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2016年5月26日 (木)

ルネサンスの奇人変人、メディチ家 コジモとロレンツォ

Ookubomasao03Ookubomasao04Ookubomasao05大久保正雄「地中海紀行」第3回
ルネサンスの奇人変人、メディチ家 コジモとロレンツォ
 
黄葉を見ると、トスカナ地方の黄金の秋を思い出す
愛のように甘く、死のように美しい黄昏刻
死せる人の面影が蘇る
魂の翼をもつ香りたかい精神が目覺める
美しい魂には、美しい魂の香りがある

【ルネサンス人】
人間は、地位と名譽と金銭と利益を追求して、行動する。いかに美しく装い、巧妙に人を欺いても、醜い魂の本質は変わらない。すべて人は利益のために生きる。人は、利害を超越して、眞理と美のためにのみ行動する時、奇人変人と呼ばれる。
ルネサンス人は、普遍人(uomo univerasale)と呼ばれる。例えば、レオナルドのように、ミケランジェロのように、多面的な才能を有する万能人であり、國境を越え時代を超えて、藝術と學問のみを自らの根拠として、天衣無縫、自由に生きた。ルネサンス人は、眞理と美のために生きた。名譽と私利私欲を求め組織に隷属し、体制の奴隷である者は眞の知識人ではない。隷属する者は、奴隷と呼ばれるべきである。
學者は、その所有する知識の量によって優劣が測られるのではなく、読破した書物の量によっても、頭のよさによっても価値を量ることはできない。藝術家の価値は、その作品の量と価格によって、優劣を測るべきではないことは言うまでもない。だが藝術と學問と人間性の価値を眞に決めるものは何か。人は、何を愛し、いかに戦い、いかに死ぬかによって、魂の美しさが現れる。現身の魂にとって、美は己の命と引きかえに手に入れるものである。そして眞理は己の命を生贄にして到達することができる。
「体の痛みに寝返りを打ち続ける町」(ダンテ)フィレンツェは、多様な政治形態を経験し変貌し続けた。ルネサンス人は、血に塗れた抗争に喘ぎながら、眞理と美のために行動した。

【ルネサンスの奇人変人】
『ルネサンス奇人変人列伝』という書物が存在するならば、多くのフィレンツェ人の奇行が書物の空間を埋め尽くして溢れ出ることになるだろう。コジモ・デ・メディチ、ロレンツォ・デ・メディチ、カトリーヌ・ド・メディシス、フィリッポ・リッピ、いずれ劣らぬ奇人揃いである。権力を巡ってメディチ家に敵対した貴族。トスカーナ地方の都市からフィレンツェに來た多彩な才人たち。才能を嫉妬し毒藥で藝術家を殺す藝術家。色欲に耽溺し美食を探求、権謀術数を駆使する貴族。生きながらにして腐臭を放つ官僚。偏奇と華美を嗜好するフィレンツェ人。獨立不羈の精神をもって彷徨する知識人。自己の美意識を守ることに対して最も執念深い者たち。「獅子のごとく獰猛に、狐のごとく狡猾に」生きるルネサンス人。愛するものに命を賭け、すべてを犠牲にして愛と藝術と己の美意識に殉じた、愛すべきルネサンス人たちの生きかたの形がある。
此処に書き始める『地中海人列伝』にもルネサンスの奇人変人が溢れることになる。我々は、マキャベッリ『フィレンツェ史』(*1520-1524頃執筆)ジョルジオ・ヴァザーリ『イタリアの至高なる画家、彫刻家、建築家の生涯』(初版1550、2版1568)を紐解くと、イタリア・ルネサンスの魅惑的な奇人たちに出逢うことができる。
古代地中海の魅力的な人々に出会うためには、プルタルコス『英雄列伝』を読むのが最善の方法であり、ギリシアの哲學者、知的英雄、奇人に出會うためにはディオゲネス・ラエルティオス『哲學者列伝』を紐解くべきである。人は、夕暮の闇の中で、古代の書物を開く時、深い沈黙のなかから、美しい魂の香りが立ち昇る。遺恨と怨念の果てに、扉を開くと、そこに地中海がある。

【地中海人列伝 ―黄金時代のメディチ家―】
■メディチ家の容貌
ウフィッツィ美術館(3階第1回廊18室)にヴァザーリ『ロレンツォ・デ・メディチ肖像』がある。これを見るとロレンツォの異様な容貌を知ることができる。ロレンツォの容貌は、祖父コジモの血統を受け継ぐもので、黄金時代のメディチ家の容貌は、佐久間象山のように容貌魁偉、また鼻が長かった。
メディチ銀行の創設は、1397年10月1日、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360-1429)によってである。ジョヴァンニ・ディ・ビッチの容貌は15世紀のブロンズィーノ作の肖像によれば、異様な容貌で意志的である。容貌の醜さは、子のコジモ・デ・メディチ(1389-1464)から曾孫ロレンツォ・イル・マニフィーコ(1449-1492) に受け継がれる家系の特質である。しかし妻ナンニーナ(ピッカルダ・ブエーリ)は「すべての女性の中で最も美しかった」と伝えられる。コジモ・デ・メディチには、ポントルモ及びヴァザーリが描いた肖像画があり、ロレンツォ・デ・メディチにはヴァザーリが描いた肖像画(ウフィッツィ美術館所蔵)がある。
ロレンツォ・デ・メディチは、長く高く拉げた鼻と大きな顎と異様に突出した分厚い下唇を持ち黒いオリーブ色の膚をした顔を持っている。黄金時代のメディチ家の人々は異様な容貌をもつが、深い教養をもち優れた知性と魅力的な人柄で人を魅きつけて放さなかった。

■コジモ・デ・メディチ
コジモは、1435年以降、メディチ銀行の絶頂期を築き上げた。コジモは、ラテン語に精通し、ロンドンからアヴィニョンに至るメディチ銀行の支店網を通じて稀覯本を探索、ギリシア・ローマの古典の冩本を蒐集した。コジモは、ニッコロ・ニッコリの蔵書を基礎として、1444年サン・マルコ圖書館を創設。またフィエーゾレのバディアに圖書館を創設した。コジモは常に皮肉と機知に溢れた警句を言い放っていたことは有名でヴァザーリ『藝術家列伝』にも記されている。コジモは祖国の父(pater patriae)と呼ばれ、フィレンツェの政治的頂点を築いた。
マキャヴェッリは『フィレンツェ史』に次のように書き録している。
「コジモは中背で、顔はオリーヴ色がかった褐色で長老的風格があった。博學ではなかったが、極めて雄弁で、自然に滲み出る賢明さに溢れ、従って友人に対しては礼儀正しく、貧しい人たちにも思いやりがあり、会話は的確であり、忠告は慎重で、実行は俊敏にして、彼の言葉と返答は機知に富み、かつ重々しかった。」

■ロレンツォ・デ・メディチ
ロレンツォは、あらゆる學藝に通暁する多藝多才な知識人であり、自ら藝術家であり、詩人であった。人文主義的教育を受け、文學、藝術、哲學に亙る多面的な教養を身につけ、ギリシア語、ラテン語に通じていた。
ロレンツォはコジモによって始められた冩本収集を拡大し、蔵書をさらに拡充した。コジモ同様に、メディチ銀行の支店網を駆使して情報を収集、探索、メディチ家蔵書を1千冊に増やした。また彩飾冩本を購入、サン・ロレンツォ教会付属ラウレンツィアーナ圖書館の基礎を築いた。サン・ロレンツォ教会に付属するメディチ家礼拝堂新聖具室とラウレンツィアーナ圖書館の工事を継続、完成させたのは、コジモ1世(1519-74)である。
ボッティチェッリは、ローマのシスティーナ礼拝堂壁画制作から帰郷後、三大神話画『プリマヴェラ』『ヴィーナスの誕生』『パラスとケンタウロス』を製作した。『プリマヴェラ』は、ロレンツォの注文により、パラッツォ・メディチの装飾のために製作されたものである。ボッティチェッリは、コジモが創設し、ロレンツォが継承した「アカデミア・プラトニカ」においてギリシア的教養を身につけ、艶麗な憂愁に満ちた古代の美を構築するに到った。
メディチ家黄金時代の學藝保護は、三代にわたって継承された。コジモ・デ・メディチは、フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピを支援し、仕事を紹介、庇護した。ピエロ・イル・ゴットーゾは、ゴッツォーリにパラッツォ・メディチを飾る繪画の製作を注文し、『東方三博士の行列』(1459-61)が製作された。ロレンツォ・イル・マニフィーコは、サンドロ・ボッティチェリ、フィリッピーノ・リッピに仕事を与え紹介し、生活を庇護した。
マキャヴェッリは『フィレンツェ史』の中で次のように書いている。
「ロレンツォは建築も音楽も詩も、驚くほどに愛した。彼自身詩作を行なったのみならず、自ら注解を加えて公表した。」
「ピサの町に學園を開設し、最高に優れた人々が招聘された。」
「ロレンツォは運命と神によって、この上なく愛された。彼の企画したことはすべて優れた成果を達成し、彼の敵はみな悲惨な最期を遂げた。」
「ロレンツォは、物事を論じる時には雄弁で才気に満ち、解決に際しては賢明で、実行においては迅速で勇敢であった。ロレンツォの場合、無数の美徳を汚す悪徳を挙げることは不可能である。だが彼は色事には驚くほど精通しており、冗談好きで毒舌の仲間と交わり、立派な大人に相応しくない程子供っぽい遊びに夢中になり過ぎた。」
「ロレンツォの場合、その快楽的な生活と重厚厳格な生活を見ると、彼の中では二つの異なる人格がほとんどありえない結びつき方で結びついているように見える。」
「その晩年には、信じ難いほどに彼を苦しめた病気が齎した苦痛に悩まされた。絶え間ない胃痛に悩まされた。苦痛の余り1492年、44歳で死去した。フィレンツェのみならず、イタリア全土においても、これほど思慮深いという名聲を得て、その死が祖國を悲しませた人はいなかった。」
オリーヴ色の膚は、コジモ、ピエロ、ロレンツォが共有する皮膚の色だが、これは美食家のメディチゆえ痛風によるものであると考えられる。コジモの子ピエロは、ピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)と呼ばれる。また、ロレンツォは父親から相続して苦しめられた痛風のみならず烈しい胃痛に襲われた。
オリーヴ色の膚は、メディチ家始祖アヴェラルドの血統の中にアラブ系或いはアフリカ系の血が流れているとも考えられる。またロレンツォの高く長い鼻は生まれつき嗅覚を欠如していたと言われる。醜い容貌はコジモの血をひく最後の直系カトリーヌ・ド・メディシスにまで引き継がれる。
様々な記録から明らかなように、コジモ、ロレンツォは、容貌が醜いことが知られるが、魅力的な人格を有し、フィレンツェの人々の心を深く魅了していた。精神の美しさが、容貌の醜さを圧倒していたのである。精神の美は、肉体の美よりも美しい。

★参考文献
(1)cf.ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』第2章「人格の完成」柴田治三郎訳、中央公論社1966
(2)cf.清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃』岩波新書1972
(3)cf.ジョルジォ・ヴァザーリ平川祐弘・小谷年司・田中英道訳『ルネサンス画人伝』白水社1982
(4)cf.高階秀爾「メディチ家の金脈と人脈」『ルネサンス夜話』平凡社1979
(5)cf.森田義之『メディチ家』講談社1999
(6)cf.マキャヴェッリ『フィレンツェ史』「マキャベッリ全集」3筑摩書房1999
(7)cf.若桑みどり『世界の都市の物語 フィレンツェ』文藝春秋1994
(8)cf.E.H.ゴンブリッチ 鈴木杜機子・大原まゆみ・遠山公一訳『シンボリック・イメージ』平凡社1991
★パラッツォ・メディチ中庭
★ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(ミケランジェロ)
★ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ(ミケランジェロ)
★メディチ・ラウレンツィアーナ図書館入口
COPYRIGHT大久保正雄 2000.11.29 

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