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2026年4月 3日 (金)

「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館・・・神奈川沖浪裏、凱風快晴、赤富士、青富士、山下白雨

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第425回
葛飾北斎(1760-1849)は、最初期、勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)、勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った宗理期(36~44歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46~50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳)、鳳凰図屛風、富士越龍図へと飛翔する。
【葛飾北斎、苦節五十年】北斎(1760年~1849年)は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
★葛飾北斎『冨嶽三十六景』天保1–4年頃(1830–33年頃)北斎為一
【葛飾北斎、苦難の旅立ち】北斎最初期、19歳で勝川春章に弟子入り、20歳で勝川春朗として絵師となる。勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)。弟弟子に追い出される。勝川派を離れて浮世絵画派と一線を画した作画活動、俵屋宗理となる(36~44歳頃)。
【葛飾北斎、苦難の人生】北斎、画狂老人卍期(75~90歳)。72歳で絵は売れても、実生活は貧困。孫が不良で神奈川浦賀に逃れる。店屋物をとり絵画制作に没頭。引越し93回、画号を30回変える。80歳の時、火事に遭う、大八車一台の絵画資料を失う。90歳まで絵画藝術を追求する。
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己六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より数々画図を顕すといへども
七十年前描く所は実に取るに足ものなし
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十六才にしては益ゝ進み九十才にて猶其奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん歟
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願くは長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし
画狂老人卍述
— 『富嶽百景』初編跋文⋆天保5年(1834年)初編
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*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026hokusai.html
本展は、2024年に井内コレクションより国立西洋美術館に寄託された、北斎の『冨嶽三十六景』(1830~33年頃)を初披露する展覧会です。北斎の代表作である本シリーズ全46図を一挙に公開します。さらに、特に高い人気を誇る「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」については、それぞれ異なる摺りがもう1点ずつ併せて紹介されます。「神奈川沖浪裏」は、現存する中でも類を見ないほど摺り・保存状態に優れた一枚が加わります。
また、“赤富士”として知られる「凱風快晴」は、極めて希少な藍摺版、通称“青富士”も特別に展示します。これら全48点を、モネをはじめとする西洋美術コレクションを誇る国立西洋美術館で堪能できるまたとない機会となります。
「凱風快晴」
「凱風快晴」(通称“青富士”)
本展の見どころ
井内コレクションの『冨嶽三十六景』の特徴は、全般に摺られた時期が早いことにあると言えます。浮世絵版画は摺りが数多く重ねられると、版木が摩滅したり、欠損したりしてしまうことがあります。本コレクションには、細い線がシャープであるものが多く含まれていますが、これは版木が摩滅していないフレッシュな状態で摺られたことを示しています。
また、浮世絵版画は、補強のためにしばしば背面に裏打ち紙を貼ることがありますが、本コレクションの多くは裏打ちが施されていません。そのため、背面からも絵具の色の鮮やかさが確認でき、摺師が力を込めたバレンの跡も残されています。本展では、いくつかの作品で表裏両面から見ることのできる展示方法が採用される予定です。
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主な展示作品の一部
「神奈川沖浪裏」
「凱風快晴」
「山下白雨」
「常州牛堀」
「五百らかん寺さゞゐどう」
「江都駿河町三井見世略図」
「東海道程ヶ谷」
「甲州三坂水面」
※掲載作品はすべて葛飾北斎『冨嶽三十六景』より、1830-33(天保1-4)年頃、横大判錦絵、国立西洋美術館(井内コレクションより寄託)
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参考文献
「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」国立西洋美術館・・・神奈川沖浪裏、凱風快晴、赤富士、青富士、山下白雨
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-4d1d99.html
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35
【葛飾北斎、美人画、勝川春朗、宗理型美人、亀毛型美人】「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」・・・浮世絵師の偉大と退廃
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-72fdeb.html
北斎とジャポニスム、国立西洋美術館・・・『富嶽三十六景』『北斎漫画』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-aea6.html
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国立西洋美術館企画展「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」
メディア内覧会、監修者の十文字学園女子大学の樋口一貴教授が見どころを報道陣に詳しく解説した。
樋口一貴教授の解説
1. 葛飾北斎と「冨嶽三十六景」について
葛飾北斎は1760年に生まれ1849年に没するまで、90歳の長寿を全う。そのうち約70年間、没年まで画業を続けた浮世絵師。
長いキャリアの中で何度も画号を変え、版画・版本・肉筆画に取り組み、役者絵、美人画、風景画、花鳥画など様々な画題を描いた。「冨嶽三十六景」は、北斎が「為一いいつ」と名乗っていた70代前半頃の作品。
タイトルは「三十六景」、余りの人気に10図が追加され、全46図で完結。井内コレクションは、この全46図すべてを網羅している。
2. 井内コレクションの見どころ1:摺りの違いを比較できる
本展では、同じ図柄でも「摺りの違い」を楽しめるよう、贅沢な展示が行われている。手摺りの浮世絵は、摺り師の具合、絵の具の濃淡や摺った時期によって、同じ版木でも微妙に表情が異なります。
「神奈川沖浪裏」
「神奈川沖浪裏」:このシリーズで最も有名で「グレート・ウェーブ」の名で世界的に知られている「神奈川沖浪裏」を2枚展示(4月21日から追加で3枚目を展示)。
「凱風快晴」
「凱風快晴」:”赤富士”で知られる「凱風快晴」も2枚を展示。2枚目は山肌の赤い版を使わず青く仕上げた、世界的にも希少な”青富士”です。同じ輪郭線でありながら全く違った作品になっている。
3. 井内コレクションの見どころ2:驚異的な保存状態の良さ
井内コレクションは全体的に摺られた時期が早く、版木の摩滅が少ないため、北斎が意図したシャープな線が残っている。さらに、大変に薄い紙を使う浮世絵は補強のために裏に紙を貼る「裏打ち」をされていることが多いが、井内コレクションには裏打ちを1回もしていない、当時のままの薄い状態で残っている作品がいくつかある。
両面展示の試み: この裏打ちの無い紙の薄さを実感してもらえるよう、中央に3つの独立ケースで「神奈川沖浪裏」「甲州石班澤」「東海道品川御殿山ノ不二」の3点を両面展示している。
裏から見ることで、ベロ藍の浸透具合や、摺り師がバレンで強くこすった痕まで観察できます。これは江戸時代の人々が裏返したり、日に透かしたりして楽しんだ感覚を追体験する試み。
中央に3つの独立ケースが並び裏側からも見ることができる
4. 展示構成:署名の書体から紐解く出版順の6グループ
展示は A~Fの6つのコーナーで構成されています。これは北斎が版元へ下絵を渡した順番(出版順)を推定して分けたものです。
この時期の作品はベロ藍が多く使われたことがわる(Bコーナー)
「北斎改為一筆」といった署名の書体の変化に基づいてグループを分類している。なお、一番わかりやすいのは追加で作られた10図(Fコーナー)で、署名がベロ藍でなく「墨」で摺られているため、一目で判別可能。それ以外の36図は「ベロ藍」で摺られている。
5. 3枚目の極めて早い摺りの「神奈川沖浪裏」
開幕直前に井内コレクションに加わった、3枚目の「神奈川沖浪裏」が4月21日から追加展示される。この作品は、画題を囲む二重枠に欠損がなく、線が非常に鋭く、極めて早い摺り。
また多くの「神奈川沖浪裏」の摺りでは、船の荷物を覆う「菰こも(むしろ)」が墨が濃く輪郭線が塗りつぶされて見えなくなっているが、この追加の作品は薄い墨で摺られており、下の輪郭線がくっきりと見える。この仕様のものは非常に数が少なく、貴重な「神奈川沖浪裏」となる。
追加展示される場所はすでに用意されている。
※作品はすべて葛飾北斎『冨嶽三十六景』天保1–4年頃(1830–33年頃)井内コレクション(国立西洋美術館に寄託)
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北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより

会場:国立西洋美術館 企画展示室B3F(東京都台東区上野公園7番7号)
会期:2026年3月28日(土)~6月14日(日)※巡回予定無し
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026hokusai.html

2026年3月22日 (日)

下村観山展・・・狩野派、やまと絵、ルネサンス絵画、琳派の技巧と美の使徒、美の鬼、歌聖、藤原定家

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第424回

美の使徒、美の鬼、歌聖、藤原定家【下村観山『小倉山』屏風】私は藤原定家をイメージする。藤原定家は74歳、小倉山の麓の「小倉山荘」で『小倉百人一首』百首の和歌を撰んだ。
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下村観山『小倉山』屏風は、秋の奥山に鹿が鳴く余情妖艶を感じる。古今集の歌を思い出す。「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(『猿丸大夫集』、詠み人しらず『古今集』秋上215)。
観山は、狩野派、やまと絵、ルネサンス絵画、東西の画技を極めてこの絵を描いた。奥深い優美な世界を構築している。日本美術院100年展(東京国立博物館1998)で見たとき、この絵に感動した。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

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下村観山『小倉山』は、『小倉百人一首』に収められている藤原忠平の和歌をテーマに描いた。小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ 「藤原忠平」(880〜949年元慶4年〜天暦3年)。小倉山の峰の紅葉よ、もしお前に心があるならば、もう一度天皇がおいでになるまで散らずに待っていてくれないだろうか。26番歌 藤原忠平(貞信公)。この和歌は、「拾遺和歌集」に収録されている歌。拾遺和歌集の詞書には、宇多天皇が大堰川(おおいがわ:京都府)から小倉山(おぐらやま:京都市右京区)の紅葉を見て、「子の醍醐天皇にも見せてやりたい」と言ったのを聞いた藤原忠平が詠んだ歌だと書かれている。小倉山は紅葉の名所。小倉山にある山荘の襖を飾るために藤原定家が選んだ和歌100首が、小倉百人一首の名の由来。このエピソードは、平安時代に成立した歌物語「大和物語」、鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にも記された。
だが、私は藤原定家をイメージする。藤原定家は、小倉山の麓の「小倉山荘」で『小倉百人一首』百首の和歌を撰んだ。嵯峨山荘、時雨亭とも呼ばれる。常寂光寺、二尊院、厭離庵は定家の山荘址と伝わっている。
下村観山(1873–1930)は、狩野芳崖、橋本雅邦の弟子、江戸末期の日本絵画の残滓である。横山大観、菱田春草に次ぐ第3の男とされる(板倉聖哲)。25歳の時「美校事件」で辞任した岡倉天心に殉じて、教授を辞任。文部省から派遣され、30歳から32歳(1903-05)の時、ロンドンに留学し、イタリア・ルネサンス美術に深く魅了された。(1914–1931 日本美術院再興。
*注 1898年、岡倉天心は九鬼隆一に抗議して帝国博物館美術部長・東京美術学校校長を辞任した。天心に殉じて学校教授を辞任する者、橋本雅邦、下村観山、寺崎広業、横山大観、菱田春草など17名に及んだ。天心は自分に殉じて辞職した者を中心に「日本美術院」創設した。天心36歳の時である。
下村観山『小倉山』明治42年(1909)、観山36歳の時の作品、絹本着色、六曲一双屏風、各157.0×333.5㎝、横浜美術館蔵
《弱法師(よろぼし)》(1915年、東京国立博物館)、夕日を拝み極楽浄土を願う「日想観(じっそうかん)」にふける盲目の俊徳丸の姿が、梅とともに描かれている。日想観は現在でも四天王寺で行われており、彼岸の中日である3月20日、夕日への観想が予定されている。
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美の使徒【藤原定家 1162年(応保2年)-1241年(仁治2年8月20日9月26日)】
父、藤原俊成は、寿永2年(1183年)後白河院の院宣を受け、文治4年(1188年)第七勅撰集『千載和歌集』を撰進。
養和元年(1181年)『初学百首』を詠むと、翌寿永元年(1182年)俊成の命令により、『堀河院題百首』を作っている。これに対して、父・俊成、母・美福門院加賀の他、藤原隆信・藤原定長(寂蓮)・俊恵ら諸歌人からも賞賛を受け、さらには右大臣・九条兼実からも賛辞の手紙を送られた。またこの間に俊成の和歌の弟子である藤原季能の娘と結婚し、 寿永3年(1184年)に長男の光家を儲ける、治承4年(1180年)従五位上、寿永2年(1183年)正五位下に昇叙。
【九条家へ出仕】文治元年(1185年)11月末に新嘗祭の最中に殿上で少将・源雅行に嘲笑されたことに激怒し、脂燭を持って雅行の顔を殴ったため、勅勘を受けて除籍処分を受ける事件を行こす。これに対して、翌文治2年(1186年)3月に俊成が後白河法皇の側近である左少弁・藤原定長に取りなしを依頼したところ、法皇から赦免の返歌があった。なお、俊成の赦免嘆願の書状は現存しており、重要文化財に指定。
【後鳥羽院政期】
建久7年(1196年)反幕府派の内大臣・源通親による建久七年の政変が起こると、九条兼実が関白を罷免され、太政大臣・藤原兼房と天台座主・慈円も要職を辞任した[15]。さらに、定家の義兄弟である蔵人頭・西園寺公経や左馬頭・藤原隆保も出仕を止められるなど、通親の圧迫は定家の近辺にまで及んだ。
【後鳥羽上皇の和歌に対する興味が俄に表面化】正治元年(1199年)頃より後鳥羽上皇の和歌に対する興味が俄に表面化、【正治2年(1200年)院初度御百首】企画される。藤原季経ら六条家の策謀を受けて、源通親は定家を敢えて参加者から外したが、義弟・西園寺公経や父・俊成らの運動あり、定家は参加を許される。翌【建仁元年(1201年)千五百番歌合】定家は参加して詠進、後鳥羽上皇から好みにあったとの評価を受ける。また同年には勅撰和歌集の編纂を行うことになり、定家は源通具らとともに院宣を受けて撰者。【元久元年(1204年)勅撰集『新古今和歌集』】名称として『新古今和歌集』を上申、歌集は完成し、定家の和歌作品は41首が入集。歌集に対して追加の切り継ぎが行われ、最終的に47首が採録。
【建保2年(1214年)参議に任ぜられ、父・俊成が得られなかった議政官】兼子(後鳥羽天皇の乳母)に対する猟官運動が奏功、建保2年(1214年)参議に任ぜられ、父・俊成が得られなかった議政官への任官を果たす、建保4年(1216年)正三位に昇叙され、承久2年(1220年)播磨権守を兼ねる。
【承久3年(1221年)承久の乱】承久3年(1221年)承久の乱が起こると、後鳥羽上皇は配流され藤原兼子は失脚する一方、権勢は定家の義兄弟である西園寺公経に移り、定家の主家である九条家も勢いを盛り返す、定家にとって非常に幸運な時代となる。承久4年(1222年)参議を辞して従二位に叙せられると、嘉禄3年(1227年)には正二位に至った。寛喜4年(1232年)正月に【71歳で権中納言】に任ぜられる。
【寛喜4年(1232年)6月定家は後堀河天皇から『新勅撰和歌集』編纂】の下命を受けて単独で撰出を開始。同年12月に権中納言を辞した後は撰歌に専念する。天福2年(1234年)6月に後堀河上皇の希望で1498首の草稿本を清書し奏覧(仮奏覧)
74歳【小倉山荘の障子色紙に古来の歌人の和歌を1首ずつ揮毫】嘉禎元年(1235年)宇都宮頼綱から嵯峨野(京都市右京区嵯峨)に建てた別業(小倉山荘)の障子色紙に古来の歌人の和歌を1首ずつ揮毫して欲しいと要望を受けて、定家は天智天皇から順徳院に至るまでの100人の歌人の和歌を1首ずつ選んで頼綱に対して書き送る。定家の好みの和歌を自由に選んだため、部類分けの内では、恋(46)、秋(15)。
仁治2年(1241年) 8月20日薨去。享年80。
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展覧会概要 東京国立近代美術館
日本画家・下村観山は紀伊徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれ、橋本雅邦に学んだのち、東京美術学校に第一期生として入学しました。卒業後は同校で教鞭を執りましたが、校長の岡倉天心とともに辞職、日本美術院の設立に参加しました。
出品作品点数約150件、関東では13年ぶりの開催となる今回の回顧展では、狩野派、やまと絵の筆法を習得して若くから頭角を現した観山が、2年間のイギリス留学を通して世界をまたにかけた幅広い視野を身につけ、画壇を牽引する存在へと成長する軌跡を示します。そこからは、盟友の横山大観、菱田春草らとともに明治という新時代にふさわしい絵画を切り拓こうとした観山のひたむきな姿が浮かび上がってきます。
さらに、日本の古画や中国絵画の研究の成果、本人のルーツでもある能を主題とした絵画制作、時の政財界人とのサロンのようなネットワークにもスポットを当て、様々な角度から観山芸術の魅力に迫ります。これにより、明治から大正へと時代が移り変わる中で絵画のあり方に改めて向き合った観山が、自己表現のための芸術とはまた別の、作品を手に取る個人ひいては社会とともに生きる絵画を追い求めていったことが明らかになるでしょう。
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※会期中、一部の作品の展示替えを行います。
前期展示:3月17日(火)〜4月12日(日)
後期展示:①4月14日(火)〜5月10日(日)
下村観山(1873 – 1930)
見どころ
1. 誰もが圧倒される“超絶筆技”を味わう
狩野派、大和絵、琳派、中国絵画そして西洋絵画まで、東西の伝統的な絵画表現を徹底的に学び、自由自在に筆を操った観山。今もなお、その繊細な筆技は他の追随を許さないほどです。
2. 観山芸術の意義を再検証−作品の意味を読み解き、成り立ちを探る―
よく見ると和洋折衷の不可思議な表現、ミステリアスなモチーフなど、観山の作品には気になる部分がたくさんあることが分かります。そこには技法の他に、その作品を描くことになった経緯(作品の成り立ち)も関係しています。これらをひとつひとつ解きほぐすことで作品の示す意図を明らかにし、それを通じて観山芸術の意義を再検証します。
3. 大英博物館蔵、英国留学時の観山作品が里帰り
新しい日本の絵画には色彩の研究が必要だと考え、日本画家初の文部省留学生としてイギリスへ留学した観山。現地で親交を深めた小説家で東洋美術研究家のアーサー・モリソンに贈った自作(大英博物館蔵)が里帰り!
作品からは、海外経験を通じ観山が考えた「日本画のあり方」をも感じていただけます。
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■主な展示作品
《春日野》(1900)観山が27歳で描いた。春日大社の神鹿を描いたと思われる本作には、当時大観・春草らと試みていた「朦朧体」が用いられる。
下村観山『小倉山』明治42年(1909)、絹本着色、六曲一双屏風、各157.0×333.5㎝、横浜美術館蔵
《木の間の秋》1907(明治40)年 東京国立近代美術館蔵(通期展示)
《ディオゲネス》1903-05(明治36-38)年 大英博物館蔵 コピーライトThe Trustees of the British Museum(通期展示)
《魚籃観音》1928(昭和3)年 西中山 妙福寺蔵(通期展示)
《毘沙門天 弁財天》1911(明治44)年 徳島県立近代美術館蔵(後期展示①)
《獅子図屏風》1918(大正7)年 水野美術館蔵(後期展示①)
《大原御幸》(部分)1908(明治41)年 東京国立近代美術館(半期で巻替え)
《楓》1925(大正14)年 南湖神社蔵 画像提供:白河市歴史民俗資料館(前期展示)
https://www.momat.go.jp/exhibitions/567
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★参考文献
下村観山展・・・狩野派、やまと絵、ルネサンス絵画、琳派の技巧と美の使徒、美の鬼、歌聖、藤原定家
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/03/post-91272f.html
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第91回新古今歌人P12-16
新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅
https://t.co/2TYuF5tpEw
下村観山展、横浜美術館・・・紅葉舞う奥山
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c0d6.html
「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」・・・御子左家の戦い、孤高の詩人、俊成・定家
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-f78257.html
新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅  - 大久保正雄『地中海紀行 旅する哲学者 美への旅』
https://t.co/RxDxsJ0F0P
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第70回 新古今歌人P32—37
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下村観山展 図録 刊行日:2026年3月17日 発行:日本経済新聞社
目次
「伝統」の発見と行き先、絵画のあり方―観山芸術再考  中村麗子
観山さん、おかえり―生誕地、和歌山から紐解く画家への軌跡  宮本久宣
図版
第1部 画業をたどる――生涯と芸術
第1章 若き日の観山(1873–1902 誕生・上京〜修業時代〜日本美術院への参加)
第2章 西洋を識る(1903–1905 イギリス留学)
第3章 飛躍の時代(1906–1913 帰国〜日本美術院再興前夜)
第4章 画壇の牽引者として(1914–1931 日本美術院再興〜死没)
第2部 制作を紐解く――時代と社会
第1章 何をどう描いたか―不易流行
第2章 なぜこれを描いたか―日本近代と文化的アイデンティティ
第3章 作品の生きる場所、作品がつなぐもの
論考・資料
観山の古画理解―中国絵画を中心に  板倉聖哲
下村観山と能  小林健二
主要作品解説
年譜
文献目録
出品目録
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■下村観山展
会場:東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期:2026年3月17日(火)〜5月10日(日)

2026年3月11日 (水)

織田信長、戦わずして勝つ、【桶狭間の戦い】から【岐阜城、築城】まで・・・他家自在天、夢幻のごとくなり

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第423回

織田信長、戦わずして勝つ、情報の蒐集、分析、比較、ストラテジー構築。
【桶狭間の戦い】から【本能寺の変】まで22年
永禄3年(1560)、5月1日、2万5千。駿河・遠江・三河の連合軍を率いた今川義元が尾張に侵攻。今川軍は桶狭間のうちの田楽狭間へ移動。梁田政綱の情報による。同日、信長はわずかな兵を率いて清洲を出発、進軍中に丸根砦の陥落を知り、善照寺砦で兵力を結集させ(約2000)、田楽狭間の今川本陣を急襲。見事に大将首をあげる。
5月19日、出陣の朝、信長は愛誦する幸若舞「敦盛」「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生をうけ滅せぬ者のあるべきか。」を舞い、熱田神宮で必勝祈願、2千5百の兵で出陣。
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【織田信長、稲葉山城、斎藤龍興、攻略までの7年。犬山城攻略、尾張統一】
桶狭間の戦いがあった永禄三年(1560年)。5月19日に今川義元の首を取った織田信長は、その約2週間後の6月3日、勢いに乗じて美濃へ攻め込み。しかし、斎藤家臣団の丸茂兵庫頭や長井衛安(長井甲斐守)たちの軍勢に織田軍は敗れ、柴田勝家が殿(しんがり)を務めながら帰国。美濃斎藤氏の当主は斎藤義龍。義龍は天文二十三年(1554年)、父の斎藤道三から家督を継承。
永禄三年(1560年)6月の美濃侵入で敗れた織田信長は、8月23日に再び侵攻。史料価値の低い『総見記』
父・斎藤道三を死へ追い込んだ弘治二年(1556年)長良川の戦い。道三が義龍の采配を見て「さすがは道三の子」と言った、永禄四年(1561年)5月11日、斎藤義龍が33歳の若さで急死。死因不明。
1563年 小牧山城移転。永禄六年(1563年)、織田信長は清洲城の北、約15kmの位置に小牧山城を築き、本拠地を移転。
【1564年 犬山城の攻略】織田信清の守る犬山城は、木曽川を背後にした難攻不落の城。
織田軍は丹羽長秀が、支城の黒田城と小口城に調略を仕掛け、和田定利と中島豊後守の協力を得ることに成功。永禄七年(1564年)8月、犬山城を落とし、尾張を統一。
美濃では斎藤龍興の統治に大きな綻びが見え始め、1564年2月に本拠地の稲葉山城が竹中半兵衛に乗っ取られる。六人衆の一人であった安藤守就も、竹中半兵衛に加担したことで龍興から離脱。
【1565年、犬山城対岸の鵜沼城(うぬまじょう)と、そのすぐ北にある猿啄城(さるばみじょう)攻略】『信長公記』による。。まず両城を見下ろす伊木山に付城を築いて、鵜沼城下を焼き払うと、そこで初めて秀吉が大沢氏を調略。続いて猿啄城は丹羽長秀が水源を断ち、河尻秀隆も攻め寄せると、耐えきれなくなった多治見修理亮は城を放棄。
【1566年 墨俣一夜城】永禄九年(1566年)9月、豊臣秀吉が「墨俣一夜城」を成功させた。『絵本太閤記』の創作。柴田勝家や佐久間信盛らを貶め、秀吉を持ち上げる。
【1567年 稲葉山城の戦い】永禄十年(1567年)8月、美濃三人衆から信長へ内応。
おそらく豊臣秀吉や丹羽長秀あたりが常に働きかけていたのでしょう。直後の出世状況からすると、やはり秀吉の弁舌や交渉能力が突出。美濃三人衆から話の申し入れがあると、人質を受け取る段取りも無視して、いきなり稲葉山城下へと軍勢を繰り出した。周囲を焼き払い包囲網を構築。重臣である美濃三人衆が織田方に寝返った、斎藤龍興は飛騨川から長島へ逃げ落ちました。
永禄三年(1560年)桶狭間の戦いの勝利から、美濃を制する永禄九年(1567年)まで。7年。織田信長が一貫して用いた基本戦略は「調略と機動力」。斎藤方の武将を口説きつつ、兵を繰り出して戦い、雌雄を決するような大戦には発展しない。
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シェイクスピア『ベニスの商人』「金・銀・鉛の3つの箱選び」の原型は何か。パリスの審判、3人の女神は贈り物を約束する。ヘラは世界を支配する権力、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る智力、アプロディーテは最も美しい美女。(叙事詩『キュプリア』)
【『ヴェニスの商人』、美しき相続人、ポーシャ】ヴェニスの若者バサーニオは、親友の商人アントーニオに、ベルモントの富豪の娘ポーシャに求愛しに行く資金援助を求める。全財産を投資中のアントーニオは、高利貸しシャイロックから借金する。ポーシャは亡き父の遺言書により「金・銀・鉛の3つの箱から正しい箱を選ぶ」男を選ばねばならない。モロッコ大公は金の箱を選び、アラゴン大公は銀の箱を選び、バサーニオは鉛の箱を選ぶ。
絶世の美女、孫子と美女百八十人、孔子、ヴェニスの商人、シンデレラ、地中海奇譚・・・『美と復讐の精神史』第2巻
https://bit.ly/2VqAJkT
【女神の争い】三女神は最も美しい装いを凝らしてトロイの王子パリスの前に立った。女神は贈り物を約束する。ヘラは世界を支配する権力、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る智力、アプロディーテは最も美しい美女、三美神はそれぞれ与える約束をした。パリスの審判(『キュプリア』)
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
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【親は敵、兄弟は第一の敵】
織田信長、信勝を清洲城にて討つ。武田信玄と父、信虎追放。【伊達政宗毒殺未遂事件】政宗の母・義姫、小次郎を後継に画策。
【教育と文化を愛好する人】と【カネの亡者】の戦い。【カネの亡者】弟性格、教育と文化を無視。人を虐める性格。暴力的。カネの計算だけ。競争心が強い。モリエール『守銭奴』のようにカネの亡者。知ったかぶり、詐欺師、嘘つき「オレのせいではない。証拠はあるのか」思考力なし、マニュアル答弁「マニュアル奴隷」【母は22年間入院】病気の原因は虐め【ゾフィア・ドロテアとフリードリヒ・ヴィルヘルム1世、ゾフィア・ドロテアの長男=フリードリヒ大王】
斎藤道三の孫、龍興と連動【信長の弟、信勝、謀反】弘治2年稲生の戦い、弘治3年2度目の謀反、清洲城で柴田勝家らに討取られる。
【信長の妹、お市の方。浅井三姉妹、茶々、江、初】1573長政滅亡1582お市の方と柴田勝家、再婚、1583賤ケ岳の戦い、北庄城、秀吉により陥落、自害【茶々、秀吉と結婚】秀頼を産み、大阪城、豊臣政権を支配【秀頼の父は誰か】大野治長、治長の母、茶々の乳母【徳川家康、二条城で秀頼と会見】秀頼は朝青竜のような巨漢、賢明。猿のような小男でない【家康、秀頼滅亡を決意】1598年8月秀吉死去。1600年9月15日関ケ原の戦い
【オシリスとイシス、セト】オシリスは弟セトに殺され王権を奪われた。イシスとセトの妻は、オシリスの遺体を集め、オシリスは冥界の王として復活した。
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
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参考文献
織田信長、戦わずして勝つ、【桶狭間の戦い】から【岐阜城、築城】まで・・・夢幻のごとくなり
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/03/post-0ab47b.html
「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」・・・「織田信長書状」細川藤孝宛、「織田信長自筆感状」忠興宛
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-98cd30.html
花・flower・華 2026 ・・・苦節を超えて花開く、運命の出会い、逆境を超えて、天人天衣無縫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/03/post-547c9a.html
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【オリンピック競技の3形態】【ゲーム競技】敵の弱点を突く。虐め競技。盲点を突く。【記録競技】史上最速。【採点競技】自分の美技を磨く。芸術競技。自分との闘い。
【7年前「雷が落ちた」りくりゅうの運命の出会い】三浦「龍一くんと出会えたのは奇跡」木原「感謝しかない」三浦は「本当にたくさんの方々に『龍一くんと巡り会えたのは奇跡なんだよ』と言っていただける。本当に全てのモーメント、全ての人々に感謝している」。木原は三浦に対して「感謝しかない。辞めようと思っていた時に声をかけてくれたので。この出会いがなかったら、またこうして(北京から)2大会五輪に出ることができなかった。もう感謝しかない」と涙を流した。19年7月、木原が三浦を真上に投げ、三浦が身体を回転させる技、ツイストリフト。投げた瞬間に、木原は「雷が落ちた」と本能的に感じとった。「ここまで相性が合うんだ」と木原が思えば、三浦も「感じたことのない高さ。『空中時間って、こんなに長いんだ』と」。今でも「りくりゅう」最大の武器でもあるスピードは「2人とも大好き」。木原は「化学変化、そういったものがカップル競技に存在するんだな、と三浦さんと滑ってみて思いました」と、今につながる原点を語っていた。報知新聞社2025年2月17日
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『戦わずして勝つことが善の善なり』『孫子』謀攻編16。15~17。
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非(あら)ざるなり。戦かわずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。『孫子』謀攻編16。15~17。
用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、『相手をできるだけ傷つけずに勝利することが上策』軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次つぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次つぐ。『孫子』謀攻編15
『最上の勝ち方は、相手の謀を謀のうちに破る』故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。城を攻むるの法は、已むを得ざるが為なり。『孫子』謀攻編17。
2026年2月18日

2026年3月 5日 (木)

花・flower・華 2026 ・・・苦節を超えて花開く、運命の出会い、逆境を超えて、天人天衣無縫

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第422回

近藤弘明「清夜」(1970山種美術館)を見る。近藤弘明「黄泉の華園」。常寂光浄土に落葉敷きつめて(高浜虚子)を思い出す。
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【常寂光土、地平線に太陽が沈む、花の葬列】
あの世に咲く花、遠くの地平線に太陽が沈む。あの世に咲く美しい花、永遠に続く花の葬列。
どんな運命があなたを襲ったのか。この世の復讐、愛憎、敗北と曳航、果ての死。曲学阿世、虎の威を借る狐との戦い。親は敵、兄弟は第一の敵、カネの亡者と教育と藝術を愛する者の戦い、木を伐る者と木を育てる者の戦い、あなたを亡き者にするものとの戦い。
どんな運命が襲っても、命ある限り、善を成し遂げ、美を生み、生の証、学問の証、愛の証を残しているか。
あの世に咲く花、遠くの地平線に太陽が沈む。あの世に咲く美しい花、永遠に続く花の葬列。王の死、美しい王妃の遺体、若き皇子の死。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
*近藤弘明「黄泉の華園」(1974年)小田原市郷土文化館
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*近藤弘明(1924-2015)仏教的世界観に彩られた幻想的絵画。小田原にアトリエを構え、創作活動を行った。小田原市郷土文化館、平成28年度に受贈した作品のうち代表作。
1924年、東京下谷の飛不動正宝院という天台宗三井寺派の寺に生まれる。49年、東京美術学校日本画科を卒業。50年、創造美術第3回展に初入選。54年、新制作協会展で新作家賞受賞。以後、受賞を重ね同協会会員となる。65年、日本国際美術展でブリヂストン美術館賞受賞。71年、第1回山種美術館賞展で優秀賞受賞。74年、創画会の結成に参加。75年、第7回日本芸術大賞受賞「ひとつの神秘的空間を示す画業に対して」。77年、NHKの番組「美をさぐる」に出演。78年、国際交流基金によるヨーロッパ巡回の現代日本画展に加山又造、横山操らと出品。87年、創画会を退会、以降は個展を中心に作品を発表する。『画論 華と祈り』岩波書店2007より
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嵯峨天皇の花の宴の詩を思い出す。『神泉苑花宴賦落花篇』
【神泉苑花宴賦落花篇】 嵯峨天皇「凌雲集」より
過半青春何所催    和風數重百花開
芳菲歇盡無由駐    爰唱文雄賞宴來
見取花光林表出    造化寧假丹青筆
紅英落處鶯亂鳴    紫蕚散時蝶群驚
借問濃香何獨飛    飛來滿坐堪襲衣
春園遙望佳人在    亂雜繁花相映輝
過半の青春 何の催ほす所ぞ 和風数(しばしば)重(しき)りて 百花 開く。
芳菲(ほうひ)歇盡(けつじん)するに駐むるに由し無し 爰(ここ)に文雄を唱(よば)ひて 賞宴に来たる。
見取す 花光 林表に出づることを、造化寧(なに)ぞ仮らん丹靑(たんせい)の筆。
紅英(こうえい)落つる処 鶯(うぐいす)乱れて鳴き、紫萼(しがく)散る時、蝶 群れて驚く。
借問す 濃香 いづこより独り飛ぶかと、飛び来たりて坐に満ち 衣に襲(つ)くことに堪へたり。
春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、
【嵯峨天皇の花の宴、神泉苑にて】花(桜)を賞翫しながら漢詩を作って遊ぶ典雅な催し、その始まりが嵯峨天皇の神泉苑の詩宴。神泉苑の詩宴は『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日の記事「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし文人に命じて詩を賦せしむ」
【大伴家持 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女】春の園の紅色に咲く桃の花、その下に輝いている道に佇む乙女よ。『万葉集』巻十九、4139 大伴家持、天平勝宝二(750)年三月一日(4月15日)の暮(ゆふべ)に、春の苑の桃李の花を眺矚めて作る二首
【春夜桃李園に宴するの序 李白】それ天地は萬物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり 而して浮生は夢の若し 歡を爲すこと幾何ぞ 古人燭を秉りて夜遊ぶ まことに以(ゆえ)
【ツタンカーメンの墓、壁右の裏に空間があり、ネフェルティティ王妃の墓がある】考古学者ニコラス・リーヴスの予想。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
花・flower・華 2026 ・・・苦節を超えて花開く、運命の出会い、逆境を超えて、天人天衣無縫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/03/post-547c9a.html
「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
https://bit.ly/2UUizJw
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html
近藤弘明「幻華」「黄泉の華園」(1974年)小田原市郷土文化館
https://komeikondo.setenv.net/
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美しく咲く花々は、古くから人々の心を魅了してきました。季節ごとに多彩な表情をみせる花は、四季を象徴するモティーフとして愛され、絵画の主題としても描き継がれています。この春、山種美術館では、花を描いた作品で館内を彩る華やかな展覧会を開催します。
本展では、朝日に輝く山桜を描いた横山大観《春朝》、雨上がりの陽光の中で咲く紫陽花をみずみずしく表した山口蓬春《梅雨晴》、色鮮やかな菊花が目を楽しませる酒井抱一《菊小禽図》、紅梅の咲く古木と白梅の咲く若木とが対照的な速水御舟《紅梅・白梅》など、春夏秋冬それぞれの季節を感じさせる花の名画が一堂に会します。また、田能村直入《百花》では四季の草花 100 種が植物図鑑のように忠実に描かれ、季節を越えた絢爛な世界が広がります。さらに、花と器をとり合わせた中川一政《薔薇》、桃の花咲く桃源郷を題材とした山本梅逸《桃花源図》など、花を描く際のさまざまなアプローチにも注目し、花の絵画の魅力をご紹介します。描かれた花により満開となった美術館で、百花繚乱の世界をどうぞご堪能ください。
田能村直入 《百花》 (部分) 1869 年 山種美術館 [画像請求 No. ①]
荒木十畝 《四季花鳥》1917 年 山種美術館 [画像請求 No. ②]
速水御舟 《紅梅・白梅》1929 年 山種美術館 [画像請求 No. ⑧]
田能村直入 《百花》 (部分) 1869 年 山種美術館 [画像請求 No. ①]
荒木十畝 《四季花鳥》1917 年 山種美術館 [画像請求 No. ②]
速水御舟 《紅梅・白梅》1929 年 山種美術館 [画像請求 No. ⑧]
本展のみどころ
1、
咲き誇る花の絵画で四季の美を堪能 !酒井抱一、横山大観、菱田春草、川端龍子、梅原龍三郎、速水御舟をはじめとした名だたる画家たちによる花の絵画を通じて、季節ごとに咲く多種多様な花々をお楽しみください。酒井抱一 《菊小禽図》 19 世紀[画像請求 No. ⑦]
横山大観 《春朝》 1939 年頃[画像請求 No. ③]
山口蓬春 《梅雨晴》 1966 年[画像請求 No. ⑥]
すべて山種美術館蔵
2.
花の表現に画家の個性が光ります!花の描き方は十人十色!淡い色彩でふっくらと花
びらを表した川端龍子《牡丹》、色鮮やかな四季の花々を画面いっぱいに描く荒木十畝《四季花鳥》など、個性豊かな花の名画をご紹介します。川端龍子《八ツ橋》、福田平八郎《花菖蒲》、速水御舟《椿ノ花》、杉山寧《朝顔図》、梅原龍三郎《薔薇と蜜柑》 ほか
3、
幻想的な花の世界にも注目!古くから花の美しさは人を魅了し、時に清らかさ、神聖さの象徴として扱われます。伝説に登場する花や、画家の思い描く空想上の花など、人々の心に宿る幻想的な花の作品を展示します。山本梅逸 《桃花源図》 1844-48 年頃山種美術館 [画像請求 No. ⑨]
――
■展覧会名:【特別展】 花・flower・華 2026 -横山大観の桜・川端龍子の牡丹・速水御舟の梅-
■会 期:2026年2月28日(土)~5月10日(日) ■開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
■主 催:山種美術館、朝日新聞社 ■協 賛:エレコム株式会社
■会 場:山種美術館(〒150-0012東京都渋谷区広尾3-12-36) ■問い合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル 電話受付時間:9:00-20:00)
■公 式 H P:https://www.yamatane-museum.jp/
※ 出品作品および展示期間は都合により変更される場合があります。
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【オリンピック競技の3形態】【ゲーム競技】敵の弱点を突く。虐め競技。盲点を突く。【記録競技】史上最速。【採点競技】自分の美技を磨く。芸術競技。自分との闘い。
【7年前「雷が落ちた」りくりゅうの運命の出会い】三浦「龍一くんと出会えたのは奇跡」木原「感謝しかない」三浦は「本当にたくさんの方々に『龍一くんと巡り会えたのは奇跡なんだよ』と言っていただける。本当に全てのモーメント、全ての人々に感謝している」。木原は三浦に対して「感謝しかない。辞めようと思っていた時に声をかけてくれたので。この出会いがなかったら、またこうして(北京から)2大会五輪に出ることができなかった。もう感謝しかない」と涙を流した。19年7月、木原が三浦を真上に投げ、三浦が身体を回転させる技、ツイストリフト。投げた瞬間に、木原は「雷が落ちた」と本能的に感じとった。「ここまで相性が合うんだ」と木原が思えば、三浦も「感じたことのない高さ。『空中時間って、こんなに長いんだ』と」。今でも「りくりゅう」最大の武器でもあるスピードは「2人とも大好き」。木原は「化学変化、そういったものがカップル競技に存在するんだな、と三浦さんと滑ってみて思いました」と、今につながる原点を語っていた。報知新聞社2025年2月17日
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『戦わずして勝つことが善の善なり』『孫子』謀攻編16。15~17。
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非(あら)ざるなり。戦かわずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。『孫子』謀攻編16。15~17。
用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、『相手をできるだけ傷つけずに勝利することが上策』軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次つぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次つぐ。『孫子』謀攻編15
『最上の勝ち方は、相手の謀を謀のうちに破る』故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。城を攻むるの法は、已むを得ざるが為なり。『孫子』謀攻編17。
2026年2月18日

2026年2月27日 (金)

「歌仙 在原業平と伊勢物語」・・・恋多き青年歌人、運命の平城天皇の第5皇子、在原業平の運命

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第421回

在原業平(825~ 880)は、平城天皇の第5皇子。平城天皇は、嵯峨天皇に譲位するが、平城上皇の乱を起こす。平城上皇による国家反逆罪である。運命の人、在原業平の冒険。
【平城上皇の乱】譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り、寵妃・藤原薬子とその兄仲成に擁せられ朝政に干渉した。天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に補するなどによって対抗。弘仁元年(810)九月、上皇の平城遷都の命を機として坂上田村麻呂以下の兵を派遣、上皇方を制圧した。上皇は入道、薬子は自殺、仲成は射殺、皇太子高丘親王は廃され、阿保親王・藤原真夏らは左遷。高丘親王は空海によって僧となり天竺へと旅立つ。澁澤龍彦『高丘親王航海記』。【平城上皇の乱810、弘仁・貞観の治、文化の華】弘仁・天長・承和の約三十年間、嵯峨天皇(上皇)の権威と指導のもとに太平が続き、空海・小野岑守・同篁・良岑安世らの人材が輩出。【平安時代600年の平和の基礎は嵯峨天皇により築かれた】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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■展示作品の一部
重要文化財 三十六歌仙図額 在原業平像  1面 岩佐又兵衛筆 江戸時代・寛永17年(1640) 仙波東照宮蔵 (埼玉県立歴史と民俗の博物館寄託)⋆
重要文化財 蔦の細道図屏風 深江芦舟筆 6曲1隻 江戸時代・18世紀
 東京国立博物館蔵(Image:TNM Image Archives)[展示期間:2/21 ~ 3/7]
伊勢物語図色紙 第82段1「渚の院の桜」 伝俵屋宗達筆 1幅 江戸時代・17世紀 個人蔵

【岩佐又兵衛(1578-1650)は、織田信長に謀反した戦国武将、有岡城主、荒木村重の末子】母方の姓を名乗り、数奇な運命をたどり絵師として活躍した。重要文化財「弄玉仙図」、桐木のもとで簫をふく弄玉は妖艶である。又兵衛の母の面影である。母、荒木村重の妻は、有岡城の戦い(天正7年1579年)で敗れ信長軍に処刑された。「百二十二人の女房一度に悲しみ叫ぶ声、天にも響くばかりにて、見る人目もくれ心も消えて、感涙押さえ難し。これを見る人は、二十日三十日の間はその面影身に添いて忘れやらざる由にて候なり。」『信長公記』。

⋆岩佐又兵衛(1578-1650)「山中常盤物語絵巻」は、奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、牛若がその仇を討つ物語、これには岩佐又兵衛の体験が滲んでいる。
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35
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歌仙在原業平と伊勢物語
1,歌仙在原業平
10世紀初頭に成立した最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の仮名序で、「ちかき世にその名きこえたる人」として六人の歌人すなわち六歌仙があげられていますが、業平はそのうちの一人です。その六人とは、在原業平、僧正遍照、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町。ここでは館蔵品で今回初公開の押絵おしえ六歌仙帖が展示されます。
2,伊勢物語の成立
『伊勢物語』は、業平の和歌による歌物語ですが、業平が生きた時代に最も近い『古今和歌集』には、伊勢物語の中でも重要な章段で登場する話が多くあります。ここでは当館で所蔵する『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『拾遺抄』などの古い和歌集で業平に関する部分が展示されます。
古今和歌集 上・下 2冊 烏丸光広筆 江戸時代・17世紀 三井記念美術館
3,伊勢物語の展開
近世以降、伊勢物語の受容層を増加させるきっかけとなったのが、いわゆる「嵯峨本」と呼ばれる豪華な版本の存在です。本展で展示される大東急記念文庫所蔵本は、雲母刷の表紙、色替わりの料紙を交えた、写本のような美しい作品です。
菱川師宣が絵を手掛けた『新版伊勢物語頭書抄』など、当代の人気絵師が関与した例や、版本の伊勢物語を文章・書風に至るまで忠実にパロディ化した『仁勢物語』(大東急記念文庫蔵)なども展示されます。
■展示室6 伊勢物語の名所
伊勢物語にゆかりのある名所や、伊勢物語にちなんだ名所が日本の各所にあります。ここでは江戸時代の大工頭中井家に伝わった絵図を関連の写真とともに展示します。このほか各地の名所を写真で紹介します。
展示室7 伊勢物語の意匠化と芸能化
1,留守模様とデザイン化
留守模様るすもようとは、登場人物を描かず、その物語を象徴するモチーフや、和歌や詩の一部の文字を散らして暗示する表現方法です。色絵竜田川図向付は、尾形乾山の作で紅葉と流水を大胆にデザインした色絵陶磁器です。伊勢物語からの発想とすれば、第106段「龍田川」の留守模様です。
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プレスリリースより
https://www.mitsui-museum.jp/
平安時代前期に活躍した在原業平(825~ 880)は、天皇の孫で和歌に優れた貴公子として知られます。その「歌仙」として、また「恋多き歌人」としての人物像は、彼の和歌にくわえ、『伊勢物語』の主人公に仮託されることで拡散していきました。
2025年は、業平の生誕1200年にあたります。これにちなみ、現在でも人気が高い業平と『伊勢物語』を題材に生み出された絵画・工芸・茶道具等の作品を集め、そのイメージの広がりの豊かさと、造形の魅力を探ります。加えて、和歌の典拠の一つとされる『古今和歌集』や、近世における普及の一端を担った版本・絵入本などの典籍を通じて、『伊勢物語』の成立と普及の過程についても展示いたします。
⿎展示構成
展示構成は以下のように展示室ごとのテーマで展示いたします。
展示室1:ダイジェスト伊勢物語
展示室2:伊賀耳付花入 銘業平
展示室3:如庵 「能の業平」
 展示室4:絵画化された伊勢物語
 展示室5:歌仙在原業平と伊勢物語
  1,歌仙在原業平  2,伊勢物語の成立  3,伊勢物語の展開
 展示室6:伊勢物語の名所
 展示室7:伊勢物語の意匠化と芸能化
  1,留守模様とデザイン化  2,伊勢物語の芸能化
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■展示室1 ダイジェスト伊勢物語
全125段からなる伊勢物語の中から一般的にもよく知られた章段を15選び、各章段ごとに絵巻・色紙・かるた・合貝あわせがい・茶道具などで具象化された伊勢物語の世界が紹介されます。
重要文化財 三十六歌仙図額 在原業平像  1面 岩佐又兵衛筆 江戸時代・寛永17年(1640) 仙波東照宮蔵 (埼玉県立歴史と民俗の博物館寄託)
重要文化財 伊勢物語絵巻 第4段「西の対」部分 1巻 鎌倉時代・13 ~ 14世紀 和泉市久保惣記念美術館蔵[展示期間:2/21 ~ 3/15]
伊勢物語芥川・武蔵野の図扇面 1面 江戸時代・17世紀 和泉市久保惣記念美術館蔵
展示室2 伊賀耳付花入 銘業平
この花入は、『大正名器鑑』編纂の折に、関東にあった伊賀花入の名作5点が集められ「東あずま五人男」と呼ばれたうちの一つです。益田家から永坂町三井家八代三井高泰(号泰山)に伝わり、その後室町三井家十二代三井高大に譲られて、「業平」と銘が付けられました。
全体に変形(デフォルメ)が強く、無造作な耳が付き、自然釉が織りなす景色は、古伊賀花入の特徴で、千利休の弟子七哲の一人にあげられる古田織部(1544ー1615)の好みが反映されているとされます。利休的な規格を破った「破格の美」といわれ、利休亡きあとの茶の湯界をリードしました。
伊賀耳付花入 銘業平 1口 桃山時代・16 ~ 17世紀 三井記念美術館蔵
■展示室3 如庵 「能の業平」
如庵写しの茶室ケースでは、床に浮田一蕙うきたいっけい筆の武蔵野図を掛け、その前に重要文化財の能面中将(金剛頼勝作)を展示し、その傍らに能道具の冠り物(初冠ういこうぶり)と、折り畳んだ紫地業平菱模様長絹むらさきじなりひらびしもようちょうけんを展示します。
■展示室4 絵画化された伊勢物語
伊勢絵いせえ、すなわち伊勢物語を描いた絵の歴史は古く、かの『源氏物語』「絵合えあわせ」の帖にも登場することが知られています。ただし、それら平安時代のものは既に失われたとみられ、今日に伝存する作品はいずれも、鎌倉時代以降のものです。本章では中世の貴重な作品から、宗達そうたつに連なる尾形光琳おがたこうりんら、琳派の画家による美麗な伊勢絵に至るまで、様々な作品が紹介されます。
伊勢物語図色紙 第69段「君や来し」 1枚 南北朝~室町時代・ 14 ~ 15世紀  香雪美術館蔵 [展示期間:3/17 ~ 4/5]
重要文化財 蔦の細道図屏風 深江芦舟筆 6曲1隻 江戸時代・18世紀
 東京国立博物館蔵(Image:TNM Image Archives)[展示期間:2/21 ~ 3/7]
伊勢物語図色紙 第82段1「渚の院の桜」 伝俵屋宗達筆 1幅 江戸時代・17世紀 個人蔵
このほか、いわゆる「宗達色紙」の伊勢絵や、尾形光琳の「業平東下り図」 (五島美術館蔵) [展示期間:2/21~3/15]、また酒井抱一、鈴木其一、中村芳中といった宗達・光琳の画風に私淑した画家の作品などが展示されます。
■展示室5 
また、江戸時代における着物のデザイン集ともいえる雛形本ひながたぼんですが、当館には約80冊余りの雛形本があり、今回そのなかから伊勢物語に関するデザインのあるものが12冊初公開されます。
色絵竜田川図向付 5客 尾形乾山作 江戸時代・18世紀 大和文華館蔵
2,伊勢物語の芸能化
伊勢物語は芸能の世界でも採り上げられています。中将(鼻まがり)(図22)、小面こおもて(花の小面)、孫次郎まごじろう(ヲモカゲ)(図23)の名物面3面のほか、伊勢物語に関連する能装束、謡本、能絵かるたなど、能の世界での関係作品が展示されます。
――
参考文献
「歌仙 在原業平と伊勢物語」・・・恋多き青年歌人、運命の平城天皇の第5皇子、在原業平の運命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/02/post-21a6c8.html
【城上皇の乱、810年】
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35
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「開館20周年特別展 生誕1200年 歌仙 在原業平と伊勢物語」三井記念美術館、2月21日~4月5日

2026年2月24日 (火)

トワイライト、新版画 ―小林清親から川瀬巴水まで・・・黄昏と闇の陰影、光線画、清親、井上安治、巴水、沈みゆく世界

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第420回

最後の浮世絵師の一人、小林清親、黄昏や闇の陰影を描く「光線画」で席巻した、小林清親(1847-1915)の情趣は井上安治(1864-1889、26歳で死す)「東京真画名所図」に受け継がれた。開化期の物質文明の物質主義を嫌い、黄昏時の闇、夜の闇を好み、沈みゆく世界を愛した。
明治末に浮世絵復興を目指した渡辺省三郎の新版画の風景版画、吉田博「東京拾二題」、伊藤深水「近江八景」、川瀬巴水「東京十二題」に引き継がれた。浮世絵と写真の影響関係もあり、ベアトと絵師の影響を検証する。伊藤深水は、鏑木清方に、美人画を描くよう導かれる。
ボストン美術館日本美術コレクション、スミソニアン国立アジア美術館、最も日本美術コレクションを所有するのはどこか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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プレスリリース
最後の浮世絵師のひとりと呼ばれる小林清親が1876(明治9)年に開始した『東京名所図』は、明治期の風景版画へ大きな変革をもたらした。黄昏どきの表情や闇にきらめく光の様相を描いた作品群は「光線画」と呼ばれ、深い陰影により江戸の情緒まで捉えている。このような視点は、失われゆく江戸の面影を惜しむ人々の感傷や、それらを記録しようとする写真の意欲とも重なっており、同時代の浮世絵師たちが文明開化により変貌していく都市を、鮮やかな色彩によって楽天的に捉えた開化絵とは一線を画するものであった。明治末期に浮世絵の復興を目指した新版画は、その技術ばかりでなく清親らが画面に留めようとした情趣を引き継いで、新しい日本の風景を発見していった。清親から吉田博・川瀬巴水らに至る風景版画の流れを、スミソニアン国立アジア美術館のミュラー・コレクションによって辿る。
https://mimt.jp/
https://mimt.jp/ex_sp/shin-hanga/
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■展示作品の一部
小林 清親《東京新大橋雨中図》明治9(1876)年 スミソニアン国立アジア美術館 National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O.Muller Collection
井上 安治《銀座商店夜景》明治15(1882)年 スミソニアン国立アジア美術館 
井上 安治《東京真画名所図 鹿鳴館》明治14-明治22(1881-1889)年 スミソニアン国立アジア美術館
川瀬 巴水《東京十二題 深川上の橋》大正9(1920)年 スミソニアン国立アジア美術館 版元:渡邊木版美術画舗
川瀬巴水《春之雪(京之清水)》1932年(昭和7) スミソニアン国立アジア美術館蔵
川瀬 巴水《東京十二題 五月雨ふる山王》大正8(1919)年 スミソニアン国立アジア美術館  版元:渡邊木版美術画舗
作者不詳《亀戸の藤》明治23(1890年)年頃 スミソニアン国立アジア美術館 
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参考文献
トワイライト、新版画 ―小林清親から川瀬巴水まで・・・黄昏と闇の陰影、光線画、清親、井上安治、巴水、沈みゆく世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/02/post-fd73a3.html
没後70年 吉田博展・・・月光の桜、光る海 2021
https://bit.ly/2L3sYAL
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★★★★★
「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」展、三菱一号館美術館
2026年2月19日(木)~5月24日(日) 
三菱一号館美術館、千代田区丸の内2-6-2
https://mimt.jp/
観覧料金 当日一般2,300円ほか 
休館日 月曜日(祝日・振休は開館)
※開館記念日の4月6日、トークフリーデー[2月23日、3月30日、4月27日]、5月18日は開館

2026年2月21日 (土)

モネ没後100年 クロード・モネ —風景への問いかけ・・・ル・アーヴルからの旅立ち

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第419回
クロード・モネ —、ル・アーヴルからの旅立ち、パリ、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニー、終焉の地。

クロード・モネ(1840–1926)は、86年の生涯にわたって旅を続けた。【セーヌ川の旅】ル・アーヴルからの旅立ち、パリ、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーの庭へ。『アルジャントゥイユのレガッタ』1872。『睡蓮の池、緑のハーモニー』1899.ル・アーヴルで、風景画家ウジェーヌ・ヴ―ダンと出会い、海と空を描くことを学んだ。34歳で友人たちと「印象派展」と後に呼ばれる会を作った。モネ『印象、日の出』1872マルモッタン美術館。
【海辺の旅】エトルタ、『かささぎ』1868-69、ベリール島、『嵐、ベリールの海岸』1886。【ヨーロッパの旅】『オランダのチューリップ畑』1886、『ルーアン大聖堂、扉口とサン・ロマン塔、陽光』1893、『ウォータールー橋、ロンドン』1902『ロンドン国会議事堂』1904、『黄昏、ヴェネツィア』1908、モーパッサン「(モネは)画家というより狩人」。至る所へ旅して主題を探した。
クロード・モネ(1840–1926)86年の旅で求めたものは何か。亡き妻カミーユとジャンの失われた愛、絵画の革命家マネとの友情だろうか。【失われた愛】を求めて【ジヴェルニーの庭】に43年間、愛を注いだ。最悪の人カミーユ。
クロード・モネ『散歩、日傘をさす女』1875年。1875年、モネが34歳の時に描いた。描かれているのはモネの最初の妻カミーユとその長男ジャン。ジャンは当時5歳。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ジヴェルニーの庭】1879年、カミーユ32歳で死す。1883年春、42歳のモネ、フランス北部ノルマンディー地方セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住む。43歳から、1926年86歳で死ぬまで、43年間、ジヴェルニーの庭を描き続ける。
【モネの謎】【モネ1840-1926】1884年以後、人物画を描かなくなったのは何故か。印象派展、止めたのは何故か。晩年の画風が抽象絵画なのは何故か。
【ゴッホ1823-1890】ひまわりを沢山描いたのは何故か。耳切事件1888は何故か。糸杉1889、描いたのは何故か。ピストル事件は何故か。『種まく人』『アルルの跳ね橋』『夜のカフェテラス』『ひまわり』『収穫』『夕日を背に種まく人』1888アルル、『星月夜』『糸杉』サンレミ1889、『夜のプロヴァンスの糸杉と田舎道』『烏の群れ飛ぶ麦畑』オーヴェール=シュル=オワーズ1890。
【モネの謎 カミーユ】クロード・モネ(1840年11月14日 – 1926年12月5日)86歳で死す。1879年、カミーユは32歳で死去。モネ《死の床のカミーユ》1879年 オルセー美術館蔵。最悪の人カミーユ、その人柄を知ることができないのは何故か。
『クロード・モネ —風景への問いかけ』』図録、p122。『印象、日の出」1872、「散歩、日傘」1879、すべてカミーユの生きている時代である。
【マネとモネ】【1863年エドゥアール・マネ「草上の昼食」事件」】
エドゥアール・マネ『水浴(のちに『草上の昼食』に改題)』、モネ「草上の昼食」1865-66、により、改題。1863年にナポレオンの指揮で開催された「落選者展」で起きた。エドゥアール・マネ⦅草上の昼食⦆1863年 オルセー美術館蔵、中産階級の男二人と裸体の娼婦がピクニックをしている。ジョルジョーネ「テンペスト」「草上の合奏」の影響がある。ここで事件が起きた原因は「現実世界の女性の裸体を描いたから」。当時はこれがタブー中のタブー。女性の裸体を描いていいのは「宗教画・寓意画(ギリシャ神話など)」に限られていた。「古典主義に一石を投じた」【1865年モネ、サロンで入選】モネは、サロンで見事に入選を果たす。1865年『オンフルールのセーヌ河口』、1866年『緑衣の女』で入選。マネ1865年『オランピア』でサロンに入選。1869年、1870年は2年連続で落選。特に1870年に出品したモネ『ラ・グルヌイエール』。当時、水面に反射する太陽光の表現を極め続けていた。【1870年モデルのカミーユと結婚】1873年小さなボートを買って、アトリエ舟として使うようになった。マネはモネとカミーユの一枚を描いている。エドゥアール・マネ⦅アトリエ舟で描くクロード・モネ⦆1874年。
モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-952362.html
モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-fcbd04.html
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プレスリリース
印象派の巨匠クロード・モネ(1840–1926)は、自然光の移ろいに魅せられ、その美しさをカンヴァスにとどめようと生涯をかけて探求しました。
オルセー美術館がモネの没後100年という国際的な記念の年の幕開けを飾る展覧会と位置づける本展では、ル・アーヴル、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーなど、モネの創作を語る上で重要な場所と時代から、その画業の発展を丹念にたどります。
また、同時代の絵画や写真、浮世絵、アール・ヌーヴォーの工芸作品などの表現との関わりから、モネの創作の背景や動機を読み解き、現代の映像作家アンジュ・レッチアによるモネへのオマージュとして制作された没入型の映像作品も展示します。様々なジャンルの視覚表現を交錯させることで、モネの創作活動に新たな光を当てる、全く新しいモネの展覧会です。
モネの作品41点を含む、オルセー美術館所蔵の約90点に、国内の美術館や個人所蔵作品を加えた合計約140点で、風景画家としてのモネの魅力に迫ります。
近代化が進み、風景が大きく変わる時代に生きたモネは、変わりゆく風景とどう向き合い、それをどう作品に表現したのでしょうか。自然環境が変動する今、モネのまなざしを通して「自然とどのように向き合うのか」という普遍的な問いを、現代を生きる私たちに投げかけます。
1. モネの画業を年代順に追い、風景画をどう革新したかに迫る
モネの画業を年代順に追い、風景画をどう革新したかに迫るクロード・モネはその生涯を通じてさまざまな場所を訪れ、さまざまな方法で制作を行っています。モネの画業を年代順に追い、晩年の「睡蓮」の連作へと繋がっていくテーマや技法を順を追って提示し、モネの風景画の革新性に迫ります。
2. 同時代の画家たちの絵画や写真、浮世絵、アール・ヌーヴォーの美術工芸など、様々なジャンルの視覚表現と交錯させる、前例のない全く新しいモネの展覧会
モネの風景画制作は、穏やかな情景や、時に雪、風、雨といった猛威を振るう自然に向き合い、それをありのままに画布に留めた、と説明されがちです。しかしモネの風景画は、実は画家のたゆまざる探求による幅広い視覚的・芸術的教養から育まれたものだったのです。自然との対時を起点としながらも、モネは過去の、あるいは同時代の画家たちの影響に留まらず、写真や浮世絵など新しい表現にも注目し、そうした変化の中で画家としての自分の立ち位置を明確にしたのです。
3. オルセー美術館が誇るモネ・コレクションから選りすぐりの作品が来日
オルセー美術館が所蔵するモネの絵画作品は73点。世界で最も重要かつ網羅的なコレクションのひとつです。これはモネの画家仲間ギュスターヴ・カイユボットをはじめ、多くの人たちの寄贈により形成されたもので、このコレクションを通じて、印象派を一人で要約しているかのようなモネの画業を辿ることができるのです。今回はその中から日本初公開作品を含む選りすぐりの41点が来日します。
https://www.artpr.jp/artizon/monet2026
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★展示作品の一部
クロード・モネ《戸外の人物習作-日傘を持つ右向きの女》1886年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵 Photo コピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF
【日本初公開】クロード・モネ《トルーヴィル、ロシュ・ノワールのホテル》1870年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
クロード・モネ《かささぎ》1868-69年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
クロード・モネ《パリ、モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日》1878年、オルセー美術館蔵 
クロード・モネ《死の床のカミーユ》1879年 オルセー美術館蔵
クロード・モネ《アルジャントゥイユのレガッタ》1872年頃、オルセー美術館蔵
【日本初公開】クロード・モネ《昼食》1873年頃、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵 
クロード・モネ《サン=ラザール駅》 1877年、油彩・カンヴァス 、オルセー美術館蔵F
クロード・モネ《ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光》1904年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵 
クロード・モネ《ジヴェルニーのモネの庭》1900年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵 
【日本初公開】ピーター・ヘンリー・エマーソン《睡蓮の採取》1886年、プラチナ・プリント、ガラス乾板より、オルセー美術館蔵
クロード・モネ《ノルウェー型の舟で》1887年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵 
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年、油彩・カンヴァス、石橋財団アーティゾン美術館蔵
クロード・モネ《睡蓮の池、緑のハーモニー》1899年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
エミール・ガレ《静淵》1889-90年、多層吹きガラス、オルセー美術館蔵
――
参考文献
モネ没後100年 「クロード・モネ —風景への問いかけ」・・・ル・アーヴルからの旅立ち
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/02/post-8cc859.html
『クロード・モネ —風景への問いかけ』』図録、アーティゾン美術館、2026。p122。
「大回顧展 モネ 印象派の巨匠 その遺産」図録、国立新美術館、2007
印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-21e84b.html
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-220389.html
憧憬の地 ブルターニュ・・・最果ての地と画家たち2023
https://bit.ly/3ZkZsX8
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-fcbd04.html
モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-952362.html
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第382回
国立新美術館で「オルセー美術館展 印象派の誕生 ―描くことの自由―」国立新美術館、2014年7月9日(水)~10月20日(月)モネの『草上の昼食』が日本初公開! 「印象派の殿堂」オルセー美術館から珠玉の絵画84点が来日。
――
★モネ没後100年 クロード・モネ —風景への問いかけ、アーティゾン美術館
2026年2月7日[土] - 5月24日[日]
https://www.artizon.museum/exhibition/detail/47

2026年2月 2日 (月)

「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」・・・夜明け前と黄昏時、青い光が漂う時間

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第418回

夜明け前と日没前、青い光が辺り一面に漂う時間帯、スウェーデンの地平線の美
沈む太陽が地平線を赤く染める黄昏時、妖精が住む世界
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ニルス・ブロメール《草原の妖精たち》1850年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵。
夜明け前と日没前、青い光が辺り一面に漂う時間帯、スウェーデンの地平線の美
沈む太陽が地平線を赤く染める黄昏時、妖精、トロル、トムテ(小人)が存在する世界。スウェーデン国王グスタヴ・ヴァーサが建設したクリップスホルム城が建つ。
グスタヴ・アンカルクローナ「太古の時代」1897、
昇る朝日が地平線を赤く染め、夜明け前と日没前、青い光が辺り一面に漂う時間帯、
アウグスト・ストリンドバリ《ワンダーランド》1894年 油彩、厚紙 スウェーデン国立美術館蔵
エウシェーン王子《静かな湖面》1901年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵
北欧の美術、デザイン、木造の家への関心が世界的に高まっている。
「ヒルマ・アフ・クリント展」2025、「ウィルヘルム・ハマスホイとデンマーク絵画」2020、「北欧の神秘」2025、「ムンク展 共鳴する魂の叫び」東京都美術館2018
スウェーデン絵画の根源にある、世界観、美意識とは何か。
――
3人の画家の家 一生住む家、700年の家
アンデシュ・ソーン《故郷の調べ》1920年、13世紀の家を購入、アトリエして一生住む。
ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》1886年、故郷ダーラナ地方、島の家に自然と共生する。
カール・ラーション《カードゲームの支度》1901年、カール・ラーション(1853-1919)。1888年カーリンの父から譲り受け、妻のカーリンとともに改装した家、アトリエして一生住む。(「スウェーデン国立美術館、スウェーデン絵画のABC」)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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■展示作品の一部
ニルス・ブロメール《草原の妖精たち》1850年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Cecilia Heisser / Nationalmuseum
エードヴァッド・バリ《夏の風景》1873年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Nationalmuseum
カール=フレードリック・ヒル《花咲くリンゴの木》1877年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Erik Cornelius / Nationalmuseum
ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》1886年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Cecilia Heisser / Nationalmuseum
アンデシュ・ソーン《故郷の調べ》1920年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵Photo: Viktor Fordell / Nationalmuseum
カール・ラーション《カードゲームの支度》1901年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Anna Danielsson / Nationalmuseum
アウグスト・ストリンドバリ《ワンダーランド》1894年 油彩、厚紙 スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Erik Cornelius / Nationalmuseum
グスタヴ・フィエースタード《冬の月明かり》1895年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Hans Thorwid / Nationalmuseum
エウシェーン王子《静かな湖面》1901年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Anna Danielsson / Nationalmuseum
ニルス・クルーゲル《夜の訪れ》1904年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Nationalmuseum
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■参考文献
「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」・・・夜明け前と黄昏時、青い光が漂う時間
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/02/post-bb0912.html
ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者

http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-0489b5.html
「ムンク展 共鳴する魂の叫び」2018・・・波瀾の画家、月光が輝く海と女
https://bit.ly/2Jw3pTO
マスホイとデンマーク絵画展2020・・・背を向けて佇む女、憂いを帯びる世界、だれもいない部屋
https://bit.ly/2RNIUq8
ヴィルヘルム・ハンマースホイ、静かなる詩情・・・陽光、あるいは陽光に舞う塵2008
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-f259.html
「北欧の神秘 —ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」(SOMPO美術館)レポート。知られざる北欧美術の世界に没入する。
3月23日~6月9日、新宿のSOMPO美術館で開催。北欧3ヶ国の協力のもと、日本では過去最大規模となる約70点の作品が公開。北欧絵画の見どころを解説しながらレポートする。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/sompo-museum-magic-north-report-202403
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ヨーロッパトウヒ. 商品名, グレゴリアーナ. 学名, Picea Abies'Gregoryana'. 別名. 科名, マツ科トウヒ属. 原産地. 植物分類, 樹木、コニファー類.
https://www.komeri.com/contents/flower/list/yo_001.html
ドイツ・トウヒ
ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》1891年ヒアシュプロング・コレクション蔵
ハマスホイとデンマーク絵画展・・・背を向けて佇む女、憂いを帯びる世界、だれもいない部屋
https://bit.ly/2RNIUq8
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スウェーデン、3人の画家の家。
カール・ラーション、1888年ダーラナ地方の妻カーリン父から譲り受け、家に引っ越し、多くの絵を描く。《カードゲームの支度》1901。
アンデシュ・ソーン、ダーラナ地方の13世紀の家を手に入れ、アトリエにし、そこに住んだ。アンデシュ・ソーン《音楽を奏でる家族》1905、
ブッリューノ・リリエフォッシュ、ダーラナ地方の家のアトリに住む。《カケス》1887。
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プレスリリースより
ヨーロッパ北部、スカンディナヴィア半島に位置する国スウェーデン。本展は近年世界的に注目を集める、スウェーデン美術黄金期の絵画を本格的に紹介する展覧会です。
スウェーデンでは、若い世代の芸術家たちが1880年頃からフランスで学び始め、人間や自然をありのままに表現するレアリスムに傾倒しました。彼らはやがて故郷へ帰ると、自国のアイデンティティを示すべくスウェーデンらしい芸術の創造をめざし、自然や身近な人々、あるいは日常にひそむ輝きを、親密で情緒あふれる表現で描き出しました。

本展はスウェーデン国立美術館の全面協力のもと、19世紀末から20世紀にかけてのスウェーデンで生み出された魅力的な絵画をとおして、自然と共に豊かに生きる北欧ならではの感性に迫ります。
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第1章 スウェーデン近代絵画の夜明け
スウェーデンでは、北欧諸国のなかでは早い時期にあたる1735年に王立素描美術アカデミーが創立され、1768年には王立美術アカデミーに改称、フランスにならった伝統的な美術教育が行われていました。19世紀半ばになると、風景画制作において先進的であったイタリアやドイツへ赴く画家たちが現れます。とりわけドイツのデュッセルドルフでは、美術アカデミーにおいて風景画の特別授業が行われ、ロマン主義的な荒々しくも崇高な自然の姿を描く画風が好まれました。1850年にストックホルムでその一派を紹介する展覧会が開催されたことも一つの契機となり、スウェーデンをはじめとする北欧出身の多くの芸術家たちがこの地に心惹かれました。一方で、少しずつ確実に、スウェーデンという自国を見つめる目がうまれていたことも事実でした。
ニルス・ブロメール《草原の妖精たち》1850年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Cecilia Heisser / Nationalmuseum
ニルス・ブロメール(1816-1853)は、19世紀半ばに活動した、スウェーデン独自の芸術の確立を目指した最初の画家で、北欧の古代神話や伝説に基づく作品を主題としました。本作は四季を表す連作の一枚として構想され、黄昏時の草原で「春」を表す妖精たちが手を取り合って踊っています。遠くに見える城はスウェーデンに実在する城であることから、この絵の舞台がスウェーデンであることを示しています。北欧の古代神話への関心や黄昏時の光の描写は、次の世代のスウェーデンの画家たちが探求していく方向性をはらんでいるといえるでしょう。
エードヴァッド・バリ《夏の風景》1873年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Nationalmuseum
エードヴァッド・バリ(1828-1880)はデュッセルドルフで風景画を学び、帰国後の1858年にスウェーデン王立美術アカデミーに風景画科を新設、スウェーデンの風景画の指導的立場を担いました。バリは次第にデュッセルドルフ派の荒々しくドラマティックなロマン主義的な画風から距離を置き、本作のように「スウェーデン的な風景」、つまりスウェーデン中部の湖水地方の清新な空気に満ちた穏やかな夏の風景を描くことで人気を博しました。

第2章 パリをめざして―フランス近代絵画との出合い
1880年代にスウェーデン美術は劇的な変化を遂げます。王立美術アカデミーの時代遅れの教育法に不満を抱いていた若い世代の芸術家たちは、新しい表現や価値観、そして専門的な指導を受ける機会を求めて、フランスのパリへと向かいました。当時のパリでは、伝統に反旗を翻す印象派などの新しい表現が広まりつつありましたが、スウェーデンの芸術家たちが特に魅了されたのが、人間や自然のありのままの姿を見つめ、確かな描写力で伝えるレアリスムや自然主義的な表現でした。
とりわけフランスの画家ジュール・バスティアン=ルパージュを手本としたスウェーデンの画家たちは、素朴で情緒あふれるその手法を貪欲に吸収し、都市に生きる人々や労働者、目の前に広がる光景をみずみずしく明るい光の下に描き出しました。
カール=フレードリック・ヒル《花咲くリンゴの木》1877年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Erik Cornelius / Nationalmuseum
カール=フレードリック・ヒル(1849-1911)は、印象派に深い理解を示した画家です。1870年代にフランスに滞在したヒルは、カミーユ・コローなどバルビゾン派や印象派との出会いを通じて明るく澄んだ色彩を用いるようになりました。本作は彼が1877年春にセーヌ河畔のボワ=ル=ロワに滞在していた際に制作されたものです。この町でヒルは短い花の盛りに十数点の果樹の絵を描きました。満開の白いリンゴの花を照らす穏やかな光と、それを包み込む大気を素早くも確かな筆致で捉えています。
アーンシュト・ヨーセフソン《少年と手押し車》1880年 油彩、板 スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Nationalmuseum
本作はアーンシュト・ヨーセフソン(1851-1906)にとって転換点となる時期に描かれました。前年にパリを訪れ、自然光の中で明るい色彩を用いて描く外光派の作品に触れたことが契機となり、本作に見られるように彼の作品も明るい自然主義的なものへと移行しました。フランスの新しい潮流に触れたヨーセフソンは、旧態依然とした美術アカデミーに対して新たな芸術の創造を目指す「オポネンテナ(Opponenterna:反逆者たち)」と呼ばれる若手の芸術家グループの中心人物となりました。

第3章 グレ=シュル=ロワンの芸術家村
19世紀の絵画芸術におけるリアリズムを実践する方法のひとつに、戸外での制作がありました。バルビゾンに集い戸外制作を実践していたコローやミレーにならい、フランスのいくつかの地域には北欧の芸術家たちのコロニー(共同体)が形成されました。なかでも1880年代前半、スウェーデン出身の芸術家たちが拠点としたのは、パリの南東約70キロに位置するグレ=シュル=ロワンです。
この村にはスウェーデンの画家だけではなく、各国からも芸術家が集まり、のちに日本人画家の浅井忠や黒田清輝も滞在しました。スウェーデンの画家たちは夏のあいだこの素朴で穏やかな田舎町に身を置き、田園生活を送りながら牧歌的な情景を淡く透明感のある色彩で描きました。
ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》1886年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Cecilia Heisser / Nationalmuseum
動物画家であるブリューノ・リリエフォッシュ(1860-1939)は、自然環境と野生動物のかかわりに関心を寄せ、鋭い観察眼と構成力でその姿を描きました。本作ではカケスが仲間を追って飛び立つ直前、周囲を見回す一瞬の動きを捉えています。彼は、動物の生存戦略のひとつである、環境へ擬態する姿を好んで描きました。

第4章 日常のかがやき―“スウェーデンらしい”暮らしのなかで
1880年代の終わりころになると、フランスで制作していた多くのスウェーデンの芸術家たちは、それぞれの故郷に戻っていきます。その一因には、都会の喧騒に疲れ、郷愁の念が高まったことが挙げられます。
しかし、最大の理由は、フランスでの経験を経た芸術家たちの心に、「スウェーデンらしい」新たな芸術を作り出したいという希望が芽生えたことにあるでしょう。彼らはスウェーデンに戻ると、自らのリアルにほかならないスウェーデンの日常の暮らしや身近な人の姿にまなざしを向け、その飾らない様子を親しみやすい表現で描きました。また、近代化の影で失われつつある、スウェーデンの伝統的な民俗文化を主題とする芸術家も現れましアンデシュ・ソーン《故郷の調べ》1920年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵Photo: Viktor Fordell / Nationalmuseum
アンデシュ・ソーン(1860-1920)は、国際的に最も成功を収めた北欧の画家の一人です。1896年にパリから、スウェーデン中部に位置する故郷ダーラナ地方へ戻り定住すると、この地に住む人々や失われつつある伝統的な民俗文化に目を向けました。最晩年に制作された本作には、ダーラナ地方の民俗衣装を身にまとい、リュートを奏でながら歌う女性の気高い姿が描かれています。
カール・ラーション《カードゲームの支度》1901年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Anna Danielsson / Nationalmuseum
スウェーデンの国民的画家として知られるカール・ラーション(1853-1919)。彼が妻のカーリンとともに改装した家と、そこでの家族の暮らしを描いた水彩画は、画集として広く一般に親しまれました。本作では、奥の居間で大人たちが当時流行したカード遊び「ヴィーラ」を始めるのでしょう、ダイニング・ルームではカーリンがゲームの合間に楽しむ酒類を準備しています。テーブルの左端に座るのは夫妻の子どもであるブリッタとチャシュティです。暗く凍てつく冬の戸外とは対照的に、オイルランプとろうそくの灯りが家庭の温かく幸福な情景をやさしく照らし出しています。

第5章 現実のかなたへ―見えない世界を描く
フランスから帰国したスウェーデンの画家たちのなかには、目の前の事物を客観的に描写することよりも、自身の感情や気分を表現することに次第に関心を寄せるようになった者たちもいました。
こうした動きは、近代化とともに発展した科学や合理主義への反動と見ることができ、同時代のヨーロッパ各地で展開された象徴主義の流れとも呼応しています。彼らは絵画の主題として、自国スウェーデンにまつわる宗教や文学、歴史、寓話などを取り上げ、目に見えない内面的な世界を象徴的に示そうとしました。風景画においても、画家自身の主観やスピリチュアルな雰囲気を醸し出すような表現が生み出されました。
アウグスト・ストリンドバリ《ワンダーランド》1894年 油彩、厚紙 スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Erik Cornelius / Nationalmuseum
19世紀北欧を代表する小説家、劇作家アウグスト・ストリンドバリ(1849-1912)は、専門的な美術教育は受けていないものの、精神的危機に陥った時期に絵画制作に没頭しました。彼は本作の主題を「鬱蒼とした森」とし、加えてこの作品を「ワンダーランド、光と闇の闘い」と解釈しました。後年の論考で、元々彼は「日没の海が見える森の中」を描こうとしていましたが、描くうちに森は洞窟に、明るい中央部分ははるか彼方へ広がる光の空間へと変容していったと回想しています。このような偶然性にまかせた実験的な表現に、ストリンドバリの絵画制作に対する関心の在りかがうかがえます。

第6章 自然とともに―新たなスウェーデン絵画の創造
1890年代から世紀転換期にかけて、スウェーデンの風景画は大きな変化を迎えました。かつては「描くべきもののない国」とさえ言われたスウェーデンでしたが、森林や湖、未開の原野や山岳地帯といったスウェーデンならではの自然が芸術家たちによって「発見」され、それらを描くにふさわしい表現方法がさまざまに模索されました。
たとえば、カール・ノードシュトゥルム、ニルス・クルーゲル、リッカッド・バリは、スウェーデン西海岸の町ヴァールバリを舞台に、海岸線や内陸の平原を題材とし、ポール・ゴーガンの作品に示唆を得て、自然の外観と構図そして自身の感覚を統合する独自の表現方法を追求しました。なかでも、スウェーデン絵画の真骨頂といえるのが、夕暮れや夜明けの淡く繊細な光の表現です。
彼らの作品からは1880年代の作品に見られた明るく輝く日の光は消え去り、代わりに北欧の夏の夜に特有の、長い時間続く薄明の光が叙情をたたえてスウェーデンの豊かな自然の風景を照らし出すようになりました。
グスタヴ・フィエースタード《冬の月明かり》1895年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Hans Thorwid / Nationalmuseum
グスタヴ・フィエースタード(1868-1948)は、スウェーデンの自然と深く結びついた冬の情景を得意とした画家です。1897年にはスウェーデン中部ヴァルムランド地方のラッケン湖畔に定住しました。本作では、星空のもと樹霜に覆われた雪深い森が広がっており、細かな筆致で色が重ねられ、雪の冷たい輝きが装飾的に表現されています。フィエースタードの作品は装飾的な性格が強く見られ、彼が描いた下絵をもとに彼の姉妹や妻のマイヤがタペストリーに仕立てることもありました。
エウシェーン王子《静かな湖面》1901年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Anna Danielsson / Nationalmuseum
エウシェーン王子はスウェーデン絵画の黄金期を代表する風景画家の一人です。本作は、1890年代に始まるスウェーデンのナショナル・ロマンティシズムを象徴する一作であり、王子が夏を過ごしたストックホルム南部に位置するティーレスウーで描かれました。ナショナル・ロマンティシズムとは、その国や民族のアイデンティティを示す画題を見出し、それを表現するにふさわしい方法を追求する傾向を指します。本作では雲に覆われる空の彼方の地平線を、北欧の夏の夜の特徴である、長い時間続く薄明の淡く繊細な光が照らし、静けさをたたえた画面に永遠性を与えています。
ニルス・クルーゲル《夜の訪れ》1904年 油彩、カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵 Photo:Nationalmuseum
ヴァールバリ派を代表する風景画家ニルス・クルーゲル(1858-1930)は、ファン・ゴッホの素描から着想を得て、油彩の上にインクの点や短いストロークを重ねる独自の描法を確立、画面全体の統一を目指しました。本作では、短いストロークによって表現された北欧の夏の夜を象徴する青い光が、空を満たすだけではなく地上にも降り注ぎ、草を食む馬たちのいる風景に壮大で幻想的な雰囲気を生み出しています。
戦後、家具や照明などの北欧デザインが先行して国際的評価を確立しましたが、21世紀に入ると絵画も再評価が進み、展覧会でも人気が高まってきています。そのなかで、本展は、近代黄金期のスウェーデン絵画を過去最大規模で紹介する画期的な試みです。カンヴァスに宿る日常への温かな眼差しや、四季の移ろいをすくい取る静謐な叙情は、北欧画家ならではの趣にあふれています。
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東京都美術館開館100周年記念
スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき
会場:東京都美術館 企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)
会期:2026年1月27日(火)~4月12日(日)
開室時間:9:30~17:30(金曜は20:00まで)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2025_sweden.html
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山口県立美術館 4月28日(火)から
愛知県美術館 7月9日(木)から

2026年1月13日 (火)

美術館スケジュール2026・・・旅する哲学者、美への旅

Kukai-12500-tnm-2026
Monet-100art-2026
Greece-1-2026
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第417回
【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
【興福寺、西金堂、光明子】母・県犬養三千代を追善供養。734年【阿修羅像、3面の顔】左の顔、幼い表情、右の顔、過ちに気づいた思春期の表情、中央の顔、懺悔が深まり悩みから抜け出そうとする表情、基王、朝積親王、安倍内親王、3人の皇子を写す。入唐僧道慈が持ち帰った『金光明最勝王経』「夢見金鼓懺悔品」戦闘の神・阿修羅が懺悔によって浄化され守護神となる。発願王、光明皇后の意思が反映されている。『法隆寺資材帳』天平5年、6年、8年、平城宮皇后宮として施入。瀧浪貞子『光明皇后』2017.
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。*一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。藤原定家でさえ、母、美福門加賀を偲ぶ哀傷歌には、真情が溢れている。
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【大器晩成】《「老子」四十一章》大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかる。心豊かな人は、成功している人を嫉妬しない。失敗から学びを得る。自己の成長のために自分の問題課題を言葉にする。戦況を、分析し研究する。燕雀安くんぞ鴻鵠の志を
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1月
「アジアの仏たち-永青文庫の東洋彫刻コレクション-」永青文庫2026年1月17日(土)~3月29日(日)
生誕151年からの鹿子木孟郞 ―不倒の油画道-、泉屋博古館、1月17日(土)~4月5日(日)
千葉市美術館、ロックフェラー・コレクション花鳥版画展 北斎、広重を中心に、1月17日[土] – 3月1日[日]
東京都美術館開館100周年記念
スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき、東京都美術館、1月27日(火)~4月12日(日)
大西茂 写真と墨象[仮称]、東京ステーションギャラリー、1月31日(土)~3月29日(日)
2月
クロード・モネ —風景への問いかけ、アーティゾン美術館、2月7日~5月24日
カタリウム、アーティゾン美術館、2月7日~5月24日
「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2月11日~5月11日
トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで、三菱一号館美術館、年2月19日(木) ~5月24日(日)
3月
特別展「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」、国立科学博物館、3月14日(土)~6月14日(日)
長沢蘆雪展 府中市美術館3月14日〜5月10日
「下村観山展」東京国立近代美術館、3月17日[火]~5月10日[日]
ルネ・ラリック -華麗なるジュエリーとガラスの軌跡-、国立新美術館、3月20日(金・祝)~5月31日(日)
「チュルリョーニス展 内なる星図」、国立西洋美術館、3月28日~6月14日
「NHK日曜美術館50年展」、東京藝術大学大学美術館、3月28日~6月21日
4月
熊本城 ―守り継がれた名城400年の軌跡―、永青文庫、4月11日(土)~6月7日(日)
特別展「百万石!加賀前田家」東京国立博物館 平成館、2026年4月14日(火)~6月7日(日)
「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」国立新美術館、4月15日~7月6日
カール・ヴァルザー[仮称]、東京ステーションギャラリー、4月18日(土)~6月21日(日)
ライトアップ木島櫻谷Ⅲ-おうこくの色をさがしに 併設四季連作屏風、泉屋博古館、4月25日(土)~ 7月5日(日)
ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界(東京・サントリー美術館)4月22日~6月21日 巡回、神戸市立博物館7月11日~9月23日、静岡県内10月10日~12月6日(予定)
エリック・カール展 はじまりは、はらぺこあおむし(東京都現代美術館)4月25日~7月26日
東京都美術館開館100周年記念「アンドリュー・ワイエス展」4月28日(火)~7月5日(日) https://wyeth2026.jp/ wyeth2026@ohana.co.jp
ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界(東京・サントリー美術館)4月22日~6月21日 巡回、神戸市立博物館7月11日~9月23日、静岡県内10月10日~12月6日(予定)
ロン・ミュエク、森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)、4月29日(水・祝)~9月23日(水・祝)
5月
6月
“カフェ”に集う芸術家—マネ、ゴッホ、ロートレックからピカソまで(仮称)、三菱一号館美術館、6月13日(土)~9月23日(水)
「ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ」国立新美術館、6月10日~9月21日
「杉本博司 絶滅写真」、東京国立近代美術館、6月16日~9月13日
エットレ・ソットサス(仮題)、アーティゾン美術館、6月23日~10月4日
7月
「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展、国立西洋美術館、レンブラント・ハウス美術館との共同企画、約130点を一挙展示。7月7日〜9月23日。
長谷川潔展 ―パリに生きた銅版画家の軌跡 7月11日~9月23日 パナソニック汐留美術館
大名家の狂言道具コレクション、永青文庫、7月11日(土)-9月6日(日)
弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」、東京国立博物館、7月14日(火)~9月6日(日)
「東京都美術館開館100周年記念 この場所の風景-誰のために、何のために、つくられ/記録されてきたのか」(仮) 7月23日 ~ 10月7日
大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画、東京都美術館、7月25日(土)~10月18日(日)
8月
マリー・アントワネット・スタイル(横浜美術館)8月1日~11月23日
没後100年記念 住友春翠-仕合わせの住友近代美術コレクション(仮)、8月29日(土)~10月12日(月・祝)
9月
「ルーヴル美術館展 ルネサンス」国立新美術館、9月9日~12月13日
10月
永青文庫の禅画PartⅠ 白隠ワールド(仮)、永青文庫、10月3日(土)-11月29日(日)
「竹久夢二 時代を創る表現者」 東京国立近代美術館(竹橋)で2026年10月23日開幕
最高傑作《黒船屋》も約40年ぶりに展覧会に出品。
開創700年記念 特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」(東京国立博物館)10月14日~12月6日
アントニオ・フォンタネージ 明治日本とヨーロッパを橋渡しした風景画(仮称)、三菱一号館美術館(東京)10月17日~2027年1月24日、名古屋でも開催予定
ターナー展、国立西洋美術館、10月24日[土] ~2027年2月21日[日]
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×藤井光 Whose Light? —だれのひかりか
10月24日~2027年1月31日
「竹久夢二 時代を創る表現者」東京国立近代美術館、10月23日[金]-2027年1月11日[月]
11月
東京都美術館開館100周年記念「オルセー美術館所蔵 いまを生きる歓び」 2026年11月14日開幕~3月28日
「少女漫画・インフィニティ 萩尾望都×山岸凉子×大和和紀 三人展」国立新美術館、
企画展「東京都美術館開館100周年記念 あなたが世界を読むために」11月19日~1月11日
12月
白日会、英英紅禄展51回2026年12月23日(水) 、日本橋三越本店 本館6階 美術特選画廊、山本大貴、176万円、
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参考文献
美術館スケジュール2026・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-3e13e5.html
2026 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-a76d10.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女、橘嘉智子
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
参考文献2
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
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参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS

2026年1月10日 (土)

ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事詩

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絶望から立ち上がる青年と少女。怪我と失恋を超えて、蘇る復讐の叙事詩。
【ターセム・シン監督『落下の王国』2008】
1915年ロサンゼルスで、撮影中の大事故で半身不随になり、恋人も奪われ絶望。自暴自棄になったスタントマンのロイが、同じく入院中の無垢な少女アレクサンドリアに、自殺用の薬を盗んでくるよう頼むために、「暴君に立ち向かう6人の勇者の壮大な復讐物語」を語り聞かせるところから始まる。少女は物語に夢中になり、やがてその物語は少女の希望となり、彼ら二人をも救う希望の物語へと展開していく、二重構造。
愛と復讐の叙事詩【劇中劇】悪の総督によって愛する者や誇りを失った6人の勇者(マスクを被った男、インディアン、奴隷、爆破犯、鳥使い、退役兵)が、力を合わせて悪に立ち向かう愛と復讐の物語。 アレクサンドリアは物語に深くのめり込み、やがてロイの語る物語は彼女の希望となり、現実世界の二人にも希望の光をもたらす。
【救済】ロイの語る虚構の物語が、傷ついた少女に夢と希望を与え、最終的には傷ついた自分自身をも救済していく。
「ザ・セル」の鬼才・ターセム監督が、世界24ヵ国以上でロケを敢行して撮り上げた絢爛豪華な愛と感動の映像叙事詩。
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石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか・・・果てしなき創造の旅
17年の歳月を超え復活した。幻の映画、愛と復讐の叙事詩、ターセム・シン監督『落下の王国』2006・作品情報|CINEMORE(シネモア)
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【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
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参考文献
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
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参考文献2
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
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参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
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「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
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ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-9cd435.html

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