナ・ハリルが反亂を起こし、大宰相の処刑を要求。アフメトは退位した。

■魚は頭から腐る
戰場に自ら赴くことを忘れた最高権力者、地位に溺れる高級官僚、世襲化された貴族により、優秀な人材が活躍する場を閉ざされた時、組織は衰退の道を辿り始める。
「魚は頭から腐る」というトルコの諺がある。組織の帝國を誇るオスマン帝國は、官僚制の肥大、権力者の怯懦と高官の腐敗により滅亡の道を辿る。
★参考文献
鈴木薫『オスマン帝国』講談社現代新書1992
鈴木薫『食はイスタンブルにあり 君府名物考』NTT出版、気球の本1995
鈴木薫『図説イスタンブル歴史散歩』河出書房新社1993
澁澤幸子、池澤夏樹『イスタンブール歴史散歩』新潮社1994
坂本勉『トルコ民族主義』講談社現代新書1996
陳舜臣『世界の都市の物語イスタンブール』文藝春秋1992
伊東孝之、直野敦、萩原直、南塚信吾、柴宜弘編『東欧を知る事典』平凡社2001
スティーブン・ランシマン護雅夫訳『コンスタンティノープル陥落す』みすず書房1969
日高健一郎、谷水潤『建築巡礼17 イスタンブール』丸善株式会社1990
澁澤幸子『寵妃ロクセラーナ』集英社1998
細川直子『トルコ 旅と暮らしと音楽と』晶文社1996
大久保正雄COPYRIGHT2001.10.31
★ベリー・ダンス イスタンブールにて
★トプカプ宮殿 ハーレム

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