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2018年7月15日 (日)

島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』ソフィア文化芸術ネットワーク

20170616020170628015「島薗進『死生学』第3回、宗教の名著 魂のことば」5月27日、上智大学、6号館204教室。島薗進先生との質疑応答を、ここに記録します。
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1、宗教にある「遊戯」の要素について
大久保正雄
学問の本質は問答にある。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス<遊戯人>』(1938)は、問答競技、詩歌の競技、技比べ。ギリシア人の謎、プロブレーマ。を論じる。ロジェ・カイヨワによる「遊戯の分類、アゴーン(競争)、アレア(運)、ミメシス(模倣)、ヴァーティゴ(眩暈)」である。宗教にある「遊戯」の要素とは何ですか。
島薗進
宗教にある「遊戯」の要素は、現実から距離をとって一定の自由を得て、ふだん捉えにくい真実にふれる。芸術は遊びの発展したものと捉えられる。身心のさまざまな可能性を発揮する機会となる。
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2、宗教における「現世の階級社会、価値観の否定」について。現世の価値を超える価値の探求
大久保正雄
織田信長の思想を研究する人は稀少。織田信長には「世間の階級社会、価値観の否定」がある。
*注【織田信長、天下布武】既存の世間の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えによる。天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。参考文献 小和田哲男『集中講義 織田信長』
*【織田信長、天下布武】既存の階級社会、価値観を否定。ニヒリズム。知的で革命的。子供の時から、尾張の大うつけ。妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えにより、天下布武印、使用。岐阜と命名。永禄十(1567)年、信長34歳。織田信長、知的で革命的。「信長、貪欲でなく、食を節し、飲酒せず」フロイス『日本史』
*【織田信長、権威主義を拒否。決断を秘め、戦術に極めて老練】「自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。」ルイス・フロイス『日本史』
*【創造する精神 織田信長】【天下布武】アンシャン・レジーム、階級社会との戦い。天正二(1574)年、東大寺正倉院の香木、聖武天皇遺愛の品、天下第一の名香、蘭奢待を切らせる。正親町天皇の勅許をえる。

島薗進
信長は日本の宗教の地形を大きく変化させた人と言える。仏教勢力を打破し、ある意味では人間性の拡充の方向性を開いたところがある。キリスト教に刺激され、帝国的な普遍性を求めた側面もある。他方、中世の来世志向から近世の現世肯定への転換点に位置すると言える。豊臣秀吉、徳川家康は新たな階級社会を作った。織田信長が、もし本能寺の変で倒れなかったら、違う世界になっていた、能力主義の世界を作ったかもしれない。
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3、織田信長と禅僧、禅の老荘思想について
大久保正雄
織田信長は、妙心寺派の僧、沢彦宗恩の教えを受け、権威を否定するニヒリズム、禅僧を作戦参謀としていた。臨済宗の本質は老荘思想、無の思想である。これについて先生のご意見を。
島薗進
当時の禅僧は中華帝国の文化の取入れ口でもあった。既存の権威を否定するが、それにかわる精神文化は見えていなかった。秀吉、家康になるとはより保守的になってくる。しかし、博多や界の商人らがもっていた自由闊達さは禅宗のそれに通じ、やがて「浮き世」の文化へと引き継がれていく。
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4、空海の密教とプラトン哲学の世界観について
大久保正雄
空海の密教は、理念を現実に実現する世界観。法身、大日如来、報身、阿弥陀仏、応化身、釈迦牟尼仏。5世紀までにはその本質永遠性と現実即応の関連づけ、すなわち統一が問題となり、それが仏身論に及び、法身と色身(応身)を合せた報身が立てられ、三身説が成立した。「一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏、二に報身仏、三に法身仏なり」(『十地経論』巻3 )。「現実に現身のままで大日如来になる」(空海『即身成仏義』)。空海は、法身仏、普遍的な存在が説法をすると説く。釈迦牟尼の教えを超え、釈迦牟尼の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にした。(宮坂宥勝『空海・生涯と思想』)【世界観】プラトン哲学は、理念をこの世界に実現することを探求する世界観。イデアリスム。善のイデア「太陽の比喩」。知の階梯「線分の比喩」『国家』第6巻。魂の眼に向け変え「洞窟の比喩」『国家』第7巻。例えば、仏身論、三身説の存在論は「知恵、知を愛する人、知を愛するソクラテス」に対応する。
島薗進
仏教のなかで、超越界(イデア界)を表象し、そこへ飛翔していく方向性を豊かに展開させたのが密教で、日本では空海がその基礎づけを行った。
芸術・遊びとも相通じる身心変容体験を多様に展開し、日本の神仏習合傾向とも合致。超越志向が招きがちな感覚の否定・抑制の方向性を抑えた。
空海は、日本を超えた世界人。空海は、密教を唐から将来し、究極の形に展開した。密教は中国に残らず、空海の日本に残った。世界的視野をもつ類いまれな人。
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5、宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形
大久保正雄
宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦いの形である。例えば、砂漠と対峙する民族の戦いの形が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。「宗教の使命とは何か」。島薗先生のご意見を。
島薗進
人間はむき出しの力の支配する現実のなかに生きている。そこからの自由を得て各人にオリエンテーションを与えるとともに、共同生活を方向づけていき、また限られた人間の力では見定めることができないものにふれていくための資源として受け継がれてきたもの。
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6、3つの世界観の時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
私は、回帰的時間に癒しを感じます。
島薗進
柔軟な回帰的な時間の意識が好ましいと感じる。これは現代社会が、資本主義の背後にある終末観的時間の危うさと進化的時間の危うさを超えられないことによる病理に苦しんでいると見えるから。
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7、『銀河鉄道の夜』の主題は何ですか。
大久保正雄
『銀河鉄道の夜』の主題は、死生界の境界、魂の永遠性、三次元を超えた世界、この世とあの世の交流、自己犠牲、異界への入口、他界憧憬、「ほんとうの幸いとは何か」を探す旅。等、指摘されている。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする。旅の目的は何か。
島薗進
それらすべてでしょうが、また、死と孤独と悲しみとともに生きて行く人間の支えとなるものの探求の書でもあるのでしょう。
宮澤賢治は、悲しみの詩人。父との葛藤、妹の死の悲しみに苦しんだ。悲しみを癒すために詩とメルヒェンを書いた。銀河鉄道は、イデアの世界であり、法華経の世界。そこへ向かう旅。
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8、若き日にもっていた純粋さ、心の美しさを多くの人は失う。純粋さ、心の美しさを持ちつづけるために必要な精神、美質とは何か。島薗先生のご意見をお聞きします。
大久保正雄
宮澤賢治は、花巻農学校の教壇を去るとき、詩を残している。「どの人もどの人もなくすのだ」*宮澤賢治『告別』(『春と修羅 第二集』)「おまへのバスの三連音がどんなぐあいに鳴ってゐたかをおそらくおまへはわかってゐまい その純朴さ希みに充ちたたのしさはほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」「おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう」「いゝかおまへはおれの弟子なのだ ちからのかぎり そらいっぱいの 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ」【魂のことば】
島薗進
今すぐには手に入らない遠くを見ようとする心と、すぐには役に立ったり利益につながったりしない、けれどもそこに大切なものがあると感じる経験、そしてそれを尊ぶ他者との交わり。また、誰にもそのような心の痛みと輝きがあることを信じることではないでしょうか。
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-e107.html
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
https://bit.ly/2lbezTP
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊
https://t.co/3d2IBLmUmu
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅
https://t.co/MCQLkf9YVW
李白 旅する詩人 美への旅
https://t.co/IwUD8y80gw
『星の王子さま』サンテグジュペリ、心の目でみる。
https://t.co/NuX2YlAkHI
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【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第150回

2018年7月11日 (水)

孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー

Michelangelo_pieta_1499_detail大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第149回
ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する人間の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』* (1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、美しい糸杉の丘、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、人間の曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
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【メディチ家と法王庁との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決する。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコ・デラ・ミランドラも毒殺され、フィチーノは1499年死ぬ。ジョルダーノ・ブルーノは1600年死ぬ。
ミケランジェロは、銀行家ブォナロティ家は没落、6歳で母が死ぬ。14-17歳の時、ロレンツォの家にて養育される。ミケランジェロ、理想の美の探求が始まる。メディチ家とプラトン・アカデミーに教えられる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、メディチ家の戦い 黄金時代のロレンツォ
ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485『東方三博士の礼拝』1476。
描かれたジュリアーノ・デ・メディチは25歳で死ぬ。シモネッタ・ヴェスプッチは23歳で死ぬ。ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』1476。コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、ボッティチェリ(1445-1510)の容姿が描かれている。
ミケランジェロ(1475-1564)は、ロレンツォの家で養育される(1489-1492)。88歳まで生きる。
招かれざるレオナルド、ミラノへ去る。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、ルネサンス、包囲されたフィレンツェ ロレンツォ暗殺の陰謀、フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474-1480)。イタリアの戦国時代。ロレンツォ(1449-1492 1469から当主)は、稀代の戦略家であり教養人である。イタリアの天秤の針。1479ナポリ王フェランテを説得、和平交渉する。
パッツィ家の陰謀(1478)。真の犯人は、フィレンツェに敵対する、戦争好き陰謀家の法王。陰謀家シクストゥス4世(在位1471-1484)の陰謀。銀行家パッツィに命じる。
3、メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ(1389-1464)は、1439年、哲学者ゲミストス・プレトンからプラトン哲学の奥義の講義を受け感銘する。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設する。(Ficinno Opera Omnia, Vol2) マルシリオ・フィチーノにプラトン全集の翻訳を託す。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩書はない。アンジェロ・ポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・デ・メディチ・イル・フォルトゥオ(愚者)が、敵に調略された。1499年、マルシリオ・フィチーノ(1449-1499)、死ぬ。
4、孤高の藝術家、ミケランジェロ 古代の美の探求
【メディチ家の戦いの精神史】理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』にはルネサンスの美貌が刻まれている。レオ10世の依頼でヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de' Medici duca di Nemours.1479-1516)像を制作1526—31。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「ラオコーン」レオカレス「ベルヴェデーレのアポロン」「ベルヴェデーレのトルソ」の美を探求した。
5、ルネサンス 古代彫刻の発見
「ラオコーン」は1506年ローマ、ネロの黄金宮殿跡にて発見された。ロドス島の3人の彫刻家の原作による。ハリカルナッソスのレオカレス原作による「ベルヴェデーレのアポロンBelvedere Apollo」は、1499年アンティウムのネロの夏の離宮から発見され、「エスクィリーノのヴィーナスEsquiline Venus BC1c」はエスクィリーノの丘から発見された。ミケランジェロは「ベルヴェデーレのトルソBelvedere Torso」を研究し天井画に応用した。
古代ローマの皇帝ネロ(54-68)や皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化を愛した。ネロはギリシア彫刻を愛しコレクションを所蔵していた。ネロはギリシア彫刻を集め宮殿に並べていた。古代彫刻の数々の傑作「ラオコーン」「エスクィリーノのヴィーナス」「ベルヴェデーレのアポロン」は、ネロのコレクションのなかにあった。ネロはパラティヌスの丘からカピトリヌスの丘まで「渡り宮殿」(ドムス・トランシトリア)を建設したが、ローマが大火で炎上し、廃墟の跡に「黄金宮殿」(ドムス・アウレア)を建設した。エスクィリヌスの丘は、黄金宮殿の跡である。ネロは美を追求した。美に溺れ、美的趣味を探求した詩人皇帝である。
6、メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。だが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。*
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。*フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」*
7、プラトン哲学の奥義
プラトン・アカデミーの思想家が学んだプラトン哲学の奥義は、魂の哲学と美の哲学である。「魂は不死不滅である」。「本質は眼で見ることができない」「本質は心の眼によってのみ見ることができる」。「魂の美が存在する」「魂の美は、肉体における美より美しい」。魂と本質の哲学である。プラトン哲学の影響は、フィチーノ『プラトン神学』『饗宴注解』に顕著である。*
8、ルネサンスの終焉、メディチ家追放、サヴォナローラの死
ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。サヴォナローラは、間諜=工作員(死間『孫子』用間編)である。シャルル8世のフィレンツェ侵攻(1494年)を予言。1494年、メディチ家、フィレンツェから追放される。「虚飾の焼却」1498年、ルネサンスの藝術、焼かれる。サヴォナローラ、法王アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。1498年5月23日、シニョーリア広場にて処刑される。16世紀、ミケランジェロのマニエリスムの時代、17世紀、カラヴァッジョのバロックの時代が始まる。マニエリスムの藝術家は、フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)を駆使する。*
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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*ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』(1530)  フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』Michelangelo,Davide=Apollo(1530)にはミケランジェロ彫刻の特徴となる要素が全て詰まっている。「大理石でできている。そして、コントラポストのポーズをとっているが、それ以上にミケランジェロ独特のフィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)という螺旋状の曲がりくねる動きが見られる。このポーズは彼の絵画『聖家族』でも用いられ、その他の多くの芸術家たちも真似をしている。マニエリスムの藝術家たち。ミケランジェロは、レオナルドと同様、解剖学を研究してその結果を背中や腰の筋肉に反映している。この作品は未完成である。ミケランジェロの作品には、大理石の欠陥や彼自身の思いによって未完のものが多くある」第3章ミケランジェロについて描かれた絵画や文献から彼自身の人間性について。「大理石の塊の中には、すでに潜在的に完成された像が内包されており、自由になるのを待っている。彫刻家はその像を解放するのだ」とミケランジェロは言っていた。それは、「人間の魂が肉体の束縛から解放されて、魂の世界に到達できる」という新プラトン主義の考えと共通する」ルドヴィーカ・セブレゴンディ、報道内覧会にて2018年6月18日
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参考文献
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」上智大学1993
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
(プラトン『饗宴』)
ミケランジェロ『ピエタ』1498-1500ミケランジェロ『ダヴィデ』1504ミケランジェロ『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』1526-31ミケランジェロ『勝利』1526-30ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』1524-31
『階段の聖母』1492『ケンタウロスの戦い』1492『バッカス』1497『フィレンツェのピエタ』1547-1553『ロンダニーニのピエタ』1564『聖家族』1507
「ミケランジェロと理想の身体」図録、国立西洋美術館2018
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
https://bit.ly/2KFGXvc

2018年7月 8日 (日)

「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術

Michelangelo2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第148回
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』(1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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1、【ミケランジェロ、苦難の少年】1475年、アレッツォ近郊フィレンツェ共和国のカプレーゼに生まれた。銀行家ブオナロティ家に生まれるが、銀行業は没落。ミケランジェロ一家は石工の一家と共にセッティニャーノに住む。1481年ミケランジェロ、6歳の時、長い闘病生活の末、母フランチェスカが死去。苦難の人生の旅立ち。
2、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、運命の扉】13歳のときに画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。1489年メディチ家ロレンツォ・デ・メディチがギルランダイオに、最も優れた弟子を求め、1490年から1492年、ミケランジェロはメディチ家が創設したプラトン・アカデミーに参加。ロレンツォの家で養われる。1492年4月8日ロレンツォ・デ・メディチ、死去する。
3、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、美しき青春】14-15歳、メディチ家のサンマルコ庭園に通う。古代彫刻を学ぶ。ロレンツォの家にて『階段の聖母』(1491年)『ケンタウロスとの戦い』(1492年)制作。1492年4月8日、ロレンツォ・デ・メディチ、死去。17歳の時、メディチ家を去る。21歳、ローマにて『クピド』『バッカス』(1496年)を制作。
4、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、最高傑作】23歳で『ピエタ』(1498年) 枢機卿ジャン・ピエールのために製作を開始。フィレンツェ共和国のために、29歳で『ダヴィデ』(1504年) を制作。天才と呼ばれる。
ミケランジェロ『ピエタ』は、若い女の膝に死せるキリストが横たわっている。憂愁のただよう空間、若い女の悲しみ、子の死。なぜ若いマリアが刻まれたのか。6歳で死別した母の面影が蘇る。
ミケランジェロ『ダヴィデ』(1504年) 。イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石で倒し、剣で首を斬る。巨人に立ち向かう人間。フィレンツェ共和国が包囲された対抗勢力に対して戦う姿。
*【ダヴィデ、ゴリアテと戦う】イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石を額に当てて昏倒させ自らの剣で首を刎ねて絶命させた。「第一サムエル記第17章」。
*1501年フィレンツェ造営局は26歳の若きミケランジェロに委託することを決定した。1501年8月16日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わした。1504年1月25日、ダヴィデ像の置き場所をめぐる会合を開き、シニョーリア広場に決定。1504年9月8日に公開された。
5、【ミケランジェロ、法皇ユリウス2世と確執】1503年デッラ・ローヴェレ家ユリウス2世が法皇になる。1505年『ユリウス2世霊廟』制作依頼される。1508年、天井画制作を依頼される。ミケランジェロ天井画制作を嫌う。1512年、37歳『システィーナ礼拝堂天井画』完成。1513年、ユリウス2世、死去。
6、【ミケランジェロ、メディチ家レオ10世】1513年、ロレンツォ・イル・マニフィコの息子レオ10世、教皇に即位。1516年、41歳の時、レオ10世が、サン・ロレンツォ聖堂ファサードを依頼。1521年、レオ10世、ルターを破門。レオ10世、死去。『ミネルヴァのキリスト』(1521年)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。
7、【ミケランジェロ、メディチ家クレメンス7世】1524年、49歳、クレメンス7世の委嘱により『ラウレンツィアーナ図書館』建設開始。1526年、51歳、メディチ家墓廟にウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ墓廟『黎明』『黄昏』(1524-1531) に着手。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ墓廟『昼』『夜』(1524-1531)制作。
8、【ミケランジェロ、ローマ】1534年、クレメンス7世死去。ミケランジェロ、59歳、ローマに移住。1541年、68歳、『最後の審判』除幕。
9、【ミケランジェロとヴィットリア・コロンナ】1535年、貴婦人ヴィットリア・コロンナと出会う。ミケランジェロ、60歳。ミケランジェロ、300篇のソネットを、ヴィットリオ・コロンナに書く。1547年、ヴィットリア死す。(Vittoria Colonna, 1490-1547)。ミケランジェロ65歳、ヴィットリア50歳のとき、『ヴィットリア・コロンナを描いたミケランジェロの素描』大英博物館所蔵(1540年)。
10、【ミケランジェロ、旅の果て】
1548年、73歳の時、サン・ピエトロ大聖堂建築監督に任命される。84歳の時、『ロンダニーニのピエタ』(1559-1564)制作。ミケランジェロ、1564年、88歳、ローマにて死す。
11、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、孤高な性格】ミケランジェロは、気難しく自尊心が強く人を寄せ付けぬ性格で、孤高の藝術家である。敵対する者に対しては容赦なく、復讐した。教皇レオ10世「ミケランジェロは誰の手にも負えない」。ルドヴィーカ・セブレゴンディ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【レオナルド、波瀾の生涯】この上なく美しかったレオナルド・ダ・ヴィンチの容貌の素晴しさは、見る者のどんなに悲しい気持をも晴れやかにした。彼が口を挟むと、どんなに頑固な意志も、肯定にも否定にも自由に転じた。彼の力はいかなる激しい怒りをも抑え、また右手で鉄の鐘や、鉄の馬蹄を鉛の如くよじ曲げることができた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
レオナルド・ダ・ヴィンチは実に快く会話をし、人の心を惹きつけた。また、何も所有しておらず、無一物というべきで、ほとんど働かなかったが、常に従者を雇い馬を飼っていた。馬をたいへん愛し、他の動物も全てこの上なく愛し、忍耐強く飼い慣らしていた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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「ミケランジェロと理想の身体」展示作品の一部
『ダヴィデ=アポロ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1530年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 Firenze
『若き洗礼者ヨハネ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1495-96年 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、メディナセリ公爵家財団法人蔵 高さ130cm 大理石
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参考文献
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
――
★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

2018年6月11日 (月)

ミラクル エッシャー展・・・迷宮の旅人

Escher2018Escher_belvedere_1958大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第147回
緑陰の森を歩いて美術館に行く。不思議な迷宮、エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958。奇想版画家、エッシャーは、なぜ、建築不可能な建築、無限を閉じ込めた有限を描きつづけたのか。迷宮の旅人の謎。
イタリアの迷宮都市、アマルフィ海岸の迷宮、アルハンブラ宮殿。運命の女に出会う。
1922年—1937年、24歳から39歳まで、イタリア、スペインを旅する。1922年、アルハンブラ宮殿に出会う。1923年、イタリアでイエッタに出会う。
1922年-24年、イタリアを旅する。1923年、25歳のとき、イエッタ・ウミカーと出会う。運命の女。イタリアの旅、スペインの旅で、建築不可能な構造物、無限を有限のなかに閉じ込めた建築、無限模様に魅せられる。
版画家は、世界で最も美しい海岸、アマルフィ、アルハンブラ、迷宮都市に魅せられ、バッハの無限旋律に耽溺し、現実と非現実の狭間を彷徨い、迷宮の謎に挑みつづけた。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる。」『善悪の彼岸』146節。
――
【エッシャー 迷宮の旅 アルハンブラ】1922年、スペインの旅でアルハンブラ宮殿に出会う。1924年、旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚。1926年、長男ジョージが生まれローマに移り住む。1930年、風景画の最高傑作『カストロバルバ』制作。1935年長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられファシズムを嫌いスイスに移住。だが、スイスの雪景色に倦怠する。南の海に憬れ、自らスペイン南部にいたる船旅を計画。旅行中スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のアラベスク模様を見て感銘を受ける。1937年、39歳アルハンブラ宮殿の再訪、以後、作風は一変する。繰り返し模様の作品に挑戦しはじめる。エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)は、73歳まで、迷宮に挑みつづける。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
エッシャー「アマルフィ海岸」1934、「サンジミニャーノ」1922、「地下聖堂での行列」1927、「カストロヴァルヴァ アブルッツィ地方」1930、「水没した聖堂」1929、「バベルの塔」1928、「昼と夜」1938
エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「相対性」1953、「メタモルフォーゼⅡ」1939、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2JcRwVI
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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8つのキーワードを通して説く、奇想版画家の「謎」。「科学」「聖書」「風景」「人物」「広告」「技法」「反射」「錯視」の8つの観点からエッシャーの作品に迫ります。
20世紀のオランダ、ヨーロッパ芸術のなかで、エッシャーは極めて独特な位置に立つ芸術家。20世紀を代表する奇想の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)。“視覚の魔術師”と呼ばれる。独特の構図と唯一無二の技法を使った「だまし絵(トロンプ・ルイユ)」の作品で有名だ。コンピュータの存在しない時代に発想した、緻密で数学的なアートワークは人々を驚かせた。広報資料より
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★ミラクル エッシャー展
生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展
上野の森美術館、2018 年6 月6 日(水) - 7 月29 日(日)
あべのハルカス美術館、11月16日(金)~2019年1月14日(月・祝)

2018年6月 3日 (日)

「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝

20180530大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第146回
アレクサンドロス大王は、20歳で復讐を果たして人生の旅に旅立つ。ペルシア帝国を滅ぼし、バビロンにて33歳で死す。ナポレオンは、51歳で絶海の孤島セント・ヘレナで死す。王妃マリー・アントワネット、コンコルド広場にて処刑、37歳。波瀾の人生の果てに、若くして死す。人生の戦いに勝利した偉大な王、何を手に入れたのか。価値ある生とは何か。人生の冒険に破れた詩人。人生の戦いに破れた哲人、理念を追求する。輝く天の仕事をなし遂げる人。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
――
【偉大なる大王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。美しき宗教改革者ネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【フランス革命の死】マリー・アントワネット37歳。ルイ16世38歳。ロベスピエール36歳。ダヴィッド77歳。ナポレオン51歳。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。
【ルネサンスの死】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フィチーノ62歳。ボッティチェリ65歳。ミケランジェロ88歳。シクストゥス4世70歳。1499年プラトンアカデミーの思想家、死す。1600年、ジョルダーノ・ブルーノ52歳。
【復讐する精神】アレクサンドロスは、父王フィリッポス2世を側近貴族によって暗殺、復讐を果たして人生の旅に旅立つ。紀元前336年、アレクサンドロス20歳。織田信長は、織田信行の二度目の謀反に復讐を果たし、人生の冒険に旅立つ。弘治三(1557)年、信長24歳。
【ナポレオン】余の栄誉は40回の戦勝ではなく、永久に残るのは余の民法典である。
ナポレオン、身長168。27歳でイタリア遠征軍司令官に抜擢され、第1次対仏大同盟を崩壊させ、イギリスとインドの通商を絶つため、エジプト遠征。1800年第2次対仏大同盟を解体、終身統領となる。1804年、ナポレオン法典制定、帝位につく。ナポレオン1世となる。1810年、オーストリア皇帝の長女マリー・ルイーズと結婚。1812年、ロシア遠征挫折。1813年、諸国民戦争に敗れ、エルバ島に流刑。1815年、エルバ島を脱出し、帝位につく。ワーテルローの戦いで破れ、絶海の孤島セント・ヘレナ島に流される。51歳で死す。
【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。
*「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」Utilitarianism.1861
“It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.” Utilitarianism.1861
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
「アレクサンドロス大王の肖像」、通称《アザラのヘルメス柱》2世紀前半、リュシッポスによる原作(前330年頃)に基づきイタリアで制作イタリア、ティヴォリ出土 大理石(ペンテリコン産)
ディエゴ・ベラスケス「スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア」1652
アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト(1796年11月17日)」1796年
クロード・ラメ「戴冠式の正装のナポレオン1世」1813年
アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房「戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」1827年
ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)「女性の肖像」、通称「美しきナーニ」1560年
セーヴル磁器製作所(ルイ=シモン・ボワゾに基づく)「フランス王妃マリー=アントワネットの胸像」1782年 ビスキュイ(素焼きの硬質磁器)
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「フランス王子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像」1842年
サンドロ・ボッティチェリと工房「赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像」1480-1490年頃 ロレンツォ・イル・マニフィコの従兄弟であった、ロレンツォ・トルナブオーニ(1465-1497)とする説がある。
ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」1794年頃 油彩/カンヴァス
「青冠をかぶったアメンホテップ3世」在位前1391-1353
子はアメンホテプ4世アクエンアテン王。老王アメンホテプ3世は、若く美しいネフェルティティを迎えるが自身は病に苦しみ、ほとんど政治は正妃のティイに任せ、彼女は、父との不仲で中央から遠ざけられていた、12歳の息子のアメンホテプ4世を呼び寄せ、ネフェルティティと結婚させる。
「神官としてのアウグストゥス帝」
「トガをまとったティベリウス帝」
「胴鎧をまとったカラカラ帝」
フランシスコ・デ・ゴヤ「ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネス」1791
ジュゼッペ・アルチンボルド「春」1573年 油彩/カンヴァス
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参考文献
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第73回
ハプスブルク家 マリーアントワネット 革命に散る
https://t.co/LsGpsWXdsT
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★「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」
国立新美術館、5月30日-9月3日
大阪市立美術館、9月22日(土)- 2019年1月14日(月・祝)

2018年5月 3日 (木)

「名作誕生、つながる日本美術」東京国立博物館・・・美の系図、創造のドラマ

20180413大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第145回
春爛漫、百花繚乱、紫の躑躅咲く森を歩いて、花の匂い漂う、夕暮れの博物館に行く。煌めく宗達筆「扇面散屏風」、雪舟筆「四季花鳥図屛風」、超絶技巧と色彩の魔術の若冲筆「雪梅雄鶏図」、等伯筆「山水松林架橋図襖」。藝術家の至高の美の空間が蘇る。
奈良時代の一木彫像から、雪舟、宗達、若冲、等伯、光琳、顔輝、岸田劉生まで。
絢爛豪華な美の系図。空前絶後、前代未聞の比較展示。卓越した巨匠の空間。中国、日本の美の変奏と系譜。「夫レ美術ハ国ノ精華ナリ」。
藝術はなぜ、創造されるのか。なぜ生み出されたのか。死に至るまでつづけられる創作の秘密。藝術家の格闘のドラマ。巨匠たちの、剽窃、模倣、継承、変形、兆戦、創造への果てしない格闘。
雪舟の部屋、宗達の部屋、若冲の部屋。充溢した濃密な巨匠の空間に佇む。異界の空間。藝術は、異界への扉。創作の秘密を解き明かす、巨匠と巨匠の美の系図。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

若冲展示室で佐藤康宏氏に会う。「若冲は、努力家、天才ではない。文正、陳伯沖を研究した」「名作はたんに天才によって創造されるのではない。巨匠の傑作は天才によって構築されるのではない」
――
雪舟等楊は、玉㵎を学び「破墨山水図」を描き、呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。狩野元信は雪舟等楊筆と呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。
俵屋宗達は「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡を複製、再構成して「扇面散屏風」を制作した。
伊藤若冲筆は、文正「鳴鶴図」、陳伯沖「松上双鶴図」を研究して「白鶴図」を描いた。
長谷川等伯は、能阿弥筆「三保松原図」、自作「山水松林架橋図襖」をへて、「松林図屛風」に到達する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
――
【雪舟、47歳の時、遣明船で明に渡る】雪舟(等楊)は備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る。山口に初めて来たのはまだ拙宗を号としていた1455年頃、28代大内教弘の時代。雪舟47歳の時、1467年、大内氏の遣明船に乗り、念願の明に渡る。明で画の勉強を終えた雪舟は、1469年に帰国し日本各地を転々とした。1483年再び山口に戻り、雲谷庵に定住。創作活動にすべてを注ぎ、1486年、最高傑作「山水長巻」を山口で完成。1506年87歳でこの世を去る。画風は、弟子達に受け継がれ、「雲谷派」と呼ばれる。【雪舟】(応永27年( 1420年)—永正3年8月8日( 1506年))岡山県総社市の宝福寺での小僧時代、涙で鼠を描いた逸話が有名である。*狩野永納『本朝画史』(1693年)。雪舟は、玉㵎を模倣して「破墨山水図」(室町時代1495)を描く。「破墨山水図」は、雪舟が1495年、76歳に制作し弟子の如水宗淵に与えた山水画。東京国立博物館所蔵。雪舟自身の長文の自題がある。自題の中に「破墨の法」を明で学んだと述べているのでこの名があるが技法的には「溌墨山水」。「破墨山水図」自序の中で、雪舟は、かつて中国へ渡り、李在と長有声に画を学んだ、日本では如拙、周文の画を受け継ぐことなどを述べ、如水宗淵のために画学の系譜を明らかにする。
【俵屋宗達、扇絵】17世紀は俵屋宗達とその工房の活躍期。仮名草子「竹斎」元和年間(1615~24)に記された俵屋は、扇絵制作を得意とする絵屋であり、宗達自身 による扇面画も複数残る。宗達や俵屋工房による扇面画、特に扇面屏風類の現存遺例、醍醐寺『扇面貼交屏風』二曲一双が有名である。
【本阿弥光悦と宗達】俵屋宗達は、本阿弥光悦と同時代人。*光悦(永禄元年(1558年)生まれ、寛永14年(1637年)2月3日没)。1602年(光悦44歳)、光悦は厳島神社の寺宝『平家納経』の修理にあたって宗達をチームに加える。50代になった光悦は俵屋宗達との「合作」に取り組み始める。才能と才能の共同制作、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』。光悦は時の将軍徳川家光に「天下の重宝」と言わしめた書の達人。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★展示作品の一部
国宝「普賢菩薩騎象像」平安時代・12世紀 大倉集古館蔵
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雪舟等楊筆「倣玉㵎山水図」室町時代・15世紀 岡山県立美術館蔵
雪舟等楊筆「倣夏珪山水図」室町時代・15世紀 山口県立美術館蔵
雪舟等楊筆 国宝「破墨山水図」室町時代・15世紀、東京国立博物館蔵
雪舟等楊筆「四季花鳥図屛風」室町時代・15世紀、京都国立博物館蔵
呂紀筆「四季花鳥図」明時代、15-16世紀
狩野元信「四季花鳥図」室町時代・16世紀
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「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡 1幅、13世紀、東京国立博物館蔵
俵屋宗達筆「扇面散屏風」17世紀 三の丸尚蔵館
伝俵屋宗達筆「扇面貼交屛風」江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
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文正「鳴鶴図」元明時代、14世紀、相国寺
陳伯沖「松上双鶴図」明時代、16世紀、大雪院
狩野探幽「波濤飛鶴図」江戸時代・17世紀1654年、 京都国立博物館蔵
伊藤若冲筆「白鶴図」江戸時代・18世紀
伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」江戸時代・18世紀 京都・両足院蔵
伊藤若冲筆「仙人掌群鶏図襖」江戸時代・18世紀 大阪・西福寺蔵
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能阿弥筆「三保松原図」室町時代・15—16世紀、
長谷川等伯筆「山水松林架橋図襖」4面、安土桃山時代・天正17年1589年 樂美術館蔵
長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
菱川師宣筆「見返り美人図」17世紀東京国立博物館蔵
顔輝「寒山拾得図」元時代14世紀
岸田劉生「野童女」1922
――
参考文献
若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-2b1d.html
「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-7705.html
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-97ee.html
長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-33b2.html
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
『没後500年特別展「雪舟」』(図録、東京国立博物館2002年)
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館2008
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」東京国立博物館2013
「長谷川等伯展」東京国立博物館2010
生誕300年記念「若冲展」東京都美術館2016
「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京国立博物館2012
ボストン美術館肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」江戸東京博物館、2006年
「北斎展」東京国立博物館、2005年10月25日(火)~12月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
――
★創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年「名作誕生、つながる日本美術」
東京国立博物館4月13日-5月27日
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1889
http://meisaku2018.jp/index.html

2018年4月24日 (火)

「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」・・・藝術家と運命との戦い

Pushkin2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第144回
春爛漫、花盛り、紫の躑躅咲く。新緑の森を歩いて、美術館に行く。印象派の絵画は、光の絵画であり、輝く光があふれる。その陰には運命との戦いがある。
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
――
クロード・モネ、藝術家と運命との戦い
クロード・モネ(Claude Monet, 1840—1926)。若き日、貧困にあえぐ。愛する女の死と悲しみから藝術が生まれる。貧乏な画家のモネはカミーユと恋に落ち、子供が生まれる。モデルを雇うお金がないモネが描く人物画は、カミーユがモデルを務めている。
1879年、モネの妻カミーユ32歳で死す。のちに、支援者オシュデの令嬢18歳のシュザンヌ・オシュデを描く。
1859、19歳でパリに行き、カミーユ・ピサロに出会う。
1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866、サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚した。
1867、モネ『海辺のテラス、サンタドレス』。
1871年、アルジャントゥイユに移る。
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に出展。クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンであるエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族と同居生活。
1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、1879年、カミーユ(1847—79旧姓カミーユ・ドンシュー)は32歳の若さで死ぬ。モネ39歳。以後、人物画を描くことはまれになった。
1883年アリス・オシュデとモネ、両家の子供たちはジヴェルニーに転居する。モネ、43歳。モネはその後1892年にアリス・オシュデと再婚。
1886年、第8回印象派展開催(最後)モネ不参加。
1893年ジヴェルニーの邸に隣接する土地を購入。1893年頃から北斎に惚れ込み、日本庭園を作る、リュ川から水を引き日本風の太鼓橋を配置、睡蓮を浮かべた「水の庭」を制作。99年から死ぬまで続くモネの代表作「睡蓮」連作に取り組む。
1911年アリスが亡くなり、息子のジャンも14年に先立つ。
1926年ジヴェルニーで死去。享年86歳。
1927年オランジュリー美術館に「睡蓮」大連作展示。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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【クロード・モネ「草上の昼食」1866年】
クロード・モネが26歳の頃、1866年に描いた「草上の昼食」。パリ近郊のフォンテーヌブローでピクニックを楽しむ若者たち。モネが敬愛したエドゥアール・マネ「草上の昼食」(1862年頃オルセー美術館所蔵)に触発されて描いた。モデルの女性は、当時モネと出会ったばかりの恋人、後に妻となるカミーユ。紳士はモネの友人で画家だったフレデリック・バジール。カミーユは32歳で死ぬ。
――
展示作品の一部
クロード・ロラン「エウロペの掠奪」1655年
ユベール・ロベール「水に囲まれた神殿」1780年
クロード・モネ「草上の昼食」1866年
クロード・モネ「白い睡蓮」1899年
ルノワール「ムーラン・ドラ・ギャレットの木陰」1876年
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め」1905年
アンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」1910年
ポール・ゴーギャン「マタモエ、孔雀のいる風景」1892年
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大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
クロード・モネ『日傘の女』・・・カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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珠玉のフランス絵画コレクションで知られるモスクワのプーシキン美術館から、17世紀から20世紀の風景画65点が来日します。神話の物語や古代への憧憬、あるいは身近な自然や大都市パリの喧騒、果ては想像の世界に至るまで、描かれた時代と場所を軸にフランス近代風景画の流れをご紹介します。様々な情景を舞台にした風景画は、その土地のにおいや太陽の煌めき、風にそよぐ木々や街のさざめきをも感じさせてくれます。
なかでも、初来日となるモネの《草上の昼食》では、同時代の人物たちとみずみずしい自然の風景が見事に調和しています。印象派の誕生前夜、26歳となる若きモネの魅力溢れる作品です。ほかにもロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーらの作品が集います。新緑の上野で、巨匠たちが愛した光と色彩が躍る美しい風景を巡る「旅」をどうぞお楽しみください。
http://www.tobikan.jp/exhibition/2018_pushkin.html
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★「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」東京都美術館、4月14日-7月8日
「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」国立国際美術館2018年7月21日(土)~10月14日(日)

2018年4月15日 (日)

東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人

20180331大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第143回
春爛漫、百花繚乱、花吹雪。花盛りの森を歩いて美術館に行く。春高楼の花の宴、夜桜の森の下、酔う人々。いにしえの美人の面影が蘇る。春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。
美には、魂の美、肉体の美、内面の美、外面の美、見えざる美、表面の美、内面と外面が一致した美がある。美人画の美女は、夢みる若い女、上流階級の毅然とした美女、艶麗な美女。美人画の最高峰は何か。
日本の美人画が描いていない領域がある。日本の美人画は、ラファエル前派、ルネサンスの美女、バロックの美女、新古典主義の美女とどこが異なるのか。
菱田春草「水鏡」(1897)は「美人はいつまでも美にあらず、ついには衰えるときがある」「天女衰相、天女の相が映る」(菱田春草『画界新彩』)。菱田春草は37歳で夭折する。
上村松園「序の舞」1936は「優美なうちにも毅然として犯しがたい気品」(『靑眉抄』)を表現している。
不気味な女たち。妖気を感じる。上村松園「焔」1918、岸田劉生「麗子」1920「野童女」1922、甲斐庄楠音「幻覚」1920、女は、人間の矛盾を映す鏡である。「江戸時代の幽霊は、女がほとんど。女は、抑圧される。抑圧されていた女は、死んで恨みを晴らす。恨みの視覚化が妖怪である。妖怪は、人が抱える矛盾を映す鏡である。」(小松和彦)
岸田劉生がデロリとよんだ甲斐庄楠音は83歳まで生き、岸田劉生は38歳で没した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
――
美人画の始まり 樹下美人図
「鳥毛立女屏風図」正倉院宝物 天平勝宝四年(752年) 。「樹下美人図」ともよばれる。天平勝宝八年(756)の『東大寺献物帳』に「六扇」と記載されている。樹下に佇む唐の装束を着た婦人を描いた。シルクロード起源である。
【樹下美人図】春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。春の園が紅色に美しく輝くように咲いている桃の花の色が、木の下までも照り映えている道に出て立っている乙女よ。(天平勝宝二(西暦750年)年三月一日の暮(ゆうへ)に、春苑の桃李の花を眺矚(なが)めて作る歌二首。大伴家持 (万葉集巻十九、4139)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より」
――
展示作品の一部
鈴木春信「琴を弾く美人」1767「三十六歌仙」1767
勝川春章「青楼美人合鏡」1776
鳥居清長「美南見十二侯」1784
喜多川歌麿「当世三美人」1793
菱田春草「水鏡」1897
鏑木清方「一葉」1940
菊池契月「友禅の少女」1933
甲斐庄楠音「幻覚」1920
上村松園「序の舞」1936
――
参考文献
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-ee4b.html
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/18601900-9567.html
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
https://bit.ly/2pJnsnZ
「上村松園展、東京国立近代美術館」2010年9月7日-10月17日
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f70.html
――
このほど、近代美人画の最高傑作である上村松園作《序の舞》(重要文化財)の修理が完成し、本展にてはじめて一般に公開される運びとなりました。上村松園(1875-1949)は、京都に生まれ鈴木松年や竹内栖鳳らに学びながら、独自の美人画様式を確立。官展を中心に活躍し、昭和23年(1948)、女性としてはじめての文化勲章を受章しました。昭和11年(1936)作の《序の舞》は、松園のもっとも充実した時期に制作された代表作のひとつです。
本展では、この機に、江戸時代の風俗画や浮世絵に近代美人画の源流を探りながら、《序の舞》に至る美人画の系譜をたどります。明治中期から昭和戦前期までの、東京と関西における美人画の展開を、松園をはじめ菱田春草、鏑木清方、菊池契月、北野恒富ら著名作家たちの名作を中心に俯瞰いたします。
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2017/bijinga/bijinga_ja.htm
――
★東西美人画の名作 《序の舞》への系譜、東京藝術大学大学美術館
2018年3月31日〜5月6日

2018年4月10日 (火)

島薗進『死生学 宗教の名著 魂のことば』上智大学、5月27日

Botticellinascitaveneresimonettaves島薗進『死生学 宗教の名著 魂のことば』上智大学、5月27日
上智大学、6号館204教室、午後3時30分から
【講演】島薗進【解説、質疑応答】大久保正雄【司会】畑中紀子【企画】大久保正雄
上智大学ソフィア会 ソフィア文化芸術ネットワーク
―――
島薗進、東京大学大学院名誉教授、上智大学大学院教授
宗教の名著に刻まれる、生と死、知恵と愛の意味。様々な文明、多様な文化に宗教がある。宗教の名著のなかに、魂のことばを読み、生と死、知恵と愛の意味を考える。生死を超える言葉、人の痛みを癒す苦悩を超えて生きる言葉。宗教の名著には不朽の思想がある。
死生学(Thanatology)の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」である。
島薗進『宗教学の名著30』。空海『聾瞽指帰』『秘蔵宝鑰』、エリアーデ『永遠回帰の神話』、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。他
―――
ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

2018年3月29日 (木)

ルノワール『イレーヌ』・・・非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう

Irne_cahen_danvers_1880大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第142回
一枚の絵画に、非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう人。藝術家は運命と戦う。運命の女があらわれる。黄昏時、美しい女神が美しい魂を救う。
オーギュスト・ルノワール『イレーヌ』(Pierre-Auguste Renoir Portrait d'Irène Cahen d'Anvers)1880)。1880年夏、別邸の庭でモデルをつとめた8歳のイレーヌ。可憐な8歳の美少女、紅の頬、睫毛が長く憂いを帯びた表情。「絵画史上最強の美少女」。藝術家とモデルと富豪の父と娘。
ルノワールは1877年「第3回印象派展」を最後に、印象派を離れて、サロンに移る。富裕層の出資者を探し始める。銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵から三人姉妹の得の注文を受ける。ルノワールはこの時39歳、39年後、1919年、78歳で死ぬ。
オーギュスト・ルノワール『イレーヌ』(1880)。イレーヌに非情な運命が襲いかかる。イレーヌは二度の結婚と離婚。第一次世界大戦で子息は撃墜死。娘ベアトリスは一家4人ナチスのユダヤ迫害で死亡。ナチスの美術品略奪、印象派好きのゲーリングの手中に。1949年77歳の時、イレーヌはルノワール『イレーヌ』を競売に出しビュールレの手に渡る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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1880年夏、別邸の庭でモデルをつとめた8歳の『イレーヌ』(1880)は、可憐な8歳の美少女、紅の頬、睫毛が長く憂いを帯びた表情。「絵画史上最強の美少女」。注文主は、富裕なユダヤ人銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェール伯爵。
イレーヌは、19歳でカモンド伯イザクと結婚。10年ほどで破綻し、30歳でサンピエーリ伯と再婚、20年ほど後に二度目の離婚。息子ニッシムは長じてフランス空軍のパイロットとなり、第一次世界大戦末期1917年、25歳でロレーヌ地方において撃墜死。
1894年に生まれた娘ベアトリスはレオン・ライナッハの妻となり、二人の子に恵まれるが、一家4人ともナチスのユダヤ迫害によって捕らえられ、アウシュビッツほかの収容所で全員命を落とす。
ナチスはフランスのユダヤ人家庭から美術品を略奪、ジュ・ド・ボーム美術館に集めた。『イレーヌ』を描いた絵はジュ・ド・ボーム美術館に移され、一時期は印象派美術好きのゲーリングの手もとにあった。1946年になって絵はイレーヌ本人のもとに戻された。彼女はすでに74歳。その3年後に競売にかけられ、ビュールレによって落札された。
★参考文献
日曜美術館「イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年」2018年3月4日NHK
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」図録
国立新美術館、2018年2月14日~5月7日
九州国立博物館、2018年5月19日~ 7月16日
名古屋市美術館、2018年7月28日~ 9月24日
――
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-9927.html
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-9927.html

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