オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語・・・ブルジョワーの家族の肖像、マネ、ドガ、ルノワール
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第411回
エドガー・ドガ《家族の肖像》(1858-1859)をみると、ルキノ・ヴィスコンティ《家族の肖像》Conversation Pieceを思い出す。ブルジョワの家族の冷酷な人間関係の肖像。ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892は、ブルジョワの家族の会話風景である。
【マネとモネ】
【1863年エドゥアール・マネ「草上の昼食」事件」】
エドゥアール・マネ『水浴(のちに『草上の昼食』に改題)』。1863年にナポレオンの指揮で開催された「落選者展」で起きた。エドゥアール・マネ⦅草上の昼食⦆1863年 オルセー美術館蔵、中産階級の男二人と裸体の娼婦がピクニックをしている。ここで事件が起きた原因は「現実世界の女性の裸体を描いたから」。当時はこれがタブー中のタブー。女性の裸体を描いていいのは「宗教画・寓意画(ギリシャ神話など)」に限られていた。「古典主義に一石を投じた」【1865年モネ、サロンで入選】モネは、サロンで見事に入選を果たす。1865年『オンフルールのセーヌ河口』、1866年『緑衣の女』で入選。マネ1865年『オランピア』でサロンに入選。1869年、1870年は2年連続で落選。特に1870年に出品したモネ『ラ・グルヌイエール』。当時、水面に反射する太陽光の表現を極め続けていた。【1870年モデルのカミーユと結婚】1873年小さなボートを買って、アトリエ舟として使うようになった。マネはモネとカミーユの一枚を描いている。エドゥアール・マネ⦅アトリエ舟で描くクロード・モネ⦆1874年。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
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モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
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【マネ(1832-1883)】《草上の昼食》(1863年)、マネの着想源となったジョルジョーネの《テンペスタ》(1508)にも、着衣の男性と赤ん坊を抱く半裸の女性が描かれている。1865年のサロンで発表され、それまでの作品以上の激しいバッシングを受けた。
【クロード・モネ「草上の昼食」1866年】
クロード・モネが26歳の頃、1866年に描いた「草上の昼食」。パリ近郊のフォンテーヌブローでピクニックを楽しむ若者たち。モネが敬愛したエドゥアール・マネ「草上の昼食」(1862年頃オルセー美術館所蔵)に触発されて描いた。モデルの女性は、当時モネと出会ったばかりの恋人、後に妻となるカミーユ。紳士はモネの友人で画家だったフレデリック・バジール。カミーユは32歳で死ぬ。
「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」東京都美術館・・・藝術家と運命との戦い
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オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語
展示構成
第1章 室内の肖像 ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》など
第2章 日常の情景 ルノワール《ピアノを弾く少女たち》など
第3章 室内の外光と自然 セザンヌ《大きなデルフト陶器に生けられたダリア》など
第4章 印象派の装飾 モネ《睡蓮》
展示作品の一部
エドゥアール・マネ《エミール・ゾラ》1868年 油彩/カンヴァス 146×114cm オルセー美術館、パリ
GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
エドガー・ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》1858-1869年 油彩/カンヴァス 201×249.5cm オルセー美術館、パリ
photo:C2RMF / Thomas Clot
エドゥアール・マネ《ピアノを弾くマネ夫人》1868年 油彩/カンヴァス 38.5×46.5cm オルセー美術館、パリ
GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892年 油彩/カンヴァス 116×90cm オルセー美術館、パリ
GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書する少女》1874-1876年 油彩/カンヴァス
46.5×38.5cm オルセー美術館、パリ
GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《大きな裸婦》1907年 油彩/カンヴァス 71×156cm オルセー美術館、
アルベール・バルトロメ《温室の中で》1881年頃 油彩/カンヴァス 235×145cm オルセー美術館、パリ
GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
第1章 室内の肖像 ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》など
第2章 日常の情景 ルノワール《ピアノを弾く少女たち》など
第3章 室内の外光と自然 セザンヌ《大きなデルフト陶器に生けられたダリア》など
第4章 印象派の装飾 モネ《睡蓮》など
第1章 室内の肖像
19世紀のサロン(官展)や美術市場を席巻した肖像画は、印象派にとっても重要な表現手段となります。彼らにとってこの絵画ジャンルは、人物を日常的な環境のなかに描き出し、その人となりや社会的な属性を表す試みでもありました。
アトリエを筆頭に、画家や文筆家の創作の場を舞台とする仲間内の肖像画では、交友関係や芸術理念を示唆する道具立てが随所にみとめられます。一方、より公的な肖像画の場合、当世風の衣装や上質な家具調度品の巧みな描写によって、室内はモデルの「良き趣味」や社会的ステータスの表明にうってつけの空間となります。
さらに家族を描いた集団肖像画に目を向けるなら、家庭を満たす親愛の情だけでなく、心理的なドラマまで垣間見ることができるでしょう。それらには子どもを中心にすえる近代的な家族観も表れています。ときに風俗画との境を曖昧にしながら、同時代の人々を生活空間のうちに描くこうした肖像画は、印象派が志向する現代性のテーマに深く関わる絵画ジャンルだったので
す。
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マネ(1832-1883)写実主義の革新
マネ(1832-1883)は、王家の血を引く母と司法省の高級官僚である父のもと、パリの裕福な家庭に生まれた。幼い頃からアートに強い関心を示していたマネを、彼の叔父は頻繁にルーブル美術館へ連れて行った。13歳になる頃にはデッサン教室に通うようになっていたが、父親は息子が芸術家を志すのを快く思っていなかった。
【《草上の昼食》(1863年)】マネの着想源となったジョルジョーネ《テンペスタ》(1508)に、着衣の男性と赤ん坊を抱く半裸の女性が描かれている。
【マネ(1832-1883)。《草上の昼食》(1863年)、《オランピア》(1863年)】《草上の昼食》と同じ年に描かれた《オランピア》は、1865年のサロンで発表され、それまでの作品以上の激しいバッシングを受けた。ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》(1534年頃)を参照しており、ティツィアーノの絵と同じく、横たわる裸婦が手で陰部を隠している。
【マネ(1832-1883)】エドゥアール・ マネは、周密精到な写実主義画家だが、1853年【ヴェネツィア、フィレンツェへ旅】し、ヴェネツィア派やスペインの巨匠の作品を研究した。「草上の昼食」(1862–1863)「オランピア」(1865)によって、伝統的な絵画の約束事を破る、絵画界にスキャンダルを巻き起こした。ティツィアーノ『田園の合奏』1511『ウルビーノのヴィーナス』1538を研究、摸写した成果であった。モデルの女性は、ヴィクトリーヌ・ムーランである。
マネは『オランピア』への批判に意気消沈、ブリュッセルにいたボードレールに宛て手紙を書いた。8月から【スペインへ旅】をした。プラド美術館に行きベラスケスを研究した。
印象派グループ展への参加を拒絶したが、モネとの交流は続いた。1880年から病苦と戦い、「フォリー=ベルジェールのバー」1882を描き、翌年、左足を切断したが、死亡した。
【「フォリー=ベルジェールのバー」1882】エドゥアール・ マネ(1832-1883)、50歳、最晩年の作品。ベラスケス『ラス・メニーナス』を参照している。この作品を完成した翌年にマネは死去した。
コートールド美術館展、魅惑の印象派・・・「フォリー=ベルジェールのバー」、鏡の中の世界
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参考文献
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語・・・ブルジョワジーの家族の肖像、マネ、ドガ、ルノワール
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エドガー・ドガ『エトワール』、一瞬の中にある永遠の美・・・孤独な藝術家
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「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影
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「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
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モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
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モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
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■オルセー美術館所蔵 印象派ー室内をめぐる物語
会場:国立西洋美術館(東京・上野公園)
会期:2025年10月25日(土)~2026年2月15日(日)
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