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2018年8月12日 (日)

戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚

David_napoleon_crossing_the_alps_18大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第154回
思想家は、知と戦略によって、権力に抗して戦う。理念を追求して戦う思想家は、天の仕事を成し遂げる。戦略家は、権力者の意志を乗り越えて、理念を追求する。『戦う知識人の精神史』。戦略の天才は、書物の中に何を学んだのか。【ナポレオン1769-1821】ナポレオンは、孫武『孫子』プルタルコス『英雄伝』を愛読した。ナポレオンは『孫子』虚実篇から「無勢で多勢に勝つ方法」を学んだ。兵力集中による敵の各個撃破の戦術を実行した。織田信長、桶狭間の戦術である。
百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。『謀攻篇』
「最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。このことほど優れた資質を要求される能力はない。」マキャベリ「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
史上最高の指揮官、テミストクレス、アレクサンドロス大王の戦いが、プルタルコス『英雄伝』に刻まれている。
怨念の歴史家、司馬遷は、『史記』の中に、思想家の運命との戦いを書いた。『孔子世家』『孫子呉起列伝』。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保 正雄『戦う知識人の精神史』
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司馬遷『孫子呉起列伝』より

1、春秋時代(紀元前770年、周の幽王が犬戎に殺され洛邑(成周)へ都を移してから、晋が三国(韓、魏、趙)に分裂した紀元前403年まで)
春秋の五覇の下剋上の時代
1、戦わずして勝つ。『孫子』「謀攻篇」
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】呉王、闔閭「先生の著作十三篇はすべて読んだが、宮中の婦人で少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」孫武はこれを了承した。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】太鼓の合図で左右を向くように命令して「右」と太鼓を打つと、女性たちは笑った。孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」、命令を何度も繰り返した後に「左」と太鼓を打つと、また女性たちは笑った。孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり」と言って、隊長の二人を斬首しようとした。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯もうまくないので、斬るのはやめてくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねる」と闔閭の寵姫を二人とも斬った。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然声を出すものもなかった。
【『孫子』孫武 孫子姫兵を勒す】孫武は「兵は既に整った。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくだろう」と言った。闔閭は甚だ不興で「将軍はそろそろ帰られるがよい、余はそこに行きたくはない」。孫武は「王は言を好まれても、実践はできない」と答えた。しかし以後、闔閭は孫武の軍事の才を認めて将軍に任じた。
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2、戦国時代(紀元前771-221年)
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起】魏の文侯のまわりに集まった逸材、呉起(BC381没)。衛の出身の呉起は、魯に仕えて軍功をあげるが排斥されて、魏の文侯に身を寄せる。文侯は快く受け入れ、魏の将軍として秦と戦い、五城(五つの城市)を陥落させ大活躍するが、
【戦国の世を渡り歩く戦略家、呉起(BC381没)】文侯の死後、武侯も呉起を重用するが、武侯の宰相・公叔に嫌われ、身の危険を感じ、南の大国、楚に向かう。楚の掉王は宰相に任命する。富国強兵策で楚は繁栄するが、掉王の死後、王族、重臣がクーデタを起す。魯、魏、楚、三つの国を渡り歩く。司馬遷『孫子呉起列伝』
【『孫子』孫臏の復讐】同学の徒、囲魏救趙の計、馬陵の戦い、龐涓の反撃、増兵減竈の計「龐涓この樹の下にて死す」孫子の兵法が用いられた代表的な戦い。孫臏を軍師とした斉軍が、龐涓を将軍とする魏軍に勝利した。
【『孫子』孫臏の復讐 紀元前341年馬陵の戦い】孫臏と龐涓 若い頃、孫臏と龐涓は、共に同じ学問の師の下で兵法を学んだ。孫臏の方が常に勝っていたので、自分の資質が及ばない事を悟らされた龐涓は、孫臏と友誼を結びながらも、その裏で激しい嫉妬心を燃やした。
【『孫子』孫臏の復讐】師から皆伝を受けた後の孫臏は斉に仕え、龐涓は魏に仕えて一足先に将軍へと出世。龐涓は、自分より優秀な孫臏が強敵になることを恐れ罠を仕掛けて魏に呼び寄せ、罪に陥れて両足切断の刑に処し、入墨を施して軟禁。幸い孫臏は魏を訪れた斉の使者と出会い、ひそかに帰国する。
【『孫子』孫臏の復讐】帰国後、孫臏は斉の威王に抜群の戦略的才能を評価され軍師となる。孫臏は龐涓の率いる魏軍を翻弄し、紀元前341年馬陵の戦いで魏軍を殲滅、龐涓を死に至らしめる。発端は、魏趙の連合軍が韓を攻撃したことにある。追いつめられた韓から救援要請を受けた斉は、将軍田忌と軍師孫臏に軍勢を率いさせ、韓ではなく魏に向かわせた。龐涓の率いる魏軍はただちに本国に帰り、斉軍を追跡する。
【『孫子』孫臏の復讐】孫臏は「減竈(げんそう)の計」を用い、自軍から逃亡者が出たように装い、この計略にかかり、龐涓はの魏軍は歩兵を棄て少数精鋭の騎兵を率いて追撃する。
【『孫子』孫臏の復讐】すべてを見透した孫臏は、龐涓の工程を緻密に計算して、馬陵の要害に伏兵を配置して、大樹の幹を削って「龐涓この樹の下にて死す」と記し到着を待つ龐涓がその夜、大樹の下に到着しその文字を見た瞬間、斉の伏兵がいっせいに弓を放ち、魏の軍隊は大混乱に陥る。龐涓は「ついに竪子の名を成さしむ」と言い放ち自刎した。孫臏の凄絶な復讐である。井波律子『故事成句でたどる中国史』
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3、諸子百家
【諸子百家】戦国時代(紀元前771-221年)。斉の威王、宣王、襄王(BC4C)は、学問を愛好し学者を招き、臨淄の都城の稷門に参集した文学の士に豪華な学者村を作り、仕官を条件とせず自由に討議をさせる。この稷下の学士には、孫臏、騶衍、孟子や荀子の徒が名を連ねる。
【諸子百家 孟子】孟子(紀元前372-289)は、斉の宣王の時代、臨淄の都城の稷門に住む。孔子の孫の思子の弟子から学んだ。鄒の出身で、梁、斉、宋を遊歴した。主君を求めて王道論と四端説を唱えたが意を得ず、鄒に帰国した。
【諸子百家 孟子(紀元前372-289)】易姓革命説。天は己に成り代わって王に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王に天が見切りをつけた時、革命が起きる。天命を革める。
君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲ることが禅譲、武力によって追放されることが放伐。
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4、三国時代(紀元220-316年)
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】243 -253年、魏(三国時代)の時代末期、司馬炎政府の権力に阿ることを嫌悪し、竹林にて清談し交遊した七人の賢人。当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、嵆康は鍾会の讒言によって陥れられ死刑に処せられた。悪意と偽善に満ちた社会に対する憤りである。阮籍が指導的存在である。その自由奔放な言動は『世説新語』に記され、後世の人々から敬愛される。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。
【竹林の七賢 悪意と偽善に満ちた権力への憤り】三国時代、魏(220年-265年)の末期、河南省北東部、竹林に集まって清談を行った7人の賢人。阮籍、王戎、山濤、向秀、嵆康、劉伶、阮咸。世俗を避け、竹林で琴と酒を楽しみ、清談にふけった。老荘の虚無を尊び、儒教の礼節を斥けた。権力の横暴からの逃避と儒教の経学・訓詁、偽善的汚濁への反発。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】王戎は人物眼に優れた人。呉の家臣だった石偉を推薦し、鄧艾の孫の鄧千秋を召した。蜀漢征伐に赴く鍾会が策を聞いてきた時「道家の言葉に『為して恃まず』(老子)とある。勝つのはたやすいが、それを保持するのが難しい」、鍾会の運命を的中させたと評価された。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』(353)を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり、道教一派「天師道」を信奉し、59歳で死す。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅」
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-b4d2.html
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-86b1.html
井波律子『奇人と異才の中国史』
井波律子『故事成句でたどる中国史』
井波律子『中国の隠者』
加地伸行『中国の古典 論語』2004、白川靜『孔子伝』中央公論社、加地伸行『論語全訳注』講談社学術文庫。
浅野裕一『「孫子」を読む』1993
宮崎市定『史記を語る』
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「ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。」魅死魔幽鬼夫「苧菟と瑪耶」
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★ダヴィッド「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」
Jacque Louis David - Napoleon crossing the Alps 1801

2018年8月 5日 (日)

「没後50年 藤田嗣治展」・・・乳白色の肌の裸婦、苦難の道を歩いた画家

Foujita2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第153回
灼熱の夏の午後、森陰の道を歩いて美術館に行く。面相筆の細密画、乳白色の肌の画家の旅を想う。
旅する画家、藤田嗣治。藤田嗣治は、1913年27歳でパリに旅立つ。1920年代、モンパルナスで活躍する。1930年代、中南米・アジア・日本へ旅する。1949年、日本を去る。絶望の離日。63歳でニューヨークへ旅立つ。1950年パリに帰還。藤田、ヴィリエ・ル・バクルに住む。【藤田嗣治 最後の旅】帰る国を失った画家。最後の作品、ランスの『平和の聖母礼拝堂』1966-67。「それは後世に残るもの。私が生きたことの思い出として残したいと願う永遠の作品なのです。私の仕事のすべてを天にささげます。それが私の喜びなのです」
【藤田嗣治 NYの旅】藤田嗣治『カフェ』 1949 は、ニューヨークにて「パリのカフェにて便箋を置いたまま物思いにふける。パリを想う藤田自身の姿」。『美しいスペイン女』1949、NYにてレオナルド『モナリザ』を想起する画家。パリに想いを馳せる。藤田嗣治の運命の時は、4つの時があった。1918年、1923年、1949年、1966年。
『二人の少女』1918、『五人の裸婦』1923、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、藤田嗣治『カフェにて』( 1949 )。**
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命の戦い 運命の女』
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【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、苦難の道を歩いた画家】
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、32歳にして様式確立。黄金時代1918-1929 81歳で死す】
藤田嗣治(1886-1968)。1905年に19歳で東京美術学校西洋画科に入学する。が、黒田清輝らの勢力に合わなかった。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦、藝術家の運命】
1913年(大正2年)に渡仏、パリのモンパルナスに住む。エコール・ド・パリの画家たちと交友する。シャガール、モディリアーニ、ジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイーズ・キスリング。第一次大戦1914-18。戦時下のパリで、絵が売れず、食事にも困り、寒さのあまりに描いた絵を燃やして暖をとる。
【藤田嗣治 乳白色の肌の裸婦 藝術家の運命】
1917年3月、カフェで出会ったフランス人モデルのフェルナンド・バレエ(Fernande Barrey)と2度目の結婚。初めて絵が売れる。7フラン。シェロン画廊で最初の個展。絵も高値で売れるようになる。1918年、第1次大戦、終戦。面相筆による線描を生かした技法による、透きとおる画風を、このとき確立。サロン・ドートンヌの審査員にも推挙される。急速に藤田の名声は高まる。
【藤田嗣治 中南米、日本への旅 苦難の道を歩いた画家】
1933年、南アメリカの旅から日本に帰国、1935年に25歳年下の君代(1911-2009)と出会い、一目惚れ。翌年5度目の結婚。終生連れ添う。『争闘 猫』1940。日本において陸軍美術協会理事長に就任。『アッツ島玉砕』(1943)などを描く。戦後、戦争責任を追及され藤田一人だけを追放。63歳で1949年日本を去る。絶望の離日。祖国で正当な評価を得られない失意の日々。「絵描きは絵だけを描いて下さい。仲間げんかをしないでください。日本画壇は早く世界的水準になって下さい」藤田
【藤田嗣治 日本を去りNYに行く、苦難の道を歩いた画家】
1949年日本を去る。63歳、ニューヨークに行く。『カフェ』『美しいスペイン女』。まだ入国を許されないパリを想う。
1950年、フランス入国許可が下り、ニューヨークからパリに行く。
1955年にフランス国籍を取得、1957年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章、受章。1959年73歳で、カトリックに改宗。レオナール・フジタと名付けられる。
【藤田嗣治 苦難の道を歩いた画家、最後の旅】
1965年、79歳でランスの礼拝堂の建設に着手。マルヌ県ランスにあるマム*の敷地内に『平和の聖母礼拝堂』「フジタ礼拝堂」1966の設計、内装デザイン。80歳で90日間、漆喰に描く、フレスコ画。完成2か月後、倒れる。「私の仕事のすべてを天にささげます」1968年1月29日にスイス、チューリヒにて死す。81歳。
【フレスコ画】漆喰が乾かぬ間に、インスピレーションのまま描くスピード。命を懸けて描いたフレスコ画。受胎告知に始まる『キリストの受難』キリストの生誕、洗礼、十字架への道、磔、キリスト降架、から復活まで。祭壇画の祈る人々の手に仏像の祈りの手を描く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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藤田嗣治、代表作
藤田嗣治『私の部屋、目ざまし時計のある生物』1921、『ジュイ布のある裸婦』1922、『五人の裸婦』1923、『舞踏会の前』1925、『自画像』1929、『争闘 猫』1940、『私の夢』1947、『カフェにて』( 1949 )、『美しいスペイン女』( 1949 ) 豊田市美術館蔵
藤田嗣治『花の洗礼』(1959)、『礼拝』(1962-63 )パリ市立近代美術館蔵、『タピスリーの裸婦』1923年 京都国立近代美術館蔵
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*「(藤田は)面倒見が良く人懐っこい。‟孤高の画家“ではありませんでした」高階秀爾
*「ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂」
*シャンパン・メーカー、マムの社長ルネ・ラルー(René Lalou)。
レオナール=フジタと最後の妻君代はここに埋葬されている。
**林洋子「藤田の4つの年、1918、1923、1940、1949」2018.7.30
「美の巨人たち、レオナール・フジタ『平和の聖母礼拝堂』」2008.12.27
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参考文献
「生誕120年 藤田嗣治展-パリを魅了した異邦人-」東京国立近代美術館、2006年3.28-5.21
「没後40年レオナール・フジタ展」、上野の森美術館・・・魂の昇華
https://bit.ly/2LqLRbw
『没後50年 藤田嗣治展』図録、2018
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大久保正雄『藝術家と運命の戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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★「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館、7月31日-10月8日
京都国立近代美術館、10月19日-12月16日

2018年7月24日 (火)

「縄文-1万年の美の鼓動」・・・狩猟人の行動様式

Jomon_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第152回
1万3000年前から紀元前1000年まで、1万年間つづいた縄文文化。縄文人は狩猟人、獲物を求めて旅した。縄文人は、弓矢と陥し穴仕掛けで狩猟した。陥し穴は獲物をしとめる仕掛け装置、縄文草創期まで遡る。陥し穴は獣の道に沿って予め計画的に配置した。
縄文土器(Cord marked Pottery)は世界的にも類例がなく独創的。
火焰型土器の4つの角、鶏冠隆起は何を意味するのか。焼町土器のうねる波紋は何を意味するのか。遮光器土偶の目は何を意味するのか。縄文のヴィーナス、縄文の女神、仮面の女神。縄文人はなぜ女性像を作ったのか。ギリシア、エーゲ海を旅した日々を思い出す。エーゲ海文明最古級の「キュクラデス文明の竪琴奏者」はBC2700年である。縄文人は、狩猟採集し移動した。狩猟の成功を祈って儀式、呪術を行ったのか。現代の狩猟人、シュールリアリスムの藝術家の女性像を思い出す。*ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」Paul Delvaux, Venere dormiente,1944
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
国宝「火焰型土器」新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年 新潟・十日町市蔵(十日町市博物館保管)
重要文化財「遮光器土偶」 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 東京国立博物館蔵
土偶「縄文のビーナス」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、長野県茅野市棚畑遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「縄文の女神」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、山形県舟形町西ノ前遺跡出土、山形県蔵、山形県立博物館保管)
土偶「仮面の女神」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、長野県茅野市中ッ原遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「合掌土偶」(縄文時代後期(前2000年〜1000年)、青森県八戸市風張1遺跡出土、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵)
土偶「中空土偶」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、北海道函館市著保内野遺跡出土、函館市蔵、函館市縄文文化交流センター保管)
「焼町土器」(国重要文化財)縄文中期(前3000〜前2000年)、御代田町
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土偶の目的は、1狩りの成功、2安産、3死者の再生復活。祈りであると考えられる。
「縄文のビーナス」(縄文時代後期、棚畑遺跡出)。棚橋遺跡は、当時交易の中心地だった。
矢じり、黒曜石は、長野県産。棚畑遺跡出「翡翠」は「新潟産」。「琥珀」は「千葉県銚子産」。「瀬戸内海周辺で作られた土器」も棚橋遺跡で出土している。(『縄文時代の美 日曜美術館』2018年7月22日)
*「ヴィレンドルフのヴィーナス:Venus of Willendorf」は2万4000年~2万2000年前頃旧石器時代につくられた。スティアトパイグス型(steatopygous臀部突出)の女性像。
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縄文人、弥生人
縄文人は、鋭い矢で動物を射る。弥生人は、農耕し定住し、殺人を行う。弥生時代になると貧富の差が生じ「戦争」概念が入る。縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少ない。縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期まで6期に分けられる。
縄文人はホモ・サピエンス人の遺伝子をもつ。「新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に生まれ、その後世界各地に散らばって行ったことも証明された。人類の祖は大きく3つのグループに分かれてアフリカを旅立ったが、その3つの遺伝子すべてが、日本列島にやってきた。日本人の先祖はロシアのバイカル湖から南下してきた」松本秀雄『日本人は何処から来たか』NHKブックス
「バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統だが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統。やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきた」。崎谷満『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』勉誠出版
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参考文献
「古代ギリシア、時空を超える旅」東京国立博物館・・・永遠を旅する哲学者
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-30a1.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。東京国立博物館
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★「特別展 縄文」東京国立博物館 7月3日-9月2日

2018年7月18日 (水)

孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク

Photo2_5_27_nw_jpg2018052702孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク
2018年5月27日、上智大学。ソフィアタワー6号館204教室にて。
【質疑応答】を、ここに記録します。
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序、独裁政権が支配して、民主主義は崩壊している。ファシズムの14の兆候がある。うそ、公文書改竄、隠蔽する最高権力者。権力に隷従、盲従する官僚の群れ、知識人の質が低下し、報道機関も劣化した。検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。三浦るり、井上達夫、藤原帰一、偽物が跳梁跋扈する。御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群(Herde)の先導者に、民衆はだまされる。
かつて、佐藤功、憲法学教授は、長沼ナイキ訴訟に対し「裁かるべきは裁判官である」と言った。これは、最高裁は権力の奴隷であり、三権分立は存在しないことを意味する。
大久保正雄
核の傘は存在するのか。ミサイルは迎撃できるのか。安全保障論は核の傘が存在することを前提として成立するが、核の傘は存在しない。核の傘の幻想、安全保障論は、軍産複合体の利益を守るためにある。相互確証破壊戦略によって、核保有国は防衛されるが、衛星国は守られない。だが、日本の報道の自由度は世界72位(180カ国、2017年)。国際政治情報は誤りだらけだが、どのように真の情報を収集し分析、判断するのか。
【不屈の意志】孔子は、下剋上の嵐を止めるため、魯の君主に抜擢され大司寇に任命されるが、魯国の繁栄を恐れた隣国の斉は美女歌舞団八十人を魯国に贈った。季桓は受納し三日政庁に現れず。紀元前497年孔子、魯国を去る。孔子56歳。14年間、流浪の旅に出る(『論語』微子四)。孔子は、長人とよばれ身長216㎝。
北朝鮮の美女歌舞団が韓国を訪れ、韓国人民は熱狂し、南北朝鮮の統一が実現しそうになっている。たが、日本国の首相は憲法を変えてまで、戦争する国にしようとしている。
国際政治の核心について孫崎先生にご説明いただきます。
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孫崎享
ミサイル防衛はできない。防衛で国を守ることはできない。近距離ミサイルは、秒速3千メートルで落下する。迎撃ミサイルは秒速15-20km。迎撃できない。北から6千マイル離れている米国でICBMを迎撃することは可能。PAC3を売りつけることが目的。
核時代、相互確証破壊戦略が核保有国にある。ワシントンが核攻撃されれば、米国は破壊され、北京が核攻撃されれば、中国は破壊される。原子力潜水艦を用意すれば、報復できる。だが、東京を守るために、ワシントンを犠牲にできるか。核ミサイルに抑止力はない(キッシンジャー1978年)。条約によって衛星国、同盟国を防衛できない。米国は自国に利益があるときにのみ、武力行使する。米国政府は、軍産複合体に支配されている。オバマは、初期、軍産複合体の支配に抗しようとしたが、結局、支配された。トランプは、軍産複合体に支配されている。軍産複合体には、リベラル派とタカ派がいるが、どちらも好戦的。
北朝鮮は、米国からCVID「1完全、査察可能、不可逆、核兵器廃止。2即時廃止」を求められている。核開発は、米国攻撃をどう止めるか。韓国で何十万人か死亡する。という状況にある。リビア方式は厳しすぎる。受け入れ不可能。可能なのは、休戦、平和条約であり、相互不可侵。北朝鮮の脅威を利用するのは、軍産複合体である。
大久保正雄
「歴史は、自由主義と階級主義の戦いである」この国は、階級主義者によって支配されてきた。織田信長、理念を探求する思想家、少数の自由主義者によって、革命が試みられたが、挫折した。民衆、知識人は、階級社会を好む奴隷である。常に特権階級に嬉々として騙される。
孫崎享
その通りです。この国は、根本的な体制変換を求める市民は存在してこなかった。中国には『孟子』の易姓革命の思想があるが、この国で革命を追求する人は極め異例である。
――
参考文献
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第10回
https://t.co/UV5VZGgQ5G
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://bit.ly/2vO4qzC
三浦るり、井上達夫、藤原帰一、偽物が跳梁跋扈する。御用学者、末人の群れ。真理に仕えず、金と地位に仕える畜群(Herde)の先導者。
高貴な精神とは何か。失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。
http://bit.ly/2CWj9KI
偽物を尊ぶ末人、畜群(Herde)の時代。目先の利益と地位を追求する末人たち。理念と正義が崩壊した時代。「われわれは幸福を発明した。末人たちはそう言ってまばたきする」『ツァラトスゥトラ』
失われた巨匠たち。悪質な詐欺師が跳梁する偽物の時代。映像の魔術師の死。
http://bit.ly/2GOTzK3
――
参考資料
1、【日本政府は日本国憲法の三大原則を守れ。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義】
ニューヨークタイムズ社説、憲法を個人の意のまま変えようとする安倍首相を最高裁で裁けと警鐘。2014年
https://ameblo.jp/awakinginheaven/entry-12266744616.html
2、【国家vs新聞社】米政府が30年もの間ひた隠しにした、<最高機密文書>。
政府を敵に回してまで、記事にするのか…! 「今」を弾丸のように撃ち抜く、真実の物語―。 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』 「さあ、決断の時です。」 全ては一人の女性に託された―。
http://pentagonpapers-movie.jp
【国家の圧力にも負けずに最後まで報道し続けた】スノーデン報道にピュリツァー賞を与えたコロンビア大学 天木直人のメールマガジ2014年4月16日第318号
3、【日本の劣化】公文書の信頼失墜、日本の学術研究に打撃
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28038890T10C18A3I10000/
【森友文書】仏紙 ル・モンドの担当者「日本は深刻な病に」「欧州なら政府が飛ぶ」
http://johosokuhou.com/2018/04/05/3090/
外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ !森友スキャンダルが映す日本の本当の闇
http://toyokeizai.net/articles/-/213722
4、アメリカこそが平和に対する世界最大の脅威である。ノーム・チョムスキー
ガザで殺人を行っているのは誰か - ノーム・チョムスキー http://on.fb.me/13999cO (English) *民主主義への脅威は富裕層。http://on.fb.me/1g8bBb3
5、B層は常に特権階級に嬉々として騙される
コロッとだまされる"B層"が大多数の日本「戦争に行っちゃう可能性もある」森永卓郎
*B層、だまされる奴隷階級=社蓄サラリーマン、主婦、バカ学生
どんな組織でも、上司をたてなければ、出世はおぼつかない。それが人間の本性ではあるけれど、上司の人間性が貧弱な場合、かなりゆがんだ組織になるものだ。 山川 紘矢
現在の内閣は上級公務員の人事権を使って、内閣の言うことをよく聞く人物を出世させているのです。イエスマンだけを出世させる弊害って、国民は知らないのです。山川 紘矢
中央官庁のいわゆる上級公務員の関心事は、自分がどこまで出世できるかと言うことになっている。それが事実なのです。山川 紘矢
6、人類の歴史は、自由主義と階級主義の戦い。対立する思想は決して和解しない。殺し合い。
【織田信長。親は敵、兄弟は最大の敵】信長の父信秀1551年病没。十二人兄弟のうち生き残ったのは二人。織田有楽斎、信包。生存率16%。弟信行(信勝)、弘治2年、信長に謀反、稲生の戦い。弘治3(1557)年、清州城で謀反、信長に返り討ち謀殺さる。信長24歳。
【アンドリュー・ワイエス】『クリスチーナの世界』1948。海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。クリスチーナは、家に向かって這っていく。人間の境遇について描くテンペラ画。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。這って草原の丘を登る。ピンクのワンピースを着た55歳の女性。
生命とは自由の追求である。(渡辺慧『時間と自由』)
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第151回

2018年7月15日 (日)

島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』ソフィア文化芸術ネットワーク

20170616020170628015「島薗進『死生学』第3回、宗教の名著 魂のことば」5月27日、上智大学、6号館204教室。島薗進先生との質疑応答を、ここに記録します。
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1、宗教にある「遊戯」の要素について
大久保正雄
学問の本質は問答にある。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス<遊戯人>』(1938)は、問答競技、詩歌の競技、技比べ。ギリシア人の謎、プロブレーマ。を論じる。ロジェ・カイヨワによる「遊戯の分類、アゴーン(競争)、アレア(運)、ミメシス(模倣)、ヴァーティゴ(眩暈)」である。宗教にある「遊戯」の要素とは何ですか。
島薗進
宗教にある「遊戯」の要素は、現実から距離をとって一定の自由を得て、ふだん捉えにくい真実にふれる。芸術は遊びの発展したものと捉えられる。身心のさまざまな可能性を発揮する機会となる。
――
2、宗教における「現世の階級社会、価値観の否定」について。現世の価値を超える価値の探求
大久保正雄
織田信長の思想を研究する人は稀少。織田信長には「世間の階級社会、価値観の否定」がある。
*注【織田信長、天下布武】既存の世間の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えによる。天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。参考文献 小和田哲男『集中講義 織田信長』
*【織田信長、天下布武】既存の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。子供の時から、尾張の大うつけ。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えにより、天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。織田信長、知的で革命的。「信長、貪欲でなく、食を節し、飲酒せず」フロイス『日本史』
*【織田信長、権威主義を拒否。決断を秘め、戦術に極めて老練】「自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。」ルイス・フロイス『日本史』
*【創造する精神 織田信長】【天下布武】アンシャン・レジーム、階級社会との戦い。天正二(1574)年、東大寺正倉院の香木、聖武天皇遺愛の品、天下第一の名香、蘭奢待を切らせる。正親町天皇の勅許をえる。

島薗進
信長は日本の宗教の地形を大きく変化させた人と言える。仏教勢力を打破し、ある意味では人間性の拡充の方向性を開いたところがある。キリスト教に刺激され、帝国的な普遍性を求めた側面もある。他方、中世の来世志向から近世の現世肯定への転換点に位置すると言える。豊臣秀吉、徳川家康は新たな階級社会を作った。織田信長が、もし本能寺の変で倒れなかったら、違う世界になっていた、能力主義の世界を作ったかもしれない。
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3、織田信長と禅僧、禅の老荘思想について
大久保正雄
織田信長は、妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えを受け、権威を否定するニヒリズム、禅僧を作戦参謀としていた。臨済宗の本質は老荘思想、無の思想である。これについて先生のご意見を。
島薗進
当時の禅僧は中華帝国の文化の取入れ口でもあった。既存の権威を否定するが、それにかわる精神文化は見えていなかった。秀吉、家康になるとはより保守的になってくる。しかし、博多や界の商人らがもっていた自由闊達さは禅宗のそれに通じ、やがて「浮き世」の文化へと引き継がれていく。
――
4、空海の密教とプラトン哲学の世界観について
大久保正雄
空海の密教は、理念を現実に実現する世界観。法身、大日如来、報身、阿弥陀仏、応化身、釈迦牟尼仏。5世紀までにはその本質永遠性と現実即応の関連づけ、すなわち統一が問題となり、それが仏身論に及び、法身と色身(応身)を合せた報身が立てられ、三身説が成立した。「一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏、二に報身仏、三に法身仏なり」(『十地経論』巻3 )。「現実に現身のままで大日如来になる」(空海『即身成仏義』)。空海は、法身仏、普遍的な存在が説法をすると説く。釈迦牟尼の教えを超え、釈迦牟尼の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にした。(宮坂宥勝『空海・生涯と思想』)【世界観】プラトン哲学は、理念をこの世界に実現することを探求する世界観。イデアリスム。善のイデア「太陽の比喩」。知の階梯「線分の比喩」『国家』第6巻。魂の眼に向け変え「洞窟の比喩」『国家』第7巻。例えば、仏身論、三身説の存在論は「知恵、知を愛する人、知を愛するソクラテス」に対応する。
島薗進
仏教のなかで、超越界(イデア界)を表象し、そこへ飛翔していく方向性を豊かに展開させたのが密教で、日本では空海がその基礎づけを行った。
芸術・遊びとも相通じる身心変容体験を多様に展開し、日本の神仏習合傾向とも合致。超越志向が招きがちな感覚の否定・抑制の方向性を抑えた。
空海は、日本を超えた世界人。空海は、密教を唐から将来し、究極の形に展開した。密教は中国に残らず、空海の日本に残った。世界的視野をもつ類いまれな人。
――
5、宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形
大久保正雄
宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形である。例えば、砂漠と対峙する民族の戦いの形が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。「宗教の使命とは何か」。島薗先生のご意見を。
島薗進
人間はむき出しの力の支配する現実のなかに生きている。そこからの自由を得て各人にオリエンテーションを与えるとともに、共同生活を方向づけていき、また限られた人間の力では見定めることができないものにふれていくための資源として受け継がれてきたもの。
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6、3つの世界観の時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
私は、回帰的時間に癒しを感じます。
島薗進
柔軟な回帰的な時間の意識が好ましいと感じる。これは現代社会が、資本主義の背後にある終末観的時間の危うさと進化的時間の危うさを超えられないことによる病理に苦しんでいると見えるから。
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7、『銀河鉄道の夜』の主題は何ですか。
大久保正雄
『銀河鉄道の夜』の主題は、死生界の境界、魂の永遠性、三次元を超えた世界、この世とあの世の交流、自己犠牲、異界への入口、他界憧憬、「ほんとうの幸いとは何か」を探す旅。等、指摘されている。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする。旅の目的は何か。
島薗進
それらすべてでしょうが、また、死と孤独と悲しみとともに生きて行く人間の支えとなるものの探求の書でもあるのでしょう。
宮澤賢治は、悲しみの詩人。父との葛藤、妹の死の悲しみに苦しんだ。悲しみを癒すために詩とメルヒェンを書いた。銀河鉄道は、イデアの世界であり、法華経の世界。そこへ向かう旅。
――
8、若き日にもっていた純粋さ、心の美しさを多くの人は失う。純粋さ、心の美しさを持ちつづけるために必要な精神、美質とは何か。島薗先生のご意見をお聞きします。
大久保正雄
宮澤賢治は、花巻農学校の教壇を去るとき、詩を残している。「どの人もどの人もなくすのだ」*宮澤賢治『告別』(『春と修羅 第二集』)「おまへのバスの三連音がどんなぐあいに鳴ってゐたかをおそらくおまへはわかってゐまい その純朴さ希みに充ちたたのしさはほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」「おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう」「いゝかおまへはおれの弟子なのだ ちからのかぎり そらいっぱいの 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ」【魂のことば】
島薗進
今すぐには手に入らない遠くを見ようとする心と、すぐには役に立ったり利益につながったりしない、けれどもそこに大切なものがあると感じる経験、そしてそれを尊ぶ他者との交わり。また、誰にもそのような心の痛みと輝きがあることを信じることではないでしょうか。
――
参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
https://bit.ly/2lbezTP
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊
https://t.co/3d2IBLmUmu
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
https://t.co/MCQLkf9YVW
李白 旅する詩人 美への旅
https://t.co/IwUD8y80gw
『星の王子さま』サンテグジュペリ、心の目でみる。
https://t.co/NuX2YlAkHI
――
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
――
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第150回

2018年7月11日 (水)

孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー

Michelangelo_pieta_1499_detail大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第149回
ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する人間の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』* (1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、美しい糸杉の丘、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、人間の曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
――
【メディチ家と法王庁との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決する。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコ・デラ・ミランドラも毒殺され、フィチーノは1499年死ぬ。ジョルダーノ・ブルーノは1600年死ぬ。
ミケランジェロは、銀行家ブォナロティ家は没落、6歳で母が死ぬ。14-17歳の時、ロレンツォの家にて養育される。ミケランジェロ、理想の美の探求が始まる。メディチ家とプラトン・アカデミーに教えられる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、メディチ家の戦い 黄金時代のロレンツォ
ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485『東方三博士の礼拝』1476。
描かれたジュリアーノ・デ・メディチは25歳で死ぬ。シモネッタ・ヴェスプッチは23歳で死ぬ。ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』1476。コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、ボッティチェリ(1445-1510)の容姿が描かれている。
ミケランジェロ(1475-1564)は、ロレンツォの家で養育される(1489-1492)。88歳まで生きる。
招かれざるレオナルド、ミラノへ去る。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、ルネサンス、包囲されたフィレンツェ ロレンツォ暗殺の陰謀、フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474-1480)。イタリアの戦国時代。ロレンツォ(1449-1492 1469から当主)は、稀代の戦略家であり教養人である。イタリアの天秤の針。1479ナポリ王フェランテを説得、和平交渉する。
パッツィ家の陰謀(1478)。真の犯人は、フィレンツェに敵対する、戦争好き陰謀家の法王。陰謀家シクストゥス4世(在位1471-1484)の陰謀。銀行家パッツィに命じる。
3、メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ(1389-1464)は、1439年、哲学者ゲミストス・プレトンからプラトン哲学の奥義の講義を受け感銘する。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設する。(Ficinno Opera Omnia, Vol2) マルシリオ・フィチーノにプラトン全集の翻訳を託す。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩書はない。アンジェロ・ポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・デ・メディチ・イル・フォルトゥオ(愚者)が、敵に調略された。1499年、マルシリオ・フィチーノ(1449-1499)、死ぬ。
4、孤高の藝術家、ミケランジェロ 古代の美の探求
【メディチ家の戦いの精神史】理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』にはルネサンスの美貌が刻まれている。レオ10世の依頼でヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de' Medici duca di Nemours.1479-1516)像を制作1526—31。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「ラオコーン」レオカレス「ベルヴェデーレのアポロン」「ベルヴェデーレのトルソ」の美を探求した。
5、ルネサンス 古代彫刻の発見
「ラオコーン」は1506年ローマ、ネロの黄金宮殿跡にて発見された。ロドス島の3人の彫刻家の原作による。ハリカルナッソスのレオカレス原作による「ベルヴェデーレのアポロンBelvedere Apollo」は、1499年アンティウムのネロの夏の離宮から発見され、「エスクィリーノのヴィーナスEsquiline Venus BC1c」はエスクィリーノの丘から発見された。ミケランジェロは「ベルヴェデーレのトルソBelvedere Torso」を研究し天井画に応用した。
古代ローマの皇帝ネロ(54-68)や皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化を愛した。ネロはギリシア彫刻を愛しコレクションを所蔵していた。ネロはギリシア彫刻を集め宮殿に並べていた。古代彫刻の数々の傑作「ラオコーン」「エスクィリーノのヴィーナス」「ベルヴェデーレのアポロン」は、ネロのコレクションのなかにあった。ネロはパラティヌスの丘からカピトリヌスの丘まで「渡り宮殿」(ドムス・トランシトリア)を建設したが、ローマが大火で炎上し、廃墟の跡に「黄金宮殿」(ドムス・アウレア)を建設した。エスクィリヌスの丘は、黄金宮殿の跡である。ネロは美を追求した。美に溺れ、美的趣味を探求した詩人皇帝である。
6、メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。だが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。*
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。*フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」*
7、プラトン哲学の奥義
プラトン・アカデミーの思想家が学んだプラトン哲学の奥義は、魂の哲学と美の哲学である。「魂は不死不滅である」。「本質は眼で見ることができない」「本質は心の眼によってのみ見ることができる」。「魂の美が存在する」「魂の美は、肉体における美より美しい」。魂と本質の哲学である。プラトン哲学の影響は、フィチーノ『プラトン神学』『饗宴注解』に顕著である。*
8、ルネサンスの終焉、メディチ家追放、サヴォナローラの死
ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。サヴォナローラは、間諜=工作員(死間『孫子』用間編)である。シャルル8世のフィレンツェ侵攻(1494年)を予言。1494年、メディチ家、フィレンツェから追放される。「虚飾の焼却」1498年、ルネサンスの藝術、焼かれる。サヴォナローラ、法王アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。1498年5月23日、シニョーリア広場にて処刑される。16世紀、ミケランジェロのマニエリスムの時代、17世紀、カラヴァッジョのバロックの時代が始まる。マニエリスムの藝術家は、フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)を駆使する。*
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
――
*ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』(1530)  フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』Michelangelo,Davide=Apollo(1530)にはミケランジェロ彫刻の特徴となる要素が全て詰まっている。「大理石でできている。そして、コントラポストのポーズをとっているが、それ以上にミケランジェロ独特のフィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)という螺旋状の曲がりくねる動きが見られる。このポーズは彼の絵画『聖家族』でも用いられ、その他の多くの芸術家たちも真似をしている。マニエリスムの藝術家たち。ミケランジェロは、レオナルドと同様、解剖学を研究してその結果を背中や腰の筋肉に反映している。この作品は未完成である。ミケランジェロの作品には、大理石の欠陥や彼自身の思いによって未完のものが多くある」第3章ミケランジェロについて描かれた絵画や文献から彼自身の人間性について。「大理石の塊の中には、すでに潜在的に完成された像が内包されており、自由になるのを待っている。彫刻家はその像を解放するのだ」とミケランジェロは言っていた。それは、「人間の魂が肉体の束縛から解放されて、魂の世界に到達できる」という新プラトン主義の考えと共通する」ルドヴィーカ・セブレゴンディ、報道内覧会にて2018年6月18日
――
参考文献
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」上智大学1993
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
(プラトン『饗宴』)
ミケランジェロ『ピエタ』1498-1500ミケランジェロ『ダヴィデ』1504ミケランジェロ『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』1526-31ミケランジェロ『勝利』1526-30ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』1524-31
『階段の聖母』1492『ケンタウロスの戦い』1492『バッカス』1497『フィレンツェのピエタ』1547-1553『ロンダニーニのピエタ』1564『聖家族』1507
「ミケランジェロと理想の身体」図録、国立西洋美術館2018
――
★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
https://bit.ly/2KFGXvc

2018年7月 8日 (日)

「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術

Michelangelo2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第148回
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』(1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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1、【ミケランジェロ、苦難の少年】1475年、アレッツォ近郊フィレンツェ共和国のカプレーゼに生まれた。銀行家ブオナロティ家に生まれるが、銀行業は没落。ミケランジェロ一家は石工の一家と共にセッティニャーノに住む。1481年ミケランジェロ、6歳の時、長い闘病生活の末、母フランチェスカが死去。苦難の人生の旅立ち。
2、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、運命の扉】13歳のときに画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。1489年メディチ家ロレンツォ・デ・メディチがギルランダイオに、最も優れた弟子を求め、1490年から1492年、ミケランジェロはメディチ家が創設したプラトン・アカデミーに参加。ロレンツォの家で養われる。1492年4月8日ロレンツォ・デ・メディチ、死去する。
3、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、美しき青春】14-15歳、メディチ家のサンマルコ庭園に通う。古代彫刻を学ぶ。ロレンツォの家にて『階段の聖母』(1491年)『ケンタウロスとの戦い』(1492年)制作。1492年4月8日、ロレンツォ・デ・メディチ、死去。17歳の時、メディチ家を去る。21歳、ローマにて『クピド』『バッカス』(1496年)を制作。
4、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、最高傑作】23歳で『ピエタ』(1498年) 枢機卿ジャン・ピエールのために製作を開始。フィレンツェ共和国のために、29歳で『ダヴィデ』(1504年) を制作。天才と呼ばれる。
ミケランジェロ『ピエタ』は、若い女の膝に死せるキリストが横たわっている。憂愁のただよう空間、若い女の悲しみ、子の死。なぜ若いマリアが刻まれたのか。6歳で死別した母の面影が蘇る。
ミケランジェロ『ダヴィデ』(1504年) 。イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石で倒し、剣で首を斬る。巨人に立ち向かう人間。フィレンツェ共和国が包囲された対抗勢力に対して戦う姿。
*【ダヴィデ、ゴリアテと戦う】イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石を額に当てて昏倒させ自らの剣で首を刎ねて絶命させた。「第一サムエル記第17章」。
*1501年フィレンツェ造営局は26歳の若きミケランジェロに委託することを決定した。1501年8月16日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わした。1504年1月25日、ダヴィデ像の置き場所をめぐる会合を開き、シニョーリア広場に決定。1504年9月8日に公開された。
5、【ミケランジェロ、法皇ユリウス2世と確執】1503年デッラ・ローヴェレ家ユリウス2世が法皇になる。1505年『ユリウス2世霊廟』制作依頼される。1508年、天井画制作を依頼される。ミケランジェロ天井画制作を嫌う。1512年、37歳『システィーナ礼拝堂天井画』完成。1513年、ユリウス2世、死去。
6、【ミケランジェロ、メディチ家レオ10世】1513年、ロレンツォ・イル・マニフィコの息子レオ10世、教皇に即位。1516年、41歳の時、レオ10世が、サン・ロレンツォ聖堂ファサードを依頼。1521年、レオ10世、ルターを破門。レオ10世、死去。『ミネルヴァのキリスト』(1521年)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。
7、【ミケランジェロ、メディチ家クレメンス7世】1524年、49歳、クレメンス7世の委嘱により『ラウレンツィアーナ図書館』建設開始。1526年、51歳、メディチ家墓廟にウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ墓廟『黎明』『黄昏』(1524-1531) に着手。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ墓廟『昼』『夜』(1524-1531)制作。
8、【ミケランジェロ、ローマ】1534年、クレメンス7世死去。ミケランジェロ、59歳、ローマに移住。1541年、68歳、『最後の審判』除幕。
9、【ミケランジェロとヴィットリア・コロンナ】1535年、貴婦人ヴィットリア・コロンナと出会う。ミケランジェロ、60歳。ミケランジェロ、300篇のソネットを、ヴィットリオ・コロンナに書く。1547年、ヴィットリア死す。(Vittoria Colonna, 1490-1547)。ミケランジェロ65歳、ヴィットリア50歳のとき、『ヴィットリア・コロンナを描いたミケランジェロの素描』大英博物館所蔵(1540年)。
10、【ミケランジェロ、旅の果て】
1548年、73歳の時、サン・ピエトロ大聖堂建築監督に任命される。84歳の時、『ロンダニーニのピエタ』(1559-1564)制作。ミケランジェロ、1564年、88歳、ローマにて死す。
11、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、孤高な性格】ミケランジェロは、気難しく自尊心が強く人を寄せ付けぬ性格で、孤高の藝術家である。敵対する者に対しては容赦なく、復讐した。教皇レオ10世「ミケランジェロは誰の手にも負えない」。ルドヴィーカ・セブレゴンディ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【レオナルド、波瀾の生涯】この上なく美しかったレオナルド・ダ・ヴィンチの容貌の素晴しさは、見る者のどんなに悲しい気持をも晴れやかにした。彼が口を挟むと、どんなに頑固な意志も、肯定にも否定にも自由に転じた。彼の力はいかなる激しい怒りをも抑え、また右手で鉄の鐘や、鉄の馬蹄を鉛の如くよじ曲げることができた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
レオナルド・ダ・ヴィンチは実に快く会話をし、人の心を惹きつけた。また、何も所有しておらず、無一物というべきで、ほとんど働かなかったが、常に従者を雇い馬を飼っていた。馬をたいへん愛し、他の動物も全てこの上なく愛し、忍耐強く飼い慣らしていた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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「ミケランジェロと理想の身体」展示作品の一部
『ダヴィデ=アポロ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1530年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 Firenze
『若き洗礼者ヨハネ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1495-96年 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、メディナセリ公爵家財団法人蔵 高さ130cm 大理石
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参考文献
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

2018年6月11日 (月)

ミラクル エッシャー展・・・迷宮の旅人

Escher2018Escher_belvedere_1958大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第147回
緑陰の森を歩いて美術館に行く。不思議な迷宮、エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958。奇想版画家、エッシャーは、なぜ、建築不可能な建築、無限を閉じ込めた有限を描きつづけたのか。迷宮の旅人の謎。
イタリアの迷宮都市、アマルフィ海岸の迷宮、アルハンブラ宮殿。運命の女に出会う。
1922年—1937年、24歳から39歳まで、イタリア、スペインを旅する。1922年、アルハンブラ宮殿に出会う。1923年、イタリアでイエッタに出会う。
1922年-24年、イタリアを旅する。1923年、25歳のとき、イエッタ・ウミカーと出会う。運命の女。イタリアの旅、スペインの旅で、建築不可能な構造物、無限を有限のなかに閉じ込めた建築、無限模様に魅せられる。
版画家は、世界で最も美しい海岸、アマルフィ、アルハンブラ、迷宮都市に魅せられ、バッハの無限旋律に耽溺し、現実と非現実の狭間を彷徨い、迷宮の謎に挑みつづけた。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる。」『善悪の彼岸』146節。
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【エッシャー 迷宮の旅 アルハンブラ】1922年、スペインの旅でアルハンブラ宮殿に出会う。1924年、旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚。1926年、長男ジョージが生まれローマに移り住む。1930年、風景画の最高傑作『カストロバルバ』制作。1935年長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられファシズムを嫌いスイスに移住。だが、スイスの雪景色に倦怠する。南の海に憬れ、自らスペイン南部にいたる船旅を計画。旅行中スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のアラベスク模様を見て感銘を受ける。1937年、39歳アルハンブラ宮殿の再訪、以後、作風は一変する。繰り返し模様の作品に挑戦しはじめる。エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)は、73歳まで、迷宮に挑みつづける。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
エッシャー「アマルフィ海岸」1934、「サンジミニャーノ」1922、「地下聖堂での行列」1927、「カストロヴァルヴァ アブルッツィ地方」1930、「水没した聖堂」1929、「バベルの塔」1928、「昼と夜」1938
エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「相対性」1953、「メタモルフォーゼⅡ」1939、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2JcRwVI
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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8つのキーワードを通して説く、奇想版画家の「謎」。「科学」「聖書」「風景」「人物」「広告」「技法」「反射」「錯視」の8つの観点からエッシャーの作品に迫ります。
20世紀のオランダ、ヨーロッパ芸術のなかで、エッシャーは極めて独特な位置に立つ芸術家。20世紀を代表する奇想の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)。“視覚の魔術師”と呼ばれる。独特の構図と唯一無二の技法を使った「だまし絵(トロンプ・ルイユ)」の作品で有名だ。コンピュータの存在しない時代に発想した、緻密で数学的なアートワークは人々を驚かせた。広報資料より
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★ミラクル エッシャー展
生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展
上野の森美術館、2018 年6 月6 日(水) - 7 月29 日(日)
あべのハルカス美術館、11月16日(金)~2019年1月14日(月・祝)

2018年6月 3日 (日)

「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝

20180530大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第146回
アレクサンドロス大王は、20歳で復讐を果たして人生の旅に旅立つ。ペルシア帝国を滅ぼし、バビロンにて33歳で死す。ナポレオンは、51歳で絶海の孤島セント・ヘレナで死す。王妃マリー・アントワネット、コンコルド広場にて処刑、37歳。波瀾の人生の果てに、若くして死す。人生の戦いに勝利した偉大な王、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに破れた哲人、理念を追求する。輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
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【偉大なる大王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。美しき宗教改革者ネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【フランス革命の死】マリー・アントワネット37歳。ルイ16世38歳。ロベスピエール36歳。ダヴィッド77歳。ナポレオン51歳。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。
【ルネサンスの死】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フィチーノ62歳。ボッティチェリ65歳。ミケランジェロ88歳。シクストゥス4世70歳。1499年プラトンアカデミーの思想家、死す。1600年、ジョルダーノ・ブルーノ52歳。
【復讐する精神】アレクサンドロスは、父王フィリッポス2世を側近貴族によって暗殺、復讐を果たして人生の旅に旅立つ。紀元前336年、アレクサンドロス20歳。織田信長は、織田信行の二度目の謀反に復讐を果たし、人生の冒険に旅立つ。弘治三(1557)年、信長24歳。
【ナポレオン】余の栄誉は40回の戦勝ではなく、永久に残るのは余の民法典である。
ナポレオン、身長168。27歳でイタリア遠征軍司令官に抜擢され、第1次対仏大同盟を崩壊させ、イギリスとインドの通商を絶つため、エジプト遠征。1800年第2次対仏大同盟を解体、終身統領となる。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。1810年、オーストリア皇帝の長女マリー・ルイーズと結婚。1812年、ロシア遠征挫折。1813年、諸国民戦争に敗れ、エルバ島に流刑。1815年、エルバ島を脱出し、帝位につく。ワーテルローの戦いで破れ、絶海の孤島セント・ヘレナ島に流される。51歳で死す。
【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。
*「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」Utilitarianism.1861
“It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.” Utilitarianism.1861
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
「アレクサンドロス大王の肖像」、通称《アザラのヘルメス柱》2世紀前半、リュシッポスによる原作(前330年頃)に基づきイタリアで制作イタリア、ティヴォリ出土 大理石(ペンテリコン産)
ディエゴ・ベラスケス「スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア」1652
アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト(1796年11月17日)」1796年
クロード・ラメ「戴冠式の正装のナポレオン1世」1813年
アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房「戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」1827年
ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)「女性の肖像」、通称「美しきナーニ」1560年
セーヴル磁器製作所(ルイ=シモン・ボワゾに基づく)「フランス王妃マリー=アントワネットの胸像」1782年 ビスキュイ(素焼きの硬質磁器)
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「フランス王子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像」1842年
サンドロ・ボッティチェリと工房「赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像」1480-1490年頃 ロレンツォ・イル・マニフィコの従兄弟であった、ロレンツォ・トルナブオーニ(1465-1497)とする説がある。
ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」1794年頃 油彩/カンヴァス
「青冠をかぶったアメンホテップ3世」在位前1391-1353
子はアメンホテプ4世アクエンアテン王。老王アメンホテプ3世は、若く美しいネフェルティティを迎えるが自身は病に苦しみ、ほとんど政治は正妃のティイに任せ、彼女は、父との不仲で中央から遠ざけられていた、12歳の息子のアメンホテプ4世を呼び寄せ、ネフェルティティと結婚させる。
「神官としてのアウグストゥス帝」
「トガをまとったティベリウス帝」
「胴鎧をまとったカラカラ帝」
フランシスコ・デ・ゴヤ「ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネス」1791
ジュゼッペ・アルチンボルド「春」1573年 油彩/カンヴァス
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参考文献
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第73回
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
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★「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」
国立新美術館、5月30日-9月3日
大阪市立美術館、9月22日(土)- 2019年1月14日(月・祝)

2018年5月 3日 (木)

「名作誕生、つながる日本美術」東京国立博物館・・・美の系図、創造のドラマ

20180413大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第145回
春爛漫、百花繚乱、紫の躑躅咲く森を歩いて、花の匂い漂う、夕暮れの博物館に行く。煌めく宗達筆「扇面散屏風」、雪舟筆「四季花鳥図屛風」、超絶技巧と色彩の魔術の若冲筆「雪梅雄鶏図」、等伯筆「山水松林架橋図襖」。藝術家の至高の美の空間が蘇る。
奈良時代の一木彫像から、雪舟、宗達、若冲、等伯、光琳、顔輝、岸田劉生まで。
絢爛豪華な美の系図。空前絶後、前代未聞の比較展示。卓越した巨匠の空間。中国、日本の美の変奏と系譜。「夫レ美術ハ国ノ精華ナリ」。
藝術はなぜ、創造されるのか。なぜ生み出されたのか。死に至るまでつづけられる創作の秘密。藝術家の格闘のドラマ。巨匠たちの、剽窃、模倣、継承、変形、兆戦、創造への果てしない格闘。
雪舟の部屋、宗達の部屋、若冲の部屋。充溢した濃密な巨匠の空間に佇む。異界の空間。藝術は、異界への扉。創作の秘密を解き明かす、巨匠と巨匠の美の系図。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

若冲展示室で佐藤康宏氏に会う。「若冲は、努力家、天才ではない。文正、陳伯沖を研究した」「名作はたんに天才によって創造されるのではない。巨匠の傑作は天才によって構築されるのではない」
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雪舟等楊は、玉㵎を学び「破墨山水図」を描き、呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。狩野元信は雪舟等楊筆と呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。
俵屋宗達は「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡を複製、再構成して「扇面散屏風」を制作した。
伊藤若冲筆は、文正「鳴鶴図」、陳伯沖「松上双鶴図」を研究して「白鶴図」を描いた。
長谷川等伯は、能阿弥筆「三保松原図」、自作「山水松林架橋図襖」をへて、「松林図屛風」に到達する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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【雪舟、47歳の時、遣明船で明に渡る】雪舟(等楊)は備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る。山口に初めて来たのはまだ拙宗を号としていた1455年頃、28代大内教弘の時代。雪舟47歳の時、1467年、大内氏の遣明船に乗り、念願の明に渡る。明で画の勉強を終えた雪舟は、1469年に帰国し日本各地を転々とした。1483年再び山口に戻り、雲谷庵に定住。創作活動にすべてを注ぎ、1486年、最高傑作「山水長巻」を山口で完成。1506年87歳でこの世を去る。画風は、弟子達に受け継がれ、「雲谷派」と呼ばれる。【雪舟】(応永27年( 1420年)—永正3年8月8日( 1506年))岡山県総社市の宝福寺での小僧時代、涙で鼠を描いた逸話が有名である。*狩野永納『本朝画史』(1693年)。雪舟は、玉㵎を模倣して「破墨山水図」(室町時代1495)を描く。「破墨山水図」は、雪舟が1495年、76歳に制作し弟子の如水宗淵に与えた山水画。東京国立博物館所蔵。雪舟自身の長文の自題がある。自題の中に「破墨の法」を明で学んだと述べているのでこの名があるが技法的には「溌墨山水」。「破墨山水図」自序の中で、雪舟は、かつて中国へ渡り、李在と長有声に画を学んだ、日本では如拙、周文の画を受け継ぐことなどを述べ、如水宗淵のために画学の系譜を明らかにする。
【俵屋宗達、扇絵】17世紀は俵屋宗達とその工房の活躍期。仮名草子「竹斎」元和年間(1615~24)に記された俵屋は、扇絵制作を得意とする絵屋であり、宗達自身 による扇面画も複数残る。宗達や俵屋工房による扇面画、特に扇面屏風類の現存遺例、醍醐寺『扇面貼交屏風』二曲一双が有名である。
【本阿弥光悦と宗達】俵屋宗達は、本阿弥光悦と同時代人。*光悦(永禄元年(1558年)生まれ、寛永14年(1637年)2月3日没)。1602年(光悦44歳)、光悦は厳島神社の寺宝『平家納経』の修理にあたって宗達をチームに加える。50代になった光悦は俵屋宗達との「合作」に取り組み始める。才能と才能の共同制作、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』。光悦は時の将軍徳川家光に「天下の重宝」と言わしめた書の達人。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★展示作品の一部
国宝「普賢菩薩騎象像」平安時代・12世紀 大倉集古館蔵
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雪舟等楊筆「倣玉㵎山水図」室町時代・15世紀 岡山県立美術館蔵
雪舟等楊筆「倣夏珪山水図」室町時代・15世紀 山口県立美術館蔵
雪舟等楊筆 国宝「破墨山水図」室町時代・15世紀、東京国立博物館蔵
雪舟等楊筆「四季花鳥図屛風」室町時代・15世紀、京都国立博物館蔵
呂紀筆「四季花鳥図」明時代、15-16世紀
狩野元信「四季花鳥図」室町時代・16世紀
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「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡 1幅、13世紀、東京国立博物館蔵
俵屋宗達筆「扇面散屏風」17世紀 三の丸尚蔵館
伝俵屋宗達筆「扇面貼交屛風」江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
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文正「鳴鶴図」元明時代、14世紀、相国寺
陳伯沖「松上双鶴図」明時代、16世紀、大雪院
狩野探幽「波濤飛鶴図」江戸時代・17世紀1654年、 京都国立博物館蔵
伊藤若冲筆「白鶴図」江戸時代・18世紀
伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」江戸時代・18世紀 京都・両足院蔵
伊藤若冲筆「仙人掌群鶏図襖」江戸時代・18世紀 大阪・西福寺蔵
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能阿弥筆「三保松原図」室町時代・15—16世紀、
長谷川等伯筆「山水松林架橋図襖」4面、安土桃山時代・天正17年1589年 樂美術館蔵
長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
菱川師宣筆「見返り美人図」17世紀東京国立博物館蔵
顔輝「寒山拾得図」元時代14世紀
岸田劉生「野童女」1922
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参考文献
若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-2b1d.html
「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-7705.html
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-97ee.html
長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-33b2.html
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
『没後500年特別展「雪舟」』(図録、東京国立博物館2002年)
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館2008
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」東京国立博物館2013
「長谷川等伯展」東京国立博物館2010
生誕300年記念「若冲展」東京都美術館2016
「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京国立博物館2012
ボストン美術館肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」江戸東京博物館、2006年
「北斎展」東京国立博物館、2005年10月25日(火)~12月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
――
★創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年「名作誕生、つながる日本美術」
東京国立博物館4月13日-5月27日
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1889
http://meisaku2018.jp/index.html

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