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2017年6月 7日 (水)

大久保 正雄 著作目録1 哲学編                                                        

Botticellinascitaveneresimonettaves大久保 正雄 著作目録1 哲学編                                                    
著書
  大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲學史 理性の微笑み』
  理想社1993、4月
論文
15 大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」
詩誌『酒乱』第6号 2013
14 大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩のことば―」
   詩誌『酒乱』第5号2011
13 大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」
   詩誌『酒乱』第4号2010
12 大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」
   詩誌『酒乱』第3号2009
11  大久保正雄「闇の中にただよう香り 新古今和歌集の美學 第二章」
   大久保正雄『魂の目』無盡藏刊、所収 1997、10月
10 大久保正雄「斷崖の美學 美をめぐる戦い 新古今和歌集の美學」
   「法科論集」第4号、1990
9 大久保正雄「ことばによる戦いの歴史としての哲學史 哲學史講義第一章」
  「法科論集」第5号、1991
8 大久保正雄「魂の卓越性の探究 想起説の構造と難問の仕組み (Plato“Meno”81a10-86c2)」
「法科論集」第5号、1991
7 大久保正雄「知と愛 (Plato“Apologia Socratis”28d10-30c1)」
「法科論集」第4号、1990
6 大久保正雄「彷徨えるソクラテス 根拠の探究(Plato“Phaedo”95e7-100b3)」
「法科論集」第3号、1989
5 大久保正雄「存在をめぐる論争 (Plato“Sophista”245e6-251a7)」
「法科論集」第2号、1988
4 大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」
  『理想』659号、理想社、1994、12月
3 大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」
  『上智大学哲学論集』第22号、1993、6月
2 大久保正雄「イデアと魂 (Plato“Phaedo”100b3-107b9)」
  北海道大学哲学会『哲学』第20・21号 1985
1 大久保正雄「Phaedo 100b3-107b9 イデアと魂」
  上智大学大学院博士前期課程、1983、3月

世界遺産
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
「世界遺産アカデミーWHAMR 第11号」世界遺産アカデミー(WHA)2011.4月
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至誠、天に通ず。永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロの究極の夢を追求して。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久 保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久 保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
★Botticelli, Naschita Venere, Birth of Venus,1485

2017年5月12日 (金)

桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い

20170411kyotoKaihou_kashiwanisaru桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い
『雲龍図』に刻まれれた、戦国武将の血の叫び、藝術家の沈思、運命と戦う人間の苦悩。
戦国時代、「親子は敵、兄弟は第一の敵」の時代。戦いに破れた武将は、新たな世界に向かって旅立つ。
戦略構築する武将、指南する家臣団、孤高の画家。絶叫する英雄、百家争鳴の論客、沈思する詩人。沈黙する画家。占夢官。妙心寺派の禅僧は、運命をどう占うのか。
戦国時代、武将は殺し合い、画家は殺し合う。狩野永徳は、安土城に障壁画を描き48歳で死ぬ。
―――
永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロの究極の夢は何か。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――
海北友松の生涯
海北友松は、天文2年、1533年、近江・湖北で誕生した。海北綱親の子。天文4年、友松3歳の時、海北綱親討ち死に。友松、東福寺に入門。
長谷川等伯、天文8年、1539年、生まれる。1610年没。71歳。
狩野永徳、天文12年1月13日(1543年)生まれる。1590年没。48歳
天正元年、1573年、7月12日、織田信長、二条城を焼却。足利義昭追放。室的幕府を滅ぼす。
8月27日、織田信長は浅井家を滅ぼす。浅井長政、自害。この時兄・大膳は戦死、41歳の友松の人生に大きな影響を与えた。
誤落藝家。「武家出身だった海北友松は間違って芸術家になった」。
友松は、初め狩野永徳に師事した。「菊恵童図屏風」は友松の狩野派時代の作品である。永徳の作品と比較すると岩の峻法などに類似点がある。
1574年、織田信長、狩野永徳『洛中洛外図屏風』を1574年上杉謙信に贈る。
狩野永徳、安土城に障壁画(1576年—1579年)を描き『安土城之図』(1581)を描いた。織田信長は、屏風をヴァリニャーノに与えた。
天正18年、狩野永徳、没。
1593年、長谷川久蔵(1568年生—1593年)没。26歳。
慶長2年、1597年、海北友松、建仁寺方丈に障壁画を描く。
友松は建仁寺方丈に多数の襖絵を描く以前に、建仁寺塔頭に襖絵を描いた。霊洞院「花鳥図襖」と禅居庵の松竹梅図襖」である。
時の権力者、豊臣秀吉は海北友松のことを知っていた。「1594年、上杉景勝が秀吉を自邸に招待した際に、秀吉から友松筆の「濃彩松鳥画屏風一双」を賜ったという記述が『歴代年譜 景勝公』に残る。
慶長20年、1615年、海北友松、83歳で死す。
*狩野永徳、天文12年1月13日(1543年2月16日)—天正18年9月14日(1590年10月12日)
*狩野山楽、永禄2年(1559年)—寛永12年8月19日(1635年9月30日)、浅井長政の家臣・木村永光の子光頼として近江国蒲生郡に生まれる。
*狩野山雪、天正18年(1590年)—慶安4年3月12日(1651年5月1日))、狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽(光頼)の婿養子で後継者。
*海北 友松1533—1615(天文2年(1533年)—慶長20年6月2日(1615年6月27日))
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。83歳で死す。
―――
展示作品の一部
海北友松「雲龍図」(建仁寺)
海北友松「花卉図屏風」(妙心寺)
海北友松「雲龍図」(勧修寺)
海北友松『琴棋書画図』(建仁寺塔頭霊洞院)
海北友松『柏に猿』(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
海北友松『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)
「雲龍図」(建仁寺)「花卉図屏風」(妙心寺)「月下渓流図屏風」に秘められた孤高の絵師の運命との戦い。
海北友松の到達点とされる『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)、今回米国から「奇跡の帰還=約60年ぶりの里帰り」を果たした。
靄に煙る山深い渓谷に、雪解け水が流れ出す。蒲公英、土筆が描かれている。空には朧月が浮かび、光が渓流、松、白梅、椿、土筆、蒲公英を淡く照らし出す。
河合正朝氏は古今集の和歌を引用して説明した。「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」凡河内躬恒 春の夜、梅の花をよめる『古今集』巻1・春歌上・41
*「日曜美術館」
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-9379.html
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d48d.html
海北友松 京都国立博物館プレスリリース
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/pdf/2017_yusho_press.pdf
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桃山孤高の巨匠 海北友松 「日曜美術館」
桃山文化、狩野派、長谷川派が画壇を席巻する中、独自の画境を開いた絵師・海北友松。武家に生まれた友松は刀を絵筆に持ちかえて活躍。雲間から妖しく現れる「雲龍図」、金ぺきに濃い色を施した豪華な「花卉図屏風」など独自の画風で、武家から朝廷まで魅了した。最晩年の作品「月下渓流図」は、“奇跡”の名画とも称される傑作。戦後アメリカに渡り、今回60年ぶりに里帰りするこの神秘的な絵の魅力に迫る。
桃山の巨匠・海北友松。大迫力の龍、豪華な牡丹(ぼたん)、独自の画風で武家から朝廷まで魅了。60年ぶりに帰還する最晩年の傑作「月下渓流図屏風」の神秘的な世界に迫る
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/
桃山の孤高の絵師、海北友松
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開館120周年記念特別展 海北友松、京都国立博物館
2017年4月11日(火)~5月21日(日)

2017年4月20日 (木)

茶の湯、東京国立博物館・・・信長はなぜ本能寺で殺されたのか

20170411Seikadou_youhentenmoku茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星
桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。曜変天目を再びみる。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波瀾の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、芳野との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/M42reazRZU
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lbezTP
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曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財 
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財 
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
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流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
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茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828

2017年3月30日 (木)

雪村、奇想の誕生・・・戦国時代の孤高の画僧の謎

Sesson_ryodouhinzu雪村、奇想の誕生・・・戦国時代の孤高の画僧の謎

桜の蕾がふくらむ森を歩いて、東京藝術大学美術館に行く。この日は藝大の卒業式で、華やかな振袖、袴の女子学生たちが颯爽と歩いてくる。
戦国時代、親と子は敵であり、兄弟は最大の敵である。武将、藝術家、思想家は、家族のなかに最大の敵が存在する。ルネサンス時代、レオナルド、ミケランジェロは、家と時代の逆境を生きぬいて藝術を探求した。
戦国時代を生きた孤高の画僧、雪村周継、異端の水墨画の巨匠。波と風と岩。龍の上に立つ仙人。大胆な構成、独創的な形態、大胆にして繊細、細部に宿る命。孤高の画家の発想の源泉には、何があるのか。寒い春にみる孤高の絵画。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。を思い出す。
*「春」安西 冬衛、詩集『軍艦茉莉』(昭和4年刊)
韃靼海峡は間宮海峡(タタール海峡)の古称。蝶が大陸へ向かって海を越えていく。海を越える一匹の蝶。三岸好太郎「雲の上を飛ぶ蝶」を想起する。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示室で、美術史家の講義をききながら、雪村の作品をみる。『呂洞賓図』、仙人が龍の上に立ち、天を見る。舌を出す。どうしてこのような構図になったのか、理由がわからない。と美術史家、古田亮氏は説明する。図案は、『羅漢図』に原案がある。『金山寺図屏風』、細密を極める屏風。奇想の画家の系譜の始まりが雪村である。と古田亮氏は説明する。
伊藤若冲、曽我蕭白、歌川国芳、奇想の画家たちの発想の源泉には、何があるのか。
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雪村 生涯の謎 逆境を生きる苦悩
雪村(1500頃~1580年頃)は、戦国武将の子であるが、逆境を生き、孤高の絵画の境地を追求した。常陸国で戦国武将の一族、佐竹氏に長男として生まれた。長男として家を継ぐはずだが、雪村の父は他の妻の子を跡取りとした(『本朝画史』)。このため、幼くして夢窓疎石を開山とする正宗寺に入って修行する。幼いうちに出家し画業の道へと進む。水墨画の巨匠、雪舟に私淑し独自の水墨画を多く残した。今では西の雪舟、東の雪村と言われる。
雪村の生涯には謎が多い。生没年すら明確にわかっていないが、少なくとも86歳までは絵を描いていたという記録が残る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品
『呂洞賓図』(りょどうひんず)、大和文華館蔵、重要文化財
『蝦蟇鉄拐図』東京国立博物館蔵
『琴高仙人・群仙図』京都国立博物館蔵、重要文化財
『猿猴図』個人蔵
『金山寺図屏風』笠間稲荷美術館蔵
『列子御風図』公益財団法人アルカンシエール美術財団蔵
『風濤図』野村美術館蔵、重要文化財
『龍虎図屏風』根津美術館蔵
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★参考文献
辻 惟雄『奇想の系譜 又兵衛−国芳』筑摩書房
岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳を奇想の画家と再評価する。
辻 惟雄『奇想の図譜からくり・若冲・かざり』筑摩書房
北斎、若冲、写楽、白隠、そして日本美術を貫く奔放な「あそび」の精神と「かざり」への情熱。奇想から花開く鮮烈で不思議な美の世界。
『雪村-奇想の誕生-』図録、東京藝術大学美術館2017
葛飾応為『吉原格子先之図』
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★奇想の系譜
若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-2b1d.html
「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-7705.html
蕭白ショック!!曾我蕭白と京の画家たち・・・狂狷の画家、蕭白
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-8a7c.html
奇才 曽我蕭白
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-522b.html
伊藤若冲 アナザーワールド・・・若冲の水墨画
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-7fcb.html
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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特別展 「雪村-奇想の誕生-」東京藝術大学美術館
2017年3月28日(火)- 5月21日(日)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/sesson/sesson_ja.htm
2017年3月30日

2017年3月25日 (土)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

Titian_venus_of_urbinoTiziano_flora_1515ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/

2017年2月26日 (日)

暗殺の世界史 正義と虚偽の戦い

LucreziaborgiaCesareborgia暗殺の世界史 正義と虚偽の戦い

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
権力者による暗殺、正義のための暗殺、報復の暗殺、思想弾圧、暗殺には、様々な形がある。アレクサンドロスのフィリッポス暗殺は聖なる弑逆、敵の謀を討つ迎撃である。
織田信長による信行殺害は、報復、反し討ち、敵の謀を討つ迎撃である。
世界史の舞台における名高い暗殺は、フィリッポス2世、カエサル暗殺、ローマ皇帝カリギュラ暗殺がある。
紀元前336年 - ピリッポス2世暗殺。后と子アレクサンドロス大王による。王によって弟に相続されることを予防した。敵の謀を討つ。
紀元前44年3月15日 - カエサル暗殺。犯行の首謀者はブルートゥスとカッシウス。
41年1月24日 - カリグラ、親衛隊により暗殺。その妻子も同時に殺害される。
59年3月 - 小アグリッピナ、息子のネロにより暗殺。
なぜ、殺し合うのか。
地位とカネと権力を独占する者と自由を追求する者との戦いがある。性格の不一致があり、生きかたの根源的対立がある。

最高の指揮官は、敵の戦略を見抜き、敵の謀を討つ。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する魂の神殿を旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★【敵の謀を討つ】信玄、信長
武田信玄
武田信玄の父、武田信虎は、信玄が賢いのを嫌い、弟の信繁を次期当主にしようと考えた。武田信玄は、暴虐な父、信虎を追放した。武田信玄は、知将である。
暴虐な父は、長男を憎み、弟を溺愛する。長男は、父を討ち、弟を反し討ちする。
古代の王家、戦国武将、藝術家の家 父は、長男を憎み、弟を溺愛する。
織田信長
織田信長は、父の位牌に焼香を投げつけた。家臣団は、弟信行に家督を奪わせようとした。信行は、信長に謀反を起した。信長を、謀殺しようとした。
織田信長は、弟信行を反し討ちにした。★
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
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★【金王朝、独裁の系譜】
金正日は、三男金正恩に、権力を継承させた。金正恩は、長男、金正男を暗殺した。金正恩は、金正男の存在を隠蔽した。
独裁を批判する兄は、独裁者の弟によって、暗殺された。
金正男氏「弟に殺される」。金正男氏が、弟金正恩氏に、暗殺された。
王朝の息子が死去 金正男氏はなぜ殺害されたのか 
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38977508
文化的な人が、暴虐な独裁者によって、暗殺されるという世の例である。
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暗殺事件の一覧
http://bit.ly/2ly4JeR

★【ルネサンス】16世紀の暗殺
1536年8月10日 - フランス王フランソワ1世の長男の王太子フランソワ毒殺。黒幕は不明。次男アンリの妃カトリーヌ・ド・メディシスに嫌疑がかけられるが、結局、犯人は出ず、アンリが王位継承者に選ばれる。
1537年1月5日 - 初代フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチ暗殺。犯人は弟脈のロレンザッチョことロレンツィーノ・デ・メディチ。これによってコジモ・デ・メディチ以来続く兄脈は断絶し、フィレンツェの支配権は弟脈のコジモ・デ・メディチ(コジモ1世)に移った。
―――――
★軍人皇帝時代のローマ帝国の暗殺
192年12月31日 - ローマ皇帝コンモドゥス暗殺。
193年3月28日 - ペルティナクス帝、近衛兵により暗殺。先帝コンモドゥスの将軍。
217年4月6日 - ローマ皇帝カラカラ、パルティア遠征中に親衛隊長官により暗殺。
222年3月11日 - マルクス・アウレリウス・アントニウス帝(通称エラガバルスあるいはヘリオガバルス)、近衛兵によって暗殺。
235年3月18日 ? - ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルス暗殺。
238年 - ローマ皇帝マクシミヌス・トラクス、息子、側近たちと共に親衛隊によって暗殺。
251年9月 - ローマ帝国の軍人皇帝アエミリアヌス、自軍内で暗殺。
253年8月 - ローマ皇帝トレボニアヌス自軍内で暗殺。
268年 - ローマ皇帝ガリエヌス、クラウディウス・ゴティクス、アウレリアヌスに暗殺される。
275年 - ローマ皇帝アウレリアヌス、秘書のエロスにより毒殺。
282年 - ローマ皇帝プロブス、自軍の兵士により暗殺。
284年11月 - ローマ共同統治帝ヌメリアヌス、ペルシア戦役からの帰還中謀殺。
285年7月 - ローマ皇帝カリヌス、クーデターにより殺害。
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★【ボルジア家】の暗殺史
ボルジア家は、毒薬によって貴族、枢機卿を暗殺し、カネと地位を奪った。
黒幕はボルジア家と言われるが、いずれも確かな証拠はない。
1495年2月25日 - オスマン帝国の帝位請求者ジェム・スルタン毒殺。ジェムはバヤズィト2世の弟で、兄と帝位を争って敗れ、イタリアに亡命していたが、ローマ教皇アレクサンデル6世の元で庇護を受ける。フランス軍に引き渡され、ナポリへ移動中、不審な死を遂げた。毒殺と言われる。
1495年 - ヴェネツィアでミケロッティ枢機卿暗殺。
1497年6月14日 - アレクサンデル6世の次男ホアン・ボルジア暗殺。黒幕はホアンの実兄チェーザレ・ボルジアと噂された。
1500年7月15日 - ナポリ王子アルフォンソ(チェーザレの妹ルクレツィア・ボルジアの夫)が襲われ、一命は取り留めたが、数日後に謎の衛兵によって殺害される。
1500年 - チェーザレ・ボルジアの従兄ボルジャ枢機卿、変死。
1502年12月 - チェーザレ・ボルジアによるオルシーニ家とヴィテッリ家の抹殺。和解を装いオルシーニ家とヴィテッリ家の4人を謀殺。
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暗殺事件の一覧
http://bit.ly/2ly4JeR
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大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
★戦国時代
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず
https://t.co/HNvwfmygMQ
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lB5DIn
戦国武将、織田信長 骨肉の抗争
http://bit.ly/2l7FlKH
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★ルクレツィア・ボルジア Lucrezia Borgia(1480~1519)
★チェーザレ・ボルジア Cesare Borgia(1475~1507)
★Assassination of Julius Caesar
Death of Julius Caesar
★La Mort de César (ca. 1859–1867) by Jean-Léon Gérôme

2017年2月19日 (日)

アトレウス王家、血族の抗争、ギリシア悲劇 オレステス

TroyTroy_paris_2004Leda_melzi_uffiziアトレウス王家、血族の抗争、ギリシア悲劇 オレステス

骨肉の争いの歴史 
タンタロス王、ペロプス王、アトレウス王、アガメムノン王、オレステス。5世代の苦闘。
王家の戦い、血族の抗争、殺し合い。悲劇は五世代に重層する。王家は、父を殺し、兄弟を殺し、何を残すのか。

陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。戦国時代。
敵の陰謀を見破り、敵を滅ぼす最高の指揮官。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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タンタロスは、自分の子(ペロプス)の人肉をスープにして神々に供した。
ペロプスは、ヒッポダメイアの子、アトレウスとテュエステスに呪いをかけた。
アトレウスは、テュエステスの子たちを食材にして料理して父親に供した。
アトレウスの子アガメムノンが、テュエステスを殺害し、王位につく。
理想を追求する人は、運命に対峙し、運命と戦う。
オイディプス王は、運命と戦い、荒野をさまよう。オレステスは、アトレウス王家の呪縛を解くのか。
―――――
■リュディア王タンタロス
ゼウスの子タンタロスは、ゼウスの食卓で、神々の食べ物アンブロシアとネクタルを飲み不死身になった。思い上がったタンタロスは、自分の子の人肉をスープにして神々に供した。神々はタンタロスの企みに気づき、罰を下した。ゼウスは、スープを釜に戻し子を生き返らせた。これがペロプスである。ペロプスは、美しい若者に成長した。
■ペロプス一族の悲劇 ピーサ王
ペロプスは、王女ヒッポダメイアを一目見ると恋におち、一計を案じて車輪の楔を抜き、ピーサ王を戦車競走で、転落死させる。ペロプスは、ニンフとの間にクリュシッポスを儲ける。ヒッポダメイアは、ペロプスが王位をクリュシッポスに譲るのではないかと不安になり、クリュシッポスを殺害した。ペロプスは、ヒッポダメイアの子、アトレウスとテュエステスに呪いをかけた。ペロプスの呪い。
■アトレウス王家の悲劇 ミュケナイ王
アトレウスとテュエステスは、ピーサから国外追放され、ミュケナイ王の下に身を寄せる。ミュケナイ王と子が相次いで亡くなり、アトレウスとテュエステスは王位をめぐって争う。アトレウスが王になり、テュエステスが追放される。アトレウスの妻とテュエステスが通じて、アトレウスを追放する。アトレウスは、テュエステスの不義を暴き王座に復権する。
アトレウスは、テュエステスに和解を持ちかけ、テュエステスの子たちを食材にして料理にして御馳走した。復讐の鬼と化したテュエステスは、自分の娘ぺロピアにアイギストスを産ませる。アトレウスを殺害させ、ミュケナイ王座を奪還させる。アトレウスの子アガメムノンが、テュエステスを殺害し、王位につく。アガメムノンは、テュエステスの息子タンタロスを殺害、その妻クリュタイムネストラを自身の妻とし、ミュケナイ王に君臨する。
■アガメムノン王の悲劇 ミュケナイ王家
ヘレネとトロイアの王子パリス
アガメムノン王の弟メネラオスの妻ヘレネがトロイアの王子パリスと駆け落ちして、トロイア戦争が始まった。
アガメムノン王は、トロイアに出帆するために、娘イピゲネイアを生け贄にした。
これを恨んだクリュタイムネストラは、テュエステスの子アイギストスと共謀して、アガメムノン王殺害を計画した。アイスキュロス『アガメムノン王』
■オレステスの悲劇
アガメムノン王の子、姉エレクトラと弟オレステスは、クリュタイムネストラの殺害を遂行する。エウリピデス『オレステス』『エレクトラ』
■オイディプス王 テーバイ王家
オイディプスは、テーバイの王、父ライオス王によって、幼少時に、キタイロン山中に捨てられた。コリントス王の子として育てられる。オイディプスは、ライオスと王妃イオカセテの子である。『オイディプス王』の悲劇が起きるのは、三叉路でライオス王に出会ってからである。ソポクレス『オイディプス王』
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運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
*ヴォロマンドラのクーロスKouros of  Volomandra
https://t.co/httDdX6Bvr
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
https://t.co/BIXeFsq7GS
デルフィ、光り輝く(ポイボス)アポロン アポロンの悲恋
https://t.co/gQ7mPYqr7A
デルフィ、オイディプス王の悲劇
https://t.co/9WqVXF2spg
アモールとプシューケー エロースと絶世の美女プシューケー
https://t.co/I5hzrLUU2R
エウリピデス『王女メデイア』アルゴ号の航海、金毛羊皮を求めて
https://t.co/dgAcFdNJlf
★系図 Genealogy of Agamemnon
https://en.wikipedia.org/wiki/Agamemnon
Tantalus  Lineage Tantalus
https://en.wikipedia.org/wiki/Tantalus
http://bit.ly/2maT9TS
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★ヘレネ Helen of Troy
★トロイアの王子パリスParis of Troy
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
2017年2月19日

2017年2月17日 (金)

藝術家の苦悩、運命との戦い、骨肉の争いと競争

Isleworth_mona_lisaIsleworth_mona_lisa_wiki藝術家の苦悩、運命との戦い、骨肉の争いと競争
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
レオナルド、カラヴァッジオ 乱世の藝術家
藝術家は、家族と戦い、運命と戦い、美を探求する。時の彼方に理想を求める。

聖なる弑逆、父殺しから、アレクサンドロスが生まれた。弟殺しから、織田信長が生まれた。
藝術家の家において、親族の抗争、殺し合いがある。苦悩の果てに美が生まれる。
アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、カエサル。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。安土桃山、江戸時代、富裕な商家に生まれた画家たち。狩野永徳、尾形光琳、伊藤若冲。錦絵の熾烈な競争、浮世絵師、北斎。
タンタロス王、ペロプス王、アトレウス王、アガメムノン王、オイディプス王。悲劇は重層する。

陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
敵の陰謀を見破り、敵を滅ぼす最高の指揮官。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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■レオナルド、憂愁の生涯
レオナルドは、幼少時に、捨てられた。憂愁に包まれる悲愴の人生。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1446—1519)
レオナルドは、父セル・ピエロによって、幼少時に、ヴィンチ村の親族、叔父フランチェスコに預けられた。母のカテリーナは、捨てられた。父は、フィレンツェの商人の娘と結婚した。1465年、13歳の時、フィレンツェのアンドレア・ヴェロッキオの工房に弟子入りする。1507年、叔父フランチェスコ、死去。遺言により遺産相続人に指名される。が親族の反対により裁判になりフィレンツェに行く。1519年、レオナルド、死去、67歳。フランチェスコ・メルツィに知的財産が託される。
フィレンツェからミラノに旅立ち、ミラノからヴェネツィアに旅立ち、フィレンツェからフィレンツェに旅立ち、フランスに旅立つ。
■カラヴァッジョの破滅的生涯
カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアで生まれ、6歳の時父が死に、13歳の時画家の修業を開始し、20代でローマに行く。作品が人気となり支援者を得る。25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介される。
35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
■北斎
葛飾北斎は、俵屋宗理を襲名するが、弟弟子に譲る。
飯島半十郎『葛飾北斎伝』、諏訪 春雄『北斎の謎を解く―生活・芸術・信仰』、『決定版 北斎』別冊太陽、『画狂人 北斎』
■狩野永徳
狩野永徳は、家屋敷を弟に譲り、安土城の装飾の仕事に没頭する。
尾形光琳
尾形光琳は、家督を弟に譲り、藝術制作に専心する。尾形光琳(1658-1716)は、若き日々、遊蕩三昧に明け暮れる、29歳の時、父尾形宗謙が死去し、雁金屋は倒産の危機に陥る。
■伊藤若冲
伊藤若冲は、家督を弟に譲り、藝術に専心する。伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。
★ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ』、アンドレ・シャステル『イタリア・ルネッサンスの大工房―1460-1500』、ルートヴィヒ・ハインリヒ・ハイデンライヒ『イタリア・ルネッサンス』人類の美術、新潮社、池上英洋『西洋絵画の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ』
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ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』、レオナルド最後の旅
https://t.co/3VocR7I7t3
カラヴァッジョの破滅的生涯
カラバッジョ展、国立西洋美術館、光と闇の藝術
http://bit.ly/2loLlBd
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
Cleopatra, Dendera Temple
伊藤若冲、千載具眼の徒をまつ、動植綵絵、彼方への旅
https://t.co/gZBwa6QfOw
北斎への旅『旅する哲学者 魂への旅』より
http://bit.ly/2kMuogC
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
「燕子花と紅白梅 ―光琳デザインの秘密―」・・・春爛漫の庭に佇む
http://bit.ly/2lUzOqM
http://bit.ly/2kEEQpv
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★Leonardo da Vinci,
★Leonardo da Vinci, Isleworth Monalisa
2017年2月17日

2017年2月16日 (木)

偉大なる王家、骨肉の争い クレオパトラ、アレクサンドロス 

Olympias_mother_of_alexanderAlexander_the_great_mosaic_0偉大なる王家、骨肉の争い クレオパトラ、アレクサンドロス 
王族の家は、権力に狂った驕慢なる者、金の亡者、骨肉の抗争、殺し合いが起こる。
聖なる弑逆、父殺しから、アレクサンドロスが生まれた。弟殺しから、織田信長が生まれた。
藝術家の家においても、親族の抗争、殺し合いがある。苦悩の果てに美が生まれる。
アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、カエサル。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。安土桃山、江戸時代、富裕な商家に生まれた画家たち。狩野永徳、尾形光琳、伊藤若冲。錦絵の熾烈な競争、浮世絵師、北斎。
タンタロス王、ペロプス王、アトレウス王、アガメムノン王、オイディプス王。悲劇は重層する。

陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
敵の陰謀を見破り、敵を滅ぼす最高の指揮官。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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■アレクサンドロス大王
アレクサンドロスは、オリュンピアスとともに、父王を謀殺。
アレクサンドロス3世は、妹クレオパトラの結婚式で、父フィリポス2世を謀殺。実行したのは貴族パウサニアスである。父王が、弟に王位を相続させると言ったため、母オリュンピアスと謀殺した。
アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王。BC336-BC323)
■クレオパトラ7世
クレオパトラは、3人の姉妹と敵対、孤立した。
クレオパトラは、姉ベレニケ、妹アルシノエ、弟プトレマイオスと対立した。皇位継承をめぐって、抗争が起こり、ローマのユリウス・カエサルの力を背景にして、王位を奪還する。クレオパトラ(在位BC51-BC30)とカエサリオンはしばらくの間ローマに滞在したが、BC44年にカエサルは暗殺され(カエサル暗殺。BC44.3.15)。カエサリオンがプトレマイオス15世としてクレオパトラと共同統治した(在位BC44-BC30)。
クレオパトラ7世(Cleopatra VII Philopator, 紀元前69年 - 紀元前30年8月12日) (在位BC51-BC30)
父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟はベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世(弟)、プトレマイオス14世(弟)がいる。クレオパトラ7世は、カエサルとの間に、カエサリオンを産む。
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★参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『地中海紀行』第45回クレオパトラの死1
アントニウスとクレオパトラ 愛と死
https://t.co/1hdgZYVOMT
大久保正雄『地中海紀行』第46回クレオパトラの死2
アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅
https://t.co/RCwJNrJirZ
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2P52
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
大久保正雄『地中海紀行』55回アレクサンドロス大王3
クレオパトラの死 プトレマイオス王朝最後の華
https://t.co/dcAKahB4fI
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★アレクサンドロス3世 Alexanderthe great
★オリュンピアス Alexanderthe great , Olympias
★クレオパトラ7世 Cleopatra,7
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
2017年2月16日

2017年2月15日 (水)

戦国武将、織田信長 骨肉の抗争

Nambanbyoubu_kanounaizen_lisbon_2Nobunaga_2戦国武将、織田信長 骨肉の抗争
王家、武将、藝術家、骨肉の争い、殺し合い、相続をめぐる争い
戦国時代。陰謀、裏切り、だまし討ち、下剋上、何でもありの乱世。
理念を追求する人は、天のために戦う。
美しい魂は、生死をのり超えて、美しい理念を探求する。美の化身となる。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する不滅の魂の神殿に旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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■織田信長 織田信秀の葬儀、弟信行の暗殺 23歳天才の出発
織田信長(1534、5月12日—1582、6月2日)は、尾張国の古渡城主・織田信秀(永正5年1508年—天文20年3月3日1551年4月8日)の嫡男である。
織田信長は、嫡男であったが、家臣団は、弟の信行を次期当主にしようとした。弟の信行は、信長を騙して相続しようとした。このため、信長は、家臣に命じて弟の信行を謀殺した。
■織田信長、大うつけ
織田信長は、「大うつけ」で有名だった。既成の価値観にとらわれず、形式主義と階級を嫌った。伝統習慣、常識、階級、既成概念に囚われない。常識はずれの人であった。既成の価値観にとらわれず、革新性に溢れていた。
奇妙な服装、異様な振る舞い。これが、既存体制、アンシャンレジームの破壊、「天下布武」へと向かう。
■織田信秀の葬儀
織田信秀は、43歳で亡くなる。
天文20年(1551年)、「父信秀の葬儀の際、兄信長は仏前で抹香を投げつけるという不行跡を示した。」対して、勘十郎信勝(=信行)は「折目高なる肩衣・袴めし候て、あるべきごとくの御沙汰なり」(『信長公記』)。正装をして礼儀正しく振舞っており、対照的であった。
*織田信行(1536—1557)、信勝から、達成、信成、信行。名を変える。
1557年弘治2年11月2日、信長が病気との報を受け、柴田勝家に「信長殿を騙して譲り状を書かせてしまえば信友殿もいない今、織田家はあなたのものです」と諭された。
清洲城へ信長の見舞いに行ったが、織田信長は河尻秀隆ら(あるいは池田恒興)に殺害を命じて、清洲城北櫓天主の次の間で、織田信行(織田信勝)は暗殺された。(享年22歳) *「織田信長を謀殺しようとして返り討ちにあい、織田信長の目の前で自刃した」説もある。
■父を殺害
戦国時代、斉藤義龍、大友宗麟、伊達政宗は、父を殺害し、家督を相続している。
■父を幽閉
伊達晴宗は、対立した父植宗を幽閉した。1542年、天文の乱である。
■兄弟の権力争い
織田信長、伊達政宗、今川義元、毛利元就、最上義光は、兄弟の権力争いが発生し、兄弟を殺害に追い込む。
■桓武天皇、弟、早良親王を冤罪で追放
奈良時代末期、桓武天皇は、早良親王を権力の座を狙っていると邪推し追放。殺された早良親王。早良親王は、無実の罪に憤慨して憤死した。延暦4年(785年)、造長岡宮使、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、乙訓寺に幽閉された。無実を訴えるため絶食、淡路国に配流された。
死後、平城京に祟った。桓武はその祟りを怖れ、早良親王を「崇道天皇」と追称、都を安京に移した。
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■人質にされた徳川家康
徳川家康は、織田家の人質であった。後の徳川家康、松平竹千代は岡崎城主・松平広忠の長男として生まれるが、松平家は弱小な一地方豪族だった。臣従していた今川家に人質として送られることになったが、道中で略奪され、今川家と争っていた織田家の人質となる、織田家の人質時代に信長と交流があった。
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★参考文献
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://bit.ly/2kJdW0C
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず
https://t.co/HNvwfmygMQ
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lB5DIn
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
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★狩野内膳「南蛮屏風」「南蛮人渡来図」(1570~1616)
★織田信長
★狩野永徳「洛中洛外図」1565
★カラヴァッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」1599
★ベラスケス「ブレダの開城」1635
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
2017年2月15日

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