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2018年10月14日 (日)

フェルメール展・・・光の魔術師、オランダの黄金時代の光と影

Vermeer2018_1Vermeer_wine_glass大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第159回
初秋の森を歩いて美術館に行く。光の魔術師、フェルメール、淡い光の空間は何を意味するのか。
【フェルメール】ヨハネス・フェルメール(1632-1675)は、バロックの画家、カラバッジョの激情は存在しない。フェルメールは、光の魔術師と呼ばれるが、印象派の光とは異なる。フェルメールの空間構成、色彩設計は、何を意味するのか。画中画の寓意は何を意味するのか。
16世紀スペインの黄金時代から、17世紀オランダの黄金時代へ。王家の宮廷から、富裕層の商人の家へ。フェルメールは、菱川師宣(1618-1694)の同時代人である。
『牛乳を注ぐ女』(1658年)、風俗画に転向した初期作品。台所の召使いが、牛乳をテーブル上の陶器の容器に注ぎ入れている。左の窓から日光が射し込んでいる。リンネルのキャップ、青いエプロン。床に四角い足温器。窓から差し込む柔らかい光。フェルメールは、光の画家とよばれる。
『ワイングラス』(1661-1662年)。ステンドグラスから差し込む淡い光。男にワインを勧められワインを飲む女。椅子の上にリュート。テーブルの上に楽譜。ロマンスの匂い。誘惑を戒める寓意か。
『取り持ち女』(1656年)。娼婦の家を舞台に、女の肩に手をかけ、金貨を渡す男の客。その背後で見守る取り持ち女。
アムステルダム国立美術館は『牛乳を注ぐ女』を「疑問の余地なく当美術館でもっとも魅力的な作品の一つ」とするが、どこが魅力なのか。フェルメールの空間、差し込む柔らかい光。意味のない世界。
【バロック】カラヴァッジョから始まる。カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美な神話画、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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『牛乳を注ぐ女』(1658年) アムステルダム国立美術館
ヨハネス・フェルメール『ワイングラス』(1661-1662年頃)ベルリン国立美術館
ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの女」1662-1665年頃ベルリン国立美術館
ヨハネス・フェルメール「手紙を書く婦人と召使い」1670-1671年頃アイルランド・ナショナル・ギャラリー
「赤い帽子の娘」1665-1666年頃ワシントン・ナショナル・ギャラリー
『取り持ち女』(1656年)ドレスデン国立絵画館
「手紙を書く女」1665年頃ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「リュートを調弦する女」1662-1663年頃メトロポリタン美術館
「マルタとマリアの家のキリスト」1556年 スコットランド・ナショナル・ギャラリー
「赤い帽子の娘」は12月20日まで展示。「取り持ち女」は2019年1月9日より公開。
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光と影の画家、フェルメール 21歳で画家、43歳で死す。
ヨハネス・フェルメール(1632-1675)、1632年デルフトに生まれる。1636年チューリップバブルが弾ける。1648年ウエストファリア条約、ミュンスターの和約*でオランダ独立。1647-53年、6年間、画家修業をする。1652年、父レイニール死去、宿屋と画商を受け継ぐ。21歳で画家として出発する。1654年英蘭戦争で敗戦。物語画から風俗画へと転換する。『取り持ち女』(1656年)『牛乳を注ぐ女』(1656-58年)。写実と創作を融合する風俗画を確立。『デルフト眺望』(1660)『絵画藝術』(1666-67)。物語を秘めた緻密な光と陰影の絵画に到達する。『手紙を書く女と召使い』(1672)。ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがパトロンで21点以上を所蔵した。
1672年フランス侵攻。画家活動期間は22年間、32-35点の作品を残す。描いたのは50点と推定される。11-12人の子を残して1675年、43歳で死す。
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オランダの黄金時代 17世紀 宗教戦争と独立戦争
ネーデルラント諸州の独立戦争である八十年戦争(1568年から1648年)、フェリペ2世に対する反乱からウエストファリア条約まで。アウクスブルクの和議によりスペインから独立。
1602年、オランダ東インド会社設立。世界初の多国籍企業、最初の証券取引場であるアムステルダム証券取引所を設立した株式を財源とした。
【ウエストファリア条約】1648年10月24日調印の三十年戦争(1618-48)終結条約。1645年からドイツのウェストファーレンで開かれた講和会議で、フランス、スウェーデンは領土拡大、神聖ローマ帝国議会への参加権を獲得して国際的立場を強化、逆にハプスブルク家は勢力後退。ドイツ諸侯は完全な領土主権を認められ、神聖ローマ帝国内の分立主義が決定的となった。アウクスブルクの宗教和議の原則がカルバン派にも拡大、オランダとスイスの独立が正式に認められる。
【三十年戦争】ドイツを舞台として1618‐48年の30年間、ヨーロッパ諸国を巻きこんだ、宗教戦争の最後にして最大のもの。ボヘミアで勃発、旧教側にスペイン、新教側にデンマーク・スウェーデン・フランスが加担し国際戦争に発展。ドイツは荒廃し、ウェストファリア条約で終結。
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【フェルメール 手紙】意中の人からの手紙を読む女、禁じられた恋の匂い。手紙を描いたフェルメール作品は6点ある。『窓辺で手紙を読む女』(1659年)が始まり『婦人と召使』(1668年)、『恋文』(1670)、『手紙を書く女と召使い』(1672)が到達点である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ヨハネス・フェルメール「マルタとマリアの家のキリスト」「ワイングラス」「牛乳を注ぐ女」1658「リュートを調弦する女」「手紙を書く女」「真珠の首飾りの女」「赤い帽子の娘」「手紙を書く婦人と召使い」1672「取り持ち女」1656「恋文」1669-1670年頃
17世紀のオランダ絵画
ハブリエル・メツー「手紙を読む女」1664〜1666年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー
ハブリエル・メツー「手紙を書く男」
ピーテル・デ・ホーホ「人の居る裏庭」1663〜1665年頃 アムステルダム国立美術館
ヘラルト・ダウ「本を読む老女」1631〜32年頃 アムステルダム国立美術館
ヤン・ステーン「家族の情景」
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★参考文献
フェルメールからのラブレター展・・・禁じられた恋の匂い
https://bit.ly/2ogjOlc
「フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」東京都美術館(2)・・・光と陰の室内空間
https://bit.ly/2BUKL7Q
ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情、国立西洋美術館・・・陽光、あるいは陽光に舞う塵
https://bit.ly/2MN8f3R
ベルリン国立美術館展、フェルメール「真珠の首飾りの少女」・・・物欲と虚栄に溺れる女
https://bit.ly/2N0hSv3
小林頼子「フェルメールの魔法」
小林頼子『フェルメール 作品と生涯』
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日本美術展史上、最大の「フェルメール展」を開催。「光の魔術師」とも称されるフェルメールの、わずか35点とされる希少な現存作品のうち、国内過去最多の8点を展示。
オランダ絵画黄金時代の巨匠ヨハネス・フェルメール(1632-1675)。
国内外で不動の人気を誇り、寡作でも知られ現存作はわずか35点とも言われています。
今回はそのうち8点を展示。日本美術展史上最大のフェルメール展を開催いたします。
日本初公開を含むフェルメールの作品のほか、ハブリエル・メツー、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンらの傑作を含む約50点を通して、17世紀オランダ絵画の広がりと独創性をご紹介します。
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★「フェルメール展」上野の森美術館、10月5日-2019年2月3日
http://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=857636
大阪市立美術館、2019年2月16日(土)-5月12日(日)
大阪市立美術館は、フェルメールは6作品。「恋文」が出展される。

2018年10月 7日 (日)

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」・・・純粋な美しい魂に舞い降りる

Kaikeijoukei2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第158回
金木犀の香る森を歩いて、博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調、夕暮れの寺院、観音菩薩は、純粋な美しい魂に舞い降りる。
【六観音菩薩】聖観音菩薩は、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩薩、神通力をもつ天人を救う。
この世は、競争社会である。弱肉強食の畜生、怒りと争いの修羅。神通力をもつ天人を救うのは、如意輪観音である。
競争社会のフランスを逃れて、ポルトガルに移住するフランス人。金権社会のイギリスを逃れて、イタリアに移住するイギリス人。階級社会の日本を忌避して、天下布武、既存の階級社会、価値観を拒否し、戦いと茶会を展開した織田信長。天の道を求めた織田信長。
【信長の弟信行、病いの織田信長を殺しにやってくる】信行、弘治3 (1557)年11月2日、二度目の謀反を企て、清洲城へ信長の見舞いにきた。清洲城北櫓天主、次の間で信長の命を受けた河尻秀隆ら、あるいは池田恒興らによって返り討ち。復讐する信長24歳。
【織田信長、天下布武、茶会】織田信長は、1567(永禄10年) 天下布武から、戦いと茶会を展開する。1568(永禄11年)9月26日、信長、入京。1571年(元亀二年)、織田信長、東福寺にて茶会。
*大久保 正雄『戦う知識人の精神史』
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【六観音菩薩】聖観音菩薩、千手観音菩薩、馬頭観音菩薩、十一面観音菩薩、准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、如意輪観音菩薩
六観音菩薩は、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音。*六観音菩薩は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道。六道から生きものを救う。(天台智顗『摩訶止観』)
衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(境涯)、六趣、六界。
【六道輪廻】天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、
【死生学】【六道輪廻】責め苦の地獄道、飢えと渇きの餓鬼道、弱肉強食の畜生道、争い殺し合う修羅道、四苦八苦の人間道、天人は神通力が使えるが苦に悩む天道。六道輪廻から生きものを救う観音菩薩。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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天台僧の義空(1172~1241)は、釈迦は永久にこの世に存在し法を説くという『法華経』の教えにもとづいて、1220(承久2年)大報恩寺を創建した。快慶作の十大弟子立像と、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像は、法華経の世界を表現する。
運慶一門の慶派仏師、定慶作の六観音菩薩像が伝来する。貞応三年(1224)に、定慶が造ったと准胝観音の像内墨書銘にある。運慶の長男である湛慶より十歳ほど若い定慶は、運慶の弟子。
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展示作品の一部
運慶の晩年の弟子、定慶が41歳の時に制作した「六観音菩薩像」。大報恩寺の秘仏本尊、快慶の弟子、行快作「釈迦如来坐像」、快慶作「十大弟子立像」、運慶の弟子、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作「六観音菩薩像」。
行快作「釈迦如来坐像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
快慶作「十大弟子立像」、鎌倉時代・13世紀 京都・大報恩寺蔵
阿難陀(あなんだ)、羅睺羅(らごら)、優婆離(うぱり)、阿那律(あなりつ)、迦旋延(かせんえん)、富楼那(ふるな)、須菩提(すぼだい)、大迦葉(だいかしょう)、目犍連(もくけんれん)、舎利弗(しゃりほつ)
肥後定慶作「六観音菩薩像」、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音 鎌倉時代・貞応3年(1224)京都・大報恩寺蔵
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★参考文献
法華寺「十一面観音」の美・・・純粋な魂に舞い降りる
https://bit.ly/2NKS5IP
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https://bit.ly/2OAhnsz
妙心寺展・・・禅の空間、近世障屏画の輝き
https://bit.ly/2OACxXq
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京都市上京区に所在する大報恩寺は、鎌倉時代初期に開創された古刹です。釈迦如来坐像をご本尊とし、千本釈迦堂の通称で親しまれています。本展では、大報恩寺の秘仏本尊で、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子立像、運慶の弟子で、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作の六観音菩薩像など、大報恩寺に伝わる鎌倉彫刻の名品の数々を展示いたします。
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特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」、東京国立博物館
2018年10月2日(火) ~12月9日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

2018年9月25日 (火)

「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」・・・醍醐寺三宝院、織田信長のために祈祷する

Daigoji2018_0_2大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第157回
醍醐寺の黄衣の12人の僧侶が、法螺貝を吹いて来て「薬師如来、日光菩薩、月光菩薩」の前で、法要、読経した。サントリー美術館が寺院のようである。醍醐寺の枝垂れ桜を思い出す。桜満開の京都、仁和寺に滞在して花盛りの密教寺院、禅宗寺院をめぐり歩いた日々。醍醐寺三宝院、桃源郷の庭園。如意輪観音は、如意宝珠を手にもつ密教変化観音である。如意宝珠は生きものの願いをかなえる。
密教僧は、開運招福、学問成就、健康長寿、怨敵調伏、大願成就、を祈る。高貴な精神は、聖なる目的を達成するために、敵を滅ぼさねばならない。真言密教の真言と秘法は、苦悩する人のために、祈祷、救済する。『戦う知識人の精神史』
空海は、大同元年(806年)10月、唐から帰国し真言密教の経典、秘法を日本に伝えた。だが中国においては、密教は滅びた。醍醐寺は、戦国時代、織田信長のために祈祷した。
――
【醍醐寺三宝院 天正元(1573)年】織田信長のために真言密教の祈祷、修法を行う。「織田信長黒印状」醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状を信長より返信。「天下布武」印がある。
【織田信長 天正元年】三方が原の戦い、信長と家康は信玄を迎え撃つが敗退。だが、信長包囲網に参加すべく上洛する武田信玄は死す(1573)。信長包囲網、瓦解。
【醍醐の花見】1598年(慶長3)3月15日,京都の醍醐寺三宝院で豊臣秀吉が花見の宴を催した。この年8月に秀吉が病死した。
高貴な精神は、聖なる目的を達成するために、敵を滅ぼさねばならない。悪と戦い生き残らねばならない。遍在する悪と戦う知的で革命的な精神は、知恵と愛が根源である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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★展示作品の一部
国宝「薬師如来坐像」醍醐寺、平安時代10世紀
国宝「虚空蔵菩薩立像」醍醐寺、平安時代10世紀
「如意輪観音坐像」醍醐寺、平安時代10世紀
「織田信長黒印状」醍醐寺、安土桃山、16世紀、天正元(1573)年か。(醍醐寺文書聖教558函36号)醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状。「天下布武」の印が捺されている。三宝院から戦陣の信長に「祈祷の巻数」が送られ、それに対する返書。密教の祈祷を修法した「祈祷の巻数」は護符である。信長が出した礼状である。筆跡は、信長の祐筆を長年務めた武井夕庵のものと思われる。天正三年以降、祐筆は楠長諳に移行する。醍醐寺には、この他「織田信長朱印状」醍醐寺、安土桃山、1572年(醍醐寺文書聖教24函102号)がある。*『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』図録
空海筆「大日経開題」9世紀。
「金天目・天目台」桃山時代・16世紀、醍醐寺第80代座主の義演が秀吉の病気平癒を祈願した褒美として与えられた品。
快慶「不動明王坐像」1203年
「醍醐花見短冊」安土桃山、慶長三年1598年
足利尊氏筆「理趣経」南北朝1357年
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★参考文献
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』図録。
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★「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」
サントリー美術館、2018年9月19日(水)~11月11日(日)
九州国立博物館 2019年1月29日(火)~3月24日(日)

2018年9月13日 (木)

織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』

Velzquez__prncipe_baltasar_carlos_mCranach_salome_1530_0大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第156回
血をもって書かれた精神史。織田信長は、弟信行の反逆を予知して、巧緻な罠に陥し入れ、清州城天主にて復讐する。冒険の旅への旅立ち。輝く天の仕事を探求する冒険家。逆襲する戦略家。
織田信長(1534-1582)は、包囲網と11年間対決する。アンシャン・レジーム、寺院、貴族、将軍。血をもって書かれた精神史。
血をもって書かれた精神。虐め、差別、嫉妬が渦巻く血の階級社会。無能なものが富み栄え優秀なものが貧しい、階級社会。反逆、裏切り、詐欺、陰謀、不正、魍魎が跳梁跋扈する階級社会。
無能なものが富み栄え優秀なものが貧しい階級社会。武塔の神が、蘇民将来を救うように、守護精霊は美しい者を救う。*
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
――
1、織田信長の復讐、親は敵、兄弟は最大の敵
【織田信長の復讐、親は敵、兄弟は最大の敵】弟、織田信行を返り討ち。弘治3年(1557年)、信行*は岩倉城の織田信安に通じるなどして二度目の謀反を企て、11月2日に清洲城へ信長の見舞いに行った。清洲城北櫓天主、次の間で信長の命を受けた河尻秀隆ら、あるいは池田恒興らによって暗殺された。あるいは、信長を謀殺しようとして返り討ちに遭い、信長の目の前で自刃した。
*武蔵守信成

【織田信長の復讐】弘治2年(1556年)4月、斎藤道三が自身の嫡男・義龍との戦に敗れて死去したため、織田信行は林秀貞・林通具・柴田勝家らを味方につけて信長に対して挙兵した。8月24日、稲生で柴田勝家が敗れ、次いで林通具が討死した(稲生の戦い)。

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2、織田信長、卓越した情報力
【織田信長、桶狭間】信長は、梁田政綱の情報により、今川本陣が田楽狭間に入ったことを知る。今川義元は、田楽狭間にて鷲津砦、丸根砦の勝利を祝って宴会。酒に酔っている今川本陣。そこを信長は襲撃した。永禄3年5月19日1560年6月12日。信長27歳。

【織田信長、桶狭間】なぜ織田信長はわずか4千の兵で、3万の今川義元を破ったのか。桶狭間の合戦の謎。永禄3年5月19日(1560年6月12日)
小兵力が大兵力に勝つには、大将の首一点に、その全勢力を向ける。勝機は、その一点集中。小兵力が勝つ軍事学の要点。

【織田信長、卓越した情報力と分析力】情報力で、敵の謀を討つ。
弟織田信行の謀反を返り討ち。信長24歳。桶狭間の戦い、二万五千の今川義元を迎え撃つ、織田勢四千。信長27歳。
長篠の戦い、武田勝頼の騎馬隊を千挺の鉄砲と馬防柵で撃つ。信長42歳。
天正6年、第2次木津川合戦、戦国最強の毛利水軍を6隻の鉄甲船で粉砕。信長46歳。

【織田信長 武功より情報力】2千の寡兵で2万5千の大軍を討つ。永禄3(1560)年5月19日「義元は2万5千の兵のうち2万を、沓掛城から鳴海城へ向かわせた。5千を率いて大高城へ向かい、義元直近にはわずか3百の旗本しかいなかった。」梁田正綱の情報

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3、織田信長 青春の日 26歳-40歳
【織田信長 青春の日 26歳-40歳】1560年(永禄3年)26歳 桶狭間の戦い。4千の兵で5万の今川軍を破り、大将の今川義元を討ち取る。1561年(永禄4年)27歳 美濃国主である斎藤義龍(よしたつ)が没、子の龍興(たつおき)が跡を継ぐ、美濃攻略を本格化。
【織田信長 延暦寺焼討、38歳】朝倉・浅井両家に加担した延暦寺を攻める。1572年(元亀3年)39歳 武田信玄が三方ヶ原にて、織田・徳川連合軍を破るが、駒場(こまんば)にて病死。1573年(天正元年)40歳 室町幕府を滅ぼす。反乱を起こした将軍・足利義昭を京から追放。

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*【死生学 武塔の神】武塔の神が、嫁を探しに旅をしてきた。泊まる宿を求めた。巨旦は意地悪く「うちは貧しいから泊められない」と嘘をついて断った。蘇民は貧しいながら世話をした。金持ちでうそつきで意地悪の弟、巨旦。貧しい兄、蘇民。武塔の神は、美しい者を救う。蘇民将来の伝説。『備後国風土記』守護精霊は、美しい者を救う。
【死生学 血をもって書け】いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうすれば君は知るであろう、血が精神であることを。『ツァラトゥストラ』
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★参考文献
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
若き織田信長、親は敵、兄弟は最大の敵・・・復讐する精神
https://bit.ly/2lbezTP
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★Diego Velázquez, El príncipe Baltasar Carlos, a caballo Hacia 1635
★「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」フェリペ4世の長男で王位継承者であったカルロス王太子の肖像画。バルタサール・カルロス(1629-46)はフェリペ4世の長男として生まれ、広大なスペイン帝国の王位後継者として国中の期待を一身に背負って育てられたが、16歳で早逝した。
★ルーカス・クラナッハ『ヨハネの首をもつサロメ』Lucas Cranach,Salome 1530

2018年9月 5日 (水)

織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・大久保正雄『戦う知識人の精神史』

Velazquezthe_surrender_of_breda_163Hinokizu1590大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第155回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たして、天下一の仕事を成し遂げる。
【死生学 復讐劇】復讐劇の傑作、『オレステス』、『ハムレット』、『モンテ・クリスト伯』、ウィリアム・ブレイク『有心の歌』「毒のある木」、『スウィーニー・トッド』。復讐する人は、絶望に立ち向かう。絶望を超えて、美の理念を成し遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
――
1、織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定。
【織田信長、天下布武、知的で革命的】既存の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えによる。天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。
小和田哲男『集中講義 織田信長』

【織田信長、尾張の大うつけ】既存の階級社会、価値観を否定。子供の時から、尾張の大うつけ。奇妙な服をまとい、自由にふるまう。
妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えにより、天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。
織田信長、知的で革命的。「信長、食を節し、飲酒せず」ルイス・フロイス『日本史』

【織田信長、権威主義を拒否】「酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。」ルイス・フロイス『日本史』
――
2、第六天魔王 織田信長
【第六天魔王 織田信長】延暦寺の座主、覚恕法親王は難を逃れ、仏教に帰依する甲斐の武田信玄に保護を求め、彼の元に身を寄せていた。その時、信玄から信長への書状の署名「天台座主沙門信玄」と書かれた。それに対し信長は返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。「天正元(1573)年4月20日付、ルイス・フロイスの書簡」

【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。
「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。
★『完訳フロイス日本史 織田信長篇 3 安土城と本能寺の変』

【織田信長、敦盛を舞う】「思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」永禄三(1560)年五月18日、信長27歳。

幸若舞では「化天」で、「下天」は『信長公記』の記載である。
化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年。
下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年。
なぜこの違いが出たのか、元来、生の儚さを謳った『敦盛』に比べ、
生を精一杯生きる信長の『敦盛』は人間の一生の50年を表すものとして「下天」であったのか。
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3、織田信長と茶の湯、織田信長、物欲に執着せず。
【織田信長と茶の湯】岐阜城と家督を嫡男、信忠に譲って、お気に入りの茶器だけを持って出て行った。尾張、美濃を譲る。『信長公記』。織田信忠へ初花肩衝・松花茶壷・竹子花入・藤波の釜・道三茶碗・珠徳茶杓を譲る。天正三(1575)年、11月28日、信長42歳。

【織田信長と安土城】天正四(1576)年、1月、丹羽長秀に命じて安土に築城開始。2月23日、安土に移る。

【織田信長と茶会 本能寺の変】天正十(1582)年、六月一日。織田信長は、本能寺で、茶会を開き、天下三肩衝を披露する予定だった。島井宗室が「楢柴肩衝」を信長に献上すべく訪れたのが本能寺の変の前日、その後宗室は博多に逃げ帰った。(『仙茶集』)これにより天下三肩衝を手に入れる夢は幻と消える。
その後、九州征伐後に秋月種実から「楢柴肩衝」が献上されたことで、秀吉の手元に天下三肩衝が揃うこととなった。

【織田信長、酒を飲まず】一同からきわめて畏敬されていた。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。ルイス・フロイス『日本史』
【織田信長、茶の湯を愛好】「酒を飲まず食を節し、自邸においてきわめて清潔、宗教・迷信を信じず、偶像を見下し、茶器・良馬・刀剣・鷹狩を愛した。」ルイス・フロイス『日本史』

【織田信長、安土城、狩野永徳】5層7階、地下1階の天主閣。この世から消滅した狩野派絵画、安土城天主閣。6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。
天正十年6月2日、本能寺の変の後、炎上する。『安土日記』『信長公記』
「狩野派決定版」

第六天魔王、織田信長は、下天の酒食に溺れる者を俯瞰する。天下布武。信長34歳。
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★参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
『完訳フロイス日本史 織田信長篇 3 安土城と本能寺の変』
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★狩野永徳『檜図』1590、曽我蕭白『雲竜図』(1763)
★『ブレダの開城』Velasquez,Surrender of Breda,1635
1625年、オランダの要塞都市ブレダを陥落させたとき、オランダ軍総督ナッサウがスペイン軍司令官スピノラに城門の鍵を渡す場面。

2018年8月12日 (日)

権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚

David_napoleon_crossing_the_alps_18大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第154回
思想家は、知と戦略によって、権力に抗して戦う。理念を追求して戦う思想家は、天の仕事を成し遂げる。戦略家は、権力者の意志を乗り越えて、理念を追求する。『戦う知識人の精神史』。戦略の天才は、書物の中に何を学んだのか。【ナポレオン1769-1821】ナポレオンは、孫武『孫子』プルタルコス『英雄伝』を愛読した。ナポレオンは『孫子』虚実篇から「無勢で多勢に勝つ方法」を学んだ。兵力集中による敵の各個撃破の戦術を実行した。織田信長、桶狭間の戦術である。
百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。『謀攻篇』
「最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。このことほど優れた資質を要求される能力はない。」マキャベリ「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
史上最高の指揮官、テミストクレス、アレクサンドロス大王の戦いが、プルタルコス『英雄伝』に刻まれている。
怨念の歴史家、司馬遷は、『史記』の中に、思想家の運命との戦いを書いた。『孔子世家』『孫子呉起列伝』。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保 正雄『戦う知識人の精神史』
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司馬遷『孫子呉起列伝』より

1、春秋時代(紀元前770年、周の幽王が犬戎に殺され洛邑(成周)へ都を移してから、晋が三国(韓、魏、趙)に分裂した紀元前403年まで)
春秋の五覇の下剋上の時代
1、戦わずして勝つ。『孫子』「謀攻篇」
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】呉王、闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】太鼓の合図で左右を向くように命令して「右」と太鼓を打つと、女性たちは笑った。孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」、命令を何度も繰り返した後に「左」と太鼓を打つと、また女性たちは笑った。孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる」と闔閭の寵姫を二人とも斬った。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】孫武は「兵は既に整った。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくだろう」と言った。闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよい、余はそこに行きたくはない」。孫武は「王は言を好まれても、実践はできない」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じた。
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2、戦国時代(紀元前771-221年)
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起】魏の文侯のまわりに集まった逸材、呉起(BC381没)。衛の出身の呉起は、魯に仕えて軍功をあげるが排斥されて、魏の文侯に身を寄せる。文侯は快く受け入れ、魏の将軍として秦と戦い、五城(五つの城市)を陥落させ大活躍するが、
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起(BC381没)】文侯の死後、武侯も呉起を重用するが、武侯の宰相・公叔に嫌われ、身の危険を感じ、南の大国、楚に向かう。楚の掉王は宰相に任命する。富国強兵策で楚は繁栄するが、掉王の死後、王族、重臣がクーデタを起す。魯、魏、楚、三つの国を渡り歩く。司馬遷『孫子呉起列伝』
【『孫子』孫臏の復讐】同学の徒、囲魏救趙の計、馬陵の戦い、龐涓の反撃、増兵減竈の計「龐涓この樹の下にて死す」孫子の兵法が用いられた代表的な戦い。孫臏を軍師とした斉軍が、龐涓を将軍とする魏軍に勝利した。
【『孫子』孫臏の復讐 紀元前341年馬陵の戦い】孫臏と龐涓 若い頃、孫臏と龐涓は、共に同じ学問の師の下で兵法を学んだ。孫臏の方が常に勝っていたので、自分の資質が及ばない事を悟らされた龐涓は、孫臏と友誼を結びながらも、その裏で激しい嫉妬心を燃やした。
【『孫子』孫臏の復讐】師から皆伝を受けた後の孫臏は斉に仕え、龐涓は魏に仕えて一足先に将軍へと出世。龐涓は、自分より優秀な孫臏が強敵になることを恐れ罠を仕掛けて魏に呼び寄せ、罪に陥れて両足切断の刑に処し、入墨を施して軟禁。幸い孫臏は魏を訪れた斉の使者と出会い、ひそかに帰国する。
【『孫子』孫臏の復讐】帰国後、孫臏は斉の威王に抜群の戦略的才能を評価され軍師となる。孫臏は龐涓の率いる魏軍を翻弄し、紀元前341年馬陵の戦いで魏軍を殲滅、龐涓を死に至らしめる。発端は、魏趙の連合軍が韓を攻撃したことにある。追いつめられた韓から救援要請を受けた斉は、将軍田忌と軍師孫臏に軍勢を率いさせ、韓ではなく魏に向かわせた。龐涓の率いる魏軍はただちに本国に帰り、斉軍を追跡する。
【『孫子』孫臏の復讐】孫臏は「減竈(げんそう)の計」を用い、自軍から逃亡者が出たように装い、この計略にかかり、龐涓はの魏軍は歩兵を棄て少数精鋭の騎兵を率いて追撃する。
【『孫子』孫臏の復讐】すべてを見透した孫臏は、龐涓の工程を緻密に計算して、馬陵の要害に伏兵を配置して、大樹の幹を削って「龐涓この樹の下にて死す」と記し到着を待つ龐涓がその夜、大樹の下に到着しその文字を見た瞬間、斉の伏兵がいっせいに弓を放ち、魏の軍隊は大混乱に陥る。龐涓は「ついに竪子の名を成さしむ」と言い放ち自刎した。孫臏の凄絶な復讐である。井波律子『故事成句でたどる中国史』
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3、諸子百家
【諸子百家】戦国時代(紀元前771-221年)。斉の威王、宣王、襄王(BC4C)は、学問を愛好し学者を招き、臨淄の都城の稷門に参集した文学の士に豪華な学者村を作り、仕官を条件とせず自由に討議をさせる。この稷下の学士には、孫臏、騶衍、孟子や荀子の徒が名を連ねる。
【諸子百家 孟子】孟子(紀元前372-289)は、斉の宣王の時代、臨淄の都城の稷門に住む。孔子の孫の思子の弟子から学んだ。鄒の出身で、梁、斉、宋を遊歴した。主君を求めて王道論と四端説を唱えたが意を得ず、鄒に帰国した。
【諸子百家 孟子(紀元前372-289)】易姓革命説。天は己に成り代わって王に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王に天が見切りをつけた時、革命が起きる。天命を革める。
君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲ることが禅譲、武力によって追放されることが放伐。
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4、三国時代(紀元220-316年)
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】243 -253年、魏(三国時代)の時代末期、司馬炎政府の権力に阿ることを嫌悪し、竹林にて清談し交遊した七人の賢人。当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、嵆康は鍾会の讒言によって陥れられ死刑に処せられた。悪意と偽善に満ちた社会に対する憤りである。阮籍が指導的存在である。その自由奔放な言動は『世説新語』に記され、後世の人々から敬愛される。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】三国時代、魏(220年-265年)の末期、河南省北東部、竹林に集まって清談を行った7人の賢人。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。世俗を避け、竹林で琴と酒を楽しみ、清談にふけった。老荘の虚無を尊び、儒教の礼節を斥けた。権力の横暴からの逃避と儒教の経学・訓詁、偽善的汚濁への反発。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】王戎は人物眼に優れた人。呉の家臣だった石偉を推薦し、鄧艾の孫の鄧千秋を召した。蜀漢征伐に赴く鍾会が策を聞いてきた時「道家の言葉に『為して恃まず』(老子)とある。勝つのはたやすいが、それを保持するのが難しい」、鍾会の運命を的中させたと評価された。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』(353)を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり、道教一派「天師道」を信奉し、59歳で死す。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅」
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-b4d2.html
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-86b1.html
井波律子『奇人と異才の中国史』
井波律子『故事成句でたどる中国史』
井波律子『中国の隠者』
加地伸行『中国の古典 論語』2004、白川靜『孔子伝』中央公論社、加地伸行『論語全訳注』講談社学術文庫。
浅野裕一『「孫子」を読む』1993
宮崎市定『史記を語る』
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「ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。」魅死魔幽鬼夫「苧菟と瑪耶」
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★ダヴィッド「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」
Jacque Louis David - Napoleon crossing the Alps 1801

2018年8月 5日 (日)

「没後50年 藤田嗣治展」・・・乳白色の肌の裸婦、苦難の道を歩いた画家

Foujita2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第153回
灼熱の夏の午後、森陰の道を歩いて美術館に行く。面相筆の細密画、乳白色の肌の画家の旅を想う。
旅する画家、藤田嗣治。藤田嗣治は、1913年27歳でパリに旅立つ。1920年代、モンパルナスで活躍する。1930年代、中南米・アジア・日本へ旅する。1949年、日本を去る。絶望の離日。63歳でニューヨークへ旅立つ。1950年パリに帰還。藤田、ヴィリエ・ル・バクルに住む。【藤田嗣治 最後の旅】帰る国を失った画家。最後の作品、ランスの『平和の聖母礼拝堂』1966-67。「それは後世に残るもの。私が生きたことの思い出として残したいと願う永遠の作品なのです。私の仕事のすべてを天にささげます。それが私の喜びなのです」
【藤田嗣治 NYの旅】藤田嗣治『カフェ』 1949 は、ニューヨークにて「パリのカフェにて便箋を置いたまま物思いにふける。パリを想う藤田自身の姿」。『美しいスペイン女』1949、NYにてレオナルド『モナリザ』を想起する画家。パリに想いを馳せる。藤田嗣治の運命の時は、4つの時があった。1918年、1923年、1949年、1966年。
『二人の少女』1918、『五人の裸婦』1923、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、藤田嗣治『カフェにて』( 1949 )。**
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命の戦い 運命の女』
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【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、苦難の道を歩いた画家】
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、32歳にして様式確立。黄金時代1918-1929 81歳で死す】
藤田嗣治(1886-1968)。1905年に19歳で東京美術学校西洋画科に入学する。が、黒田清輝らの勢力に合わなかった。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、藝術家の運命】
1913年(大正2年)に渡仏、パリのモンパルナスに住む。エコール・ド・パリの画家たちと交友する。シャガール、モディリアーニ、ジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイーズ・キスリング。第一次大戦1914-18。戦時下のパリで、絵が売れず、食事にも困り、寒さのあまりに描いた絵を燃やして暖をとる。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦 藝術家の運命】
1917年3月、カフェで出会ったフランス人モデルのフェルナンド・バレエ(Fernande Barrey)と2度目の結婚。初めて絵が売れる。7フラン。シェロン画廊で最初の個展。絵も高値で売れるようになる。1918年、第1次大戦、終戦。面相筆による線描を生かした技法による、透きとおる画風を、このとき確立。サロン・ドートンヌの審査員にも推挙される。急速に藤田の名声は高まる。
【藤田嗣治 中南米、日本への旅 苦難の道を歩いた画家】
1933年、南アメリカの旅から日本に帰国、1935年に25歳年下の君代(1911-2009)と出会い、一目惚れ。翌年5度目の結婚。終生連れ添う。『争闘 猫』1940。日本において陸軍美術協会理事長に就任。『アッツ島玉砕』(1943)などを描く。戦後、戦争責任を追及され藤田一人だけを追放。63歳で1949年日本を去る。絶望の離日。祖国で正当な評価を得られない失意の日々。「絵描きは絵だけを描いて下さい。仲間げんかをしないでください。日本画壇は早く世界的水準になって下さい」藤田
【藤田嗣治 日本を去りNYに行く、苦難の道を歩いた画家】
1949年日本を去る。63歳、ニューヨークに行く。『カフェ』『美しいスペイン女』。まだ入国を許されないパリを想う。
1950年、フランス入国許可が下り、ニューヨークからパリに行く。
1955年にフランス国籍を取得、1957年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章、受章。1959年73歳で、カトリックに改宗。レオナール・フジタと名付けられる。
【藤田嗣治 苦難の道を歩いた画家、最後の旅】
1965年、79歳でランスの礼拝堂の建設に着手。マルヌ県ランスにあるマム*の敷地内に『平和の聖母礼拝堂』「フジタ礼拝堂」1966の設計、内装デザイン。80歳で90日間、漆喰に描く、フレスコ画。完成2か月後、倒れる。「私の仕事のすべてを天にささげます」1968年1月29日にスイス、チューリヒにて死す。81歳。
【フレスコ画】漆喰が乾かぬ間に、インスピレーションのまま描くスピード。命を懸けて描いたフレスコ画。受胎告知に始まる『キリストの受難』キリストの生誕、洗礼、十字架への道、磔、キリスト降架、から復活まで。祭壇画の祈る人々の手に仏像の祈りの手を描く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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藤田嗣治、代表作
藤田嗣治『私の部屋、目ざまし時計のある生物』1921、『ジュイ布のある裸婦』1922、『五人の裸婦』1923、『舞踏会の前』1925、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、『私の夢』1947、『カフェにて』( 1949 )、『美しいスペイン女』( 1949 ) 豊田市美術館蔵
藤田嗣治『花の洗礼』(1959)、『礼拝』(1962-63 )パリ市立近代美術館蔵、『タピスリーの裸婦』1923年 京都国立近代美術館蔵
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*「(藤田は)面倒見が良く人懐っこい。‟孤高の画家“ではありませんでした」高階秀爾
*「ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂」
*シャンパン・メーカー、マムの社長ルネ・ラルー(René Lalou)。
レオナール=フジタと最後の妻君代はここに埋葬されている。
**林洋子「藤田の4つの年、1918、1923、1940、1949」2018.7.30
「美の巨人たち、レオナール・フジタ『平和の聖母礼拝堂』」2008.12.27
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参考文献
「生誕120年 藤田嗣治展-パリを魅了した異邦人-」東京国立近代美術館、2006年3.28-5.21
「没後40年レオナール・フジタ展」、上野の森美術館・・・魂の昇華
https://bit.ly/2LqLRbw
『没後50年 藤田嗣治展』図録、2018
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大久保正雄『藝術家と運命の戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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★「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館、7月31日-10月8日
京都国立近代美術館、10月19日-12月16日

2018年7月24日 (火)

「縄文-1万年の美の鼓動」・・・狩猟人の行動様式

Jomon_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第152回
1万3000年前から紀元前1000年まで、1万年間つづいた縄文文化。縄文人は狩猟人、獲物を求めて旅した。縄文人は、弓矢と陥し穴仕掛けで狩猟した。陥し穴は獲物をしとめる仕掛け装置、縄文草創期まで遡る。陥し穴は獣の道に沿って予め計画的に配置した。
縄文土器(Cord marked Pottery)は世界的にも類例がなく独創的。
火焰型土器の4つの角、鶏冠隆起は何を意味するのか。焼町土器のうねる波紋は何を意味するのか。遮光器土偶の目は何を意味するのか。縄文のヴィーナス、縄文の女神、仮面の女神。縄文人はなぜ女性像を作ったのか。ギリシア、エーゲ海を旅した日々を思い出す。エーゲ海文明最古級の「キュクラデス文明の竪琴奏者」はBC2700年である。縄文人は、狩猟採集し移動した。狩猟の成功を祈って儀式、呪術を行ったのか。現代の狩猟人、シュールリアリスムの藝術家の女性像を思い出す。*ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」Paul Delvaux, Venere dormiente,1944
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
国宝「火焰型土器」新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年 新潟・十日町市蔵(十日町市博物館保管)
重要文化財「遮光器土偶」 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 東京国立博物館蔵
土偶「縄文のビーナス」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、長野県茅野市棚畑遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「縄文の女神」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、山形県舟形町西ノ前遺跡出土、山形県蔵、山形県立博物館保管)
土偶「仮面の女神」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、長野県茅野市中ッ原遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「合掌土偶」(縄文時代後期(前2000年〜1000年)、青森県八戸市風張1遺跡出土、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵)
土偶「中空土偶」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、北海道函館市著保内野遺跡出土、函館市蔵、函館市縄文文化交流センター保管)
「焼町土器」(国重要文化財)縄文中期(前3000〜前2000年)、御代田町
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土偶の目的は、1狩りの成功、2安産、3死者の再生復活。祈りであると考えられる。
「縄文のビーナス」(縄文時代後期、棚畑遺跡出)。棚橋遺跡は、当時交易の中心地だった。
矢じり、黒曜石は、長野県産。棚畑遺跡出「翡翠」は「新潟産」。「琥珀」は「千葉県銚子産」。「瀬戸内海周辺で作られた土器」も棚橋遺跡で出土している。(『縄文時代の美 日曜美術館』2018年7月22日)
*「ヴィレンドルフのヴィーナス:Venus of Willendorf」は2万4000年~2万2000年前頃旧石器時代につくられた。スティアトパイグス型(steatopygous臀部突出)の女性像。
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縄文人、弥生人
縄文人は、鋭い矢で動物を射る。弥生人は、農耕し定住し、殺人を行う。弥生時代になると貧富の差が生じ「戦争」概念が入る。縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少ない。縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期まで6期に分けられる。
縄文人はホモ・サピエンス人の遺伝子をもつ。「新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に生まれ、その後世界各地に散らばって行ったことも証明された。人類の祖は大きく3つのグループに分かれてアフリカを旅立ったが、その3つの遺伝子すべてが、日本列島にやってきた。日本人の先祖はロシアのバイカル湖から南下してきた」松本秀雄『日本人は何処から来たか』NHKブックス
「バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統だが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統。やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきた」。崎谷満『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』勉誠出版
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参考文献
「古代ギリシア、時空を超える旅」東京国立博物館・・・永遠を旅する哲学者
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-30a1.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。東京国立博物館
――
★「特別展 縄文」東京国立博物館 7月3日-9月2日

2018年7月18日 (水)

孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク

Photo2_5_27_nw_jpg2018052702孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク
2018年5月27日、上智大学。ソフィアタワー6号館204教室にて。
【質疑応答】を、ここに記録します。
――
序、独裁政権が支配して、民主主義は崩壊している。ファシズムの14の兆候がある。うそ、公文書改竄、隠蔽する最高権力者。権力に隷従、盲従する官僚の群れ、知識人の質が低下し、報道機関も劣化した。検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。三浦るり、井上達夫、藤原帰一、偽物が跳梁跋扈する。御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群(Herde)の先導者に、民衆はだまされる。
かつて、佐藤功、憲法学教授は、長沼ナイキ訴訟に対し「裁かるべきは裁判官である」と言った。これは、最高裁は権力の奴隷であり、三権分立は存在しないことを意味する。
大久保正雄
核の傘は存在するのか。ミサイルは迎撃できるのか。安全保障論は核の傘が存在することを前提として成立するが、核の傘は存在しない。核の傘の幻想、安全保障論は、軍産複合体の利益を守るためにある。相互確証破壊戦略によって、核保有国は防衛されるが、衛星国は守られない。だが、日本の報道の自由度は世界72位(180カ国、2017年)。国際政治情報は誤りだらけだが、どのように真の情報を収集し分析、判断するのか。
【不屈の意志】孔子は、下剋上の嵐を止めるため、魯の君主に抜擢され大司寇に任命されるが、魯国の繁栄を恐れた隣国の斉は美女歌舞団八十人を魯国に贈った。季桓は受納し三日政庁に現れず。紀元前497年孔子、魯国を去る。孔子56歳。14年間、流浪の旅に出る(『論語』微子四)。孔子は、長人とよばれ身長216㎝。
北朝鮮の美女歌舞団が韓国を訪れ、韓国人民は熱狂し、南北朝鮮の統一が実現しそうになっている。たが、日本国の首相は憲法を変えてまで、戦争する国にしようとしている。
国際政治の核心について孫崎先生にご説明いただきます。
――
孫崎享
ミサイル防衛はできない。防衛で国を守ることはできない。近距離ミサイルは、秒速3千メートルで落下する。迎撃ミサイルは秒速15-20km。迎撃できない。北から6千マイル離れている米国でICBMを迎撃することは可能。PAC3を売りつけることが目的。
核時代、相互確証破壊戦略が核保有国にある。ワシントンが核攻撃されれば、米国は破壊され、北京が核攻撃されれば、中国は破壊される。原子力潜水艦を用意すれば、報復できる。だが、東京を守るために、ワシントンを犠牲にできるか。核ミサイルに抑止力はない(キッシンジャー1978年)。条約によって衛星国、同盟国を防衛できない。米国は自国に利益があるときにのみ、武力行使する。米国政府は、軍産複合体に支配されている。オバマは、初期、軍産複合体の支配に抗しようとしたが、結局、支配された。トランプは、軍産複合体に支配されている。軍産複合体には、リベラル派とタカ派がいるが、どちらも好戦的。
北朝鮮は、米国からCVID「1完全、査察可能、不可逆、核兵器廃止。2即時廃止」を求められている。核開発は、米国攻撃をどう止めるか。韓国で何十万人か死亡する。という状況にある。リビア方式は厳しすぎる。受け入れ不可能。可能なのは、休戦、平和条約であり、相互不可侵。北朝鮮の脅威を利用するのは、軍産複合体である。
大久保正雄
「歴史は、自由主義と階級主義の戦いである」この国は、階級主義者によって支配されてきた。織田信長、理念を探求する思想家、少数の自由主義者によって、革命が試みられたが、挫折した。民衆、知識人は、階級社会を好む奴隷である。常に特権階級に嬉々として騙される。
孫崎享
その通りです。この国は、根本的な体制変換を求める市民は存在してこなかった。中国には『孟子』の易姓革命の思想があるが、この国で革命を追求する人は極め異例である。
――
参考文献
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第10回
https://t.co/UV5VZGgQ5G
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://bit.ly/2vO4qzC
三浦るり、井上達夫、藤原帰一、偽物が跳梁跋扈する。御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群(Herde)の先導者。
高貴な精神とは何か。失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。
http://bit.ly/2CWj9KI
偽物を尊ぶ末人、畜群(Herde)の時代。目先の利益と地位を追求する末人たち。理念と正義が崩壊した時代。「われわれは幸福を発明した。末人たちはそう言ってまばたきする」『ツァラトスゥトラ』
失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。映像の魔術師の死。
http://bit.ly/2GOTzK3
――
参考資料
1、【日本政府は日本国憲法の三大原則を守れ。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義】
ニューヨークタイムズ社説、憲法を個人の意のまま変えようとする安倍首相を最高裁で裁けと警鐘。2014年
https://ameblo.jp/awakinginheaven/entry-12266744616.html
2、【国家vs新聞社】米政府が30年もの間ひた隠しにした、<最高機密文書>。
政府を敵に回してまで、記事にするのか…! 「今」を弾丸のように撃ち抜く、真実の物語―。 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』 「さあ、決断の時です。」 全ては一人の女性に託された―。
http://pentagonpapers-movie.jp
【国家の圧力にも負けずに最後まで報道し続けた】スノーデン報道にピュリツァー賞を与えたコロンビア大学 天木直人のメールマガジ2014年4月16日第318号
3、【日本の劣化】公文書の信頼失墜、日本の学術研究に打撃
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28038890T10C18A3I10000/
【森友文書】仏紙 ル・モンドの担当者「日本は深刻な病に」「欧州なら政府が飛ぶ」
http://johosokuhou.com/2018/04/05/3090/
外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ !森友スキャンダルが映す日本の本当の闇
http://toyokeizai.net/articles/-/213722
4、アメリカこそが平和に対する世界最大の脅威である。ノーム・チョムスキー
ガザで殺人を行っているのは誰か - ノーム・チョムスキー http://on.fb.me/13999cO (English) *民主主義への脅威は富裕層。http://on.fb.me/1g8bBb3
5、B層は常に特権階級に嬉々として騙される
コロッとだまされる"B層"が大多数の日本「戦争に行っちゃう可能性もある」森永卓郎
*B層、だまされる奴隷階級=社蓄サラリーマン、主婦、バカ学生
どんな組織でも、上司をたてなければ、出世はおぼつかない。それが人間の本性ではあるけれど、上司の人間性が貧弱な場合、かなりゆがんだ組織になるものだ。 山川 紘矢
現在の内閣は上級公務員の人事権を使って、内閣の言うことをよく聞く人物を出世させているのです。イエスマンだけを出世させる弊害って、国民は知らないのです。山川 紘矢
中央官庁のいわゆる上級公務員の関心事は、自分がどこまで出世できるかと言うことになっている。それが事実なのです。山川 紘矢
6、人類の歴史は、自由主義と階級主義の戦い。対立する思想は決して和解しない。殺し合い。
【織田信長。親は敵、兄弟は最大の敵】信長の父信秀1551年病没。十二人兄弟のうち生き残ったのは二人。織田有楽斎、信包。生存率16%。弟信行(信勝)、弘治2年、信長に謀反、稲生の戦い。弘治3(1557)年、清州城で謀反、信長に返り討ち謀殺さる。信長24歳。
【アンドリュー・ワイエス】『クリスチーナの世界』1948。海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。クリスチーナは、家に向かって這っていく。人間の境遇について描くテンペラ画。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。這って草原の丘を登る。ピンクのワンピースを着た55歳の女性。
生命とは自由の追求である。(渡辺慧『時間と自由』)
――
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第151回

2018年7月15日 (日)

島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』ソフィア文化芸術ネットワーク

20170616020170628015「島薗進『死生学』第3回、宗教の名著 魂のことば」5月27日、上智大学、6号館204教室。島薗進先生との質疑応答を、ここに記録します。
――
1、宗教にある「遊戯」の要素について
大久保正雄
学問の本質は問答にある。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス<遊戯人>』(1938)は、問答競技、詩歌の競技、技比べ。ギリシア人の謎、プロブレーマ。を論じる。ロジェ・カイヨワによる「遊戯の分類、アゴーン(競争)、アレア(運)、ミメシス(模倣)、ヴァーティゴ(眩暈)」である。宗教にある「遊戯」の要素とは何ですか。
島薗進
宗教にある「遊戯」の要素は、現実から距離をとって一定の自由を得て、ふだん捉えにくい真実にふれる。芸術は遊びの発展したものと捉えられる。身心のさまざまな可能性を発揮する機会となる。
――
2、宗教における「現世の階級社会、価値観の否定」について。現世の価値を超える価値の探求
大久保正雄
織田信長の思想を研究する人は稀少。織田信長には「世間の階級社会、価値観の否定」がある。
*注【織田信長、天下布武】既存の世間の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えによる。天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。参考文献 小和田哲男『集中講義 織田信長』
*【織田信長、天下布武】既存の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。子供の時から、尾張の大うつけ。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えにより、天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。織田信長、知的で革命的。「信長、貪欲でなく、食を節し、飲酒せず」フロイス『日本史』
*【織田信長、権威主義を拒否。決断を秘め、戦術に極めて老練】「自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。」ルイス・フロイス『日本史』
*【創造する精神 織田信長】【天下布武】アンシャン・レジーム、階級社会との戦い。天正二(1574)年、東大寺正倉院の香木、聖武天皇遺愛の品、天下第一の名香、蘭奢待を切らせる。正親町天皇の勅許をえる。

島薗進
信長は日本の宗教の地形を大きく変化させた人と言える。仏教勢力を打破し、ある意味では人間性の拡充の方向性を開いたところがある。キリスト教に刺激され、帝国的な普遍性を求めた側面もある。他方、中世の来世志向から近世の現世肯定への転換点に位置すると言える。豊臣秀吉、徳川家康は新たな階級社会を作った。織田信長が、もし本能寺の変で倒れなかったら、違う世界になっていた、能力主義の世界を作ったかもしれない。
――
3、織田信長と禅僧、禅の老荘思想について
大久保正雄
織田信長は、妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えを受け、権威を否定するニヒリズム、禅僧を作戦参謀としていた。臨済宗の本質は老荘思想、無の思想である。これについて先生のご意見を。
島薗進
当時の禅僧は中華帝国の文化の取入れ口でもあった。既存の権威を否定するが、それにかわる精神文化は見えていなかった。秀吉、家康になるとはより保守的になってくる。しかし、博多や界の商人らがもっていた自由闊達さは禅宗のそれに通じ、やがて「浮き世」の文化へと引き継がれていく。
――
4、空海の密教とプラトン哲学の世界観について
大久保正雄
空海の密教は、理念を現実に実現する世界観。法身、大日如来、報身、阿弥陀仏、応化身、釈迦牟尼仏。5世紀までにはその本質永遠性と現実即応の関連づけ、すなわち統一が問題となり、それが仏身論に及び、法身と色身(応身)を合せた報身が立てられ、三身説が成立した。「一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏、二に報身仏、三に法身仏なり」(『十地経論』巻3 )。「現実に現身のままで大日如来になる」(空海『即身成仏義』)。空海は、法身仏、普遍的な存在が説法をすると説く。釈迦牟尼の教えを超え、釈迦牟尼の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にした。(宮坂宥勝『空海・生涯と思想』)【世界観】プラトン哲学は、理念をこの世界に実現することを探求する世界観。イデアリスム。善のイデア「太陽の比喩」。知の階梯「線分の比喩」『国家』第6巻。魂の眼に向け変え「洞窟の比喩」『国家』第7巻。例えば、仏身論、三身説の存在論は「知恵、知を愛する人、知を愛するソクラテス」に対応する。
島薗進
仏教のなかで、超越界(イデア界)を表象し、そこへ飛翔していく方向性を豊かに展開させたのが密教で、日本では空海がその基礎づけを行った。
芸術・遊びとも相通じる身心変容体験を多様に展開し、日本の神仏習合傾向とも合致。超越志向が招きがちな感覚の否定・抑制の方向性を抑えた。
空海は、日本を超えた世界人。空海は、密教を唐から将来し、究極の形に展開した。密教は中国に残らず、空海の日本に残った。世界的視野をもつ類いまれな人。
――
5、宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形
大久保正雄
宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形である。例えば、砂漠と対峙する民族の戦いの形が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。「宗教の使命とは何か」。島薗先生のご意見を。
島薗進
人間はむき出しの力の支配する現実のなかに生きている。そこからの自由を得て各人にオリエンテーションを与えるとともに、共同生活を方向づけていき、また限られた人間の力では見定めることができないものにふれていくための資源として受け継がれてきたもの。
――
6、3つの世界観の時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
私は、回帰的時間に癒しを感じます。
島薗進
柔軟な回帰的な時間の意識が好ましいと感じる。これは現代社会が、資本主義の背後にある終末観的時間の危うさと進化的時間の危うさを超えられないことによる病理に苦しんでいると見えるから。
――
7、『銀河鉄道の夜』の主題は何ですか。
大久保正雄
『銀河鉄道の夜』の主題は、死生界の境界、魂の永遠性、三次元を超えた世界、この世とあの世の交流、自己犠牲、異界への入口、他界憧憬、「ほんとうの幸いとは何か」を探す旅。等、指摘されている。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする。旅の目的は何か。
島薗進
それらすべてでしょうが、また、死と孤独と悲しみとともに生きて行く人間の支えとなるものの探求の書でもあるのでしょう。
宮澤賢治は、悲しみの詩人。父との葛藤、妹の死の悲しみに苦しんだ。悲しみを癒すために詩とメルヒェンを書いた。銀河鉄道は、イデアの世界であり、法華経の世界。そこへ向かう旅。
――
8、若き日にもっていた純粋さ、心の美しさを多くの人は失う。純粋さ、心の美しさを持ちつづけるために必要な精神、美質とは何か。島薗先生のご意見をお聞きします。
大久保正雄
宮澤賢治は、花巻農学校の教壇を去るとき、詩を残している。「どの人もどの人もなくすのだ」*宮澤賢治『告別』(『春と修羅 第二集』)「おまへのバスの三連音がどんなぐあいに鳴ってゐたかをおそらくおまへはわかってゐまい その純朴さ希みに充ちたたのしさはほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」「おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう」「いゝかおまへはおれの弟子なのだ ちからのかぎり そらいっぱいの 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ」【魂のことば】
島薗進
今すぐには手に入らない遠くを見ようとする心と、すぐには役に立ったり利益につながったりしない、けれどもそこに大切なものがあると感じる経験、そしてそれを尊ぶ他者との交わり。また、誰にもそのような心の痛みと輝きがあることを信じることではないでしょうか。
――
参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
https://bit.ly/2lbezTP
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊
https://t.co/3d2IBLmUmu
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
https://t.co/MCQLkf9YVW
李白 旅する詩人 美への旅
https://t.co/IwUD8y80gw
『星の王子さま』サンテグジュペリ、心の目でみる。
https://t.co/NuX2YlAkHI
――
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
――
【死生学 人の痛み】どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。他人の痛みというものがわからないから。フジ子・ヘミング『魂のことば』
【死生学 魂の言葉】天使とは、美しい花を振り撒く者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ。ナイチンゲール

大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第150回

«孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー

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