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2016年5月31日 (火)

スペインの光と影 アンダルシアの哲学者

Ookubomasao19Ookubomasao20Ookubomasao21Ookubomasao22Ookubomasao23大久保正雄「地中海紀行」第8回

アンダルシアの光と影

燃え上がるように美しい、アンダルシアの夕暮。
愛のように甘く、死のように美しい黄昏時。
地中海に夕日が沈む時、黄昏の光が満ち、
永遠の旅人は憂いを忘れる。
風薫る光のなかに魂は融け、夕暮の諧調が聞こえる。

地中海の見える処、
黄昏の時刻ならば何処でもよい、
地中海の潮騒の響きを聞きながら、瞑想する。
不滅の魂のことばを刻む、至上の時。

コスタ・デル・ソルの黄金の夕映え、
美しい貴婦人の眼差しのように、
地上の美しきものはすべて滅びる。
彷徨える魂に瞑想の地を。
魅せられたる魂の地、アンダルシア。
わが魂をアンダルシアの聖地に埋めよ。
―――――

イブン・ハズム『鳩の頸飾り』

大樹林の伽藍、荘重な闇に足を踏み入れる時、
魂は時の迷宮に迷う。
イブン・ハズムの波瀾に満ちた生涯のように、
波瀾にみちた書物の運命。
探し求めるイスラム學者、
書庫の闇に埋もれた八百年の星霜。
幻の美しい哲学書、
失われた幻の書『鳩の頸飾り』の原本。
滅亡するアル・アンダルスが放つ光芒のように、
永遠に美しい謎。

【アンダルシアの光と影】
 アンダルシア、その甘美にして妖艶な殘香、黄昏の殘光の比類ない美しさは、なにゆえであろうか。
 避けられぬ苦難に死力を盡くす、運命に抗し苦闘を繰り広げることこそ、死すべき人間の使命であり、人間の尊厳がある。あらゆる苦闘の果てに、傷ついた魂を受け容れる最果ての地。聖者たちの地、アンダルシア。哲學者たちの都コルドバ。イスラーム教、キリスト教、ユダヤ教が共存する多宗教空間に、絶對者と眞理を探究する多彩な思想家が現れた。激しく愛し、美しく生きて死せる者は殉教者である。
 アラブ人は、イベリア半島の南の地方をアル・アンダルスと呼んだ。アル・アンダルスは「気候はシリアのごとく温和、地はヤマンのごとく豊饒、花と香料はインドのごとく満ち、宝石と貴金属は中國のごとく満ち溢れ、そして海岸はアデンのごとく船の停泊に有利である」と歌われた。アンダルシアは地上の樂園である、とアラブ人は言う。アンダルシアは、澄みわたる空、魚貝に満ちた美しい海、熟れた果實、可憐な女性たちに恵まれた美しい地である。(cf.前嶋信次「地上の樂園アンダルス」)
 アンダルシアの木蔭より来る芳しい香りは、アンダルシアの詩人が詠った、美しい黄昏、グアダルキヴィル河のさざなみ、睡蓮の花、ジャスミンの花弁、そして爛熟した學問、咲き亂れる藝術の花々から立ち昇る。

■アル・アンダルス
 アル・アンダルス(al-Andalus)には、8世紀はじめから15世紀末に至る8百年間、多くのイスーラム王朝が興亡した。アル・アンダルスは、イスラームによるイベリア半島の呼称であり、イスラーム・スペインの支配領域を指す。南スペイン・アンダルシア地方はこの名に由來する。
 語源は「ヴァンダル人の國」を意味する。しかしヴァンダル族は、イベリア半島を追われ、5世紀、地中海の對岸アフリカのカルタゴにヴァンダル王國(429-534)を築いた。先進的な先住民を抑圧、統治に失敗、再びその地を追われ地中海を渡り北上する。
 アンダルスの領域は時代によって変貌した。最大の領域は後ウマイヤ朝の宰相アル・マンスール(al-Mansur.?-1002)の時代である。北部を除くイベリア半島の大部分を領した。
 アル・アンダルスはシチリア島、ヴェネツィアとともに、東西文化交流史の重要な経路であり、この地を經由して中世イスラーム、古代ギリシアの樣々な技術、學問、思想、藝術がピレネーの山嶺を越えて、中世ヨーロッパ世界に波状的に影響を与え續けた。アル・アンダルスは、西方イスラーム世界において独自の洗練された文化樣式を創造した。

■アンダルシア文化史
 イスラーム・スペイン史、即ち、後ウマイヤ朝(756年5月)からグラナダ王國ナスル朝(1492年1月2日)の終焉まで、八百年間、榮華を誇るアンダルシア文化史は、詩人、偉大な哲學者が百花繚亂、夜空に瞬く星のごとく、出現した。
 統治階級はアラブ人とベルベル人であったが、人口の大半はユダヤ人を含む先住のスペイン人であり、彼らがムスリムとなり或いはモサラベとなり文化活動に参加、イスラーム文化がイベリア化し、豊饒なアンダルス文化の花が咲き亂れた。アブド・アッラフマーン3世、アル・ハカム2世に代表される後ウマイヤ朝、分裂諸王朝時代の學問・文化保護政策は、アンダルシア人の好學心、探究心を政治的に庇護した。
 アンダルスの學問・藝術は、ピレネー山脈を越えて、中世ヨーロッパに持續的に流入した。伝播に大きな役割を果たしたのはトレド翻訳學派である。賢王アルフォンソ10世(1221-84)の時に頂点に達し、膨大なアラビア語文献がヨーロッパ語に翻訳された。

■アンダルシアの哲學者たち
 洗練された文化を咲き誇ったアンダルシアの花影は、レコンキスタの戰いの嵐とともに枯れ果てた。荒野に殘されたアンダルシア文化の花の一部は、12・13世紀トレド翻訳學派によって滅亡の危機から救われ、ピレネー山脈の白き嶺を越えて西欧に齎された。しかしレコンキスタの嵐の中で、夥しい書物がこの世から消えた。
 アンダルシア人は、學問と藝術、理性と感性の類い稀なる調和の感覺をもつ。地中海人は、美と眞理のこの世に類い稀なる融合を生み出した。アンダルシア人は、ギリシア人、ローマ人と同じく、美と眞理に對する優れた感覺をもつ。
 洗練されたアンダルシア文化の花は、また偉大な哲學者たちを生みだした。亂世に咲く花のように、ウマイヤ朝末期、各地の都市が群雄割拠する分裂諸王時代、優れた哲學者たちが、アンダルシアに生まれ、形而上學、認識論、神秘主義、樣々な思想の花が咲き亂れた。
 亂世を生きた孤高の哲學者イブン・ハズム。アリストテレス注釈の巨匠イブン・ルシュド(Ibn Rushd=Averroes.1126-98)。タルムード學の権威マイモニデス(Maimonides. 1135-1204)。イスラーム神秘主義の偉大な巨匠イブン・アルアラビー(Ibn al-Arabi. 1165-1240)。哲學者たちが、アンダルシアに生まれ、彷徨し、旅と瞑想に生きた。
 哲學の歴史はプラトン哲學とアリストテレス哲學の對決・抗爭の歴史である。イスラーム哲學史、アンダルシアの哲學においても、プラトン主義、新プラトン主義とアリストテレス主義が入り亂れ、對立・抗爭を繰り広げた。

【地中海人列伝6】
イブン・ハズム 『鳩の頸飾り』の著者
 イブン・ハズム(Ibn Hazm.994-1064)。コルドバの名家に生まれ、あらゆる學藝を身につけた博學の士であり、彼の中には詩人、思想家、法學者、哲學者、歴史家が共存する。プラトン主義者、比較宗教史家。名門の子として生まれ、稀有の才能に恵まれながら、転々として流離の生活を送った。若くして戰亂に巻き込まれ、各地を流浪しながら膨大な著作を著した。主著『諸分派についての書』『鳩の頸飾り』(cf.アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』)
 1002年アル・マンスールが死に、その子アブドル・マリクが死に、サンチェロが地位につくと、1009年2月15日ムハンマド・アル・マフディーがクーデターを起こし、カリフの地位についた。イブン・ハズム一族は、ザーヒラの家を立ち退き、バラート・ムギースの屋敷に移った。かくして一つの才能が命をとりとめ、苦難に満ちた生涯を續けることになった。1012年6月父アフマド・イブン・ハズムは、失意のうちにこの世を去る。1013年ベルベル人傭兵がコルドバを襲撃、コルドバは戦亂に燃え、イブン・ハズム一族の屋敷も破壊された。イブン・ハズムは、7月13日地中海を臨む港町アルメリアに逃れる。1016年アルメリア領主により数ヶ月投獄された後、追放される。1016年アブド・アッラフマーン4世がコルドバを奪還するため擧兵、イブン・ハズムはこれに加わり宰相となるが、グラナダの戦いで敗北、捕えられて投獄される。しかし餘命をつなぎ、1018年2月、5年ぶりにハンムード家の支配下にある故郷コルドバに歸る。
 1023年12月ウマイヤ家が政権を奪還し、アブド・アッラフマーン5世(1002-1024)がカリフの地位につき、29歳のイブン・ハズムはまた宰相の地位についた。しかし7週間後、新カリフは暗殺され、イブン・ハズムは三度目の投獄を經驗する。イブン・ハズムは、二たび宰相の地位に上り、三たび獄中の苦しみを味わう。1027年イブン・ハズムはハーティバに難を逃れ、ハーティバの地で『鳩の頸飾り』を書く。
 主著『諸分派についての書』は、ザーヒリーヤ派法學に依拠する比較宗教史の書である。體制に阿諛するマーリク派法學隆盛の時代に、ザーヒリーヤ派法學を信念として體系を構築し、あらゆる処で論爭を巻き起こした。マヨルカ島に難を逃れたが論爭を起こし放逐された。クルアーン原典に厳密に依拠するザーヒリーヤ派は、非密教的法學であるが、密教的神秘主義と矛盾しない。「天啓の書」は、神に至る扉である。
 1064年8月、イブン・ハズムは七十歳でマンタ・リーシャムで生涯を閉じるまでに、運命に翻弄され苦難を甘受しながら、約4百篇の著作を著した。著作の大部分はセビリアで焚書され灰燼に歸した。イブン・ハズムは、思想上の理由から、至るところで激しい迫害を受けた。

■『鳩の頸飾り』
 イブン・ハズムの死後600年後、17世紀、オランダ政府からオスマン・トルコ宮廷に派遣された大使ヴァルナーは、22年間イスタンブールに在任し、古書の蒐集に没頭、その後、膨大な稀覯本はライデン大學に寄贈され、200年の間、圖書館の闇の中に埋もれていた。『鳩の頸飾り』は、19世紀、アンダルシアを専門とするイスラム學者によって発見され、ドズィー『スペイン・イスラーム史』1861に第27章が翻訳された。これはこの世に現存する『鳩の頸飾り』唯一の寫本であるが、完本ではなく抄録である。幻の原本『鳩の頸飾り』は今も行く方が知れない。
 第24章「別離」には荒廃したコルドバに對する愛惜の情が立ち籠め、第27章「忘却」にはコルドバにおける失われた恋の思い出が流麗な文體で時間の狭間にとどめられている。
 『鳩の頸飾り』はイスラム恋愛論の白眉であり、プラトン『饗宴』『パイドロス』の影響を受けている。「現世において切り離された魂の、魂本来の高貴な要素における結合である。」「魂の合一にのみ原因をもつ渇望に根ざす愛」「眞の愛は魂の結合である。」「魂はそれ自體美しいため、あらゆる美を好む。」 (cf.第1章「愛の本質」)
 イブン・ハズム。不遇な天才。不幸な時代に生まれ、あらゆる學藝に通暁する傑出した思想家、彷徨える哲學者である。
 苦難に満ちた生涯が魂を淨化し、淨化された魂が洗練された學問を生み出す。苦悩によって洗練された、高貴な魂のみが生みだす洗練された學問。洗練された美しい書物。
 波瀾に満ちた生涯のように、数奇な運命を辿る著書。八百年の眠りから蘇る不滅の魂。血によって書かれた書物のみが不滅の価値をもつ。
★参考文献
イブン・ハズム黒田壽郎訳『鳩の頸飾り』イスラム古典叢書 岩波書店1975
W・モンゴメリー・ワット黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店1976
アンリ・コルバン黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム哲学史』岩波書店1974
 第8章アンダルシアの哲学 PP.262-299
サイード・フセイン・ナスル黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラームの哲学者たち』岩波書店1975
 第3章イブン・アラビーとスーフィーたち PP.135-206
井筒俊彦『イスラーム思想史』岩波書店1975
井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書1980
井筒俊彦『イスラーム生誕』人文書院1979
前嶋信次『イスラム世界』河出書房新社1968
前嶋信次『イスラムの蔭に』河出書房新社1975 河出文庫1991
池上岑夫・牛島信明・神吉敬三監修『スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社1992
伊東俊太郎『12世紀ルネサンス 西欧文明へのアラビア文明の影響』岩波書店1993
 12世紀ルネサンスのルートと担い手pp.48-54, pp.160-171
★コルドバの黄昏
★アルカサール
★アルカサール アラブ式庭園
★アンダルシアの白い町
★コルドバ レストランのパティオ
COPYRIGHT大久保正雄 2001.03.28

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