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2022年8月20日 (土)

ゲルハルト・リヒター展・・・ビルケナウ、ゾンダーコマンドの苦しみ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』287回

ゲルハルト・リヒターは、ホロコーストを主題に、1960年代から、ホロコーストを主題に取り組もうとしたが、2014年に「ビルケナウ」を完成させた。
ナチス・ドイツ(1933-1945)は、ファシズム国家、カルト集団に率いられたカルト国家である。ここに描かれたのは、ホロコーストの絶望的な光景なのか。ゾンダーコマンド(ユダヤ人特殊部隊)には、死刑囚が死刑囚を管理する苦しみがある。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ホロコースト、絶滅刑務所1941-45】ナチス政権下にあったドイツ、1941年から1945年5月まで、第三帝国において、ユダヤ人虐殺が行われた。ナチズムは右翼全体主義の代表である。ヒトラーは「ユダヤ人こそ我々の敵だ、不幸の原因だ」と叫び、人々の憎しみをあおった。イエス・キリストは救世主。それを認めないユダヤ人は、「キリストを十字架にかけて殺した罪びと」のレッテルを貼られた。ユダヤ人がヨーロッパ社会に同化すれば「優れた人種」であるアーリア人の血が汚される、という極端に歪んだ思想。ヨーロッパに深く根ざしていた反ユダヤ主義を、ヒトラーは政治的に利用した。殺人を目的としたアウシュヴィッツ収容所がナチ占領下のポーランドに作られた。ここで、1941年ヴァンゼー会議の4カ月前にすでに最初の毒ガスでの殺害が行われた。他にも、5カ所の絶滅収容所がポーランドに建設され、ヨーロッパ全土から貨車に詰め込まれたユダヤ人が次々と送りこまれた。命の選別、労働に「利用できるもの」と「利用できないもの」が選別された。絶滅刑務所に、ゾンダーコマンド(ユダヤ人特殊部隊)が働いていた。
――
リヒターは、1960年代から、ホロコーストを主題に取り組もうとしたが、2014年にこの作品を完成させた。ビルケナウ、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」。ゾンダーコマンド(ユダヤ人特殊部隊)によって撮影された写真に基づく作品。
――
入口を入って左の展示室。この部屋が一つのインスタレーションになっている。
64~67 ビルケナウ
68 ビルケナウ(写真バージョン)
大型の抽象絵画4点1組が向かい合わせで壁にかけてある。
113 グレイの鏡
もう一面の壁に巨大なグレイの鏡のアート、
残る一面の壁に
69 1944年、アウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンド(特別労務班)によって撮影された写真、4点のモノクロ写真。
ナチス・ドイツのホロコーストを題材としている。ゾンダーコマンドは収容所内で虐殺された死体を処理する作業に従事した人々。彼らが密かに撮影し隠していた写真が戦後、発見された。沢山、死体を火にかけている光景。
ペインティングの作品はこの写真の絵の上に描いた抽象絵画。
次に抽象絵画の向かいにある原寸大の写真。
グレイの鏡。
――
「ビルケナウ」シリーズ2014は、1944年8月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りしたとされる写真を元に描かれた4点の抽象画である。幅2メートル、高さ2,6メートルの大きな絵で、反対側の壁に4枚の灰色の鏡が向かい合うように設置されている。そして、四隅には小さな白黒写真が。この絵のもととなった4枚の写真だ。
見上げるような角度で捉えられた、木々のシルエット。あわててシャッターを押したような、ブレた写真だ。そして、大きな窓の向こうに立ち上る白煙と何か作業をしている人の影。よく見ると、その足元にあるのは、白い死体の山。河内秀子
――
参考文献
河内秀子「ホロコーストを描くことは可能か?――ドイツ人画家、ゲルハルト・リヒターが自作をベルリンのナショナルギャラリーに永久貸与した理由」
【ゾンダーコマンド】NHKスペシャル
ユダヤ人でありながらナチスの大量虐殺に加担させられた「ゾンダーコマンド」と呼ばれた人たち。同胞をガス室へ誘導する役割や死体処理などを担ったユダヤ人特殊部隊「ゾンダーコマンド」のメンバー
NHKスペシャル アウシュビッツ 死者たちの告白 | NHK放送史
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009051338_00000
ゲルハルト・リヒター展・・・ビルケナウ、ゾンダーコマンドの苦しみ
https://bit.ly/3c7XDu8
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ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター(1932-)。リヒターは初期のフォト・ペインティングからカラーチャート、グレイ・ペインティング、アブストラクト・ペインティング、オイル・オン・フォト、そして最新作のドローイングまで、油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理に、一貫して取り組み続けてきました。
画家が90歳を迎えた今年2022年、本展では画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む約120点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。
日本では16年ぶり、東京では初となる美術館での個展です。
近年の大作《ビルケナウ》、日本初公開
幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》は、ホロコーストを主題としており、近年の重要作品とみなされています。出品作品のなかでも最大級の絵画作品である本作が、この度、日本で初めて公開されます。
ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)
1932年、ドイツ東部、ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前、1961年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケらと「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動を展開し、そのなかで独自の表現を発表し、徐々にその名が知られるように。
その後、イメージの成立条件を問い直す、多岐にわたる作品を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになる。
ポンピドゥー・センター(パリ、1977年)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991年)、ニューヨーク近代美術館(2002年)、テート・モダン(ロンドン、2011年)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、2020年)など、世界の名だたる美術館で個展を開催。現代で最も重要な画家としての地位を不動のものとしている。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/
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ゲルハルト・リヒター展、東京国立近代美術館、6月7日~10月2日 

2022年8月 2日 (火)

ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』286回

【知恵ある王と暴虐な独裁者との戦い】プラトンは「知恵ある王が支配する国家」を理想としたが、現実には、独裁制、寡頭制、名誉支配制、衆愚制、が出現して、最悪の政治形態になると予想した(プラトン『国家』)。偉大な王、知的な王、明晰透徹な王、知恵ある王、理想を追求する王。【堕落した国家の諸形態】邪知暴虐な王、残虐王、民から税金を巻き上げる詐欺王、金を巻き上げる守銭奴、邪教を用いて金を巻き上げる邪宗王。権力の歴史は、権力闘争の歴史である。知恵ある王と暴虐な独裁者との戦いが、永遠に繰り広げられる。
【権力者と藝術】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力を争い、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
私は思い出す。藝術を愛好した権力者【メディチ家とプラトン・アカデミー】コジモ(1389-1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。【フィレンツェ包囲網】ロレンツォ・デ・メディチ、ナポリ王と和平。ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。【ヴェネツィア】1508年、ローマ教皇ユリウス2世と対立、1538年、プレヴェザの海戦、地中海の覇権失う。
――
【王と権力闘争、藝術を愛好した権力者】【アマルナ美術、エル・テル・アマルナ遷都】アクエンアテン王、ネフェルティティ、13歳の王ツタンカーメン。BC 14世紀中頃【カデシュの戦いBC1286】古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、ヒッタイト王ムワタリとカデシュの戦い、カデシュの和約。王妃ネフェルタリ、アブシンベル神殿。【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうける。67年間王位。第19王朝。【ネフェルタリ】ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。
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【古代都市国家】アクラガス、カルタゴと戦うBC402、コンコルディア神殿。【ペロポネソス戦争】アテナイ、ペリクレス、スパルタと戦う。
【ルネサンス、メディチ家、対教皇庁戦争】メディチ家ロレンツォ、シクストゥス4世と戦う。ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。
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【ハプスブルク家の戦争】ロレンツォ=デ=メディチが死んだ1492年から2年後1494年、フランス王シャルル8世の軍のイタリア侵入が始まりイタリア戦争が勃発。【イタリア戦争(ハプスブルク・ヴァロワ戦争】第1-5次1494~1559年)。 1527年カール5世のローマ劫略、レパントの海戦(1571)、無敵艦隊の海戦(1588年)。スペイン継承戦争(1701-14)。オーストリア継承戦争(1740年)。シュレージエン戦争(1740年
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
――
【嵯峨天皇と空海】平城上皇の乱、
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半。
 平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
――
参考文献
https://bit.ly/2Jc9WBY
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
https://bit.ly/2C5NsU6
ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
https://bit.ly/3Of7s6v
ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006
ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討
https://bit.ly/3cMgcUC
ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史
https://bit.ly/3vzfsJ6
――
「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
https://bit.ly/2C7rE7K
――
ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_boston.html

2022年7月28日 (木)

ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』285回

私は思い出す。藝術を愛好した権力者、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。
【藝術と権力者】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力争いし、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
思い出す。藝術を愛好した権力者、古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、アクエンアテン王。古代都市国家、アクラガス、アテナイ。ルネサンス、メディチ家、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。嵯峨天皇と空海、後白河上皇。
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
海を渡った二大絵巻
「吉備大臣入唐絵巻」平安時代・12世紀後半
遣唐使として唐へ渡った奈良時代の学者・吉備真備(695~775)が、唐人の難問に不思議な力で立ち向かうという物語を絵画化した作品。後白河法皇 (1127~1192)が制作させた絵巻コレクションの1つ、当時の絵所預であった常盤光長の筆と伝えられる。
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半
 平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
《吉備大臣入唐絵巻》12世紀、奈良時代に活躍した学者・政治家である吉備真備の活躍を描いた
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》13世紀、平安時代末期、上皇派と天皇派の対立を背景に起こった平治の乱をテーマ
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
オスカー・ハイマン社、マーカス社のために製作《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》アメリカ 1929年
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【ボストン美術館、日本美術、公開禁止理由】ボストン美術館、肉筆浮世絵、多数収蔵されている。例えば、傑作、画狂老人卍、北斎『鳳凰図屏風』など、秘蔵。「江戸の誘惑」2006年、以来公開禁止。ビゲローの遺言書により、ビゲローコレクション41.000点の公開禁止。
「江戸の誘惑」江戸東京博物館(2006年)に展示されている作品は、全てウイリアムス・スターシス・ビゲローが収集したコレクション。ビゲローの職業は本来、医師で、モースの導きにより1882年(明治15年)に初来日、日本美術に魅せられて東京に居を構え、モースやフェノロサと共に日本美術品収集の旅をした。更に貧しい日本画家を経済的に援助したり、奈良地方の宝物保存の為の融資を引き受けたりした。岡倉天心による日本美術院(横山大観、下村観山ら)創設時に、2万円(現在の金銭価値にして約2000万円)の寄付をして援助した。約7年間の日本滞在中に収集したコレクションは、浮世絵を始め様々な流派の絵画、刀剣、刀装具類、染織品、漆器、彫刻等、広い分野に渡り、その数は約41,000点に上る。ビゲローが集めたコレクションは、1つ残らずボストン美術館に寄贈され保管されている。明治維新の開国とともに、西洋化の一途を辿る日本に於いて、軽んじられがちだった日本の美術を再び見出し、収集したビゲローは、貴重な日本の伝統文化を美しく保存してくれた人物の1人。
「江戸の誘惑」(2006年)、これらビゲローコレクションは同題目として、110年ぶりに日本へ里帰りしている(神戸、名古屋、東京で展示)。長期に渡ってビゲローの遺志で、門外不出を執り、その数の多さゆえ謎に包まれていたが、1997年に日本からボストンへと研究員による調査団が送られ、初めて陽の目を見た作品も多くあった。これらを代表とするビゲローの700点に及ぶ肉筆画のコレクションは、版画とは異なって注文によって特別に描かれた「特注品」の1点物であり、その価値は、到底計り知る事が出来ない。
ボストン美術館展、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006より
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参考文献
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
https://bit.ly/2C5NsU6
ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
https://bit.ly/3Of7s6v
ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006

ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討

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理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
https://bit.ly/2C7rE7K
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古今東西の権力者たちは、その力を示し、維持するために芸術の力を利用してきました。威厳に満ちた肖像画は権力を強め、精緻に描写された物語はその力の正統性を示します。
また、力をもつ人々は、自らも芸術をたしなんだほか、パトロンとして優れた芸術家を支援しました。その惜しみない支援によって、数多くのすばらしい芸術作品が生み出されたのです。
さらに、多くの権力者たちは貴重な作品を収集し、彼らが築いたコレクションは、今日の美術館の礎ともなっています。
本展では、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本などさまざまな地域で生み出されたおよそ60点の作品をご紹介します。私たちが鑑賞する芸術作品が本来担っていた役割に焦点を当て、力とともにあった芸術の歴史を振り返ります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_boston.html
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ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)

2022年7月10日 (日)

孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』284回

雲海の上の旅人はどこへ旅するのか。樫の森の中の僧院、雪の僧院の墓地、孤独な木、夕暮れの丘、月を眺める哲学者、海辺の月の出、海辺の五隻の帆船、彼方へ。
地中海の果て、イタリアの古代神殿に佇み、古代の哲学者の精神、舞い降りる。哲学者は、自由精神を重んじ、権力に屈せず、支配階級の圧政に復讐する。天空の果てに、宇宙円環と魂の円環を眺める。地の果て、崇高な自然と精神に邂逅する。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【樫の森の中の僧院】夕暮れ、廃墟の僧院に、修道僧たちが列をなして集まる、これから夜、の闇に沈む。秘密の儀式を天に捧げる。自然宗教の秘密の儀式、崇高な自然と人間の精神の合一。老僧は「肉体の眼を閉じて」心の闇のなかで見たものを表現せよ、と教示する。
【雪のなかの修道院墓地】荒野の果てにある、雪の中の修道院墓地に、修道僧たちが集まる。廃墟のゴシック寺院で、自然宗教の儀式、老僧は教える「人生の目的は人格を磨くことである。人間の価値は魂の美にある。魂の卓越性は知恵、節制、勇気、正義である。」
夕暮れの丘、二人の男が丘に登る、哲学者と友人、二人は丘の上から月を眺める。山の下に、夕暮れの海が見える。海辺の入り江に五隻の帆船、海洋に出帆する準備中である。
【『孤独な木』『海辺の月の出』1822】『孤独な木』、孤独な木と木の下に佇む羊飼い、独り雄々しく天に向かって聳える樫の木の英雄的佇まい、背後の山と空の崇高な無限。『海辺の月の出』、月の出に見入る男女、海上の旅を終え、岸辺に帰り来る帆船、人生航路の果てに、安らぎを見出した人間の魂、瞑想的人生。この二幅の絵画は、朝日と夕月の対比、ベルリンの注文主のために制作された。
【月を眺める二人】月を眺める哲学者と友人、夕暮れの丘を下り、明け方の海辺に佇む。五隻の帆船、海洋に出帆する。大西洋から地中海航路へ航海する。アグリジェントの神殿の谷、コンコルディア神殿の丘に立つ。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた廃墟の神殿。アルカイック様式の彫刻。エムペドクレスの魂が蘇る。
【内なる闇の藝術】「肉体の限界を閉じよ。そうすればまず最初に精神の眼で自分の絵を見ることができるだろう。そうして次には、暗闇で見たものを白日のもとに表現するのだ。そうすれば、その作品は外側から人々の内奥に向かって作用することだろう」。
【「人生の諸階段」1835】海辺に佇む5人と海上の5隻の帆船、航海から帰ってきたのか、これから出帆するのか。一組の男女、二人の子供たち、一人の友人。5人の人物はフリードリヒ本人とその家族、湾に向かって静かに進む5隻の船が彼らに呼応。人生の航路を比喩的に描いた。ヴィークのウトキーク海岸は、グライフスヴァルト港に入港する船。旅の終わりは、地中海を航海し、南イタリアに到達する。
【「アグリジェントのコンコルディア神殿」】画家と哲学者、旅路の果て、輪廻転生する。古代神殿に辿りつき、紀元前5世紀、エンペドクレスの魂がよみがえる。エンペドクレスの魂と対話する。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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世界は舞台だ。人は役割を果たす。All the world's a stage,And all the men and women merely players .As you like it
藝術家は、探検家の道を歩み職人であるが、哲学者に出会う。哲学者は分析家であり、指揮官であり建築家である。哲学者は、階級社会と戦う指揮官、新しい社会を構築する。
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彼方への旅、宇宙円環(cosmic cycle)と魂の円環(psyche cycle)
【古代の偉大な哲学者、エンペドクレス】古代の哲学者、医者、詩人、政治家。アクラガス出身。ピタゴラス学派に学びパルメニデスの教えを受けた。自由精神を重んじ、権力に屈せず。支配階級の圧政に復讐した。金冠を頭に戴き、紫色の衣に金のベルトを巻いて、デルポイの花冠を携えて諸都市を巡り歩いた。
四元素説を唱える。万物の四つの根(リゾーマタ)、火、水、空気、土の離合集散によって宇宙は生成消滅する。宇宙の生成消滅の愛の伸長期・消滅期と憎の伸長期・消滅期、4期がある。宇宙円環(cosmic cycle)と魂の円環(psyche cycle)が調和する。詩篇「自然について」(peri pyseos)と「カタルモイ」(katarmoi)を書いた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
【花吹雪】家の庭に、母が植えた木の花が咲き、風に吹かれて、花吹雪となって、庭に舞う。母の愛犬、トイプードル、高校時代から大学院まで、私を守ってくれたのを思い出す。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」。私は何を残すことができるのか。
【学問僧と愛犬】昼寝をしていると、愛犬、トイプードル、匂いを嗅ぎながらやって来た「帰ってきたよ」。私「戦国時代になった。敵を滅ぼしてほしい。生涯、学問を続けるために邪魔な敵がいる」と言うと愛犬「解った。滅亡させてくる」とお手をした。守護精霊、如意輪観音。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
★カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ(1774年-1840年)
『山上の十字架』1808ドレスデン国立美術館
『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』1810ベルリン博物館
『雲海の上の旅人』1818ハンブルク美術館
『月を眺める二人の男』1819ドレスデン国立美術館
『雪の中の修道院墓地』1819 Friedlich Klosterruine im Schnee 1819
『孤独な木』『海辺の月の出』1822ベルリン博物館
『窓辺の女』1822ベルリン博物館
『氷の海』1824ハンブルク美術館
「アグリジェントのユーノー神殿」1830
『人生の諸段階』1835ライプツィヒ美術館
――
★参考文献
Caspar David Friedrich - Wikipedia
Caspar David Friedrich (5 September 1774 – 7 May 1840) was a 19th-century German Romantic landscape painter, generally considered the most important German
https://en.wikipedia.org/wiki/Caspar_David_Friedrich
*1千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」p.213
ノルベ
ルト・ヴォルフ『カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ 静寂の画家1774-1840』2006
「ベルリンの至宝展 よみがえる美の聖域」図録、東京国立博物館2005
千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」2005
後藤健「古代人は「聖なるもの」をどう感じ表現したか」2005
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』MarioPraz.RomanticAgony.1933、ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術
「象徴派の絵画 」中山 公男、高階 秀爾【編】朝日新聞出版1992
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
https://bit.ly/3O4fq3d
「シャセリオー展」国立西洋美術館
https://t.co/eUkZk1RfaW
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
自然と人のダイアローグ、国立西洋美術館、彼方への旅 
https://bit.ly/3mv4SOc 
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
https://bit.ly/3boAtyL
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
https://bit.ly/3PfKgGd
――
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで、国立西洋美術館・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc

2022年6月23日 (木)

孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』283回

雲海の上の旅人は彼方へ旅する。樫の森の中の僧院、孤独な木、夕暮れの丘、月を眺める哲学者、海辺の月の出、海辺の5隻の帆船、地中海の果て、孤高の古代神殿に蘇る、孤高の精神、旅する哲学者、美への旅。
【カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ、孤高の画家、ドイツ・ロマン主義、65歳で死す】37歳1810「樫の森の中の僧院」「海辺の僧侶」プロイセン王国王子が購入。ベルリンアカデミー会員。1818、44歳、25歳のカロリーネと結婚。51歳1825年61歳1835脳卒中。「人生の諸段階」1835
【運命の扉1810年、フリードリヒ、37歳】「樫の森の中の僧院」「海辺の僧侶」、ベルリン美術アカデミー展にて、プロイセン王国王子(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)が購入。ベルリンアカデミー会員となる。ゲーテとロマン派の詩人たち、ドレスデンにフリードリヒを訪れる。2枚の絵を絶賛する。
【ロマン主義、孤高の画家、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ1774-1840】寂莫な風景、朝日、月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷。『山上の十字架』1808『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』1810『雲海の上の旅人』『孤独な木』『海辺の月の出』1822『氷の海』1824『人生の諸段階』1835
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【『孤独な木』『海辺の月の出』1822】『孤独な木』、孤独な木と木の下に佇む羊飼い、独り雄々しく天に向かって聳える樫の木の英雄的佇まい、背後の山と空の崇高な無限。『海辺の月の出』、月の出に見入る男女、海上の旅を終え、岸辺に帰り来る帆船、人生航路の果てに、安らぎを見出した人間の魂、瞑想的人生。この二幅の絵画は、朝日と夕月の対比、ベルリンの注文主のために制作された。
【内なる闇の藝術】「肉体の限界を閉じよ。そうすればまず最初に精神の眼で自分の絵を見ることができるだろう。そうして次には、暗闇で見たものを白日のもとに表現するのだ。そうすれば、その作品は外側から人々の内奥に向かって作用することだろう」。
【友とライバル】1818年にドレスデンに移ってきたノルウェーの画家ヨハン・クリスティアン・ダール。ダールと友人になる。ダールは1824年ドレスデン・アカデミーの風景画の教授として迎えられた。
【「人生の諸階段」1835】海辺に佇む5人と海上の5隻の帆船、航海から帰ってきたのか、これから出帆するのか。一組の男女、二人の子供たち、一人の友人。5人の人物はフリードリヒ本人とその家族、湾に向かって静かに進む5隻の船が彼らに呼応。人生の航路を比喩的に描いた。ヴィークのウトキーク海岸は、グライフスヴァルト港に入港する船。旅の終わりは、地中海を航海し、南イタリアに到達する。輪廻転生する。
【ベルリン博物館、ボーデ美術館(旧カイザー・フリードリヒ美術館)、プロイセン王国】ベルリン郊外のダーレムにある総合博物館。絵画館のほかエジプトやイスラム関係、彫刻や工芸関係、版画文庫などの各個別美術館を総称して呼ぶ。
最も有名な絵画館はプロイセンの哲人王フリードリヒ大王(1712年1月24日⁻1786年8月17日74歳没)の収集をもとに1830年設立されたボーデ美術館(旧カイザー・フリードリヒ美術館)、中世から19世紀にいたるヨーロッパ美術の大家の作品を集める。
カール・フリードリヒ・シンケルが、ベルリン博物館を設計した。新古典主義様式で建てられた旧博物館は、18本の円柱が並ぶ正面玄関が印象的で、シンケルの代表的建築物の一つ。博物館内部に入ると円形のロビーがあり、装飾天井や天窓、ホールを囲むように円柱と彫刻があり、その美しさに圧倒される。古代ギリシア、ローマの彫刻が展示されている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★★カスパー・ダヴィット・フリードリヒの生涯(1774年-1840年)
1774年、カスパー・ダヴィット・フリードリヒ、バルト海沿岸、スウェーデン領ドイツの最北端グライフスヴァルトにて生まれた。石鹸・蝋燭業を営む父の4男。9人兄弟。
1781年、7歳の時、母ゾフィー・ドロテア、死去。1782年、妹エリーザベト死去。
1787年、13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、氷が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟クリストファーが溺死。フリードリヒはこの事故で長年自分を責め続け、鬱病を患った。
1794年、コペンハーゲンの美術アカデミーに入学。その後、ドレスデンに転居、美術アカデミーに在籍する。
1799年、ドレスデン美術アカデミー展に出品。
1805年、ゲーテ主催のヴァイマル美術展に作品を出品、受賞する。
1807年、油彩での本格的な制作を始める。ボヘミアへ旅行。
1808年、『山上の十字架』。高い評価を受ける。祭壇画「山上の十字架」、岩は堅固な信仰、常緑樹である樅の木は人間の永遠の希望を象徴している。
1810年、ベルリン美術アカデミー展、出展。ゲーテとロマン派詩人の激賞を受ける。『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』がプロイセン王子(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)に買い上げられる。ベルリン美術アカデミーの会員になる。
1813年、ナポレオン軍と連合軍の戦いのため疎開。
1814年、ナポレオンが退位。愛国的作品をドレスデン美術展に出品。
1816年、ドレスデン美術アカデミーの会員に選出される。
1818年、19歳年下のカロリーネと結婚。妻と帰郷。シュトラールズント市から依頼された聖母教会の内装デザインを作る。『雲海の上の旅人』。
1822年、『孤独な木』『海辺の月の出』
1824年、『氷の海』。
1825-28年、51歳、脳卒中。重病を患う。
1833年、批判的な批評が増える。
1835年、脳卒中で倒れ、一命は取り留めるが、後遺症として麻痺が残る。以降はセピアインクによる線画を中心に描く。『人生の諸段階』1835
1836年、デュッセルドルフ派の展覧会に出品
1840年、死去。65歳
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カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ(1774年-1840年)
『山上の十字架』1808ドレスデン国立美術館
『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』1810ベルリン博物館
『雲海の上の旅人』1818ハンブルク美術館
『月を眺める二人の男』1819ドレスデン国立美術館
『雪の中の修道院墓地』1819 Friedlich Klosterruine im Schnee 1819
『孤独な木』『海辺の月の出』1822ベルリン博物館
『窓辺の女』1822ベルリン博物館
『氷の海』1824ハンブルク美術館
「アグリジェントのユーノー神殿」1830
『人生の諸段階』1835ライプツィヒ美術館
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★参考文献
Caspar David Friedrich - Wikipedia
Caspar David Friedrich (5 September 1774 – 7 May 1840) was a 19th-century German Romantic landscape painter, generally considered the most important German
https://en.wikipedia.org/wiki/Caspar_David_Friedrich
*1千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」p.213
ノルベルト・ヴォルフ『カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ 静寂の画家1774-1840』2006
「ベルリンの至宝展 よみがえる美の聖域」図録、東京国立博物館2005
千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」2005
後藤健「古代人は「聖なるもの」をどう感じ表現したか」2005
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』MarioPraz.RomanticAgony.1933、ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術
「象徴派の絵画 」中山 公男、高階 秀爾【編】朝日新聞出版1992
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
https://bit.ly/3O4fq3d
「シャセリオー展」国立西洋美術館
https://t.co/eUkZk1RfaW
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
自然と人のダイアローグ、国立西洋美術館、彼方への旅 
https://bit.ly/3mv4SOc 
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW

孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術

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自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc

2022年6月17日 (金)

ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』282回

ギリシア人は神々の滅びる時代に人間の姿、形の美しさを頂点にまで高め、ルネサンス人は中世キリスト教が衰亡した時代に歴史的絵画の頂点を極め、あらゆる宗教の終焉の時代18世紀末にロマン主義が現れ19世紀風景画が現れた。*1
ロマン主義は、18世紀の新古典主義に対する反抗から生まれ、古典の美、ルネサンスの美を理想とする美術への反抗、理性に対する感情の反抗である。風景の美、自然の美、理性に対する感情の美、風景画、中世の美、ラファエロ以前の藝術、ラファエロ前派、象徴派、運命の女(ファム・ファタル)の探求へと展開する。ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は、神秘的詩人であり、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ(1774-1840)は、絵筆をもつ神秘主義者と呼ばれる。フリードリヒ『雲海の上の旅人』1818は、魂の旅人、この世の果てへの旅人である。
人は、古代の美、ルネサンスの調和の美に魅かれるとともに、ウィリアム・ブレイク、フリードリヒの美に魅かれる。ロマン主義は、古代、ルネサンスの美、古典主義の美と同じ根源から生じる。カール・フリードリヒ・シンケルの新古典主義は、ロマン主義と同じ源泉から生まれる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
★ロマン主義、文学と美術
ロマン主義の先駆は、ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)である。
ロマン主義は、18世紀の新古典主義に対する反抗から生まれ、ギリシアの美、ルネサンスの美を理想とする美術への反抗、理性に対する感情の反抗である。ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863) 『民衆を導く自由の女神』1830年『キオス島の虐殺』1824年、『(第四回)十字軍のコンスタンティノープルへの入城』1841年。テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824) 『メデューズ号の筏』1818-19年が絵画におけるロマン主義の代表作である。
ゲーテ、シラーにより疾風怒濤時代(シュトゥルム・ウント・ドランク)、理性・啓蒙中心の古典的文学に対する、感情・情熱の優越を旨とする文学運動が起り、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』1796が書かれた。アウグスト・フリードリヒ・シュレーゲル兄弟は、ドイツ・ロマン派の文芸機関誌『アテネウム』全3巻6冊(1798-1800)を刊行した。カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ『雲海の上の旅人』1818。
イギリスのロマン主義は、ウィリアム・ブレイクに始まり、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『海の釣り人』1796年、『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』1839年。ラファエロ前派、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、へと展開する。
スペイン、ロマン主義絵画の代表作は、フランシスコ・デ・ゴヤ『マドリード1808年5月3日』1814年、
――
【マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』1933】ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術。イタリアの美術史家プラーツ(Mario Praz1896-1982)が、ロマン派から世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ19世紀藝術の「退廃の美学」「運命の女(ファム・ファタル)の美学」「腐敗と苦痛の美学」「薄明の美学」を、博引旁証のうちに論じ尽した名著。
――
★ロマン派の詩人、ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)
『無垢と経験の歌』1787年
ウィリアム・ブレイク「毒のある木」寿岳文章訳 William Blake, Poison Tree
私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私はそれに恐怖の水をかけ 夜も昼も私の涙をそそいだ そして私はそれを微笑みの陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。」ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』『無垢の予兆』よりAuguries of Innocenceウィリアム・ブレイク
【死生学】一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』。
「無垢の予兆」Auguries of Innocence
To see a World in a grain of sand,And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,And Eternity in an hour.
詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。歓喜に充ち溢れる生命を讃える「無心の歌」、無垢を喪失した悲しみの世界を描く「経験の歌」、そして呪縛からの解放を歌う「天国と地獄との結婚」。ブレイク初期の傑作三詩集。
ウィリアム・ブレイク、寿学文章訳『有心の歌、無心の歌』角川文庫
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★【青い花の乙女を求める旅】ドイツ・ロマン主義の詩人、ノヴァーリス(1772-1801)『青い花』Heinrich von Ofterdingen(1802)
ハインリヒは、ある夜、自分の家に泊まった旅人から不思議な「青い花」の話を聞き、憧れを抱く。その夜、夢の中に青い花が現われ、その花がいつのまにか優しい乙女の姿に変わる。
ハインリヒは、母とともに祖父のもとを訪れるために、アウクスブルクへ旅立つ。道々、同行の人から、物語や詩の話を聞き、ハインリヒにも詩心が目ざめる。一行は十字軍の騎士の居城で、東洋から捕虜として連れて来られた美少女トゥリーマの話を聞き、戦争の悲惨さやむなしさを知ると同時に、未知の世界、東洋に心を惹かれる。
また、洞窟に住む隠者ホーエンツォレルン伯を訪ねたハインリヒは、自分の過去・現在・未来の姿について書かれている書物を見せてもらい、驚く。
目的地のアウクスブルクに着いたハインリヒは、祖父の家で、老詩人のクリングゾールと、その娘の「昇る太陽に傾く百合」のようなマティルデに会う。彼女の顔は、かつて夢に見た、青い花の乙女とそっくりであった。ハインリヒはマティルデに愛を告白し、二人は婚約する。だが、その夜、彼は不吉な夢を見る。夢の中で、マティルデは舟をこいでいる。彼女は突然水に落ち、溺れそうになる。マティルデを救おうとした彼も溺れてしまうのである。ところが、不幸にしてこの夢は現実となって、マティルデは川で溺死してしまう。
愛する人を失ったハインリヒは、巡礼者となってさまよい歩く。ある日、山深い森の中で悲しみに沈んでいると、ふとマティルデの声が聞こえた。その声は、ハインリヒに琴を弾くように勧める。琴を弾けば、ひとりの少女が姿を現わすというのである。そこで琴を弾くと、少女ツァーネが現われる。ツァーネに誘われて森の中の彼女の家に行った彼は、そこで死者たちの世界を訪れる。
やがて、死の国を出て、現実の世界にもどったハインリヒは、イタリアに旅行したり、戦乱に身を投じたり、ギリシアを訪ねたり、あるいは東洋に渡って詩と神秘とを学んだりする。こうして、さまざまな経験を積んだのち、ドイツに帰って華やかな宮廷生活に入った彼は、皇帝の信任も厚く、詩人として輝かしい栄誉を受ける。
「ドイツ文学案内」(朝日出版社)
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★参考文献
*1千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」p.213
ノルベルト・ヴォルフ『カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ 静寂の画家1774-1840』2006
「ベルリンの至宝展 よみがえる美の聖域」図録、東京国立博物館2005
千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」2005
後藤健「古代人は「聖なるもの」をどう感じ表現したか」2005
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』MarioPraz.RomanticAgony.1933、ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術
「象徴派の絵画 」中山 公男、高階 秀爾【編】朝日新聞出版1992
「シャセリオー展」国立西洋美術館
https://t.co/eUkZk1RfaW
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
自然と人のダイアローグ、国立西洋美術館、彼方への旅 
https://bit.ly/3mv4SOc 
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり

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自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc

2022年6月 8日 (水)

自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』281回

紫陽花咲く、丘を歩いて、美術館に行く。国立西洋美術館、2年間の休館を経て再開した。初夏の匂いが森に満ちている。
【藝術家と運命の戦い】印象派の画家は、光り輝く絵画を描いた。しかし、壮絶な人生を生きた。藝術家と運命の戦い。光陰の中から、運命の女神があらわれ、藝術家を救う。
ロマン主義の画家、フリードリヒは、家族の死、貧困、病気に苦悩した。フリードリヒは、見える世界の彼方に、見えない理想を探求した。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その彼方にあるものは何か。
【リアリズムの世紀、アンチリアリズムの世紀】
19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。アンチリアリズムの潮流は、ロマン主義、象徴派として展開する。ラファエル前派はロマン主義の潮流である。「自然と人のダイアローグ」は、19世紀から始まる、風景画の歴史を辿る。第Ⅱ章「彼方」への旅は、アンチリアリズムの淵源、展開を思い出すことができる。
19世紀、古典主義への反抗からロマン主義が生まれ、風景画への志向から写実主義と印象派が生まれ、印象派への反抗から象徴派が生まれる。
【彼方への旅】
彼方への旅は、この世の果て、幻想の世界への旅、古代への旅、心の闇への旅、幻の美女への旅、である。フリードリヒは、アンチリアリズムの世紀の源泉の一つである。
フリードリヒは、象徴的な風景を描いた。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その風景は宗教的象徴を秘めている。神秘への入り口である。彼方にあるものは、美と崇高である。
【花吹雪】家の庭に、母が植えた木の花が咲き、風に吹かれて、花吹雪となって、庭に舞う。母の愛犬、トイプードル、高校時代から大学院まで、私を守ってくれたのを思い出す。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」。私は何を残すことができるのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ、夕日の前に立つ女性、1818年
カール・フリードリヒ・シンケル、ビヘルスビルダー近郊の風景、1814年
ヨハン・クリスチャン・クラウゼン・ダール、ピルニッツ城の眺め、1823年
カール・グスタフ・カールス、高き山々、1824年
ギュスターヴ・ドレ、松の樹々、1850年
ギュスターヴ・クールベ、波、1870年
テオドール・シャセリオー、アクタイオンに驚くディアナ、1840年
アルノルト・ベックリン、海辺の城、城の中の殺人、1859年
ギュスターヴ・モロー、聖なる象、1882年
オディロン・ルドン、聖アントワーヌの誘惑、1888年
ポール・ゴーガン、『ノアノア』マナオ・トゥパパウ、死霊が見ている、1893-94年
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展示作品の一部
ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィルの浜》1867年 油彩・カンヴァス 国立西洋美術館
 ウジェーヌ・ブーダンは、ノルマンディーの港町で生まれ、ルアーブルで海辺の風景を描いた。印象派の先駆と呼ばれる。若きクロード・モネ、クールベ、らに影響を与えた。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《夕日の前に立つ女性》1818年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール《ピルニッツ城の眺め》1823年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館
コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・セザンヌ《ベルヴュの館と鳩小屋》1890-1892年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン゠ポール病院裏の麦畑)》1889年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》1902年、油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フェルディナント・ホドラー《モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン》1915年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
クロード・モネ《舟遊び》1870、国立西洋美術館
ゲルハルト・リヒター《雲》1970年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Gerhard Richter 2022 (13012022) コピーライト Museum Folkwang, Essen
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参考文献
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶
https://bit.ly/3pw5x2g
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント、東京都美術館
https://bit.ly/2W3o6RF
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」三菱一号館美術館
https://bit.ly/37TI8ke
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc
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Ⅰ章 空を流れる時間
Ⅱ章 「彼方」への旅
Ⅲ章 光の建築
Ⅳ章 天と地のあいだ、循環する時間
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フォルクヴァング美術館と国立西洋美術館は、同時代を生きたカール・エルンスト・オストハウス(1874-1921)と松方幸次郎(1866-1950)の個人コレクションをもとにそれぞれ設立された美術館です。
本展では開館から現在にいたるまでの両館のコレクションから、印象派とポスト印象派を軸にドイツ・ロマン主義から20世紀絵画までの100点を超える絵画や素描、版画、写真を通じ、近代における自然に対する感性と芸術表現の展開を展観します。産業や社会、科学など多くの分野で急速な近代化が進んだ19世紀から20世紀にかけて、芸術家たちも新たな知識とまなざしをもって自然と向き合い、この豊かな霊感源から多彩な作品を生み出していきます。
足元の草花から広大な宇宙まで、そして人間自身を内包する「自然」の無限の広がりから、2つの美術館のコレクションという枠で切り出したさまざまな風景の響き合いをお楽しみください。自然と人の関係が問い直されている今日、見る側それぞれの心のなかで作品との対話を通じて自然をめぐる新たな風景を生み出していただければ幸いです。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/upcoming.html
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「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」、国立西洋美術館、6月4日(土)~9月11日(日)
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『朝日の中の婦人』1818-1820、

2022年5月20日 (金)

特別展「琉球」・・・万国津梁、相思樹の樹々わたりゆく風の音

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』280回

百花繚乱、花の匂い漂う森、紫躑躅咲く道を歩いて博物館に行く。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。琉球、沖縄で、想起するのは、ひゆり学徒隊、相思樹の歌である。
友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ
幽冥界、生と死の境、黄昏の樹林で、亡き友を思い出すときがある。なぜか、強烈な郷愁を感じる。雪月花の時、最も君を憶う。美しい魂をもつ人に祈りをささげる。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、アテナ神殿に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
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【江洲慶子『歌集 相思樹の譜』】
相思樹の樹々わたりゆく風の音 亡友の声かと耳澄まし聞く
学半ば逝きにし学友を 偲びつつ詠みつぎゆかむ相思樹の詩
生きよとも哀しめよとも、相思樹の黄花こぼるる 現し身吾に
★上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
【友よいとしの我が友よ】
友よいとしの我が友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ 沖縄県立第一高等女学校校歌
【戦争の悲劇、ひめゆり学徒隊】
ひめゆり学徒隊は、15歳から19歳の女学生、看護婦として陸軍病院で働き、摩文仁野で集団自決した。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生、二百四十名のうち、百三十六名が戦死する悲劇の中で、ひめゆり学徒隊は働き続けた。
闇夜に「ふるさと」の歌
波が打ち寄せる絶壁の上で、輪になって座っていた女性とたちはしくしく泣き出した。深夜だった。「もう一回、太陽の下を大手を振って歩いてから死にたいね」。輪の中の1人がそうつぶやくと、まもなくだれからともなく「ふるさと」の歌が始まった。(『琉球新報』)
「天皇の為に死ぬことは名誉」と教え込まれてきた結果、集団自決や特攻隊などで多くの命が奪われた。天皇制と昭和天皇の戦争責任を思い知らねばならない。「15年戦争Jによる死傷者は、軍人400万人、民間人2.000万人、合計 2.400万人と推定されている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【琉球国王、尚氏】琉球国王尚氏は、1470年からおよそ400年にわたり琉球を治めた。歴代の国王は中国の明、清朝の冊封を受けて王権を強化し、島々の統治と外交、貿易を推進した。17世紀初め、薩摩島津氏の侵攻により王国は大きな変化を余儀なくされますが、新たな体制と国際関係を築き上げ、やがて安定した統治のもとで琉球の芸術文化が開花する。首里城を彩った王家の宝物、中国皇帝や日本の将軍、大名に贈られた美しい漆器や染織品、そして国際交流により洗練されていった書画は王国の高い美意識と技術を物語る。
【第一尚氏、第二尚氏】
1429年尚巴志が首里に統一政権を建て、尚徳まで代々琉球王として統を伝えた (第1尚氏) 。尚徳の死後,沖縄の北方伊平屋島の農家に生れ、尚氏の一族といわれる尚円が、70年王に擁立された (第2尚氏) 。以来その子孫相継ぎ、漸次琉球列島を統一して民生に力を尽した。 1589年、尚寧が豊臣秀吉に使をつかわし、17世紀以降は年々島津氏に朝貢し、さらに、王の嗣立などの際には江戸幕府に遣使するなどして明治にいたった。明治5 (1872) 年、尚泰は,琉球藩主に列せられ、翌年には東京在勤,侯爵に叙せられた。「ブリタニカ国際大百科事典」
【紅型】沖縄の型染。藍一色で染める藍型(あいがた)に対して赤、黄、緑、紫等の多色の型染をいう。この名称は古くはなく、昭和初期に伊波普猷(いはふゆう)が初めて用いたとされる。紅型の技法は15世紀半ばころには琉球国ですでに行われていたが,琉球の地理的関係から日本の型染、中国・南方の印金(いんきん)の技法など相互の交流によって成立発展したものとみられる。紅型は型紙の大きさによって3種に分けられる。
【おなり神信仰】女性が祭祀を司るという特徴は、姉妹が兄弟を霊的に守護する「おなり神信仰」に通ずるともいわれています。ノロ(神女)は首里王府から任命され、王国の支配を宗教的な側面から支えました。
【首里城】
首里城は14世紀後半頃に創建され、15世紀初頭には王国支配のための拠点となり、約500年にわたって政治・外交の中心として、さまざまな文物が集積され、独特の文化が花開きました。政治行政の中心であるだけでなく、王国の祭祀儀礼や祈りの場としての聖地でもありました。しかし、長い歴史の中で何度かの焼失と再建を繰りかえしています。
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展示作品の一部
国宝 黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波文様紅型綾袷衣裳
(琉球国王尚家関係資料)第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
国宝 紅色地龍宝珠瑞雲文様紅型綾袷衣裳
(琉球国王尚家関係資料)第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
国宝 金装宝剣拵(号千代金丸)(琉球国王尚家関係資料)
 鞘の全面に薄い金板を巻き、柄頭には竹節状の鐶(かん)を取りつけるなど、一般的な日本刀の拵とは大きく異なる琉球独自の点が目をひく宝剣です。もとは今帰仁城(なきじんじょう)を本拠とした山北(北山)王歴代の一振で、のちに尚家に献上されたと伝わります。刀身:室町時代・16世紀 拵:第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
重要文化財 銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)
藤原国善作 第一尚氏時代・天順2年(1458) 沖縄県立博物館・美術館蔵
海洋王国・琉球の繫栄を象徴する梵鐘。琉球王国は、船の交易によってアジア各地を結ぶ「万国津梁」(万国の架け橋)であると自らうたった銘文を刻みます。かつて首里城の正殿に懸けられていたと伝わる鐘です。
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参考文献
沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」図録2022
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊
https://t.co/3d2IBLmUmu
★ひめゆり学徒隊
1. 上江洲慶子『歌集 相思樹の譜』
田中章義「歌鏡」『サンデー毎日』2014.7.6号、P55
2. [81 女学生の集団自決(1)]「太陽見て死にたい」琉球新報2010年3月2日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158594-storytopic-215.html
特別展「琉球」・・・万国津梁、相思樹の樹々わたりゆく風の音
https://bit.ly/3sO6qXb
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沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
令和4年(2022)、沖縄県は復帰50年を迎えます。かつて琉球王国として独自の歴史と文化を有した沖縄は、明治以降の近代化や先の戦争という困難を乗り越え、現在もその歴史、文化を未来につなげる努力を続けています。本展は、アジアにおける琉球王国の成立、および独自の文化の形成と継承の意義について、琉球・沖縄ゆかりの文化財と復興の歩みから紐解く総合的な展覧会です。
東京国立博物館は、明治期の沖縄県からの購入品に、その後の寄贈品を加えた日本有数のコレクションを収蔵しています。平成4年(1992)、復帰20年の折には、特別展「海上の道」を開催するなど、これまで琉球の歴史と文化に関する研究や展示普及活動に努めてまいりました。こうした礎のもと、力強く輝き続ける琉球の歴史と文化を過去最大規模で展観します。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2131
平成館 特別展示室 : 2022年5月3日(火) ~ 2022年6月26日(日)
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特別展「琉球」、東京国立博物館、5月3日(火) ~ 6月26日(日)
九州国立博物館[太宰府天満宮横]2022年7月16日(土)~9月4日(日)

2022年5月 5日 (木)

牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児・・・遠い記憶を呼び覚ます風景

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』279回

百花繚乱、花の匂い漂う紫躑躅咲く道を歩いて美術館に行く。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。
過酷な運命を乗り越えた画家。遠い記憶を呼び覚ます風景。
藤田龍児の絵は、広い野原、山の見える郊外、古い街並み、田舎町。電信柱、工場の煙突、鉄道、バス停。白い犬とエノコログサ、蛇行する道は人生の苦難の象徴。白い犬は、画家自身の分身、藝術家を守る守護精霊である。
過酷な運命を乗り越えた画家。啓蟄。羽音を立て、エノコログサが穂を天に伸ばす。画家の蘇りの光景か、春の兆しの神秘的な光景。白い犬を連れた人物が歩いている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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戦争による事業破産と半身不随、二人の運命
藤田龍児は、48歳の時、脳血栓で倒れ、53歳で再起する。アンドレ・ボーシャンは、出征、戦争で破産、妻は精神病、園芸業から画家となる。
――
【藤田龍児、48歳の時、脳血栓、画家を断念、53歳で再起、74歳で死す】
藤田龍児は、昭和3年1928年に京都で生まれ、同志社中学校卒業、同志社工業専門学校中退。大阪市立美術館の附属施設であった市立美術研究所にて石膏デッサンや油彩を学び、1959年、美術文化展に初入選。同協会の会員になり、毎年出品を続けた。1959年、大阪大学医学部附属石橋分院で作業療法指導員となる。1969年、退職。初期の作品は不定形な形象が混じり合う抽象画、シュルレアリスムの影響がある。1976年、48歳の時、脳血栓にて倒れる。翌年再発、手術で一命をとりとめるが、右半身付随。利き腕が使えなくなったことに失望、画家として生きることを断念、絵の大半を処分した。絵筆を左手に持ち替え、再び絵画を描くようになる。再起後の最初の個展を開いた時、53歳となる。
白い犬とエノコログサ、蛇行する道など絵画に何度も登場するモチーフで、犬に藤田自身を、そして蛇行する道には彼の苦難の人生を感じさせる。病気を乗り越えた藤田にとって、何度踏まれても逞しく伸びていくエノコログサは、強い生命力の象徴である。白い犬は土佐犬、画家自身、
【アンドレ・ボーシャン、出征、戦争で破産、妻は精神病、園芸業から画家へ、1958年85歳で死す】
アンドレ・ボーシャンは、1873年フランス中部のシャトー=ルノーに生まれた。苗木職人として園芸業を営む。1914年、第一次世界大戦が勃発、歩兵連隊に徴集され、軍隊で学んだ事が、測量したデータをもとに、地形を正確に記録する測地術である。そして大戦が終結して46歳にて除隊するが、農園は荒れ果て破産、妻は精神に異常をきたす。ボーシャンは地元の森の中で新居を構え、妻の世話をしながら自給自足生活を送る。
ボーシャンが絵を初めた契機は、軍隊時代に学んだ測地術の技法にあった。山や川などの故郷の風景、咲き誇る花々といった苗木職人として身近に接した植物などを描く。1921年、サロン・ドートンヌに入選。当時の同賞の審査は比較的厳しくなかった、50歳を前に画家の道を歩みはじめる。建築家となりル・コルビジェに認められる。1928年、セルゲイ・ディアギレフからロシアバレエ団の舞台美術を依頼される。
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展示作品の一部
藤田龍児『於能碁呂草』1966年 星野画廊
藤田龍児『啓蟄』1986年 星野画廊
藤田龍児『静かなる町』1997年 松岡真智子氏
藤田龍児『オーイ、野良犬ヤーイ』1984年 個人蔵
藤田龍児『特急列車』1988年 平澤久男氏
藤田龍児『老木は残った』1985年 北川洋氏
アンドレ・ボーシャン『ラトゥイル親爺の店』1926年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『大木とアルゴ船乗組員』1928年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『ラヴァルダン城とスイカズラ』1929年 個人蔵 
アンドレ・ボーシャン『婚約者の紹介』1929年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『花瓶の花』 1928年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『窓』 1944年 個人蔵 
アンドレ・ボーシャン『川辺の花瓶の花』1946年 個人蔵
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参考文献
プレスリリース東京ステーションギャラリー、冨田章氏
「牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」東京美術2022

牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児・・・遠い記憶を呼び覚ます風景

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アンドレ・ボーシャン(1873-1958)と藤田龍児(1928-2002)は、ヨーロッパと日本、20世紀前半と後半、というように活躍した地域も時代も異なりますが、共に牧歌的で楽園のような風景を、自然への愛情を込めて描き出しました。人と自然が調和して暮らす世界への憧憬に満ちた彼らの作品は、色や形を愛で、描かれた世界に浸るという、絵を見ることの喜びを思い起こさせてくれます。両者の代表作を含む計116点を展示します。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html
2人の画家アンドレ・ボーシャンと藤田龍児は、活動した国も時代も異なりますが、いくつかの興味深い共通点をもっています。
ともに50歳頃に新たな画家の道に踏み出したこと、精妙な輝きを秘めた色彩を用いて故郷の山河など牧歌的で楽園を思わせる風景を好んで描いたこと、そしてそれらが彼らの決して安逸ではなかった困難な生活の中で生み出されたこと。
そんな彼らの作品が、じわじわ効いてきて、しみじみ沁みる。「見る」ことの喜びを感じさせてくれる展覧会です。
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牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児
2022年4月16日(土) - 7月10日(日)

2022年4月21日 (木)

「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』278回

【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【葛飾北斎、七変化】葛飾北斎(1760-1849)の最初期、勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)、勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った宗理期(36~44歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46~50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳)
【源為朝の冒険、曲亭馬琴との共作】弓の名人、腕の腱を切られても弓を引く。「為朝図」は北斎が「戴斗」という画号を名乗っていた50代の時の作品。曲亭馬琴の小説「椿説弓張月」の完成1811年、全5編29冊を祝って描かれた肉筆画、金の切箔がまかれる豪華な作品。
【椿説弓張月、源為朝、保元の乱】少納言入道信西との不和で九州へ追われた源為朝は、八町礫紀平治を家来にし、白縫姫を妻として九州を平定したが、保元の乱に敗れて伊豆大島に流される。そこでも為朝は善政を敷いたが、官軍に攻め寄せられ、鬼夜叉を身代り死にさせて、九州を経て琉球に漂着した。琉球では、尚寧王の暗愚に乗じて妖術使い濛雲が実権を奪い、奸臣利勇と対決していたが、為朝は世継ぎの王女を助けて、孤島に漂着していたわが子舜天丸や紀平治とともに濛雲を破り、琉球を平定した。舜天丸は王位につくが、為朝は昇天する。
【89歳、小布施にて『怒涛図』男浪・女浪、『八方睨み鳳凰図』(1848)】北斎が波を主題に描き始めたのは40代の頃。何十年もかけてあらゆる波を描いた。70代でたどり着いた『神奈川沖浪裏』の大波。冨嶽三十六景は大成功したが、北斎は満足せず。15年後、祭屋台の天井絵として怒濤図を描いた。なぜ小布施で怒濤図を描いたのか。天保の改革で贅沢が禁止され、浮世絵も弾圧された。小布施の豪商・高井鴻山が後ろ盾となり、工房を提供した。北斎は小布施を拠点に内面を表現する肉筆画を描く。岩松院にある八方睨み鳳凰図も北斎最晩年の大作。
【不老不死、不死身の象徴】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)。ボストン美術館肉筆浮世絵、江戸の誘惑(2006)
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》横大判錦絵 江戸時代 天保元-4年(1830-33)頃 大英博物館蔵2008,3008.1.JA コピーライト The Trustees of the British Museum
葛飾北斎《諸国瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝》大判錦絵 江戸時代 天保4年(1833)頃 大英博物館蔵1937,0710,0.195 コピーライト The Trustees of the British Museu
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》横大判錦絵 江戸時代 天保元-4年(1830-33)頃 大英博物館蔵1906,1220,0.525 コピーライト The Trustees of the British Museum
肉筆浮世絵
葛飾北斎《弘法大師修法図》一幅 江戸時代 弘化年間(1844-47年) 西新井大師總持寺蔵
葛飾北斎《為朝図》一幅 江戸時代 文化8年(1811) 大英博物館蔵 1881,1210,0.1747 コピーライト The Trustees of the British Museum
葛飾北斎《流水に鴨図》一幅 江戸時代 弘化4年(1847) 大英博物館蔵 1913,0501,0.320 コピーライト The Trustees of the British Museum
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参考文献
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
https://bit.ly/35ywoAa
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅
https://bit.ly/3rGjzkF
――
江戸時代後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)は、世界で最も著名な日本の芸術家の一人です。《冨嶽三十六景》や『北斎漫画』など、一度見たら忘れられないインパクトを持つ作品の数々は、国内外で高い人気を誇っています。
北斎と海外との関係については、モネ、ドガ、ゴッホら印象派およびポスト印象派の画家たちによる北斎への傾倒や、フランスを中心としたジャポニスムへの影響が有名ですが、イギリスにも多くのコレクターや研究者がおり、その愛好の歴史は19世紀まで遡ることができます。なかでも大英博物館には、複数のコレクターから入手した北斎の優品が多数収蔵されており、そのコレクションの質は世界でもトップクラスです。本展では、この大英博物館が所蔵する北斎作品を中心に、国内の肉筆画の名品とともに、北斎の画業の変遷を追います。約70年におよぶ北斎の作画活動のなかでも、とくに還暦を迎えた60歳から、90歳で亡くなるまでの30年間に焦点を当て、数多くの代表作が生み出されていく様子をご紹介します。また、大英博物館に北斎作品を納めたコレクターたちにも注目し、彼らの日本美術愛好の様相を浮き彫りにします。
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_2/index.html
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「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」サントリー美術館にて、2022年4月16日(土)から6月12日(日)まで

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