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2017年12月 4日 (月)

大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社

Botticellinascitaveneresimonettaves201706161大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社1993
第1章 ことばによる戦いの歴史としての哲学史
(人類の歴史は戦いの歴史である;
哲学の四つの問い;
学問は死闘である;
認識論の歴史;
倫理学の歴史;愛と死)
第2章 理性の微笑み知の楷梯
(理性の探究 魂の自己探究の歴史―イオニア学派からソクラテスまで;
善と知と上昇をめぐる比喩;
経験主義と合理主義の戦い;
カントとドイツ観念論;
知の楷梯をいかにして昇るか
理性の探究の果てに;
知の楷梯)
第3章 魂の内なる戦い 愛と死の果てに
(魂の内なる戦い;
功利主義と義務論との戦い;
フランス革命宴の後;愛と死の果てに)
第4章 知と愛 知恵を愛し求めること
(ソクラテスの死;
問題と方法;
ソクラテスの知恵の吟味;
論駁の技術 ソクラテスの問答の展開パターン;知恵を愛し求める;
知と無知の狭間に;
知の迷宮;
美と善)
第5章 ひとの美しさの根拠 
魂の美学
飛花落葉 死の微笑み)
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http://amzn.to/2zPb5io
ISBN-10: 4906421024
ISBN-13: 978-4906421022
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

2017年11月25日 (土)

新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで・・・夢と知りせば、覚めざらましを

Shinkai20171111大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第130回
秋晴の昼、美術館に行く。現実の世界ではありえない映像美。夢の中で出会う二人。千年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。奇妙な夢を見る。
新海誠監督の「ほしのこえ」2002「雲のむこう、約束の場所」2004「秒速5センチメートル」2007「星を追う子ども」2011「言の葉の庭」2013「君の名は。」2016。1000点の厖大な展示である。美しい映像、悲しい恋の物語。若い人へのメッセージがある。人間はつねに可能性の一歩手前で生きている。何か起きるかもしれないその前日が今。夢の中で出会う二人。「思いつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを 小野小町」『古今和歌集』<夢の中で愛しい人を見た、夢と知っていたならばもう少し夢を見ていたかった。>『古今和歌集』を参考に「君の名は。」の物語の着想を思いついた。空と背景を描くこだわりがある。印象的な空。空だけの場面もある。現実の世界の空は太陽が一つだが、太陽の位置、数を固定しない。一番美しい時間帯の空と、一番美しい時間帯の地上を組み合わせる。幻想的な映像を生みだす秘密は太陽の数にある。現実の世界ではありえないような様々な位置から太陽光を照らす。2つの太陽光が同一場面にある。
新海誠の物語はすべて「美しく壮大な世界ですれちがう男女の物語」「人と人が出会い、そしてすれちがい、揺れ動く心模様」を表現している。
「物語は、比喩、メタファーであり、時代と空間を、別の所に舞台を設定することができる」(カズオ・イシグロの言葉)を思い出す。
「皆、救いを求めて旅に出たのだ。誰に止めることができよう」「喪失を抱えて、なお生きろという声が聞こえた。お前にも聞こえた。それが人に与えられた呪いだ。でもきっとそれは祝福でもあるんだと思う。」**「星を追う子ども」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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文学は、作りものであり、虚構で、事実ではない。だが、文学作品は、比喩、メタファーであり、人の心情を理解し共感することができる。『日の名残り』は、執事の姿を通じて職務に殉じて個をなくす人の比喩である。完璧な執事になりたがっている男、個人を犠牲にすると、アイディアを要約できる。時代と空間を、別の所に舞台設定を設定することができる。『私を離さないで』では、舞台設定を3回変更した。「人のいのちには限りがある」「いのちとは何か」を考えた。*『カズオ・イシグロ 文学白熱教室』
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物事をあまりに詳密に扱おうとする結果、人物の姿形よりも遠近画法により注意を払う人は、側面描写の多い、無味乾燥な描き方に陥ってしまう。それでそうした人々は、パオロ・ウッチェロのように、孤独で、奇妙で、憂鬱で、貧乏な人になってしまうことがまことに多いのである。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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アニメーション監督・新海誠のデビュー15周年を記念し、『新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』を開催します。
新海誠の作品は“ 美しく壮大な世界ですれちがう男女の物語”を描くことで人間の本質に迫ります。人と人が出会い、そしてすれちがい、揺れ動く心模様を、完成度の高い物語に結晶させ、登場人物やその世界を鮮やかに描き出す作品群は、世代や国境を超えて多くの人々を引きつけています。
本展は貴重な制作資料である絵コンテや作画、設定資料や映像などの展示を通じて、そうした新海誠の15年の軌跡を振り返ります。そのほとんどの作業を1人で手掛けたデビュー作「ほしのこえ」から、集団制作に挑み初長編作品にして毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞した「雲のむこう、約束の場所」、単館上映ながら異例のロングランとなり、今なお熱狂的に語り継がれる「秒速5センチメートル」、本格ジュブナイルファンタジーに挑んだ「星を追う子ども」、デジタル時代の映像文学と言うべき「言の葉の庭」、そして記録的な大ヒットとなった最新作「君の名は。」までを完全網羅し、新海誠のアニメーション作品の魅力に迫ります。国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/shinkaimakoto/
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国立新美術館開館10周年
新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで
2017年11月11日(土)~12月18日(月)

2017年11月 6日 (月)

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い

20171024大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第129回
嵐の過ぎ去った午後、枯れ葉が舞う森を歩いて美術館に行く。
ファン・ゴッホにとって、浮世絵は理想郷の異界、理想郷を求めてアルルに旅立った。
1880年代のパリは、ジャポニスム(日本趣味)の最盛期。ファン・ゴッホがパリに出てきた1886年『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号が出版される。ゴッホはこの表紙の英泉の花魁図を模写して『花魁』に描く。浮世絵の鮮明な色彩世界を求めて「フランスにおける日本」南仏アルルへ旅立つ。
藝術家は、運命と戦う。運命とは何か。藝術家は、魂の深淵を覗く。智と愛と血の深淵。
ゴッホは、33歳から37歳、4年間に傑作を描く。
ゴッホは、なぜアルル時代からオーヴェール・シュル・オワーズ時代が最盛期なのか。
ゴッホは、なぜ耳を切ったのか。なぜ自殺したのか。ゴッホは、何に苦悩したのか。
藝術家は、魂の深淵を覗く。藝術家は、心に地獄を抱えている。苦悩する魂を救うものは何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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ゴッホとアルル
ファン・ゴッホは1888年2月20日の早朝、アルルに着く。列車の車中での気持ちをゴーガンにこう伝える。「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。「日本にもう着くか、もう着くか」と心おどらせていた。子供みたいに。」

1853年、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれる。
1869(16歳)、グーピル画廊のハーグ支店に就職する。1876(23歳)グーピル画廊を解雇される。
1878(25歳)、ブリュッセルの伝道師養成学校に仮入学するが正規入学は認められない。
1879(26歳)、ベルギーのボリナージュ炭鉱で伝道活動を行うが、常軌を逸した活動。資格を停止される。
1880(27歳)、画家になる決心を固める。
1886(33歳)1月、アントウェルペンの王立美術アカデミーに入る。
1886年、2月末、突然パリの弟テオのもとにやって来る。ゴッホ、33歳でパリに移住する。印象派の画家と浮世絵に出会う。
1886年5月、『パリ・イリュストレ』日本特集号が出版される。
1887(34歳)、 カフェ「ル・タンブラン」浮世絵展を開く。ビングの店で大量の浮世絵を研究。英泉の《花魁》、広重の《亀戸梅屋舗》《大はしあたけの夕立》を模写。
ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。
1888年12月、(35歳)「耳切り事件」。1年2か月アルルに住む。
ゴッホ、36歳でサン・レミの病院に移住する。
1890年(37歳)、ゴッホ、37歳5月、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。医師ポール=フェルディナン・ガシェが主治医になる。
7月27日、銃弾を受けて負傷。
7月29日、テオに看取られて永眠。
7月30日、オーヴェール=シュル=オワーズの墓地に埋葬される。
*『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』図録より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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展示作品の一部
フィンセント・ファン・ゴッホ「花魁(溪斎英泉による)」1887年 油彩・綿布 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
溪斎英泉「雲龍打掛の花魁」1820~1830年代 木版、紙(縦大判錦絵、縦2枚続)千葉市美術館蔵
安藤広重「亀戸梅屋敷」1857
フィンセント・ファン・ゴッホ「寝室」1888年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館
ゴッホ「雪景色」1888年 油彩・カンヴァス 個人蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ「アイリスの咲くアルル風景」1888年 油彩・カンヴァス  ファン・ゴッホ美術館
「夾竹桃と本のある静物」1888年 油彩・カンヴァス メトロポリタン美術館蔵(ジョン・L.・ローブ夫妻寄贈)
「オリーヴ園」1889年 油彩・カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵
「ポプラ林の中の二人」1890年 油彩・カンヴァス シンシナティ美術館蔵
式場隆三郎『ファン・ゴッホの生涯と精神病』1932
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参考文献
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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★「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」、Van Gogh & Japan、東京都美術館
2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_goghandjapan.html
東京都美術館、2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
京都国立近代美術館、2018年1月20日(土)~3月4日(日)

2017年11月 3日 (金)

北斎とジャポニスム、国立西洋美術館・・・『富嶽三十六景』『北斎漫画』

20171021大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第128回
枯れ葉舞う秋、嵐の森を歩いて美術館に行く。葛飾北斎(1760-1849)は、印象派の画家、モネ、ゴッホ、スーラ、アールヌーヴォーの藝術家らに影響を与えた。絵手本『北斎漫画』(全十五編)は、象徴主義のギュスターヴ・モローも所有していた。大胆な構図、花鳥画、名所絵、美人画の及ぶ画題が、印象派の画家たちに学ばれた。日本美術、浮世絵は、1850年代から外交官が来日し、1867年のパリ万博で広められ、ジャポニスムが起きる。
『富嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」(天保元-4年(1830-33))は、ドビュッシー交響詩『海』(1905)など、世界中に影響を与えた。
『江戸の誘惑』で北斎を見たのを思い出す。北斎の最高傑作、『鳳凰図屏風』『李白観瀑図』は、ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』で展示された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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葛飾北斎と波瀾の人生
葛飾北斎、三十歳で貧困、苦節四十年。引越し九十三回、画号30回改名。九十歳で亡くなるまで絵画を追求する。
葛飾北斎は、十九歳で勝川春章に弟子入り、翌安永八年〈一七七九)春朗の名で役者似顔絵を発表、二十歳で浮世絵師になる。鳴かず飛ばず。三十歳で貧困、他流派に学ぶ。
葛飾北斎、苦節四十年。72歳で『富嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」。75歳で傑作『鳳凰図屏風』を描く。
葛飾北斎と波
北斎は、雌伏の時代、波を描いた。『江ノ島春望』大英博物館蔵、北斎44歳の時、『賀奈川沖本杢之図』1803(享和3)年。北斎46歳で描いた『おしおくりはとうつうせんのづ』1805(文化2)年。
北斎は、六十歳で、脳卒中になり、柚子を食し自分で治療する。
北斎『諸国瀧巡り』(天保4年から天保8年(1833-1837))は、水の本質を探求した。
葛飾北斎、北斎辰政の意味
「葛飾北斎」を名乗っていたのは曲亭馬琴と組んだ一時期で『新編水滸画伝』『近世怪談霜夜之星』『椿説弓張月』などの作品を発表、馬琴とともにその名を一躍不動のものとした。北斎は何度も改名しているが「北斎辰政」という名前は大切にしていた。「北辰」は北極星を意味する。
画狂老人卍、七十五歳の北斎
天保五(一八三四)年から、先生は再び名前を変え、「画狂老人卍」という号を用いる。七十五歳の時に、『富嶽百景』「海上の不二」、『鳳凰図屏風』(1834)を描く。
天保の改革(1830~44)で贅沢禁止令、北斎は、貧困に陥る。
北斎は、三女葛飾応為とともに、83歳から89歳まで4回、小布施に行き高井鴻山の下に行く。『祭屋台天井絵『怒涛図』男浪、女浪』(小布施町上町自治会蔵)を描く。
北斎、九十歳
北斎は、九十歳で『富士越龍図』『李白観瀑図』1849年を描く。「齢九十歳 画狂老人卍筆」と記されている。
北斎、最期の言葉は「天我をして五年後の命を保ためしば真正の画工となるを得べし」。嘉永二(一八四九)年四月十八日、没す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『北斎は天翔ける。美の天に向かって 不死鳥の画家、北斎』2015
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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展示作品の一部
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館、ウィーン
葛飾北斎『北斎漫画』十三編(部分)1849 浦上蒼穹堂
エミール・ガレ『双耳鉢 鯉』1878
葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 ミネアポリス美術館
クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館
葛飾北斎『北斎漫画』十一編(部分) 刊年不詳 浦上蒼穹堂
エドガー・ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」1894年 パステル、紙(ボード裏 打) 66 x 47cm 吉野石膏株式会社
葛飾北斎「冨嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」1886-87年 油彩、カンヴァス フィリップス・コレクション、ワシントンD.C
葛飾北斎「牡丹に蝶」天保2-4年(1831-33)頃 横大判錦絵 ミネアポリス美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ「ばら」1889年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 駿州江尻」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館、ウィーン
カミーユ・ピサロ「モンフーコーの冬の池、雪の効果」1875年 油彩、カンヴァス 公益財団法人 吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託)
葛飾北斎「おしをくりはとうつうせんのづ」文化初期(1804-07)頃 横中判錦絵 名古屋市博物館
ジョルジュ・スーラ「とがったオック岬、グランカン」1885年 油彩、カンヴァス テート、ロンドン
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19世紀後半、日本の美術が、西洋で新しい表現を求める芸術家たちを魅了し、“ジャポニスム”という現象が生まれました。なかでも最も注目されたのが、天才浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)。その影響は、モネやドガら印象派の画家をはじめとして欧米の全域にわたり、絵画、版画、彫刻、ポスター、装飾工芸などあらゆる分野に及びました。
本展は西洋近代芸術の展開を“北斎とジャポニスム”という観点から編み直す、日本発・世界初の展覧会です。国内外の美術館や個人コレクターが所蔵するモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンをふくめた西洋の名作約220点と、北斎の錦絵約40点、版本約70点の計約110点(出品点数は予定、会期中展示替えあり)を比較しながら展示します。北斎という異文化との出会いによって生み出された西洋美術の傑作の数々を堪能しながら、西洋の芸術家の眼を通して北斎の新たな魅力も感じていただけることでしょう。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017hokusai.html
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★北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃、国立西洋美術館
2017年10月21日(土)~2018年1月28日(日)
*ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』(2006)

2017年10月17日 (火)

怖い絵展、上野の森美術館・・・恐怖を好む女性、異界と幻視、崇高の風景

Kowaie20171007大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第127回
処刑された若き女王、魔女、妖精、夢魔、血まみれメアリー、切り裂きジャック、崇高な城の廃墟。19世紀エリザベス朝の大英帝国の妖精画家たちの幻想。中野京子『怖い絵』(2007)にもとずく美術展。神話と聖書、悪魔、地獄、怪物、異界と幻視、崇高の風景。チャールズ・シムズ『そして妖精たちは服をもって逃げた』(1918)には、画家の運命が秘められている。
陰惨、悲惨、怪奇な絵画に満ちた不気味な美術館。恐怖と怪奇を好む女性が雲霞のごとく集まる。魑魅魍魎に取りつかれた少女、幻想界に生きる異界マダムが蝟集する。病んだ女性は、嫉妬、愛憎、残酷、恐怖を好む。美内すずえ『ガラスの仮面』1976、秋吉理香子『ジゼル』2015、塩野七生『チェーザレ・ボルジア優雅なる冷酷』1970、『ヴェルサイユのばら』1978。
――
ポール・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(1833)
黒い闇、ジェーンの若々しい白い肌、サテンの純白ドレス。白と黒の対比。床には血を吸うために敷かれた藁。布で目隠しをされたジェーン、斬首台に導く司祭。右側に斧を手に立つ死刑執行人、左側に侍女らが泣く。
16歳で断頭台に散った9日間の若き女王レディ・ジェーン・グレイ。エリザベス1世が即位する4年前1554年2月。ロンドン塔に幽閉されていた「前女王」が処刑された。反逆罪で投獄され、カトリックへの改宗を拒んだため7カ月後、ロンドン塔の断頭台に散った。16歳4か月。
ヘンリー8世の姪の娘ジェーンは、父と舅の野心の犠牲となって女王に即位させられ、権力闘争と宗教対立の歴史の荒波に翻弄される。メアリー1世死後、カトリック復帰運動は沈下し英国国教会は国家宗教として確立。
ブラッディ・マリー、血まみれメアリー
イングランド女王メアリー1世(1516~58年)の異名である。カトリックのメアリーは300人のプロテスタントを処刑した.。「血まみれメアリー」と呼ばれた。即位後、最初に処刑したのが自分より先に「イングランド初の女王」を宣言したジェーン・グレイ(1537~54年)。
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い 藝術家と運命の愛』
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展示作品の一部
ポール・ドラローシュPaul Delaroche「レディ・ジェーン・グレイの処刑」1833
ハーバート・ジェイムズ・ドレイパーHerbert Draper「オデュッセウスとセイレーン」1910
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスJohn William Waterhouse「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」1891
チャールズ・シムズ『そして妖精たちは服をもって逃げた』1918
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展示は「神話と聖書」「悪魔、地獄、怪物」「異界と幻視」「現実」「崇高の風景」「歴史」の6つのテーマで構成され、視覚的な怖さだけではない様々なタイプの「恐怖」を表現した作品が並ぶ。さらに、一部の作品の横には「中野京子’s eye」として作品を読み解くためのヒントも記されており、より想像力を広げて、作品が持つ恐怖の世界を味わうことができる。女優の吉田羊とのトークセッションで「なぜ『恐怖』をテーマに選んだのか」という吉田の問いに対し、中野は「恐怖は動物のDNAに刻み込まれたもので、恐怖があることで生き延びてきた。だから様々な恐怖のバリエーションが絵画に表現されている」と語った。
『美術手帖』恐怖を切り口に名画を読み解く「怖い絵」展が東京へ - 美術手帖
https://bijutsutecho.com/news/8015/
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怖い絵展、上野の森美術館2017年10月7日(土)~12月17日(日
http://www.kowaie.com/sakuhin.html

2017年9月29日 (金)

「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵

Unkei2017大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第126回
秋の午後、銀杏の森を歩いて博物館に行く。運慶の全作品31点のうち22点が勢揃いする。
運慶の魂の深淵にあるものは、何か。魂は何に葛藤したのか。20代の運慶が作った「大日如来」と、40代の運慶が作った「大日如来」との間にある時間は何を意味するのか。
「金剛力士像 阿吽、東大寺南大門」制作に挑む運慶は、怪物に挑む者のようだ。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが深淵を覗くならば、深淵もまたおまえを見返すのだ。(『善悪の彼岸』146節)
「大日如来坐像」(光得寺)、光背の太陽光線、雲に乗る菩薩、蓮華座の4頭の獅子、蓮弁の水の滴り。運慶「大日如来」(光得寺)、鑁阿寺より伝来。1196年(建久7年)。足利義兼が制作依頼した像で、義兼が自ら背負って諸国を歩いたとされる。
運慶は、建久八年(1197)、東寺講堂(839)の立体曼荼羅の二十一体を修復した。このとき、三百年前の奈良仏師の息づかいに触れ、弘仁貞観の密教仏から学んだ。東寺の立体曼荼羅は、雲に乗る36躯体の菩薩、蓮華座の8頭の獅子、中心に大日如来、「金剛界曼荼羅」成身会を表している。
「毘沙門天立像」(願成就院蔵)鎌倉時代・文治2年(1186)を作ったころから、運慶の作風は研ぎ澄まされたようだ。
南都焼討1181、興福寺が全焼、東大寺は主要伽藍が焼け落ちる。平家滅亡1185、承久の変1221、北条義時が後鳥羽上皇を破る。激動の嵐のなかで、運慶は何を考えたのか。
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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
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アレクサンドロス大王の東征によって、ガンダーラ彫刻が生まれ、南北朝の北魏様式、飛鳥白鳳の彫刻に辿りついた。
飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁貞観文化、国風文化、彫刻史を顧みると、思い出す。
法隆寺夢殿救世観音菩薩像、薬師寺金堂薬師三尊像、東大寺法華堂、不空検索観音、日光月光菩薩像、東寺講堂立体曼荼羅、仁王経曼荼羅の二十一体の仏像。平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像。
――
運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))73歳で亡くなる。
定朝の流派は、3つに分かれる。院派、円派、奈良仏師。慶派は、定朝の孫弟子、頼助から始まる奈良仏師の流派である。慶派の祖、康慶の子、運慶。
運慶の父・康慶、運慶の実子・湛慶、康弁ら親子3代が慶派の盛期である。
運慶・快慶「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」1203、湛慶「蓮華王院、千眼千手菩薩像」、慶派の頂点である。
―――
展示作品の一部
国宝 大日如来坐像、 運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
重要文化財 仏頭、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、興福寺蔵
国宝 運慶願経(法華経巻第八)、平安時代・寿永2年(1183)
国宝 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、静岡・願成就院蔵
国宝 八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子、運慶作、鎌倉時代・建久8年(1197)頃、和歌山・金剛峯寺蔵
重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像、重要文化財 不動明王立像、重要文化財 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治5年(1189)、神奈川・浄楽寺蔵
国宝 無著菩薩立像・世親菩薩立像、運慶作、鎌倉時代・建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 聖観音菩薩立像、運慶・湛慶作、鎌倉時代・正治3年(1201)頃、愛知・瀧山寺蔵
重要文化財 十二神将立像、京都・浄瑠璃寺伝来、鎌倉時代・13世紀
静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神)
国宝 天燈鬼立像・龍燈鬼立像、康弁作(龍燈鬼立像)、鎌倉時代・建保3年(1215)、興福寺蔵
大日如来坐像  1軀 鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺
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★ 特別展「運慶」 東京国立博物館、 平成館 特別展示室
2017年9月26日(火) ~ 2017年11月26日(日)
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運慶の生年は不明ですが、息子・湛慶が承安3年(1173)生まれであること、処女作と見られる円成寺の大日如来坐像(国宝)を安元元年(1175)に着手していることから、おおよそ1150年頃と考えられます。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していました。院派、円派の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があったようです。ここでは、運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品を展示し、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をたどる。東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

2017年8月29日 (火)

藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女・・・ピカソと7人の女

Picassoguernica_1937藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女・・・ピカソと7人の女
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第125回
パブロ・ピカソは7人の恋人と出会う。
ピカソは、8歳で才能をあらわし、91歳で死ぬまで、厖大な絵を描いた。愛した女、苦悩した女。肉体の女、心の女、美貌の女、執念の女。愛と死の果てに、七人の恋人の記憶が残った。1907年『アヴィニヨンの娘たち』が始まりである。
藝術家は、運命と出会い、運命と戦う。運命の女が、彼を救うことがある。運命と戦い、女神に救われ、不朽の作品を残す。1万3千500点の絵を描いた。
ピカソが最も恐れた画家はだれか。ジョルジョ・デ・キリコ。デ・キリコは、26歳の時、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、出発した。
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夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
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パブロ・ピカソ、7人の恋人
ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、7人の女性に出会い、作品の世界に、女性を描いた。
パブロ・ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、スペインに生まれ、8歳の時、天才的な素描を描く。りんごの素描を描かせた画家であった父親は自分で絵を描くことをやめてしまった。14歳の時「初聖体拝領」(1896)を描いた。
20世紀初頭からパリに住み、90年の生涯を革新と実験をつづける。青の時代、薔薇色の時代をへて、1907年『アヴィニヨンの娘たち』でキュビスムを始める。
『ゲルニカ』1937は、ドイツ空軍のコンドル軍団によってゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としている。20世紀を象徴する絵画、反戦と抵抗のシンボルとなる。
「ピカソにとって女性と会話は筆のようなもの、つまりなくてはならないし、本質的であり、致命的なものであった。」最初の恋人だったオリビエビーズマイヤーピカソは、後にこう回想した。
ピカソ24歳の「パイプを持つ少年」1905は、史上最高額の1億400万ドル(当時の為替で約118億円)で売却された。ばら色の時代(1904~1907年)の作品。
ピカソは、91年の生涯で油絵13500点を描いた。
ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼった。
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最初の恋人、フェルナンドゥ・オリヴィエ Fernande Olivier
第二の恋人、エヴァ・グエルEva Gouel
第三恋人、オルガ・コクルロバOlga Kokhlova
第四恋人、マリーテレーズ・ヴァルターMarie Therese Walter
第5恋人、ドラ・マールDora Maar
第六恋人、フランソワーズジロットFrançoiseGilot
第七、1953年、72歳で出会ったジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque
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作品
パブロ・ピカソ「初聖体拝領」1896
パブロ・ピカソ「自画像」「グルメ」1901  Picasso, Le Gourmet 1901
パブロ・ピカソ「パイプを持つ少年」1905  Picasso's 'Boy with a Pipe'  Garçon à la pipe
『アヴィニヨンの娘たち』1907年
パブロ・ピカソ「鏡の前の少女」1932、「泣く女」1937
「闘牛・闘牛士の死」1933
「ゲルニカ」Guernica,1937
「ジャクリーヌ」1961
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参考文献
マリ・ロール・ベルナダック『ピカソ―天才とその世紀』知の再発見双書
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/.../08/post-62f4.html
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 ジョルジュ・スーラ
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/.../08/post-00ec.html
パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響
https://matome.naver.jp/odai/2146640490474122401
ピカソが最も恐れた画家「ジョルジョ・デ・キリコ」の不思議な絵
https://matome.naver.jp/odai/2138324132769724701
★Picasso. Boy with a Pipe.1905
★Picasso. Guernica,1937.Museo Reina Sophia

2017年8月26日 (土)

藝術家と運命との戦い、藝術家と運命の女

Georges_seurat__un_dimanche_aprsmid大久保正雄『地中海紀行、旅する哲学者 美への旅』第124回
藝術家と運命との戦い、藝術家と運命の女
師のいない未知の世界に冒険した藝術家。世界を旅し、旅路で果てた画家。過酷な運命との戦い、貧乏な藝術家たち。世に受け入れられなかった藝術家たち。苦悩のた画家たちは、何と戦い、何に復讐しようとしたのか。
ジョルジュ・スーラは、不朽の絵画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を構築した。
運命の女。藝術家たちを救う女神は、どこにいるのか。美しい女神が、舞い降りる。
デ・キリコ、ダリ、ポール・デルボー、ルネ・マグリット、ピカソ。
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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
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藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
よい師に出会うことは人生において重要である。だが、求めて優れた師に出会うことはまれである。どんなに絶望的な状況でも、知性をもって、戦い続けることだ。『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat, 1859-1891)
ジョルジュ・スーラは、点描画を極め、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を2年かけて描く。「パリ近郊のセーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々」を描いた。60人以上の人が描かれている。1886年5月、第8回印象派展(最後の印象派展)に出品された。「新印象派」neo-impressionismeという名称は、この作品を見た批評家フェリックス・フェネオンが記事の中で最初に使った。筆触分割と補色対比、点描画法の第一人者。モネに嫉妬された。31歳で死す。秘密主義を貫き、私生活の多くは謎である。病死であるが、死因も不明である。作品は、8点残した。
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派impressionismeの祖と曲解され、妻カミーユの死後、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪縛で悩まされたが、富裕な後半生を生きた。
グランド・ジャット島の日曜日の午後 (1884-86)(シカゴ美術館)
アニエールの水浴 (1883-84)(ロンドン、ナショナルギャラリー)
サーカス (1890-91)(オルセー美術館)
ポーズする女(正面)(1886-87)(オルセー美術館)
ポール・アン・ベッサンの外港 (1888)(オルセー美術館)
アンサンブル(サーカスの客寄せ)(1887)(メナード美術館)
Sunday Afternoon on the Island of la Grande Jatte,1884- 1886
Port En Bessin Entrance To The Outer Harbor,1888
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
クロード・モネClaude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
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参考文献
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859-1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
ゴッホ『星月夜』・・・生命の糸杉と天への回帰
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-16aa.html
没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった、国立新美術館
2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで、国立新美術館、2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ed6.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
新印象派―光と色のドラマ、東京都美術館
http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_neoimpressionism.html
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html

2017年8月15日 (火)

色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』

Filippo_lippi_madonna_and_child_w_2Filippo_lippivergine_delle_rocce大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第123回
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』
夏の花に舞う蝶を見ると、ある歌を思い出す。
友よいとしの我友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ。
(*「色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊」)
―――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
黄昏の丘、黄昏の森。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
【ひめゆり学徒隊】色香ゆかしき白百合、断崖に散った命
ひめゆり学徒隊は、15歳から19歳の女学生、看護婦として陸軍病院で働き、摩文仁野で集団自決した。
沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生、二百四十名のうち、百三十六名が戦死する悲劇の中で、ひめゆり学徒隊は働き続けた。
闇夜に「ふるさと」の歌
波が打ち寄せる絶壁の上で、輪になって座っていた女性とたちはしくしく泣き出した。深夜だった。「もう一回、太陽の下を大手を振って歩いてから死にたいね」。輪の中の1人がそうつぶやくと、まもなくだれからともなく「ふるさと」の歌が始まった。(女学生の集団自決『琉球新報』)
―――
相思樹の樹々わたりゆく風の音 亡友の声かと耳澄まし聞く
学半ば逝きにし学友を 偲びつつ詠みつぎゆかむ相思樹の詩
生きよとも哀しめよとも、相思樹の黄花こぼるる 現し身吾に
上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
―――
★参考文献
1. 上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
★田中章義「歌鏡」『サンデー毎日』2014.7.6号、P55
2. [81 女学生の集団自決(1)]「太陽見て死にたい」琉球新報2010年3月2日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158594-storytopic-215.html
3 『歌集 相思樹の譜』 歌に託す亡き友への思い 琉球新報2010年4月11日
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-160635.html
4  生き残れ だが捕虜になるな ひめゆり教師の苦悩 特別展 琉球新報2017年4月19日
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-481403.html
5 大久保正雄「色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊」
https://t.co/3d2IBLmUmu
Filippo Lippi, Madonna and Child with Two Angels,1465
Filippo Lippi, Vergine delle Rocce

2017年8月 3日 (木)

ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル

Paul_delvaux_the_sea_is_near1965大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第122回
真夏の午後、美術館に行く。フランドルは、15世紀から幻想絵画の地である。スヘルトーヘンボスのヒエロニムス・ボス(1450—1516)の時代から幻想絵画が描かれる。フランドルの幻想とボスの怪奇生物。デルヴォーの幻想都市の美女に耽溺する真夏の午後。
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
―――
美しき女相続人、マリー
マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgougne, 1457年—1482年)は、シャルル豪胆王が戦死し「遍在する蜘蛛」フランス王ルイ11世から求婚される。これを断るためにハプスブルク家マクシミリアン1世に求婚する。ブリュッセルに生まれた、美的趣味にあふれる美女だった。
フランドルは、マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)の時代から文化が栄え美術が蒐集される。ブルゴーニュ公女マリーとマクシミリアン1世の子が、フィリップ美公である。美公は、スペイン王女フアナと結婚する。ここからハプスブルク家の栄光が始まる。美公の母、マリーとマクシミリアン1世の出会いは、運命的な出会いである。
ベルギー・フランドル地方で中世末期から発達してきた「幻想絵画」「奇想画」美術をたどる展覧会。15世紀、ヒエロニムス・ボスから描かれる怪奇生物、写実的な悪魔や怪物の姿。ブリューゲル1世に受け継がれる。19世紀から始まる象徴派・表現主義。ジャン・デルヴィル。フェルナン・クノップフ。20世紀のシュルレアリスムを経て現代に脈々と受け継がれる。ポール・デルヴォー、ルネ・マグリット。500年以上にわたる不思議な奇想の系譜をたどる。
ポール・デルヴォー 運命の恋人と眠れるヴィーナス
ポール・デルヴォー(Paul Delvaux, 1897~1994)は、困難な運命との苦闘の末、別離した運命の女性と再会する。1929年32歳の時、運命の恋人アンヌ=マリー・ド・マルトラール(タム)と出会う。しかし別離。別れから17年後、恋人と運命的な再会を果たす。1934年「ミノートル展」で、ジョルジョ・デ・キリコの作品に出会いシュールレアリスムの影響を受ける。『眠れるヴィーナス』の幻想を描きつづける。デルヴォーは、96歳まで優美な白昼夢をヨーロッパの夜の風景に紡ぎつづけた。
マグリット(Magritte,1898‐1967)は、ジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」(1914)に感銘を受け、シュルレアリスムへと傾倒する。妻ジョルジェットとともにパリへ引っ越し、アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちのグループに合流したマグリットは、言葉とイメージの関係を主題とする作品を多く生み出した。Surrealism(1926−1930)時代。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品の一部
ヒエロニムス・ボス工房「トゥヌグダルスの幻視」1490-1500年頃 油彩・板 ラサロ・ガルディアーノ財団 Fundación Lázaro Galdiano
ヤン・マンデイン「聖クリストフォロス」 制作年不詳 油彩、板、ド・ヨンケール画廊蔵
ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]、「大食」ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]1558年 エングレーヴィング・紙 神奈川県立近代美術館
ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]/ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]「魔術師ヘルモゲネスの転落」1565年 エングレーヴィング、紙、プランタン=モレトゥス博物館蔵
ジャン・デルヴィル「レテ河の水を飲むダンテ」1919年 油彩・キャンヴァス 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「海は近い」1965 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「水のニンフ(セイレーン)」1937 姫路市立美術館
Paul Delvaux, The sea is near.1965.De zee is nabij – 1965
Paul Delvaux,Water Nymphs, Sirens. 1937
ルネ・マグリット「大家族」、1963年、油彩・キャンヴァス 宇都宮美術館
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ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅・・・夢と現実の織りなす世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bc20.html
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展・・・幻想の画家ボスとブリューゲル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-6734.html
ベルギー幻想美術館: クノップフからデルヴォー、マグリットまで、Bunkamura ザ・ミュージアム、2009年9月3日(木)~10月25日(日)
ブリューゲル版画の世界、Bunkamura ザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)~8月29日(日)
マグリット展・・・夕暮れの瞬間、光の帝国
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6e86.html
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★ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで、ザ・ミュージアム
2017年7月15日(土)から9月24日(日)まで
http://krs.bz/bunkamura/c?c=58572&m=167440804&v=6722ccdb

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