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2020年4月 4日 (土)

私たちは運命と戦うために生まれた・・・Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第212回
日本は櫻満開、花吹雪が舞っている、窓から家の中に桜の花びらが漂ってくる。だが、日本は、危機に瀕している。
【都市封鎖して収入保障か、感染爆発で国家滅亡か】【検査して感染爆発防止か、検査しないで医療崩壊か】日本政府、専門家会議は、後者を選択。 愚者と狂人が支配する国。知性と戦略なき国家は、滅亡する。
圧倒する嵐、いかなる危機にも、私は運命と戦う。理念を追求して、運命と戦い、邪知暴虐な敵と戦い、聖なる目的を成し遂げる。人は運命と戦うために生まれた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【瀕死のイタリア、ベルガモからのメッセージ】
Message fron Bergamo Italy
瀕死のイタリア、ベルガモからのメッセージ
Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti
https://youtu.be/E_xtupkPyho
Roby Facchinetti-私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
https://youtu.be/D5DhJS5hGWc
――
訳詞

私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
それがすべて終わったとき
私たちは再び星を見に戻ります
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
私たちを圧倒する嵐
それは私たちを曲げますが、それは私たちを壊しません
私たちは運命と戦うために生まれた
でもいつも勝ちました
これらの日は私たちの日を変える
今回はもう少し学びます
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
大空に抱かれる
私たちは神を信頼するために戻ってきます
しかし、沈黙は新しい空気を吸い込みます
しかし、私のこの町は私を怖がらせます
私たちは運命と戦うために生まれました
でもいつも勝ちました
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる

Questo il testo di “Rinascerò”.
Rinascerò rinascerai
quando tutto sarà finito
torneremo a riveder le stelle
Rinascerò rinascerai
la tempesta che ci travolge
ci piega ma non ci spezzerà
siamo nati per combattere la sorte
ma ogni volta abbiamo sempre vinto noi
questi giorni cambieranno i nostri giorni
ma stavolta impareremo un po’ di più
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
abbracciati da cieli grandi
torneremo a fidarci di Dio
ma al silenzio si respira un’aria nuova
ma mi fa paura questa mia città
siamo nati per combattere la sorte
ma ogni volta abbiamo sempre vinto noi
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Il brano è arrangiato da Danilo Ballo con il mixaggio di Marco Barusso, i cori sono stati cantati da un gruppo di voci bergamasche riunite grazie alla collaborazione di Daniele Vavassori, e dalla voce di Valeria Caponnetto Delleani, mentre le chitarre del finale sono suonate da Diego Arrigoni, chitarrista dei Modà.
Come fa sapere Facchinetti, la canzone uscita solo ieri, è già prima nella classifica iTunes.
歌はマルコ・バルッソのミキシングとダニロ・バロがアレンジし、合唱団はダニエレ・ヴァヴァッソリのコラボレーションのおかげで集まったベルガモの声のグループとヴァレリア・カポネント・デッレアーニの声で歌われ、フィナーレのギターはディエゴが演奏しましたModàのギタリスト、Arrigoni。
――
参考文献
私たちは運命と戦うために生まれた・・・Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti
https://bit.ly/2R7KGCH
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG 

2020年4月 3日 (金)

「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第211回
桜の森を歩いて、博物館に行く。圧倒する嵐、いかなる危機にあっても、私は運命と戦う。理念を追求して、運命と戦い、邪知暴虐な敵と戦い、聖なる目的を成し遂げる。人は運命と戦うために生まれた。「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」。
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【法隆寺の謎、血に塗れた歴史】再建法隆寺はいつ建てられたのか。再建法隆寺はだれによって建てられたのか。天智天皇9年(670)4月「災法隆寺一屋無余」法隆寺が全焼した『日本書紀』。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。壬申の乱(671年)天武は、法隆寺再建とどうかかわるのか。夢殿の扉は、なぜ1000年以上、閉ざされたのか。なぜ、厩戸皇子は48歳で暗殺されだのか。なぜ、山背大兄皇子一族は自害させられたのか。なぜ、厩戸皇子は天武によって「聖徳太子」神聖化されたのか。金堂壁画は、いつ描かれたのか、何を描くのか。
この世の生存競争、利害名利を求める者、邪知暴虐の人が栄える時、天罰下る。邪知暴虐の人が栄え、知ある者が滅びるとき、天誅下るべし。
【上智と下愚は移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者はどんなによい境遇にあっても向上しない。美しいものを美しいと感じる心が美しい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【権力闘争史】石上神社物部氏と蘇我氏の争い、出雲と大和の権力抗争が根源。物部と蘇我の崇仏論争、物部御輿と蘇我稲目との争い、蘇我馬子、物部守屋を討つ。蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。厩戸皇子暗殺の謎、蘇我蝦夷と厩戸皇子の争い。皇極天皇2年(643年)蘇我入鹿、山背大兄皇子一族を自害に追いつめる。乙巳の変、蘇我入鹿と中大兄皇子の争い。壬申の乱、中大兄皇子の子大友皇子と大海人皇子の争い。天智系と天武系の殺し合いが始まる。
――
【斑鳩寺607年、若草伽藍、法隆寺693年739年、西院伽藍693年、東院伽藍738年】
1、斑鳩寺の歴史 607年
法隆寺の起源【斑鳩寺】金堂薬師如来像光背銘によれば、斑鳩寺は用明天皇が自らの病気平癒のため建立を発願したが、志を遂げずに崩御したため、遺志を継いだ推古天皇と厩戸皇子が推古天皇15年(607年)に寺と薬師像を造った。
【607年、斑鳩寺、厩戸皇子】創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古天皇15年(607年)とされる。若草伽藍跡が焼失した創建法隆寺の跡、この伽藍が推古朝の建立であった。発掘調査の結果や出土瓦の年代等から定説。
【法隆寺再建・非再建論争】『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したとの記事がある。この記事をめぐり、現存する法隆寺(西院伽藍)は厩戸皇子の時代のものか、天智天皇9年(670年)以降の再建かについて長い論争があったが【法隆寺再建・非再建論争】若草伽藍の発掘調査により、厩戸皇子時代の伽藍は一度焼失し、現存の西院伽藍は7世紀末頃の再建であることが定説である。「夢殿」を中心とする東院伽藍は太子の営んだ斑鳩宮の旧地に建てられている。

2、厩戸皇子の死と山背大兄皇子一族滅亡
【厩戸皇子、斑鳩寺】厩戸皇子(574年2月7日〈敏達天皇3年1月1日〉-622年4月8日〈推古天皇30年2月22日〉)、厩戸皇子、48歳で死す。 なぜ、厩戸皇子は死んだのか。疫病による病死、膳大郎女との自殺、暗殺。議論を呼ぶ暗殺説には、蘇我氏、唐からの暗殺者、中大兄皇子と中臣鎌足、等がある。
【643年、山背大兄皇子一族滅亡、斑鳩宮炎上】皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿が山背大兄王を襲った。この時、斑鳩宮は焼失した。斑鳩寺はこの時は無事だったと考えられる。八角堂、夢殿を中心とする東院伽藍は、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子を偲んで建立した。

3、法隆寺の歴史 693年、739年
【法隆寺の謎、再建法隆寺はいつ建てられたのか】
金堂の天井板の材の伐採年667年、668年。五重塔の材673年、中門の材699年。壬申の乱(671年)の前後。武澤『法隆寺の謎を解く』P19。五重塔の心柱の材は594年。塔の二層軒下の材は673年。『法隆寺の謎を解く』P33。
【法隆寺の謎、再建法隆寺はだれによって建てられたのか】
壬申の乱(671年)の後。天武天皇と天武妃、持統天皇が、厩戸皇子を神聖化、聖徳太子として命名、再生、利用した。持統天皇7年(693年)法隆寺で仁王会(『法隆寺資財帳』)。
【670年、法隆寺、全焼】『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したという記事があり、現存する法隆寺の伽藍は火災で一度失われた後に再建された。焼失した寺院は、斑鳩寺、推古天皇15年(607年)創建。若草伽藍跡が焼失した創建法隆寺の跡、この伽藍が推古朝の建立。発掘調査の結果や出土瓦の年代等から定説。
【671年、壬申の乱】671年12月、天智が亡くなると大海人皇子は挙兵を決意する。大友皇子の即位を阻止する。壬申の乱で大海人皇子、大友皇子を死に追いつめ自害させた。
【693年、西院伽藍】金堂、五重塔を中心とする。金堂「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。
【693年、西院伽藍】現存の西院伽藍は、持統天皇7年(693年)に法隆寺で仁王会が行われている(『法隆寺資財帳』)。少なくとも伽藍の中心である金堂はこの頃までに完成。同『資財帳』によれば、和銅4年(711年)には五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成、この頃までに五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していた。
【739年、東院伽藍】天平11年(739年)に行基菩薩、僧行信によって夢殿を中心として建てられた聖徳太子を祀る寺院。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。
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救世観音像の謎
救世観世音菩薩像、東院伽藍、夢殿に秘蔵された。救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名。名称の由来は「法華経」観世音菩薩普門品の中の「観音妙智力 能救世間苦」の表現にあると推測される。聖徳太子の等身の御影と伝わる。止利様式。鞍作止利は、渡来系の司馬達等の孫で、鞍部多須奈の子。 7世紀の仏師、謎の人。
【夢殿解扉】1886
1886(明治19)年、法隆寺に、外国人フェノロサを代表とする調査使節(岡倉覚三、九鬼隆一)が現れ、明治政府の身分証明書を提示し、夢殿の厨子を開扉するよう要求した。救世観音像を発見。法隆寺650体の仏像の中で、最も謎に満ちた仏、東院伽藍の夢殿に祀られている救世観音像。【岡倉天心1863-1913】美術評論家、思想家。
百済観音の謎
謎の様式、謎の伝来。法隆寺西院、金堂本尊の釈迦三尊像、東院夢殿の救世観音像のような止利式の仏像とは様式を異にする。止利式の仏像は正面観照性が強く、側面感がほとんど考慮されていない。法隆寺の根本史料である天平19年(747年)の『法隆寺資財帳』には百済観音に相当する仏像についての記載はない。本像がいつ、どこで、誰によって造られ、どこの寺に安置されていたものか、正確なことは全く不明。法隆寺幡の模様と同一の腕飾り、山背大兄皇子を追悼するために作られたものか。
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法隆寺の仏像
【法隆寺、救世観音】東院伽藍、夢殿。739年。
【法隆寺、薬師如来】西院伽藍。金堂「東の間」本尊。光背に丁卯年(607年)、用明天皇のために作った旨の造像銘があり、
【法隆寺、釈迦三尊像】西院693年、金堂「中の間」本尊。推古31年(623年)止利仏師作の銘を有する銅造釈迦三尊像。
【法隆寺、夢違観音】大法蔵院所蔵。「夢違」は江戸時代に書かれた『古今一陽集』に「悪い夢を見たとき、この観音像に祈るとよい夢に変えてくれる」とあることに由来する。白鳳時代の金銅像。薄い裳や三面宝冠はこの像が白鳳時代の作の根拠である。金堂薬師如来は推古15年(607)造顕の銘を持ち、古拙な表現であるが、金堂完成後の擬古作説もあり、その銘の信憑性が疑われている。白鳳時代を代表する仏像は、夢違観音の名で親しまれる聖観音像、橘夫人念持仏と伝える阿弥陀三尊像がある。
【法隆寺、西院。金堂】西院伽藍の中心的な建物である金堂の内陣には「中の間本尊」の釈迦三尊像、「東の間本尊」の薬師如来像、「西の間本尊」の阿弥陀三尊像の3組の本尊が安置されている(以上の仏像はいずれも銅造)。なお、「中の間」「東の間」「西の間」は相互に壁などで明確に仕切られているわけではなく、柱の位置と、天井に吊るされた3つの箱形天蓋とによってゆるやかに区切られているにすぎない。3組の本尊のうち「中の間」の釈迦三尊像の光背裏面には推古31年(623年)造立、「東の間」の薬師如来像の光背裏面には推古15年(607年)造立の銘文がある。
――
参考文献
図録「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館2020
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG
「正倉院の世界」東京国立博物館・・・螺鈿紫檀五絃琵琶、天平文化の香り
https://bit.ly/33VYRiy
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz
国宝 興福寺仏頭展・・・白鳳文化の香り
https://bit.ly/2T7N50o
坂本勝『図説 古事記と日本書紀』2009
坂本勝『図説 万葉集』2009
聖徳太子のいまだ解けざる三つの謎、『暗黒の日本史 闇に消えた歴史の真相』青春出版社、2015
――
特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館
2020年、公開日未定 ~ 2020年5月10日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984

2020年3月22日 (日)

「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第210回 
桜開花の午後、北風が吹く中、森を歩いて博物館に行く。東京国立博物館は、コロナウィルス感染防止のため2月27日から休館中である。
天平時代、首都、平城京でも大量に感染した。735年から737年6月には疫病、天然痘の蔓延によって朝廷が停止される事態となり、政権を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死。原因は遣唐使、遣新羅使である。千年に一度の感染症拡大、資本主義史上最大の感染爆発、ヨーロッパ都市封鎖、イタリア医療崩壊の危機。救世観音に生命と運命の守護を祈る。
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法隆寺は謎に満ちている。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。救済観音は厩戸皇子の姿形なのか。救世観音、等、法隆寺の仏像は、止利様式であるが、百済観音はなぜ止利様式でないのか。百済観音は、いつどこで、誰によって造られ、どこの寺に安置されたのか。
創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古天皇15年(607年)。厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古天皇9年(601)、飛鳥から斑鳩の地に移ることを決意し、斑鳩宮建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだ。斑鳩宮に接して建立された斑鳩寺『日本書紀』。
【法隆寺の謎、血に塗れた歴史】再建法隆寺はいつ建てられたのか。再建法隆寺はだれによって建てられたのか。天智天皇9年(670)4月「災法隆寺一屋無余」法隆寺が全焼した『日本書紀』。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。壬申の乱(671年)天武は、法隆寺再建とどうかかわるのか。夢殿の扉は、なぜ1000年以上、閉ざされたのか。なぜ、厩戸皇子は48歳で暗殺されだのか。なぜ、山背大兄皇子一族は自害させられたのか。なぜ、厩戸皇子は天武によって「聖徳太子」神聖化されたのか。金堂壁画は、いつ描かれたのか、何を描くのか。
この世の生存競争、利害名利を求める者、邪知暴虐の人が栄える時、天罰下る。邪知暴虐の人が栄え、知ある者が滅びるとき、天誅下るべし。
【上智と下愚は移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者はどんなによい境遇にあっても向上しない。美しいものを美しいと感じる心が美しい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【権力闘争史】石上神社物部氏と蘇我氏の争い、出雲と大和の権力抗争が根源。物部と蘇我の崇仏論争、物部御輿と蘇我稲目との争い、蘇我馬子、物部守屋を討つ。蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。厩戸皇子暗殺の謎、蘇我蝦夷と厩戸皇子の争い。皇極天皇2年(643年)蘇我入鹿、山背大兄皇子一族を自害に追いつめる。乙巳の変、蘇我入鹿と中大兄皇子の争い。壬申の乱、中大兄皇子の子大友皇子と大海人皇子の争い。天智系と天武系の殺し合いが始まる。
天智系桓武天皇、平城天皇が継ぎ、嵯峨天皇に譲位。保元の乱、清和源氏と桓武平氏との殺し合い。平氏と源氏の戦い。平治の乱、平清盛軍、源義朝軍に勝利。1185年、壇ノ浦の戦い、平氏滅亡。源氏、征夷大将軍となる。三代、源実朝で滅亡。源氏と北条の戦い。
【1221年、承久の乱】後鳥羽上皇と北条義時の戦い、義時、後鳥羽を討つ。室町幕府と織田信長の戦い。信長は義昭を追放。階級社会に挑む天下布武の信長。織田信長を討つ明智光秀。明智を討つ豊臣。豊臣を討つ徳川。徳川は源氏を名乗り、征夷大将軍となる。
【後白河天皇、日本第一の大天狗】天狗は人を魔道に落とす魔物。後白河法皇と関わった人々は追い落とされる。保元の乱において、兄・崇徳院と対立し配流、平氏と源氏を身内同士で争わせる。平治の乱で、平氏と源氏を争わせ源氏は棟梁を失う。平氏政権は法皇と対立、壇ノ浦で滅亡。
【夢殿解扉1886】夢殿、救世観音、厨子を開扉。フェノロサ『東亜美術史綱』「二百年間用ひざりし鍵が錆びたる鎖鑰内に鳴りたるときの余の快感は今に於いて忘れ難し。厨子の内には木綿を以て鄭重に巻きたる高き物顕はれ、其の上に幾世の塵埃堆積したり。木綿を取り除くこと容易に非ず。飛散する塵埃に窒息する危険を冒しつつ、凡そ500ヤードの木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
――
展示作品の一部
【法隆寺金堂壁画】釈迦浄土図や阿弥陀浄土図など仏の群像を描いた大壁(高さ約3.1メートル、幅約2.6メートル)4面と、諸菩薩を単独で描いた小壁(高さ同、幅約1.5メートル)8面の計12面から成る巨大な壁画群です。そのしなやかで力強い描線と緻密な色彩によって、インドのアジャンター石窟群や中国の敦煌莫高窟と並ぶ世界的な傑作。昭和24年(1949)に火災に焼損。
法隆寺金堂壁画(模本)第6号壁 阿弥陀浄土図、桜井香雲模 明治17年(1884)頃  東京国立博物館蔵
法隆寺金堂壁画(模本) 第1号壁 釈迦浄土図
桜井香雲模 明治17年(1884)頃 東京国立博物館蔵 【前期展示】金堂内東南大壁の第1号壁は、釈迦三尊と十大弟子が土坡の上に並ぶ、釈迦浄土図
法隆寺金堂壁画(模本) 第10号壁 薬師浄土図
鈴木空如模 大正11年(1922)  秋田・大仙市蔵 【前期展示】
法隆寺金堂壁画(再現壁画) 第12号壁 十一面観音菩薩像
前田青邨ほか筆 昭和43年(1968)  法隆寺蔵 【後期展示】写真:便利堂
国宝 観音菩薩立像(百済観音)飛鳥時代・7世紀
国宝 毘沙門天立像、平安時代・承暦2年(1078)法隆寺蔵 【通期展示】
国宝 吉祥天立像、平安時代・承暦2年(1078)、法隆寺蔵
【法隆寺、釈迦三尊像】スーパークローン文化財、東京藝術大学COI拠点、2017
【百済観音】
蓮華座の上にすらりと立ち、左手は下げて水瓶を軽くつまみ、右手を前方に差し伸べた観音菩薩。両腕と天衣を除く本体は頭頂から台座蓮肉までクスノキの一木造りで、顔や胸、両肩や腰の膨らみには乾漆が盛り上げられています。頭部が小さく長身の姿は飛鳥彫刻のなかでは特異で、風をはらんだように前方に巻き上がる天衣の流麗な曲線も魅力的。宝冠や胸飾り、腕の飾りには、唐草文様を彫り透かした金銅製の金具が用いられており、特に宝冠正面には阿弥陀如来の姿が表わされています。宝珠形をした光背は竹を模した柱に支えられ、その根本には山岳文様が表わされています。広大無辺な大きさであるという観音菩薩の姿を、山岳との対比によって表現したものでしょう。本像は法隆寺金堂に安置されていたことが『元禄諸堂仏体数量記』(1698年)によって知られ、同記録にある「百済国より渡来」との伝承から、大正時代以降は「百済観音」の名で親しまれています。
【百済観音】「百済観音」と呼ばれるようになったのは明治時代以降。史料の中に出てきたのは『和州法隆寺堂社霊験幷仏菩薩像数量等』江戸時代元禄11年(1698)に奉行所に提出された書類が初出。それまで1000年近く、百済観音に関する明確な記録は発見されていない。
第6号壁の阿弥陀浄土図
【和辻哲郎と法隆寺金堂壁画】哲学者の和辻哲郎(1889-1960)は奈良付近の古寺を巡り歩いた旅の印象記『古寺巡礼』の中で、法隆寺金堂壁画のとくに第6号壁の阿弥陀浄土図について「この画こそは東洋絵画の絶頂である」と絶賛。
東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984
――
参考文献
図録「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館2020
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「正倉院の世界」東京国立博物館・・・螺鈿紫檀五絃琵琶、天平文化の香り
https://bit.ly/33VYRiy
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz
国宝 興福寺仏頭展・・・白鳳文化の香り
https://bit.ly/2T7N50o
薬師寺の歴史680年
薬師寺は、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して天武天皇9年(680)藤原京の地で建立を発願したのが草創である。造営の経過については『日本書紀』に記録がみえず不明だが、持統天皇2年(688)に法会、同11年(697)には仏像の開眼供養の記載があり、7世紀末には完成したことが知られる。ところがそれからまもない和銅3年(710)に都が平城京に遷されると、薬師寺も移転した。
興福寺の歴史734年
光明皇后は、母の橘三千代が天平5年(733)に亡くなると、一周忌の供養のため興福寺に西金堂を建立し、釈迦如来、釈迦の十大弟子、四天王、八部衆像などの28体の像、また菩提樹や金鼓(こんく)などの荘厳具を安置した。釈迦の浄土を立体的に表した。
――
特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館
2020年3月17日(火) ~ 2020年5月10日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984

2020年3月10日 (火)

織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第209回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【織田信長、謀反に始まり、謀反に死す】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主北櫓次の間で返り討ち、誘殺。24歳。本能寺の変、光秀1万3千人に信長70人。自刃。49歳。

【織田信長、稲生の戦い、信長の評価が一変した兄弟対決】弘治2年8月(1556年)24日、信長も700人たらずの手勢で清洲を出陣し、正午頃には稲生原で信勝方と衝突する。信長軍はまず柴田軍を攻めたが、佐々孫介ら屈強な家臣が討たれ劣勢。奮戦して信長が大声で敵に怒鳴る
【織田信長、稲生の戦い】弘治2年8月24日。5月26日、信長が弟の安房守秀俊(信時)と二人だけで信勝のいる那古野城に赴いた。絶好の機会とばかりに林通具が信長の暗殺を企てるが、兄の林秀貞が「主君をここで殺害するのは恥知らずで天罰が恐ろしい」として諌める。
【復讐する精神 織田信長、親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。争った弟側が滅亡。弘治3(1557)年、織田信長は、弟信行を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放、弟信繁と共存。伊達政宗は実弟小次郎を手打ち。天正十八年4月7日
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【天下布武】「武とは戈を止め(止戈)て用いない」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』
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【織田信長 本能寺の変】天正十(1582)年6月2日、払暁。明智光秀軍1万3000人、本能寺を襲撃。信長勢70人。信長、弓矢をとって自ら戦うが「是非もない」、自刃。女たちを逃がす。光秀謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。反信長包囲網。アンシャンレジームの反撃。

【織田信長と絶世の美女、生駒吉乃、最愛の妻】信長、最愛の妻、生駒吉乃、38歳で死す。生駒屋敷、家宗の娘。信長の嫡男、信忠。信雄、徳姫を生む。織田信忠は、本能寺の変で、二条城にて自刃。徳姫は、徳川家康の嫡男、夫、松平信康の謀反を、信長に知らせる。

【織田信長、本能寺の変の黒幕】1、羽柴秀吉説 中国大返しが実現できた理由2、徳川家康説 変の後に甲信地方を獲得3、長宗我部元親(四国)説 手紙の発見4、足利義昭説 陰謀将軍が備後の鞆の浦から5、本願寺教如説 仏敵 第六天魔王信長6、安国寺恵瓊説7、朝廷・公家
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【本能寺の変、本因坊算砂】天正 10 (1582) 年6月本能寺の変前夜に鹿塩利賢 (のちの好敵手利玄坊とは別人) の紹介で織田信長に召し出され、鹿塩との対局で三劫(コウ)を生じたと伝えられる。
【織田信長「そちはまことの名人なり」】1578年(天正6年)上洛した織田信長が寂光寺に立ち寄って僧、日海(後の本因坊算砂)を引見した。このとき信長に囲碁の腕前を披露した所、織田信長は「そちはまことの名人なり」と褒め讃え、これが「名人」の用語の起源とされる。
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【信長の孤立、安土城】
天正七年、安土城、天主完成時より信長の孤立は極まる。天主5層八角形の仏教建築、天主5層は金閣の楼閣建築、信長は家臣団から屹立。謀反から始まり謀反に終わる。正義は信長にあり。「復讐は正義の実現である」。天正10年、本能寺の変の13日後、天主炎上。
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主閣、地上5階地下2階。
7階、信長の部屋、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。天正十年6月2日、本能寺の変の後、8日後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
【安土城】天正4(1576)年に築城を開始。普請総奉行丹羽長秀、奉行森可成、天正5(1577)年5月11日、天主完成、5月27日、安土城にて安土宗論。結構は山城から平城に移行する過渡的形式、天正7年(1579年)に石造 5層 7重の天守閣を中核とする城完成。安土城、総見寺、天正9 (1581) 年頃、安土城郭内に信長が自らの菩提寺として創建。

【織田信長と天下三肩衝】信長が入手当時、「初花肩衝」は「新田肩衝」に次ぐ「天下二」の肩衝と評価されていた。信長は当時「楢柴」を所持していた島井宗室に対して献上するよう申し入れていた。本能寺で、三肩衝を披露する。本能寺の変の前日。
――
【織田信長の言葉】攻撃を一点に集約せよ。臆病者の目には、常に敵が大軍に見える。必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。器用というのは、他人の思惑の逆をする者だ。人城を頼らば城人を捨てん。仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事をやるのは、雑兵だ。

【織田信長の価値観】1、天下第一の名人。美しい人。卓越性のある人。2、役に立つ人。3、地位、肩書き、外面だけで役立たずな人。詐欺師。地位と権力の奴隷。4、地位、肩書、権力を悪事に使う人。
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★参考文献
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2oacbQH
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2CQlxoY
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2FkeiJX
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2x8ZNBm
織田信長 安土城、琵琶湖のほとりに聳える、築城した3つの城
https://bit.ly/2tNV0Yd
孤高の思想家と藝術家の苦悩『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
【運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー】トロイの王子パリスは、3人の女神からアプロディーテを選択し、スパルタの王妃ヘレンをつれ去り、アカイア軍の総攻撃を受け、トロイは滅亡する。傾国の美女、ヘレネー。
アトレウス王家、血族の抗争、エウリピデス『オレステス』・・・トロイア戦争の起源
https://bit.ly/2ssTE40

和田裕弘『信長公記 戦国覇者の一級資料』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団、派閥と人間関係』中公新書
藤田達生『謎解き本能寺の変』講談社現代新書
今谷明『信長と天皇』講談社現代新書
本郷和人『壬申の乱と関ヶ原の戦い』祥伝社新書
谷口克広『天下人の父、織田信秀』祥伝社新書
小島毅『織田信長 最後の茶会~「本能寺の変」前日に何が起きたか~』光文社新書2013
『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』中公新書

2020年2月 5日 (水)

上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智の美

Uemurashoen2020
2009
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第208回
新春の夕暮れ、山種美術館に行く。美しいものが美しいのは何故か。美人画の根拠について考える。上村松園「序の舞」(1936)は、近代美人画の頂点といわれる『東西美人画の名作≪序の舞』への系譜』2018藝大美術館。上村松園の美人画は、喜多川歌麿の系譜であると言われる。喜多川歌麿を超える美人画はないのか。上村松園には、円山応挙の影響を受けた作品がある。円山応挙『江口君図』1794、円山応挙『楚蓮香図』1794、上村松園『楚蓮香之図』1924。
1、美とは何か。
生成界の美、叡智界の美。無色界、色界、欲界、天人の美。
「美とは何か」という問いは、プラトン『ヒッピアスMajor』を想起する。ソクラテスはソフィストを問い詰め、ヒッピアスは「何が美しいか」を語る、例えば<美しい乙女><黄金><美しい神々>。ソクラテスは「何が美しいか」ではなく「美とは何か」を問うているのだという。<視覚と聴覚を通じての快楽>を吟味し論駁する。結局アポリアに陥り、無知を宣告して、対話は終了する。ソクラテス<視覚と聴覚を通じての快楽>が美しいのは、このゆえに、つまりそれが視覚を通じるがゆえにではないだろうからね。なぜといって、もしこのことがそれが美しくあることの原因だとしたら、もう一方の、聴覚を通じての快楽のほうは、けっして美しくはないだろうからだ。」(299E) 『ヒッピアスMajor』
魂の美を描く美人画が存在する。村上華岳『裸婦図』(1920)。菱田春草『水鏡』(1897)『王昭君』(1902)。横山大観『流燈』(1909)。
2、村上華岳『裸婦図』(1920)
村上華岳『裸婦図』、華岳は久遠の美を目ざした。アジャンタ石窟、『モナリザ』の影響があると、美術史家は説明する。村上華岳(明治21年1888—昭和14年1939)。山水と仏画を主題とした作品を多く描き、東西の様式を吸収し、宗教的境地から生れる芸術性の高い、神秘的な日本画を探求した。51歳で死す。村上華岳の師の一人は、竹内栖鳳(1864-1942)である。

3、菱田春草、東京美術学校事件、急進派として懲戒免職。美人画『王昭君』、幻の『雨中美人』
明治31年1898、東京美術学校事件で、急進派として懲戒免職。菱田春草『王昭君』は、悲劇の美女の姿、美しい魂を描く。菱田春草『水鏡』(1897)天人の衰えを水鏡に表現する。菱田春草『黒き猫』(1910)は、『雨中美人』(1910)、六曲一双を描いていたが完成せず、代わりに黒き猫を出品した。翌年、37歳で死す。菱田春草(1874-1911)
4、村上華岳の師、竹内栖鳳(1864-1942)
竹内栖鳳『飛天舞楽図』草稿1911(東本願寺蔵)。栖鳳は、天女を描くことに腐心した。「竹内栖鳳『散華』1914年(大正3)絹本着色 6曲1隻(京都市美術館蔵)。東本願寺から大師堂門の天井絵の依頼を受けた栖鳳は、その題材に飛翔する天女を選びます。この構想は実現しなかったのですが、《散華》は、その折に試作として制作されたものです。(山崎妙子)山種美術館」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
図録『日本美術院創立100周年記念 日本美術の軌跡』東京国立博物館1998
村上華岳「裸婦図」・・・魂の見えざる美
https://bit.ly/2UjDGoL
上村松園展・・・美人画の系譜
https://bit.ly/2OoIu8B
村上華岳「裸婦図」・・・崇高なヌード
https://bit.ly/2OlGQo8
上村松園、美人画の粋・・・夏の緑陰の午後
https://bit.ly/2UjE8Dt
竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』
https://bit.ly/394zM7A
東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
https://bit.ly/394A5zg
黒き猫は、37歳で病で亡くなった菱田春草の孤高な姿を思い浮かべる。
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
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上村松園と美人画の世界、山種美術館、1月3日(金)~3月1日(日)

2020年2月 1日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念「夢の実現」展・・・レオナルドの夢、ルネサンスの夢

Leonardo500-2020
Philippino-rippi-magi
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第207回
レオナルドの夢、ルネサンスの夢。レオナルドは、生涯で完成させた作品、現存する作品は16点の絵画である。多くは未完成の状態か損傷があり、完全な姿で残る作品は4点。『モナリザ』『ヨハネ』『岩窟の聖母』『白貂を抱く貴婦人』。レオナルド『マギの礼拝』(ウフィッツィ)の完成予想はどうなるか、夢がどう実現されるのか。レオナルド最後の夢は何か。美術史家、池上英洋先生の夢。壮観な展示、壮大なプロジェクト。1月17日シンポジウムも、論者たちが自由闊達、談論風発、知識の楽しみ。
失われた幻の名画『レダと白鳥』がある。これはレオナルド唯一のルネサンス絵画である。フォンテーヌブロー宮殿で消えた、この原作はどこにあるのか。美術史家に、これからも探求を希望したい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、「1974年のレオナルド」藤井匡 「モナリザ展」東京国立博物館
2、「レオナルドの神秘思想」池上英洋
【レオナルド『ヨハネ』1513-16】遺作、最後の作品、レオ10世=ジョバンニ・デ・メディチの注文か。『饗宴』アンドロギュノス、両性具有、男女一体。グノーシス主義、善悪二元論、魂と肉体、追求すべきは肉体からの解放としての死。『ユダの福音書』『神名論』、Unum。フランソワ1世、フォンテーヌブロー宮殿の装飾回廊。フィチーノ『ヘルメス文書』ピコ『人間の尊厳について』。【アナロギアと終末観】レスター手稿(池上訳)水のスケッチ、草のスケッチ。葉脈→血管→河川。幹→柱→背骨。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチが死去、フランスへ旅立つ。レオナルド「水は神的存在」、システィーナ礼拝堂、最後の審判、レオナルド「世界の終末」が描かれた可能性、1516-19。
3、「《モナリザ》と解剖学」布施英利
【レオナルドの解剖学は受け継がれた】【回内と回外】「最後の晩餐」は見事に回内と回外で、左右、分かれる。【レオナルドの微笑み】モナリザは微笑んでいない。微笑みには二つの微笑み。「モナリザ」は部分がバラバラ、左右、各部。部分の再構成が微笑みを構成する。
4、「レオナルドとスコラ哲学」原基晶【レオナルド『絵画論』メルツィが編纂】レオナルド「プネウマ」アリストテレス説。
5、「レオナルドとカラヴァッジョ」宮下規久朗
【レオナルド『最後の晩餐』は、ミラノ派に影響】カラヴァッジョはミラノ出身。ジャン・ピエトリーニ『最後の晩餐』。ミラノ派静物画。カラヴァッジョ『果物籠』『果物をもつ少年』。フランチェスコ・メルツィ『フローラ』。マルコ・ペロッツィ『サリヴドール・ムンディ』
1500年、レオナルド、ヴェネツィアに行く。ヴェネツィア派に影響、スフマート。レオナルドの「振り向くポーズ」。ジョバンニ・ベッリーニ工房、ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」、ジョルジョーネ1510死す。
6、「レオナルドと賢者の石」茂木健一郎
【レオナルド「モナリザ」、生きた証し】レオナルド、画家である、万能の天才ではない。茂木健一郎Magnum Opus。現代の日本は、低劣。超写実絵画は、薄っぺらい。
『動植綵絵』は、伊藤若冲の畢生の大作magnum opusである。もし『動植綵絵』がなかったら、伊藤若冲は超絶技術の奇想の画家ではあったろうが、今の若冲ではなかったろう。生きものへの祈り。
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池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』筑摩書房、2019
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる 藝術新潮」2011.11 10-91頁
宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』岩波書店、2016
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃 ジョルダーノ・ブルーノの生涯と思想』
清水純一『ジョルダーノ・ブルーノ研究』
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
――
★参考文献
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
https://bit.ly/3aX26KN
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
https://t.co/yxlgRpwirV
ラファエロ、1505年、レオナルドに会う
https://bit.ly/2vxQDB1
――
池上英洋先生がレオナルド作とした16点。
1)《ジネヴラ・デ・ベンチ》
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
2)《受胎告知》
ウフィツィ美術館蔵
3)《ブノワの聖母》
エルミタージュ美術館蔵
4)《カーネーションの聖母》
アルテ・ピナコテーク蔵
5)《サルヴァトール・ムンディ》
個人蔵(ルーヴル・アブダビ美術館に寄託展示予定)
6)《聖ヒエロニムス》
ヴァチカン絵画館蔵
7)《聖アンナと聖母子》
ルーヴル美術館蔵
8)《白貂を抱く貴婦人》
クラクフ、チャルトルスキ美術館蔵
9)《ラ・ベル・フェロニエール》
ルーヴル美術館蔵
10)《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》
ルーヴル美術館蔵
11)《洗礼者ヨハネ》
ルーヴル美術館蔵
12)《糸巻きの聖母》(ランズダウン版)
個人蔵
13)《岩窟の聖母》第一ヴァージョン
ルーヴル美術館蔵
14)《岩窟の聖母》第二ヴァージョン
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
15)《東方三博士の礼拝》
ウフィツィ美術館蔵
16)《最後の晩餐》
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会修道院蔵
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「夢の実現」展、代官山ヒルサイド・フォーラム、2020年1月5日(日)~1月26日(日)
レオナルドのさまざまな顔 ―その多面性をひもとく、代官山ヒルサイドプラザホール
2020年1月17日(金)開場12:30/開演13:00~16:00 http://leonardo500.jp/event
★Adoration Of The Magi  Filippino Lippi 1496 Uffizi Gallery

2020年1月24日 (金)

ハマスホイとデンマーク絵画展・・・背を向けて佇む女、憂いを帯びる世界、だれもいない部屋

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Hammershoi-191011
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第206回
12年前「ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情」(2008)には数度、国立西洋美術館に行った。その時、フェルメールとの対比でみた。今回、19世紀デンマーク絵画の黄金時代の作品、スケーイン派、と比較してハマスホイ絵画をみると、スティーブン・キングの世界のようである。『呪われた町』。友人の詩人が、ハマスホイを愛好している。
憂いを帯びた世界。背を向けて佇む、若い女。後期バロック様式の100年前の古い部屋、静かに降り積もる時間。晴朗な夏空を描いた風景画も、霧がかかったように、陰影を帯びる。
ハマスホイは、100年前の古い家に住み、100年前の家具を集め、古書を1000冊蒐集し、初版本蒐集家で、古い時に刻まれて、51歳まで絵を描きつづけた。1891年、友人の画家、ピーダ・イルステズの妹イーダと結婚。イーダは以降、ハマスホイの室内画のモデルになり、妻イーダの後姿を描きつづけ、その後、誰もいない部屋を描いた。
――
時の止まった部屋   誰もいないときこそ、それは美しい
ハマスホイの絵には、夏も冬もない。それは憂いを帯びた、遥か昔の遠い、遠い、彼方にある、こことは別の世界のものである。1906年「独立展」レビューより
「私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません」ハマスホイ1907
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
デンマーク絵画の黄金時代
19世紀デンマーク絵画、1800~64年、「デンマーク絵画の黄金時代」の風景画は、画家たちが郊外で自然の観察を通し、デンマークの風景を描写する。
スケーイン派、デンマークの外光派
1870年代の画家たちは、デンマーク北端の漁師町・スケーインを発見し、多くの画家がスケーインを訪れ、「スケーイン派」と呼ばれる画家のグループが誕生した。ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》1893
北欧の内向する世界「ヒュゲ(hygge:くつろいだ、心地よい雰囲気)」家族、友人と閉じ籠る人々。ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》1891年
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静寂の絵画、ヴィルヘルム・ハマスホイ(Vilhelm Hammershøi)1864年5月15日–1916年2月13日
1891年、友人の画家、ピーダ・イルステズの妹イーダと結婚。1898年、ハマスホイはコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に移住。その後、室内を題材に、《室内——開いた扉、ストランゲーゼ30番地》(1905)や《室内——陽光習作、ストランゲーゼ30番地》(1906)を描く。1909年の秋、ハマスホイはブレズゲーゼ25番地に移住し、《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》(1910)や《カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地》(1910-11)などの代表作を発表する。51歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》1898年スウェーデン国立美術館蔵 (C)Nationalmuseum, Stockholm / Photo: Nationalmuseum
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内―開いた扉、ストランゲーゼ30番地》1905年 デーヴィズ・コレクション蔵 (C)The David Collection, Copenhagen
ヴィルヘルム・ハマスホイ《背を向けた若い女性のいる室内》1903-04年 ラナス美術館蔵 (C) Photo: Randers Kunstmuseum
ヴィルヘルム・ハマスホイ《画家と妻の肖像、パリ》1892
ヴィルヘルム・ハマスホイ《農場の家屋、レスネス》1900、《ライラの風景》1905
コスタンティーン・ハンスン《果物籠を持つ少女》1827
ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》1893年 ヒアシュプロング・コレクション蔵 (C) The Hirschsprung Collection
ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》1891年ヒアシュプロング・コレクション蔵 (C) The Hirschsprung Collection
ピーダ・イルステズ《ピアノに向かう少女》 1897年 アロス・オーフース美術館蔵 ARoS Arhus Kunstmuseum / (C) Photo: Ole Hein Pedersen
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★参考文献
ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情・・・陽光、あるいは陽光に舞う塵
https://bit.ly/2MN8f3R
「ハマスホイとデンマーク絵画展」図録、東京都美術館2020
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情」図録、国立西洋美術館2008
佐藤直樹、監修「ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画」平凡社2020
萬屋健司「ヴィルヘルム・ハマスホイ 静寂の詩人」2020
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ハマスホイとデンマーク絵画展、東京都美術館、1月21日(火) ~3月26月(木)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_hammershoi.html
山口県立美術館、4月7日~6月7日

2020年1月21日 (火)

「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ

Izumo2020
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第205回
出雲の大国主から大和王権へ国譲りは何を意味するのか。七支刀は、一言でいうと、何なのか。泰和4年369年、百済王から倭王への贈物。その形は何を意味するのか。銅鐸、銅鏡は王権を意味するのか。7世紀、天武はなぜ天皇を名のったのか。残虐王、武列天皇の死、皇統断絶は何を意味するのか。
――
7世紀、壬申の乱以前には天皇は存在しない。天武(大海人皇子)が初めて、大王から天皇へ称号を変え自称。大海人皇子は、天智天皇が定めた近江大津宮から飛鳥浄御原宮に遷都し天武天皇として即位する。飛鳥池工房遺跡から天皇号を記す木簡が発見され「大王」ではなく初めて「大皇」を名乗る。
【天武、史書編纂を命じる】天武10年(681)、天武の命を受けた川島皇子、皇親6名と中臣大嶋ら官人6名、計12人よって編纂が着手され、養老4年(720)舎人親王が元正天皇に奏上した。元正天皇の父は天武天皇の皇子草壁皇子、母はその妃阿閇皇女。坂本勝『図説 古事記と日本書紀』p16. 210
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【蘇我と物部の権力闘争】敏達14(585)年、蘇我馬子、仏塔建立。物部守屋、仏塔、仏殿を焼く。
【天皇制、階級制、中央集権国家の起源】推古11(608)年、厩戸皇子、冠位十二階。推古30(622)年、厩戸王子、死す。蘇我入鹿、山背大兄王を斑鳩宮に襲撃、自害させる。
【乙巳の変】乙巳の変(645.6)、中大兄皇子、蘇我入鹿を殺害、蝦夷を自殺に追いつめる。氏姓制度を廃止。豪族から天皇家に権力を集中。天智天皇の弟、大海人皇子は大友皇子を殺害。天武天皇として即位。『日本書紀』は、勝者の史書、天武朝の史書、壬申の乱を精確に記せず。
【壬申の乱】671年12月、天智が亡くなると大海人皇子は挙兵を決意する。大友皇子の即位を阻止する。壬申の乱で大友皇子を死に追いつめ自害させた大海人皇子。
【壬申の乱】天武天皇元年6月24日—7月23日(672年7 月24日—8月21日)に起こった古代日本最大の内乱。 乱の経過。660 年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇。671年、大友皇子を太政大臣にする。(『日本書紀』には大海人皇子「皇太弟」。研究者は、大海人皇子の立太子そのものを『日本書紀』の創作とする)
【『日本書紀』壬申紀】「壬申の乱」を知るには、『日本書紀』壬申紀に依存せざるを得ないが、これは「勝者の歴史書」であり必ずしも真実ではない。「壬申の乱は、天武元年六月、大海人皇子が挙兵を決意してから、わずか二ヶ月で、奇跡的に勝利した戦い。
【天智と大海人皇子と額田王の三角関係】額田王は、はじめ大海人皇子の妻として十市皇女を生んだが、後に天智の後宮に入った。紫の匂(にほ)へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 『万葉集』巻1、20、21 坂本勝『図説 万葉集』p44
【大和王権の成立、4世紀、古墳時代】【国譲り】出雲から大和へ権力の移行。出雲の大国主は、国譲り、幽事に専念する。大和の天孫は、顕露事を司る。『日本書紀』第2巻
【石上神宮、物部氏の神社】*下記参照。
【邪馬台国の卑弥呼、日本史上最大の謎】倭の女王は、238年、中国の魏に貢物と親書を携えた使者を遣わす。『三国志』魏志倭人伝。
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展示作品の一部
重要文化財 赤糸威肩白鎧、室町時代・15~16世紀 島根・出雲大社蔵 [前期展示]
重要文化財 宇豆柱うづばしら島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土、鎌倉時代・宝治2年(1248) 島根・出雲大社蔵
国宝 銅鐸、島根県雲南市 加茂岩倉遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀、文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)
国宝 銅剣・銅鐸・銅矛島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀、文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)
円筒埴輪、奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀
国宝 七支刀、古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵
重要文化財 画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡、奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀、文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)
重要文化財 持国天立像、飛鳥時代・7世紀 奈良・當麻寺蔵
重要文化財 浮彫伝薬師三尊像飛鳥~奈良時代・7~8世紀 奈良・石位寺蔵
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【「七支刀」石上神宮・・・謎の刀。百済からの贈物。類例がなく意味不明。】
国宝「七支刀」(泰和4年369年、古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 全長74.8㎝)
七支刀は、鹿の角のような形状が有名である。謎の刀。
刀身の両面に金象嵌された61文字の銘文がある。泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬鋼七支刀□辟百兵宜供供候王□□□□作 (表)
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故為倭王旨造□□□世 (裏)
中国の東晋の年号である「太和」「泰和」、西暦369年説が有力。銘文の意味は、
泰和4年丙午正陽、百錬の鋼の七支刀を作った。百兵を避けることができる。先世以来このような刀は未だ存在しない。百済王の太子が倭王のためにこの七支刀を作った。
石上神宮
石上神宮の国宝七支刀と物部氏の布留遺跡
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★参考文献
「国宝 大神社展」・・・謎の七支刀
https://bit.ly/2sxqYrc
図録「出雲と大和」2020
坂本勝『図説 古事記と日本書紀』2009
坂本勝『図説 万葉集』2009
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令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。
「幽」と「顕」を象徴する地、島根県と奈良県が当館と共同で展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本の成立やその特質に迫ります
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1971
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日本書紀成立1300年「出雲と大和」東京国立博物館1月15日(水)~3月8日(日)

2020年1月 9日 (木)

美術館スケジュール2020年・・・旅する哲学者 美への旅

Houryuji2020
Chojugiga2020
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第204回
理念を追求する精神は、邪知暴虐な権力と戦い、闇の彼方に美を求める。理念の人は、苦難を超えて、輝く天の仕事を成就する。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智、天正、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海原の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。如意輪観世音菩薩、愛染明王が、美しい魂に舞い降り、天人を救う。
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【思想家を弾圧する国】大逆事件の幸徳秋1911年、24名死刑、甘粕事件の大杉栄・伊藤野枝1923年9月16日憲兵隊により殺害、治安維持法1925年、二・二六事件で北一輝処刑1936年、小林多喜二、獄中死1933年。近衛文麿失脚1941年。
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【ロレンツォは16歳の時から詩作を始める。20歳で当主となる。1492年43歳で死す】青春とは何と美しいものか。だが見る間に過ぎ去ってしまう。美しい時を楽しみなさい。明日は定めなきものゆえ。ロレンツォ・デ・メディチ『謝肉祭のためのバッカスとアリアドネの勝利の歌』
【内極めて美なるものあり】あはれ、この至妙の調和より、万物皆な或一種の声を放ちつゝあるにあらずや。形の醜美を見て直ちに其醜美を決するは、未だ美を判ずるの最後にあらず。外極めて醜なるものにして、内極めて美なるものあり。外極めて美にして、内極めて醜なるものあり。北村透谷『万物の声と詩人』1826
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永遠を旅する哲学者、美への旅、イデアへの旅をつづける。美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。純粋な魂は、輝く天の仕事を成し遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1月
上村松園と美人画の世界、山種美術館、1月3日(金)~3月1日(日)
「開館40周年記念 太田記念美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展―歌麿・北斎・応為」、太田記念美術館、1月11日~2月9日
日本書紀成立1300年「出雲と大和」東京国立博物館1月15日(水)~3月8日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1971
レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念「夢の実現」展、代官山ヒルサイド・フォーラム、2020年1月5日(日)~1月26日(日)
レオナルドのさまざまな顔 ―その多面性をひもとく、代官山ヒルサイドプラザホール2020年1月17日(金)開場12:30/開演13:00~16:00 http://leonardo500.jp/event
見えてくる光景 コレクションの現在地、アーティゾン美術館、1月18日(土)〜3月31日(火)
ハマスホイとデンマーク絵画展、東京都美術館、1月21日(火) ~3月26月(木)
2月
奇蹟の芸術都市バルセロナ、東京ステーションギャラリー、2月8日(土) ~4月5日(日)
画家が見た子ども展 ボナール、ヴュイヤール、ドニ、ヴァロットン、三菱一号館美術館、2月15日(土)~6月7日(日)
3月
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展、国立西洋美術館、3月3日火) ~6月14日(日)
閉館、国立近代美術館工芸館「所蔵作品展 パッション20」2019.12.20 - 2020.3.8
「体感! 日本の伝統芸能―歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界―」東京国立博物館、表慶館3月10日(火)~ 5月24日(日)
古典✕現代2020ー時空を超える日本のアート、国立新美術館3月11日(水)〜6月1日(月)
法隆寺金堂壁画と百済観音、東京国立博物館、3月14日(土)~5月10日(日)
桜 さくら SAKURA 2020―美術館でお花見!―、山種美術館、2020年3月14日(土) ~5月10日(日)
特別展「和食」、国立科学博物館3月14日(土)~6月14日(日)
ホキ美術館所蔵 超写実絵画の襲来、Bunkamuraザ・ミュージアム、3/18(水) ~5/11(月)
「白日会、第96回」、国立新美術館、3月18日(水)~3月30日(月)
4月
きもの KIMONO、東京国立博物館、4月14日(火) ~6月7日(日)
芸術✕力 ボストン美術館展、4月16日(木) ~7月5日(日) 、東京都美術館
おいしい浮世絵展~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~、森アーツセンターギャラリー、4月17日(金) ~6月7日(日)
国宝 燕子花図屏風―色彩の誘惑―、根津美術館、4月18日(土) ~5月17日(日)
5月
リニューアルオープン記念ⅠART in LIFE, LIFE and BEAUTY(仮称)、サントリー美術館、5月13日(水) ~7月5日(日)
竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス、山種美術館、5月16日(土) ~7月12日(日)
開館記念展Ⅰ珠玉のコレクションーいのちの輝き・つくる喜び、SOMPO美術館、5月28日(木) ~7月5日(日)
6月
ファッション イン ジャパン1945-2020―流行と社会、国立新美術館、6月3日(水)~8月24日(月)
印象派の女性画家たち、アーティゾン美術館6月30日(火) ~10月25日(日)
7月
三菱の至宝展、三菱一号館美術館7月8日(水)~9月22日(火)、
山種美術館所蔵 浮世絵・江戸絵画名品選―写楽・北斎から琳派まで―、山種美術館、7月18日(土)~9月10日(木)
MANGA 都市 TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020、国立新美術館、月8日(水) ~9月22日(火)
クロード・モネ ̶ 風景への問いかけ オルセー美術館・オランジュリー美術館 特別企画、アーティゾン美術館、7月11日(土) ~10月25日(日)
「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館、7月14日~8月30日
開館記念展Ⅱ秘蔵の東郷青児-多才な画家の創作活動に迫る、SOMPO美術館、7月18日(土)~9月4日(金)
The UKIYO-E 2020-日本三大浮世絵コレクション、東京都美術館、7月23日(木・祝)~9月13日(日)https://ukiyoe2020.exhn.jp
9月
凱旋帰国!江戸絵画の華」、出光美術館、9月中旬~12月(予定)
12月
英英紅綠 第45回 白日会会員選抜展. 2020年12月(水)~、日本橋三越本店 本館6階 美術特選画廊。山本大貴、木原和敏、小木曽誠
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2019美術展ベスト10・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/368lxxe
020 謹賀新年 蘇る不滅の精神
https://bit.ly/2tj6wdx
美術館スケジュール2019年・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/2Q0QCdF
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【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
三浦るり、井上達夫、藤原帰一、偽物が跳梁跋扈する。御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群(Herde)の先導者。
高貴な精神とは何か。失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。
http://bit.ly/2CWj9KI
偽物を尊ぶ末人、畜群(Herde)の時代。目先の利益と地位を追求する末人たち。理念と正義が崩壊した時代。「われわれは幸福を発明した。末人たちはそう言ってまばたきする」『ツァラトスゥトラ』
失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。映像の魔術師の死。
http://bit.ly/2GOTzK3
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「ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。」魅死魔幽鬼夫『苧菟と瑪耶』1944

2020年1月 1日 (水)

2020 謹賀新年 蘇る不滅の精神

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第203回
1、理念を追求する精神
理念を追求する精神は、邪知暴虐な権力と戦い、闇の彼方に美を求める。理念の人は、苦難を超えて、輝く天の仕事を成就する。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智、天正、武の七徳、桃花流水杳然去、海原の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。黄昏の丘に降り立ち、不滅の魂の神殿に到達する。美のイデアへの旅。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
2、旅する哲学者、美への旅
空海は、十二年間山林修行し、密教の意味と本質を求めて唐に航海し、805年、青龍寺、恵果阿闍梨の下で、胎蔵、金剛界、伝法阿闍梨位灌頂を受け、奥義を究める。即身成仏義、秘密曼陀羅十住心論を説く。
プラトンは、399年ソクラテスの死後、魂の本質を探求して12年間、地中海を旅する。387年アカデメイアを創設。3度シケリアに旅し独裁僭主ディオニュシオス1世2世と対峙する。348年八十歳で書物を書きながら世を去る。美の海原の彼方に美のイデア、存在の彼方に善のイデアをみる(中期対話篇『饗宴』『国家』)。魂の不死不滅とイデアの不変(『パイドン』)。
旅する哲学者は、逆境を越えて蘇る。旅する哲学者は、創造と美の極致、叡智を探求する。至純の魂は、輝く天の仕事をする。
3、李白 旅する詩人、不屈の魂
李白は、壮絶な苦難を超え、生涯、旅に生きた至高の詩人。李白は、世に出る道をふさがれ、10代から20代、蜀の各地を放浪した。放浪、隠遁志向を持ち、旅を続けた。天宝元年(742年)から1年半、玄宗皇帝の宮廷に仕え、都長安に留まる。しかし、皇帝の宮廷の阿諛追従の世界に倦み、再び、放浪の旅に出る。李白(701年—762年10月22日)、唐の絶頂期を生きた不屈の詩人。
4、織田信長、階級社会に挑む戦国武将
【織田信長、謀反と戦う】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主次の間で返り討ち、24歳。本能寺の変、信長70人に光秀1万3千人。自刃。49歳。
5、復讐する精神 復讐するは我にあり
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長。偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
16世紀エリザベス朝ルネサンス復讐劇は、ストア派哲学者セネカ『テュエステス』が原典である。テュエステスと兄アトレウスの王位継承を巡る復讐劇。ギリシア悲劇ソポクレス『テュエステス』エウリピデス『テュエステス』が起源であるが今は失われて存在しない。ルネサンス復讐劇『ハムレット』1602、太田牛一『信長公記』1613
6、空海、聖なるものは悪を滅ぼす
空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
『理趣経』、【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」
7、世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
北斎、伊藤若冲、曽我蕭白、ルキノ・ヴィスコンティ
8、天下第一の名人を求める
【信長の価値観】1、天下第一の名人。美しい人。卓越性のある人。2、役に立つ人。3、地位、肩書き、外面だけで役立たずな人。地位と権力の奴隷。4、地位、肩書、権力を悪事に使う人。
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参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2oacbQH
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/2Ov53Hz
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
2019美術展ベスト10・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/368lxxe
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』
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東寺、帝釈天、インドラ、国宝「立体曼荼羅」東寺講堂、平安時代、承和6年(839)

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