マリー・アントワネット・スタイル・・・ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第444回
サラ・グラント研究員ヴィクトリア・アルバート美術館の記者発表会を聴く。マリーアントワネットのファッション・スタイルの展覧会であり、ハプスブルク家の政略結婚の背景についての説明はない。
マリー・アントワネット(1755–1793)は、14歳でハプスブルク家から、フランス王家に嫁ぎ、19歳で、王妃、37歳で断頭台の露と消えた。
マリー・アントワネットは、マリア・テレジアの第15子。
ハプスブルク家、マリアテレジアの15番目の娘、ハプスブルク家の政略結婚の一環として、マリー・アントワネットは、フランスに派遣。
イタリア戦争、ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争、15世紀
マクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの結婚からハプスブルク家、始まる。15世紀
ハービヒツブルク城、ハービヒツブルク辺境伯、神聖ローマ帝国の選帝侯。
フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト(1837-1898)の結婚と破綻。
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1886年、ルートヴィッヒ2世、41歳の時、シュタルンベルク湖で、謎の溺死を遂げた。
ヴィスコンティ『ルートヴィヒ 神々の黄昏』に美しく描かれる。
1916年、フランツ・ヨーゼフ1世、死去。
1918年、オーストリア皇帝カール1世、死す。ハプスブルク帝国、滅亡。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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概要
—彼女が刺激的なわけ。横浜美術館
歴史上もっともファッショナブルな王妃、マリー・アントワネット(1755–1793)。彼女の装いやインテリアは、18世紀から現代にいたるまで、ファッションやデザイン、映画などに広く影響を与えてきました。本展は、あらゆる点で新しい様式(スタイル)をうちたてた王妃の革新性と人物像に迫るとともに、その「スタイル」が、いかに時代を超えて人びとを魅了し、今日のクリエーターたちにも示唆を与え続けているかについて紹介します。
詳細は「展覧会特設サイト」をご覧ください。
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構成
展示作品の一部
1 マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770–1793
オーストリア皇女マリー・アントワネット(1755–1793)は、1770年春、14歳の時に王太子妃としてフランスに嫁ぎました。以来、宮廷に新たな視点をもちこみながら、ルイ16世下フランスにおける高級産業、とりわけ ファッションと織物産業の発展に、多大な影響を与えました。
当時のフランスは、植民地と奴隷制を基盤とした国際的なプレゼンスに加え、文化においても中心的な役割を担っていました。そうしたなか、アントワネットは、堅苦しい宮廷の慣習に挑み、あらゆる面で自らの意向を形にしていきました。衣裳のみならずインテリアから音楽、ライフスタイルまで、よりシンプルで洗練された王妃の趣向は、またたく間に国内外で流行します。一方で、そのスタイルは斬新ゆえに取り沙汰され、民衆には想像もつかないほどの贅沢の象徴と受けとめられるようになっていきました。
革命の気運が高まるなか、アントワネットは次第に反体制派の標的となり、ギロチンへと導かれていくのです。
ローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス)フランス製 1760年代(1770年代に加工) 絹、光沢をつけた麻 ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
通称「サザーランド・ダイヤモンド」1780年代にネックレスに加工 金、銀、プラチナ、ダイヤモンド 長さ 35.8 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
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マリー・アントワネットの肘かけ椅子(4点組の1点)
ジャン゠バティスト゠クロード・スネ(作) 1788年 木(クルミ)に着彩、絹で刺繍した綿(近年の上張り) H. 97.5 × 63.5 × 63.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
2 マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800–1940
マリー・アントワネットは、死後も人びとの記憶のなかに生き続けました。ナポレオン3世の后ウジェニー(1826–1920)を筆頭に、19世紀には王党派の支持者たちが彼女のスタイルを懐古しました。スペインからフランスに嫁いだ皇后は、同じく外国から嫁いだアントワネットに心を寄せ、自らのイメージづくりにおいても王妃を参照しました。
3 永遠に新しく — マリー・アントワネット・スタイル
映画『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督、2006年)より
Photo: Courtesy of I WANT CANDY LLC. and Zoetrope Corp.
ソフィア・コッポラ脚本・監督、キルスティン・ダンスト主演の映画『マリー・アントワネット』。ピンヒールのパンプス、ポップミュージック、色とりどりのマカロンなど、18世紀の宮廷に「現代」を織り込んだ
主な出品作
コートドレスのマリー・アントワネット
フランソワ=ユベール・ドルーエ(画) 1773年
油彩、カンヴァス 63.5 × 52.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
ローブ・ア・ラ・フランセーズ(フランス風ドレス)
フランス製 1760年代(1770年代に加工)
絹、光沢をつけた麻
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
通称「サザーランド・ダイヤモンド」
1780年代にネックレスに加工
金、銀、プラチナ、ダイヤモンド 長さ 35.8 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
イヴニングドレス「ローブ・ド・スティル」
ジャンヌ・ランバン(作) 1922–23年頃
絹オーガンザ、絹の花かざり、パニエ
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London
目隠し鬼(流行年鑑『襞かざりと縁かざり』より)
ジョルジュ・バルビエ(画) 1924年(1925年刊行/
メニアル、パリ) ポショワール(ステンシル)による手彩色の挿絵本 冊子:26.5 × 18.0 × 3.0 cm
ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
Victoria and Albert Museum, London / George Barbier
ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)の展示風景
Victoria and Albert Museum, London
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マリー・アントワネット・スタイル 横浜美術館、
2026年8月1日(土)~11月23日(月・祝)
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参考文献
マリー・アントワネット・スタイル・・・ハプスブルク家とヴァロワ家の戦争
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THEハプスブルク 華麗なる王家と美の巨匠たち・・・黄昏のウィーンの思い出
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「プラド美術館 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
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美しき女相続人、マリー、ベルギー、奇想の系譜・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
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ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
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ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
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スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
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ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇
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ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る
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「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」・・・ハプスブルグ家の悪趣味の館
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ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国、旅の思い出
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マクシミリアン1世(1459-1519)からオーストリア・ハンガリー二重帝国「最後の皇帝」フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)まで
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
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★日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史
10月19日(土)~2020年1月26日(日)国立西洋美術館
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マリー・アントワネットは、マリア・テレジアの第15子。
政略結婚で、14歳の時、フランス王ルイ16世に嫁がせられる。フランス王妃となる。しかし、フランス革命勃発。37歳で、断頭台の露と消える。
マリー・アントワネットは、本当に愛したのはだれか。
マリーの死を悲しんだのは、スウェーデン貴族フェルセン伯爵だけだった。
「私は生きています。それは奇跡なのです」マリー・アントワネット1792年
ヨーロッパ最大の権力、ハプスブルク帝国。最も豊かで、自由なき人々、



























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